013 どんぐり
現代における侍とは、大日本帝国の行政機関を監視する情報統制局の職員を指すものである。
……にも関わらず、なぜ生徒たちが全国へ顔を晒して活動するのかと言えば――それが、まさしく象徴としての役割を全うするために他ならない。
我々は、強き者の庇護下に置かれている。
その意識こそが、合衆国や連邦と対等に渡り合い第三の戦勝国となり得た最たる理由――と言われているが、実際にはそうではない。
各国にスパイを送り込んでの情報撹乱と緻密な外交戦略。
これこそが、大日本帝国が第二次世界大戦を生き残れた真の理由。
そして、その計略を担ったのが、かの服部半蔵より受け継がれる歴戦の侍たちだったのだ。
……時は巻き戻り、現代。
「なぁ、数学って難し過ぎないか?」
無月カゲロウは、人生を顧みても類を見ないに困難に直面していた。
「難しいっていうか、カゲロウくんがポンコツさんなだけかも」
「だって、三角形の角度やら長さやらを知りたきゃ定規と分度器を使えって話じゃんか。こんなもん、意味が――」
「落第したいの?」
ピシャリ。夜叉のキツい一言。
「したくないです」
「じゃあ、ちゃんとやろうよ。大丈夫、私が必ずパスさせてあげるから」
徳川学園の生徒は、知識レベルも当然のように高水準を求められるため、一年から既に三角関数の計算へ取りかかっている。
しかし、上野バンカラ町で人生の半分を過ごし中卒認定をギリギリで取得した無月にとって、勉学――特に数学は、目下の最重要課題だ。
無論、ミリ単位で間合いを測り、一撃で敵を斬り伏せる無月こそ、誰よりも三角関数を実践している剣士なのだが――。
「ありがとうございます」
そんなこと、本人が知る由もない。
……それから、一時間あまりが過ぎた頃。
「そういえば、カゲロウくん」
問題集を片付け、一服ついた頃。
荘厳で巨大な図書室に、夜叉が静かな声を落とす。
「新しい黒鉄、今日届くって言ってなかった?」
無月の愛刀(学園からの支給品だが)は、比武から一カ月の間行われた度重なる決闘によって、とうとう形を保てなくなっていた。
今の無月の腰には何もない。ただ、刀を取り付けるホルスターが寂しげにぶら下がっているだけだ。
故に、この三日間、夜叉が半ば強引にボディーガードを買って出て放課後を共に過ごしているのだった。
「そういえば来てないな」
「もしかすると、寮に届いてるのかも」
専用の御魂斬を持つべきだ――なんて当たり前の話は、既に何度も行われている。
しかし「金がない」と突っぱね続ける頑固な無月に、さしもの夜叉ですら折れてしまったらしい。
もう、黙ってセルフデバフの縛りプレイを見守るしかなかった。
「それにしても、決闘挑まれ過ぎだよ。三日で十回って、私のダーリンはどれだけ嫌われてるのかしら」
「まぁ……俺の話は置いといて」
「ありゃ」
「とりあえず、寮に戻ってみるか。教えてくれてサンキューな、夜叉」
「送ってってあげるよ」
「いらん」
そんなわけで、一人男子寮へ戻る無月。
すれ違う生徒たちは、彼を恐れの目で見ている。あまり居心地のいい視線ではないが――自分で撒いた種だ。
仕方ない。そう折り合いをつけて、気にしないように努めている。
「あ、来た来た。おかえり、カゲローちゃん」
男子寮へ入ると、エントランスでボケっと天井を見上げていた宮本が、満面の笑みで走り寄って来る。
「……宮本先輩。お疲れさまです」
無月は、「面倒くさい奴に会ったな」と思った。
「あれ、なんだよその顔。せっかく、俺様が直々に届け物を持ってきてやったのに」
「届け物?」
「刀、壊しちまったんだろ? 総務委員の奴から聞いたぜ。ちょうど用事があって総務室に寄ってたから、俺様が預かったんだ」
最強の男が総務委員へ用事?
