第12話 教会はいつでも開かれている
私たちは荷物を抱え直し、声の聞こえる方角へ歩き出した。
「あの人だかりですわね。一体なんの騒ぎでしょう?」
「何があったかは知らない。でも声は聞いたことある」
通りの中央にはすでに人だかりができ始めており、野次馬たちが半円を描くように集まっている。隙間を縫うように進みながら中を覗くと、騒ぎの中心には対照的な二人の男の姿があった。
片方は厚い腕と広い肩を持つ職人風の男で、革の前掛けには煤と油の跡が染み込み、長年火と鉄に向き合ってきたことが一目で分かる。
もう一方は背が高く細身の青年で、整った騎士服を身につけているものの体格差は明白であり、掴み合いの中で体勢を崩しながら振り回されていた。
私は周囲にいた男性へ事情を尋ねると、彼は苦笑交じりに教えてくれる。
「いやー騎士様がね。グリーダ爺さんにイチャモン付けたんだよ」
「イチャモン……」
聞くところによると、領主直属の騎士が武器修理を依頼したものの仕上がりに納得できず職人を侮辱したところ、怒りに任せた職人が鍛冶場から騎士を放り出したらしい。さらに事の発端となった騎士様は法に基づき逮捕すると、宣言したことで事態が完全に悪化したらしい。
さらに別の職人風な青年が口を挟む。
「たくよ。出来損ないって、ありゃないぜ……。俺らだって質の悪い鉄でも、使い物になるように頑張ってるのによ」
「まあ、いつものことだ。口ではああ言ってるが、騎士様もそれがわかってるから大事にはしないさ」
どうやら戦争の影響で良質な鉄が入らず、どれほど技術があっても満足のいく武器を作れない職人と、命を預ける武器に妥協できない騎士――その対立はこの街では珍しいものではなく、似た衝突が何度も繰り返されているのだという。
ダガーさんは興味がなさそうに眺め、淡々と私へ尋ねる。
「どうする? 教会は近いけど。神父様呼ぶ?」
実に合理的な提案だった。王国の宗教である女神教の神父が来れば、双方が顔を立てて場を収めることができるだかもしれない。
だが私は人垣の中央で怒鳴り合う二人を見つめながら、静かに考える。たしかにダガーさんの言う通り、神父様を呼べばこの場は収まるでしょう。しかし今日止めても、明日また同じことが起こるかもしれない。
問題は喧嘩そのものではなく、積み重なった不満。それが解消されない限りイザコザは再現なく湧いてくる。それこそ誇りをかけた争いともなれば尚の事。
私は一度だけ深く息を整え、腕に掛けていた籠をダガーさんへ差し出した。
「ダガーさん。少し荷物を、見ていてくださいませ」
私が籠を地面に置くと一瞬、ダガーさんは何が起きたのか理解できず、しばらく瞬きを繰り返していた。普段は多少の騒ぎでは眉ひとつ動かさない彼女の表情が、珍しく露骨に崩れる。視線が私と人垣を何度も往復し、状況を掴もうとしているのがはっきりと分かった。
「……え? いったい何を!?」
「ちょ、待て……お嬢ちゃん――」
ダガーさんの口から漏れた声には戸惑いが混じり、慌てて周囲を見回している。周囲の大人たちも私が歩き出していることに気づき、制止の言葉をかけてくるが、そんなものは無視ですわ。
周囲の人達が呼び止めようとした声は最後まで形にならず、彼らは唖然としたまま私の背を見送るしかなかった。事情を説明する暇などなかったし、説明したところで止められるだけだと分かっていたから、私は振り返らず、そのまま人垣へ向かって歩き出していた。
先頭付近にいた人たちも最初は、ただ通り抜けるだけだと思ったのだろう。誰も私を止めることはなかった。しかし進む足取りが迷いなく騒ぎの中心へ向かっていると気づいた瞬間、何人かが慌てて声を上げる。
「おい、危ないぞ」
「やめとけ!」
「お嬢さんダメよ!」
だが制止の声が届く頃には、すでに私は二人のすぐ横まで辿り着いていた。
職人の男が騎士の胸倉を掴み上げ、騎士は怒鳴り返しながら腕を振り払おうとしている。互いに顔には打撲の痕が浮かび、呼吸は荒く、先程までの言い合いはもはや意味を失っていた。
