012 産声
無月カゲロウは、既に舞台にいた。
そこだけが、明らかに冷たい。殺気とは違う妖しいオーラを、達人である真田は感じ取っている。
見ろ、無月。これが……今、聞こえてくるこの声たちが、お前を見る世間の声だ。そんなの、お前だって不本意だろう。
だから――。
「最後にもう一度だけ訊く。無月、お前の正義はなんだ?」
すると、悪党は伏せていた目をヒーローに向けて応えた。
「力」
その言葉は、余りにも鋭く、尖っていた。
同じ時間を生きているはずの自分には、決して思いつかない結論。
果たして、ここへ辿り着くまでに、この男は何を見てきたのだろう。思考を巡らせようとしたが――やめた。
まるで、底の見えない暗闇へ、身を乗り出したような気分になったからだった。
「勝負、開始!」
巴教諭の声に、真田は刀を抜いて独特の構えをとる。
一方、無月は鞘に手を置きすらせず、目を閉じて直立。僅かな震えすらない、石のような不動だった。
……真田の予見は、無月の居合を伝えている。
(能力対策のつもりか? 残念だが、そのやり方は既に知っている)
道場の師範たちは、真田に多くの経験を与えた。
予見とは、とどのつまり経験値の結晶だ。あらゆる攻撃を覚えることで、予備動作や視線から動きをトレースし成立している。
ならば、目を閉じて動かないことは一つの正解だが――そんな単純な方法を、達人たちが見逃すはずもない。
「行くぞ! 無月!」
一太刀目は肩を削ぎ。 二太刀目が腕を裂き、 三太刀目が脇腹を貫く。
その三つをすべて受けて、無月、尚も不動。口から血を吐き、膝をついて腹を抑えるも、すぐさま立ち上がって再び目を閉じる。
……おかしい。
居合の予見は未だに変わらない。こいつは、間違いなく一撃を狙っている。
しかし、どういうことだ? カウンターの予備動作を見せているにも関わらず、なぜされるがままに斬られている?
「ふざけてるのか! それとも、俺がそんな脅しに屈するとでも!?」
無月は何も言わない。
そんな姿に、まるで水面の月を掬っているような感覚に陥る真田。明らかにダメージはある。しかし、このまま五体を斬り刻んで甚振るのは、彼の主義に反してしまう。
(……なら、終わらせてやる)
刹那、真田の刀『菊名正宗』が光る。
洗練された軌道は、一切のブレもない。刀は、無月の魂を刈り取ろうと肉体へ真っ直ぐに疾走る。
しかし――ノイズ。一体、俺は何を予見しているんだ? いつまで経っても訪れない無月の居合を、疑わずにはいられない。
奇妙な信頼。
無月カゲロウが、このまま何もせずにやられるはずがない。勝手に改心して、正義に染まってくれるだなんてあるはずがない。
分かっている。そんなこと、分かり切っているのだ。
(だが、問題ない……っ! 居合への対策は張り巡らせている!)
違和感の中を、菊名正宗は斬り進む。
真田の思考には、明確なバグが発生している。まだ動かないのか? まだ動かないのか!? なぜ、この男は戦おうとしないんだ!!
(大丈夫だ! 自分を信じろ、真田ユキナリ!)
今までのどんな相手とも違うイメージ。
明らかな居合の空気を隠そうともせず、しかし、一向に放つ気配がない。こんな不気味、許されるのだろうか。
いよいよ、真田の刃が無月の胴を捉え――。
「待ってたぜ」
――斬。
真田の刃は、間違いなく無月の肉体へ届いた。
腕を断ち、胸を裂き、あと一寸でも深く入れば魂の敗北を認めさせることに至っただろう。
……だが。
(こ、こいつ……っ。俺に予見を使わせやがった……っ!)
真剣ではあり得ない一撃。魂を斬る御魂斬だからこそ成立するタイミング。
肋が砕け、息も絶え絶え。最初から立っているのがやっとの状況だった無月が最後に縋ったのは、あろうことか真田の実力だった。
無月は、信じたのだ。
真田の剣が、達人の域にあると。
斬られたことにも気が付かないほどの斬れ味を以て、魂を刈り取りに来るだろうと。
故に、未来が過去になるまで、ただ、待ち続けたのだ。
「……ごはっ」
断たれたような強烈な麻痺と激痛で地に膝をつき、斬り落とされた感覚のある腕を支える。
しかし、その後を追って倒れた真田は、うめき声を上げることはなかった。
心臓を胴体ごと真っ二つにぶった斬られ、即座に死の実感を得た彼の肉体からは、立ち上がるための意識が――。
「勝負ありッ!!」
既に、失われていたからだった。
「ここは学校だ、そうだろ?」
ふらつき、いよいよ自力で立つ体力すら失った無月は、舞台の外へ落ちていく。
しかし、彼の体は地に落ちなかった。夜叉が、瀧院が、彼を支えて受け止めたからだ。
「ちょっと! 私の役目なんだけど!?」
「実に見事な『誘月』だったよ、カゲロウ! まさに必殺、セクシーだ!」
「聞けよっ!」
キレる夜叉、勝手にネーミングする瀧院。そんな二人のくだらないやり取りを聞いて――微笑む。
無月カゲロウ、十五歳。両親を失って以来、初めての心からの笑顔。
自覚して思わず恥ずかしくなると、彼は二人に支えられながら宙に『ノルマ達成』と、いつもとは一味違う文字を描いた。
× × ×
その夜、学園の裏掲示板に一つのスレッドが書き込まれる。
タイトルは『無月カゲロウは間違っているか?』。
内容は、滅私奉公に殉ずるよりも、侍という職の待遇を尊び、個人の幸せを追求することへの好意的な意見だ。
「ふざけんな、無月みたいな奴がトップだなんて屈辱の極みだ」
「そうか? 拙者は無月殿の無駄を削ぎ落とした戦い方に『侘び寂び』を覚え仕り申したが」
「きっしょ、死ね」
「でも、無月カゲロウは証明したぞ。最強であるために、必ずしも武士道が必要なわけじゃないってこと」
そんなやり取りで、スレッドへの書き込みが300を越えた頃。
掲示板の住民たちの意識は、一つのレスポンスへ惹き込まれた。
「お前らは、あいつの勝ち方に魂が震えなかったのか?」
ふざけんな。黙れ。カス。クズ。誉れのない戦い方に加担するな。
十色の罵倒に言葉は掻き消されていくが、それても、心に刻みつけた者がいた。
或いは、剣術が苦手で決闘に参加できない者。
或いは、極度の恥ずかしがり屋でまともに喋れない者。
或いは、現代の侍の在り方に疑問を抱いていた者。
或いは――。或いは――。或いは――。
彼らは、無月を否定し続ける会場のなかでさえ、違和感を抱いていた異端者たち。
個人では反逆する意思を持てなかったものの、孤独に立ち上がる無月を見て、彼の生き方に共感してしまった者たち。
不和は、明らかな意思を以て立ち上がる。
「無月カゲロウは、それでも最強だ」
強き者であること尊ぶという、人間元来の価値観に身を委ね、『正義』と呼ばれる呪いに愛想をつかせていた生徒たち。
彼らは、水面下で密かに、無月カゲロウという唯一無二の『思想』を崇拝し始めていた。