どう考えてもきな臭いが、無月は話をややこしくしないためにツッコミを入れない。
「それはそれは、ありがとうございます。して、その刀は?」
「ほら」
言われ、宮本から手渡されたのは重さ十キロ以上はある歪な鈍ら刀。
刃文は粗く、鍔は無地、そもそも刀身の長さが黒鉄よりも随分と短く、挙げ句に柄は適当にバンテージを巻いただけの下手な代物だった。
「……なんですか? これは」
「『鈍繰』だ」
「どんぐり……? 黒鉄は?」
「俺様からのありがた〜い課題だぜ。カゲローちゃん。お前は、今日からこの刀で戦え」
本気で何を言ってるのか分からないから、後で捨てて黒鉄を申請しよう。そんな、呑気なことを考えた矢先――。
「因みに、捨てたり負けたりしたらブッ殺すから。気ぃつけろよぉ?」
「ご冗談を、あんたの課題はクリアしたはずでしょう」
「仕方ないだろ。お前はまだまだ貧弱なんだから。安心しろ、弘法筆を選ばず。こいつを使いこなせれば絶対に強くなる」
……貧弱?
その言葉に、無月の反骨精神が刺激された。
「俺が、貧弱ですって?」
「何か間違ってるか?」
「……最強の男ってのは、そういうものを言葉で説明する質なんですか?」
「オーケー。なら、やろうか」
『無名金重』。
有無を言わず、その大小一対の太刀の片方――小太刀を抜き、ぶらんと下げて妖しく笑う宮本。
「俺様に喧嘩売ってくる奴なんて、どれくらいぶりだろうなぁ。嬉しいよ、カゲローちゃん」
「俺はただ、戦いもしないで俺を値踏みされることがのっぴきならねぇだけです」
「へぇ、プライドあったんだ」
明らかにナメている。
宮本武蔵のスタイルが、本来二刀流であることなど全校生徒が知っているにも関わらず、一刀流――それも、小太刀を抜いてブラブラとふらつかせている余裕。
(ふざけやがって)
無月カゲロウは、決して負けず嫌いな性格ではない。
むしろ、自分が得をするためならば躊躇わず負けを選ぶほどだが――どうにも気に食わなかったのは、この男の理不尽に計算を狂わされている現実だ。
これから先も理由の分からない『課題』とやらを押し付けられることは、容易に想像できてしまう。
だからこそ、決して言いなりはならないという証拠を見せつけるため、鈍繰をホルスターへ掛けた刹那――。
「はい、死んだ」
不意に、喉元へ突き付けられる刃。
宮本は、空手の右で顎を擦り、ニヤニヤニヤニヤと余計に笑って無月をおちょくる。
「無月カゲロウは、『よ~いドン』が無ければ戦えない質なのかな? ん?」
迂闊。
実践派である無月にとって、これ以上の敗北はない。
冷や汗、一筋。上野バンカラ町での過去にすら、ここまで明確な『死』を連想させる攻撃は無かった。
怒りは急速に冷め、後を追うように疑問が訪れる。
「ど、鈍繰を使えば強くなる。そう言いましたね」
「言った」
「なぜ、俺を強くしたいんですか? というか、なんで俺なんですか?」
「俺様が、『宮本武蔵』を辞めるため」
「……は?」
「詳しいことは、お前がもっと強くなったら教えてやるよ。カゲローちゃん」
あまりにも合理に反するが、なぜだろう、知的好奇心を擽られることが、こんなにも興味を惹くなんて無月は思ってもみなかったのだ。
「……分かりました。強くなりますよ、あんたが求める程度には」
面白い。
学園というステージで動く理由として、これ以上に相応しいものはない。
無月カゲロウは、『宮本武蔵』という名の真実を知るため、この刀を操ることを心に誓った。