怒りだけが残り、対話は完全に消えている。その先に起こることはただ一つ。残酷な結末だけ。
だが二人が真横に立つ私に気づくと、同時に動きが止まった。予想外の乱入者に思考が追いつかなかったのだろう。私はその一瞬の空白を逃さなかった。
視線を順に合わせ、傷ついた頬や擦り切れを確かめる。そして胸の奥に湧き上がった感情のまま、静かに腕を伸ばし―――そして二人の頬にビンタを喰らわせる。
瞬間、空気が凍りついた。周囲のざわめきが完全に途切れ、誰も声を出せなくなる。
ビンタされた当人たちも、状況を理解できないまま硬直していた。怒鳴り声も抵抗も消え、ただ呆然と立ち尽くす。
私はそんな二人に目一杯の笑顔で告げる。
「ここでは皆さんに迷惑がかかってしまいます。どうでしょう。喧嘩の続きは、教会でなさいませんか?」
止めるでも、叱るでも、説教でもない。ただ場所を変える提案。
二人は未だ理解が追いつかないのか沈黙がが続く。その隙に私は自然な動作で二人の手首を掴み、くるりと方向を変えてダガーさんの待つ方へ歩き始める。
「こちらです」
「ちょっ、何をするんだ!?」
「な、ワシはまだ行くとは!?」
私は二人の言葉を無視して進むと、ようやくダガーさんが視界に入った。彼女は荷物を抱えたまま、一歩後ずさって困惑している。
「……いったい何してるの?」
まあ、当然の疑問ですわね。私はそんな彼女の疑問に満面の笑みで答える。
「ちょうど重い荷物に困っておりましたの。力仕事が得意な騎士様と、とても立派な体つきの鍛冶屋のおじ様なら、きっと楽々と運べてしまうのでしょうね?」
そして私はダガーさんが抱える籠と、地面においてある籠を何の躊躇もなく二人の腕へ預ける。反射的に受け取ってしまった職人と騎士様は、両手に荷物を抱えた姿のまま固まってしまっている。
その姿には、先程までの怒りの勢いがまったく感じられず、状況を把握しようとするので精一杯という感じだ。私はその隙を逃さず、ダガーさんの手を取った。
「さあ、おじ様方がお手伝いしてくださるようですので、私達は参りましょう」
私は歩き出す。一切の迷いなくだ。数秒遅れて、背後で慌てた声が上がった。
「ま、待て!」
「おい、荷物――!」
だがすでに遅い。二人は荷物を抱えたまま、反射的にこちらを追い始めていた。人垣の中から小さな笑い声が漏れ、誰かが肩をすくめているのが手に取るように分かる。
すでに喧嘩は終わっていた。しかし解決したわけではない。だが、少なくとも殴り合う雰囲気ではなくなった。
後ろを見ると市場へ残された住民たちは互いに顔を見合わせ、やがて興味を失ったように散り始めていた。
「……あの人たち、ちゃんといて来てる」
横を歩くダガーさんが小声で呟きに、私は歩調を緩めず答える。
「ええ。怒りというものは、方向を与えると自然に形を変えるのですわ。良くも悪くもね」
私達の背後では革靴と作業靴の足音が並び、互いに気まずそうな沈黙が続いている。先ほどまで殴り合っていたとは思えないほどの静けさである。
暫く歩くと教会の塔が視界の先に現れる。午後の光を受けた石壁は柔らかく輝き、この街の中で唯一、争いから切り離された場所のように見えた。
私はふと足を止めて振り返ると、荷物を抱えた職人と騎士が同時に顔を上げた。その表情にはまだ警戒も苛立ちも残っているが、先ほどの激昂はもう存在してないように感じられる。
「……さて、おじ様方」
私は二人にニッコリと微笑む。
「中で続きを、きちんとお話しになりましょう。喧嘩でも議論でも、分け隔てなく聞いてくれる場所が、此処には何時でも用意してありますわ」
教会の植木が静かな風に揺れる。街のざわめきは背後へ遠ざかり、代わりに穏やかな静寂が近づいてくる。
そしてダガーさんが小さく息を吐き、呆れたように言った。
「……あなた。やっぱり変な人」
私はその言葉を否定しない。
「ええ、友人にも良く言われましたわ」
彼女の言葉にただ私はただ肩をすくめ、再び歩き出した。
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