第16話 いつか見た領主様
朝の光が石畳に伸びる頃、私たちは修道院の前に集まっていた。
台所に並べたプロテインバーは、早朝のうちに油脂紙で丁寧に包み、いくつかの籠へと収めてある。子供たちが一つずつ、ダガーさんと私とシスターが二つずつ。それぞれ籠を手に、一行は騎士団の訓練所へと向けて歩き出した。
「皆さん、無理してはいませんか?」
「全然! 余裕ー!」
「ジャン君、走ったら中身が崩れてしまいますわよ」
「わかってるってー!」
前を行く子供たちは賑やかで、籠を揺らしながらも何とか行儀よく歩いている。その後ろをシスター、私、ダガーさんと続く形で、私たちはいつもの街へと出た。
顔なじみの住民が通りから手を振ってくる。八百屋の店先のご夫婦、路地から覗く子供たち。
「あら、今日はお出かけですか?」
「ええ、騎士様たちと少しお仕事をさせていただく予定で」
シスターがにこやかに答える。私もそれに倣って会釈をしながら歩いた。正確に言えば、お仕事というよりも見学に近い交流会になるだろうとは思っている。
訓練を積んでいない子供たちが騎士団の力仕事を担えるはずもないし、かといって事務作業には機密性の高いものも多く、軽々しく触れさせるわけにもいかない。おそらく訓練の見学や、武具の手入れの様子を傍で見せてもらうか、せいぜい食事の支度を少し手伝う程度になるだろう。それでも子供たちにとっては十分な経験になるはずですわ。
通りの子供たちが籠を覗き込んで不思議そうな顔をしているので、ジャン君が得意げに胸を張っている。その背中を見ながら、私は小さく笑みをこぼした。
しばらく歩くうちに、街の景色が少しずつ変わり始めた。
石造りの建物が大きくなり、往来を歩く人の体格が変わる。鎧は着ていないものの、がっしりとした体つきの男たちが道を闊歩している。荷を運ぶ者、剣を腰に提げた者、険しい表情で話し合いながら歩く者。そこでようやく私達は騎士団の居住区域に入ったのだと、空気でわかった。
懐疑的な目を向けてくる者こそいないが、私たちの一行はどう見ても場違いで、すれ違う者たちの視線がさりげなくこちらへ集まってくるのがわかった。そのせいか、先ほどまで賑やかだった子供たちが、いつの間にか口を閉じていた。足は止めていないが、どこかそわそわと落ち着かない様子で、互いにちらちらと視線を交わしている。
横を歩くダガーさんをそっと見ると、表情はいつも通り動いていない。しかし歩き方がわずかにぎこちなくみえた。恐らく緊張しているのでしょうね。
一方のシスターは至って穏やかで、普段と変わらぬ足取りで歩いている。
「シスターは、ここへよくいらっしゃるのですか?」
思わずそう尋ねると、シスターは柔らかく頷いた。
「神父様がお忙しい時は、私が代わりに報告などに来ますね。女神教会は国が運営しておりますから、資金の流れや物資の不足、建物の補修の申請など……折々に報告や手続きがあるのです」
「そうでしたの……」
納得するよりも先に、修道院からここまでの道のりが頭に浮かんだ。決して近くはない。それをシスターが一人で、幾度となく通ってきたのだと思うと。
「……女性おひとりで、この距離を度々というのは、大変ではありませんか?」
そう口にすると、シスターはほんの少し目を丸くして、それからふわりと微笑んだ。
「たしかに日によっては日差しが強かったり、雨の日など大変なときはあります。しかしそうも言ってられませんからね。言ってしまえば、慣れですよ」
そう言って、シスターの手がそっと私の頭へ伸びてくる。柔らかく、温かな手が髪を撫でた。
「でもお気遣いありがとうございます。優しいのですね、クラリスさんは……うふふ」
思いがけない言葉に、頬がほんのり熱くなる。恥ずかしいとは思うのに、不思議とその手を払う気にはなれなくて、私はされるがままに歩みを続けた。
すると不意に、隣の空気が変わった。
気づけばダガーさんが、すっと私とシスターの間に割り込んでいた。ふくれたような、それでいて行き場のない表情で、交互に私たちを見ている。
私とシスターは顔を見合わせ、申し合わせたわけでもなく手を伸ばす。そして二人同時にダガーさんの頭をそっと撫でると、ダガーさんの耳がみるみる赤くなった。それから何も言わず、足早に子供たちの方へと歩いていってしまう。
