021 恐怖
× × ×
早朝から、酷い雨だった。
「ふわ……っ」
降りしきる水滴の中を、どこから摘んできたのか、巨大な蓮の葉を指してボンヤリと歩く無月。
辿り着いたのは、比武が行われた武道館。蓮の葉を壁に立て掛けると、水を滴らせながら、舞台へ続く廊下を歩いていく。
「逃げずによく来たな」
舞台の上には、桂コジロウを筆頭に小隊九名が並んでいる。
彼らは、侍至上主義に魅入られた者たち。つまり、才能に恵まれ、今日まで血の滲むような努力を重ねたエリート中のエリートたちだ。
「果たし状だなんて、古風なもんを寄越しますね」
懐から書状を取り出し、ヒラヒラと揺らしてみせる無月。その表情に、恐れの色はない。
「一門隊に一年が加入するなんて前代未聞だからな。実力を試してやらねば……と、思っていたのだよ」
「嘘ばっかり。あんた、最初から俺を気に食わなかっただけだろ」
指をさされ、舞台上から見下す桂。よっぽど自分に自信があるようだと、クソ生意気な一年を見てほくそ笑む。
「それで、もう始めんのか?」
突如として、ヒュッというか風切り音が、挑発した無月の耳元を掠める。
「……っ」
どうやら、更にもう一人いたらしい。
物陰から無月の背中を斬り裂き、流れるように立ち塞がると隙のない構えで正面を捉えた。
「ふん、話に聞いていたほどの手練れじゃないみたいだな」
「不服か?」
「不愉快だ」
更に、桂小隊の一人が飛び降りざま、無月の肩を斬り裂く。
明らかに隙だらけ、避けさせてその起き上がりを狙う攻撃だったのだが――。
「なに……っ?」
無月は、またしても鈍繰を抜かずに斬られた。
ぶった斬った女子生徒も、呆気に取られた様子。
更に驚いたのは、先程から、無月は一度も桂以外に目を向けていないことだ。
この狂乱の中、彼の目は、桂から一度も逸らされていないのだ。
「どういうつもりだ?」
「何が」
「なぜ刀を抜かないんだと聞いている」
「あんた、なに言ってんだよ」
「あぁ?」
「まだ何も始まってない。ここには、俺とあんたしかいねぇだろ」
……まるで、青白い炎が灯っているように見える無月の目を見て、ようやく冷や汗をかく桂。
凡百の雑魚など、最初から眼中にない。しかし、それもそのハズ。
無月は、最初から侍至上主義者と平律志士の、共通の敵になろうとしてここにいるのだから。
「……はぁ。とんだ気狂いだ。柳生会長は、こいつの一体なにを気に入ったんだか」
頭を振り、深いため息をつく。
「やれ」
桂の一言で、九人が同時に襲いかかる。
比武の時とは違う、一人一人が洗練された動きで織り成すチームワーク。
無月は理解する。こいつらは一心同体。固い絆で結ばれた一つの生き物なのだ……と。
それでも、桂からは一寸たりとも目を逸らさない。
(気味の悪い奴だ)
瞬間、違和感。
こいつの目的はなんだ? 桂の思考に一滴の疑問。なぜ、わざわざ無抵抗で斬られる必要がある? そうすることで、奴に何のメリットがある?
(御魂斬で斬られても死なんのだ。死体のない犠牲に、一体なんの意味がある? こいつは、俺に斬らせて何を得る?)
だが、思考を邪魔するノイズ。刀を抜かず、ここには二人だけと宣う狂気。その異常性が桂の精神を侵し、判断能力を鈍らせる。
「ま、待て! 貴様ら!」
……九人の足が止まった瞬間、雌雄は決した。
「一体何を……何を考えているんだ!? 無月カゲロウ!!」
十人を相手取るも、刀も抜かずに制圧した。
一門隊というエリート中のエリートだからこその思考、懐疑、知略。無月は、それらが必ず、桂をありもしない『秘策』へ導くと信じた。
「別に、何も」
ポケットに手を突っ込んだまま、いつも通りの姿で、何食わぬ顔で言い放ち――侍至上主義者の心をへし折ったのだ。
「な、なに、なにも考えてない? なにも考えてない? なんだ、それ。なにも考えてないのに、なにをして……は?」
無月には、分かっていた。
この場の全員を斬り伏せても、思想が死なないことを。実力で敗れたとしても、再び立ち上がり、正義を信じて、更に結束を深めることが分かっていた。
だからこその、無刀。
「ふざけるなァ!!!!!!」
この瞬間、無月カゲロウは、侍至上主義者たちの『恐怖』となったのだ。
「それで、果たし合いはしねぇのか?」
「き……なん……っ」
「何もないなら、俺は行きますよ。先輩。
まぁ、一門隊同士で斬り合うなんて、クソほどバカげてますからね」
そう言って、踵を返す無月。
周囲を囲んで刀を向けている隊員たちを、最後の最後まで見ずに、向けられている刃すら避けずに身体を斬らせて出口へ向かう。
想像を絶する激痛のハズだ。痩せ我慢しているに過ぎない。分かっていても、桂たちの恐怖は更に増長していく。
「あれを許せば、学芸銀座に未来はない……っ」
桂がようやく口にできたのは、焦燥感から来る否定の言葉だけだった。
「……仄目か」
両手をぶら下げて出てきた無月を、仄目が膝をついて迎える。
彼女を通り過ぎ、蓮の葉を指す。その素っ頓狂の姿に仄目はなんと言えばいいのか分からなかった。
「見てたのか?」
「はい」
傘を刺さず、トテテと背後についてきた仄目を、蓮の葉の下へ入れる無月。
「なら、状況は分かるだろ。俺たち無月小隊は、桂を筆頭とする侍至上主義派閥と敵対した」
「つまり、平律志士と手を組むということですか?
瀧院さんから聞く限り、ボクもその方がいいと思ってましたけれどっ」
「いいや、むしろ連中にも喧嘩を売りに行く」
「……はひ?」
耳を疑う仄目。
先程のやり取りも随分とデタラメだと思ったが、今のは輪をかけて意味不明だ。
蓮から溢れる水滴が鼻先に当たるまで、彼女は口を半開きにしていた。
「放課後、事情を話す。瀧院と夜叉にも声をかけておいてくれ」
授業中、無月はえらく悩んていた。
(う〜む、数式を一つ一つ覚えるのが大変だな)
力学的エネルギー保存則を、ジェットコースターで分かりやすく教える巴教諭。
そういえば、この人って基礎教科を全科目教えてくれるけど、これだけ賢くても侍にはなれねぇんだな、と考える。
(侍の公務員試験って、どんだけ難しいんだろう)
勉強が苦手な無月は、深くため息をついてノートにペンを走らせた。




