第15話 冷却の魔法
かたん、かたんと、木臼を叩く音が台所に響いている。私はその軽快な音と楽しそうに苦労する子供たちの声に聞き耳を立てる。
「んーっ、かったい!」
「ジャン、もっと力入れてっ」
「入れてるって!」
「あー、こぼれてるー」
「ジャンくん。勿体ないから丁寧にしよう?」
子供たちは四人揃って、私が渡した乾燥豆を粉末にする作業に取り組んでいた。ジャン君とルネ君が交互に木臼を叩き、マリーちゃんとリゼットちゃんが豆が飛び散らないよう端を押さえている。その連携は、指示しなくとも自然と生まれていた。じつに微笑ましい光景に、つい笑みをこぼしてしまう。
「……これは、何をしているの」
背後から静かな声がした。振り向くとそこにはダガーさんがナイフを持ちながら、まな板の前でこちらを見つめている。
「ドライフルーツと、小麦に"オーツ麦"。それから今皆さんが潰してくださっている豆の粉末を合わせて、スパイスで味付けをするのですわ。最後に蜂蜜を混ぜてから板状に広げ、棒状に切り分ければ完成です」
説明しながら材料を並べていると、ダガーさんが小首を傾けた。
「……オーツ麦? 白大麦のこと?」
その言葉に、私は思わず手を止める。
――これは、やってしまいましたわね。
【美食啓示】。このスキルによって、どこか遠い別の世界の料理や食材に関する知識が、まるで当然のように頭の中へ流れ込んでくる。それが幾度となく助けになってきた一方で、こうしてその世界の言葉がそのまま口をついて出てしまうことがある。この世界には存在しない名前が、つい滑り出てしまう。
「……あら、ごめんなさい。言い間違えましたわ。ええ、ええ、白大麦のことですわ」
なるべく自然な顔でそう答えると、ダガーさんは短く「そう」と呟き、それ以上は追わなかった。軽く首を傾けるだけで、納得したのかしていないのか、表情からは読み取れない。
そうして気持ちを落ち着けながら横を見ると、ダガーさんがいつの間にかまな板の前に立ち、ドライフルーツを刻み始めていた。その手つきが、なんともよどみない。迷いなく、均一に、無駄のない動きで刃が走っている。
私が思わず見入ってしまっていると、ダガーさんがこちらに気づいて視線を向ける。
「……なんで見てるの」
「いえ。前からお伝えしようとしていたのですが……」
私は微笑みながら言葉を続ける。
「ナイフの扱い、とてもお上手ですわね」
その瞬間、ダガーさんの手が一瞬だけ止まった。それからわずかに口をとがらせて、何も言わずにまな板へと視線を戻す。いつもの通りの動きに見えるが、耳の先がほんの少しだけ赤くなっているのに気が付く。
ついつい愛らしい……と思ってしまいましたが、やはり怒られてしまいそうなので口には出せませんわね。
しばらくして、ドライフルーツを刻み終えた頃、ちょうど子供たちの方からも声が上がった。
「できたー!」
「うでがパンパン……」
「いたーい……」
「ジャンが半分さぼってたから倍疲れた」
「サボってないし!? お姉ちゃん。俺ちゃんとやったからね!」
口々に疲労を訴えながらも、何故か異様に焦っているジャンくんを除いて、皆の顔はどこか誇らしそうだった。
「疲れたでしょう。少し休みますか?」
そう尋ねると、四人は顔を見合わせてから元気よく返してくる。
「「「「まだやるー!」」」」
それを聞いて、私は作業台に材料を並べ直す。
若い子というのは元気でいいですわね。と思ったとこで私は気が付く。歳はそれほど離れていないのに、まるでお婆ちゃんのような事を考えるのだと。私は一瞬だけ苦笑いを浮かべると、直に気持ちを切り替えて次の手順を浮かべ直す。
「では次は、スパイスと小麦粉、白大麦に、刻んだドライフルーツと豆の粉末を合わせてください。最後に蜂蜜を加えて、よく混ぜましたら型に入れて均一に広げてください」
「「「「はーい!」」」」
子供たちが揃って材料に手を伸ばす。てんやわんやになりながらも、なんとかそれぞれの役割を見つけて動いている姿が微笑ましくて、つい頬が緩んでしまいますわ。
やがて材料が混ざり合い、いくつかの四角い型の中へ均一に広がった。
「それでは、これをオーブンに入れて焼き固めていきますわ」
そう言いながら型枠を石窯のオーブンへと慎重に滑り込ませる。それから薪を手に取り、小さな棒をさっと擦り付けると、ぱちりと小気味よい音とともに火が灯った。
――本当に便利なものですわ。
手の中の小さな棒を、私はしみじみと眺める。摩擦式着火棒。私が投獄されていた間に開発されたと聞いたこの道具は、ただ擦るだけで火を起こせるという、実に画期的な一品だった。
「これを作った方は、本当に天才だと思いますわ」
思わずそう呟くと、子供たちが顔を見合わせてくすくすと笑い合う。