「……ふふ。本当にダガーさんは、可愛らしいですわね」
「後はもう少しだけ、素直になってくれたら良いのですがね……うふふ」
思わず笑みがこぼれて、シスターと二人で苦笑いを交わす。前を行くダガーさんの背中は、まだどこか小さく見えた。
そうして私たちは歩みを進めていると、石畳の向こうに訓練所の門が見え始めていた。
◇
シスターの先導で石畳を進むと、やがてレオン様から言われていた場所へと辿り着いた。
石造りのレンガを積み上げた頑強な壁が、施設をぐるりと囲んでいる。その正面には、人の背丈をゆうに超える重厚な大扉が待ち構えており、両脇には槍を持った門番が二人、微動だにせず立っていた。
「シスター。そこで止まって下さい」
「招待状を拝見します。シスター、前へ」
促されるままシスターが静かに前へ出ると、懐から一通の手紙を取り出して門番へ差し出す。二人は受け取り、中身を確認してから互いに目を合わせ、扉へと手をかけた。
ゆっくりと、重い音を立てながら扉が開いていく。その奥が見えた瞬間、私の隣で四人が揃って息を呑んだ。
「なんと―――」
そこは要塞を背景にした広大な空間に、騎士達たちの熱気で満ちていた。太い木柱を相手に拳を打ち込む者、木剣を持った二人が激しく打ち合う者、鎧を着込んだまま地面で組み合っている者。掛け声と打撃音と、砂を踏む音が折り重なって、空気そのものが張り詰めている。
「すっげ……」
「わー……」
「なんか、凄い……」
「ちょっと、怖いかも……」
そんな熱気にやられたのか、子供たちは言葉を失って突っ立っている。横を見るとダガーさんも珍しく、その光景に気圧されている様子だった。シスターはといえば、いつもと違って少しだけ目を輝かせている。普段は別の場所に用が向くと言っていたから、訓練場を直に目にするのは久しぶりなのかもしれない。
「さあ、ここに突っ立っていては邪魔になってしまいますわ。参りましょう」
私がそう声をかけると、子供たちは我に返って大人しく頷いた。
私達は邪魔にならない場所を見つけて足を止め、しばらく訓練の様子を眺めていると、人の波の奥からこちらへ向かってくる人影があった。
汗で前髪を額に貼りつかせ、上着に大きな染みを作りながら歩いてくるその人物は――レオン様だった。
「来てくれたんですね。……その、こんな姿で申し訳ない」
レオン様が頭に手をやって苦笑する。シスターはふるふると首を横に振った。
「とんでもございません。本日はお招きいただいて、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ」
レオン様はそれから私へと視線を移した。
「先日は……すまなかった」
「いいえ、当然のことをしたまでですわ。それよりも―――」
私の発言にほんの少し眉尻を下げているレオン様へ、手にしていた籠を差し出しす。すると彼は首を傾げながら後の中を覗き込んでくる。
「これは……何ですか?」
「スパイスや蜂蜜、白大麦などをご恵みくださって、本当にありがとうございました。おかげで良いものが作れましたわ」
かごの中の油脂紙に丁寧に包まれた棒状のものが整然と並んでいる光景に、さらに困惑の色を深めるレオン様。そんな彼をよそに私は説明を続ける。
「これはプロテインバーという、即時栄養補給を目的とした携行食ですわ」
「……まさか、あの材料で作ったんですか」
「ええ」
レオン様は少しの間、黙って籠を見つめていた。それから困ったような笑みを浮かべる。
「あれは教会の皆さんへの迷惑料のつもりで渡したんですが……俺たちに食わせたら意味ないじゃないですか」
「寄付していただいた幸は、分け隔てなく皆へ分け与える。女神様のもとで働く者にとって、それは当然のしきたりですわ」
私がそう答えると、シスターが隣で嬉しそうにうんうんと頷いた。少し間があってから、ダガーさんが小さな声で付け加える。
「……ただ料理がしたかっただけにも見えたけど」
「あら、きっと勘違いですわよ」
「そうかなぁ……」
私とダガーさんの会話を聞いて、レオン様は苦笑いのままプロテインバーを手に取り、包みを開けて口へと運んだ。
そして一口噛んだ瞬間、その目が静かに見開かれた。
「……美味い。しっとりした麦の素朴な味に、蜂蜜の甘みとスパイスの香りが重なって……。これなら訓練後でも食えそうだ」
「それはよかったですわ!」
「うふふ。喜んでいただけてよかったですねクラリスさん。ささ、他の方の分もまだありますので、よろしかったらどうぞ」
シスターは笑顔で、ダガーさんや子供たちの持つ籠を示すと、レオン様は頷きざまに振り返り、周囲へ声をかけた。
途端に、あちこちで動きが止まり、何だ何だと声が上がる。そして騎士たちが次々とこちらへ集まってくる。最初こそ初めて見るプロテインバーに警戒の色を見せていたが、レオン様の勧めで一人が受け取って口にすると、美味いと声を上げる。それに釣られるように、他の者達も口にして皆が笑顔で美味いと口々に褒め称え始めた。
そうして賑やかになった輪の中で、子供たちは目を輝かせながらプロテインバーを手渡している。ダガーさんも無表情のまま、しかし手際よく籠の中身を配り始めていた。
しばらくすると、若い騎士が数人、私の方へと近づいてきた。年は私と同じか、少し上でしょうか。私は近づいてきた騎士たちへプロテインバーを差し出そうとすると、ドギマギしながら若い騎士たちが口を開く。
「なんて綺麗なんだ……」
「あの、よければ後でお茶でも……」
「あ、抜け駆けはずるいぞ……!」
あら、社交界で幾度となく繰り返してきたやり取りですわね。ですが今の私は身分を隠し、女神教の修道女という身分で来ている。あまり男色にうつつを抜かすわけには行かない。それ私の心はいつだって殿下にある。
私はいつもの可憐な微笑みを崩さないまま、しかし相手が不快にならないよう言葉を選んで、一人一人へ柔らかくお断りを返した。
「ありがとうございます。でも今日は皆さんの訓練のお邪魔にならないよう参りましたので。どうかこれからも、弱者のため、良き世のため励んでくださいまし。私は皆様のご健勝を心から祈っておりますわ」
そう言って微笑むと、若い騎士たちは顔を赤くして、美しい、などと呟きながらプロテインバーを受け取り、しどろもどろに戻っていく。
私が軽く手を振っていると、ふと視線を感じた。横を向くとダガーさんがこちらをじっとこちらを見ていたので、私は少し考えてから、そっと手を伸ばしてダガーさんの頭に置く。
「大丈夫ですわ。私はどこへも行きません。先程もお約束したでしょう?」
「そ、そんなこと気にしてないっ……!!」
ダガーさんは手を払いのけ、顔を背けて子供たちの方へと足早に歩いていった。それからぶっきらぼうにプロテインバーを配り始める。
「……やはり可愛らしいですわ」
思わず独り言がこぼれると、隣からシスターの穏やかな声が降ってきた。
「可愛いのはわかりますが、あまり甘やかしてはなりませんよ?」
「わかっておりますわ。でも……どうしてか、優しくしてしまうのですわよね」
「……うふふ。それは私も同意します」
二人で苦笑いを交わしていると、しばらくして籠の中身が一通り行き渡ったようで、子供たちと騎士たちが、随分と楽しそうに交流し始めている。
穏やかな空気の中、ふと奥から複数の足音が近づいてくるのに気が付いた。
それは装備を身に付けた騎士たちの一団だった。先頭を歩く人物を中心に、周囲を固めるように隊列を組んでいる。その集団が現れた瞬間、訓練場にいた騎士たちが一斉に動きを止め、腕を胸に当てながら頭を下げる。それは幾度となく見てきた王国騎士式の敬礼だった。
上位の騎士、あるいはそれより高い位の者。領主などが伴われるときに見せる礼だと、社交界の記憶が告げていた。
「ダガーさん。子供たちを……」
「わかってる」
私はダガーさんへ目線を送ると、ダガーさんは静かに頷いて子供たち後ろへ引っ込ませる。一方の私はシスターと並んで、女神教式の礼をとって一団を迎える。
すると私達の目の前で集団が止まり、人垣の間から、一人の人物が前へ出てくる。
――その姿には見覚えがあった。
瞬間、記憶の奥を一枚の情景が走り抜けた。数年前、はじめて社交界に出た夜。お父様と談笑する、顔に傷を負い歴戦の猛者たる威厳が滲み出た男性。
それはこのマルシェリエの領主だった。
彼の姿を見た私の頭の中で、いくつもの思いがなだれ込んでくる。