「火付け石使わなくていいから楽だよねー」
「ほんとほんと、あれ何回やっても上手くできないんだもん」
「ジャンはいつも煙だけ出してるもんね」
「うるさいなー!」
賑やかな笑い声が台所に広がるなか、私は薪の具合を調節しながら石窯の様子を見守った。火加減はあまり強くしすぎてもいけない。蜂蜜は焦げやすいですから。
しばらくして、石窯の中からじわりと甘い香りが漂い始めた。蜂蜜とスパイスが熱を帯びて混ざり合う、なんとも食欲をそそる匂いですわ。子供たちも次第に石窯の前へと集まってきて、覗き込むように首を伸ばしている。
やがて頃合いを見て覗き込むと、型の中でプロテインバーがテラテラとした光沢をまとって仕上がっていた。蜂蜜が熱でとろけ、表面に艶やかな膜を張っている。見た目だけでも、十分においしそうですがまだ油断はできない。このままでは蜂蜜がまだ固まりきっておらず、切り分けようとすれば形が崩れてしまう。しっかりと冷やして固める必要がありますわ。
私は防火手袋をはめると、慎重にトレイへ手を伸ばした。石窯の熱気が頬をじわりと撫でる。型枠をゆっくりと、揺らさないように引き出すと、蜂蜜の甘い香りがいっそう強く漂い上がってきた。
「わあ、いいにおい!」
「クラリスお姉ちゃん。食べていい?」
「あらこのままでは、火傷してしまいますわよ?」
子供たちの手がするりと伸びてくるのを、私は苦笑しながら身をかわす。
「さて、あとはこれを冷暗室で固めて――」
「待って」
ダガーさんの声が、静かに割り込んできた。
「……え?」
「私がやる」
それだけ言って、ダガーさんはすっと私の前に出た。型の前に立ち、静かに手をかざす。
次の瞬間、型の中の生地がじわりと変わり始めた。表面が固まり、中心へと向かって固化が広がっていく。ほんの少しの間だけ、台所の空気がひやりとした。
「わあ!」
「なにこれ!?」
「ダガーお姉ちゃん、すごい!」
「つめたくなってる!?」
子供たちが型の周りに集まって大騒ぎになっている。私はその様子を呆然と眺めながら、ただ目を瞠っていた。
作業が終わったのだろう。ダガーさんはこちらへ振り返ると、一言だけ言って脇に退いた。
「終わった」
私は恐る恐る型に触れる。
――冷たい。それどころか、プロテインバーがしっかりと固まっていた。
「……これは、魔法でしょうか」
思わずそう呟くと、ダガーさんは小さく頷いた。子供たちがわっとダガーさんに押し寄せて、すごいすごいと口々にもてはやす。ダガーさんは恥ずかしそうに、しかし乱暴にならない程度に彼らを押し退けながら、静かにこちらを見た。
「……そう。冷却の魔法」
私は少し考え込む。
魔法とは、限られた才能ある者のみが扱える技能。程度の差こそあれ、魔法を扱えるならばそれなりの職に就くことも可能なはず。ましてや冷却魔法は、冬以外の季節では引く手あまたな属性だと聞いている。食品の保存から、使い方次第では医療にさえ応用が利く。戦場でも、街でも、必要とされる場面は数えきれないほどあるはずですわ。
それなのに彼女は、ここにいる。
子供たちの様子を見る限り、皆も知らなかった。それをダガーさんは、今この場で私に見せた。
それがどういう意味を持つのか、私にはわかる気がしましたわ。
ダガーさんは何も言わず、ただこちらをじっと見ていた。
私は満面の笑みを浮かべる。
「凄いですわ、ダガーさん」
その言葉に、彼女はわずかに目を細めた。
「実は私、以前通っていた学園では魔法の才能がなくて。落ちこぼれだったのですわ」
ダガーさんは何も言わずに聞いている。
「それ以外の勉学や貴族としての作法、知識などは他の方よりも優れていたので、不便を感じることはありませんでしたけれど……魔法だけは、どうにもなりませんでしたわ」
少し間を置いてから、私は言葉を続ける。
「ですからダガーさん、もし何か困ったことがあるなら、私に出来る限りのことをしますわ。社会的に成り上がりたいのであれば、その手立てを一緒に考えましょう。魔法使いとして成長したいのであれば、その道を示せるよう力を尽くします」
台所に、静かな時間が流れる。
ダガーさんはしばらくこちらを見つめていた。それから小さく「うん」とだけ呟いて、静かにその場を後にした。
台所に残された子供たちが、顔を見合わせている。何が起きたのかよくわからない、という顔をしていた。
私はそんな彼らに向かって、にこりと微笑む。
「さあ、騎士団の皆様に会いに行きましょうか」
私の言葉に、子供たちの表情がぱっと明るくなる。その間も台所には、麦とスパイスの素朴な香りがまだ漂っていた。
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