処刑されているはずの自分がここにいること。帝国と隣接する要衝を任された人物が、次期国王の暗殺に関わったとされる者を見逃すはずがないこと。そもそも殿下の元婚約者であり公爵家の顔を持つ自分が、こうして人前に出ていること自体が――。
私は浮かびかけた冷や汗を、なんとか表情ごと押さえ込む。社交界で身に染み込んだ、感情を顔に出さない術。今この瞬間だけは、それだけが頼りだった。
「……」
シスターがそっとこちらへ視線を向けてくる。心配の色が滲んでいたが、領主を前に勝手に動くわけにもいかないと悟ったのか、直に前へ目を戻した。
重い静寂が流れ、領主が口を開く。
「……エトワールよ。久しぶりだな」
「はい、領主様も、ご壮健そうで何よりでございます」
「壮健か。最近は体の節々が痛くてな。老いとは悲しいものだ。おっと、それよりも先日は我が騎士が世話になったと聞いたが」
「とんでもございません。我々は女神様に仕える身として、当然のことをしたまでです」
「ふむ。良い心がけだ。それで……?」
シスターがいつも通りの穏やかさで返す。それから領主の視線が、静かに私へと移った。
「……そちらのお嬢さんは、新しい修道女か」
「はい。新しく教会にて預かった、修道女のクラリスと申します」
シスターが短く答えると、領主は少しの間、何かを考える素振りを見せた。それから私の手元の籠へと目を落とす。
「クラリスよ。その籠の中身は?」
私は発言にあぐねていると、シスターがこちらへ目を向けてくる。それは答えなさい、という無言の合図だった。
私は社交界で挨拶した際の、私の声を忘れているという甘い希望を胸に口を開いた。
もう、どうにかなれですわ……!!
「これはプロテインバーと申します。麦と豆の粉末、乾燥果実とスパイスを蜂蜜で練り固めた携行食ですわ。運動後の不足しがちな栄養補給を目的として作りました」
領主は私の説明を黙って聞いていた。そして説明が終わると、無言のまま一本手に取り、包みを開けて口へ運ぶ。
そして、しばらく咀嚼すると、領主はおおらかな笑みを浮かべた。
「うむ。美味だ」
だがそれも束の間、もとの威厳ある静かな表情に戻っている。
「クラリスよ。これは長期の保存は可能か?」
私はその問いの意味を、すぐに悟った。戦闘糧食としての転用。それを考えているのだと。
ここは帝国と隣接する要衝、当然と言えば当然の考えといえるでしょう。
「水分量とスパイスの配分を調整すれば、可能かと存じます。ただ長期間、過酷な環境へ持ち出すには、水分を通さない頑丈な包みが必要になりますわ」
私の説明を聞いた領主は難しい顔で「そうか」と呟いた。
「それで、どこまでなら作れる。頑丈な包とやらは作成可能なのか?」
「プロテインバーの配合と保存に適した分量の考案。それでしたら私が担えます。しかし包みの工夫については、専門の方に頼まれる方がよろしいかと……」
領主はしばらく沈黙した後、おおらかな表情に戻り、静かに頭を下げた。
「そうか。であればこの要塞の調理場を貸す。うちのシェフに作り方を伝授してもらえるか」
「領主様、どうかお頭をお上げください……!」
領主の行動に驚いた私とシスターが慌てて声を上げる。しかし周囲の騎士たちは動じた様子もなく淡々と控えている。そして少しすると内の一人が静かに前へと進み出る。
「領主様。来客との約束の刻限が参っております」
「む、そうか」
領主は頭を上げ、おおらかな笑みのままこちらを一瞥した。
「後のことはそうだな。レオンよ。お主に任せる。よろしく頼むぞ」
「は! 承知しました!」
レオン様を一瞥した領主様はそれだけ言うと、一団が来たときと同じように静かに遠ざかっていった。
残された私たちは、しばらく顔を見合わせていた。
「まるで嵐のような方でしたわね……」
「……ああいう御方なんです。昔から」
「そう、なのですか」
何だか事が順調に進みすぎて不安ですわね。てっきり正体について何か言われると身構えていたのに、話はすでに調理場へと進んでいる。
「まあ任されたからには、訓練が終わったら俺が調理場へ案内しますよ」
「ええ、よろしくお願いしますわ」
こうして私の"第二の目的"である。騎士団の調理場への立ち入りが可能となった。
面白かったら感想、評価していただけると、今後の作品制作の励みになります!!




