第7章:妨害者(その1)
本当なら、今すぐにあいつに会いに行きたかった。今日のために用意した「一つ目の質問」を胸に。……楽しみすぎて、正直、じっとしていられないくらい。
でも、仕方ない。体育祭の備品リストを作成しなきゃいけないんだ。これは部活の仕事だから。
私は体育館にある備品倉庫へと向かった。心の中が弾んでいて、無意識のうちに何度も口角が上がってしまう。
自分では気づかなかったけれど、周りはすぐに気づいたみたい。私の笑顔を見た途端、みんなの視線が釘付けになり、あちこちでヒソヒソ話が始まった。
幸い、私はそんな視線には慣れっこだ。どれだけ熱烈な視線を向けられようが、どれだけ大きな囁き声が聞こえようが、……すべては通り過ぎる風のようなものだ。
ようやく体育館に着いた私は、そのまま備品倉庫へと足を向けた。
そこで、陸上部副部長の久保田恵美さんと鉢合わせた。彼女は倉庫の扉の前で、何やら苦戦している様子だった。
「お疲れ様。恵美さん」
私が声をかける。
「……ん」
素っ気ない返事。
「もうっ、どの鍵よ、これ……!」
彼女は苛立った声を漏らした。
私の顔を見ようともせず、彼女は焦った様子で手元の鍵の山を弄っている。何度も鍵穴に差し込もうとしては、失敗を繰り返していた。
「……ねえ、恵美さん。手伝おうか?」
私は提案した。
「ちっ、これじゃない……これも、違うわね……」
彼女は私を無視した。まるで私の存在が幽霊であるかのように。
……私に頼れば、すぐに扉は開くのに。
「完璧な美少女」というイメージを保つために、今までいろんな人の手助けをしてきたおかげで、私はこの学校のちょっとしたコツに詳しくなっていた。
この体育館の倉庫の扉は、少し特殊なのだ。開けるのに特定の鍵なんて必要ない。どんな鍵でもいいから差し込んで、少しだけ力を入れて押し込みながら……レバーを引けばいい。それだけで開く。
「……恵美さん。私にやらせて」
もう一度声をかけると、彼女は動きを止めた。ようやく目が合う。
彼女の顔が歪み、諦めと屈辱が入り混じったような表情を浮かべた。
「……やってちょうだい、レナさん」
彼女の声は静かだったけれど、そこには明らかな棘があった。彼女は鍵の束を私の手に押し付けた。
私は迷わずそれを受け取り、すぐに作業に取り掛かった。経験は嘘をつかない。コツ通りに操作すると……扉はあっさりと音を立てた。
――ガチャンッ!
小気味よい音が響く。
大きく開かれた扉の向こう、倉庫の中はひどく埃っぽかった。換気もされておらず、暗い空間に埃が舞っているのが分かる。
恵美さんが壁のスイッチを押すと、蛍光灯がチカチカと点滅しながら部屋を照らした。そこには、雑多なスポーツ用品や備品が山積みになっていた。
倉庫とはいえ、もう少し整理されていてもいいはずなのに。あまりの散らかりように、私は足元のテニスボールに足を滑らせそうになった。
「はぁ……ひどい有様ね」
恵美さんが不満げにこぼす。
彼女が愚痴をこぼす間、私は黙っていた。どうすればこの作業を最短で終わらせられるか、それだけを考えていた。……まずはリストを作ろう。
「……ちょっと待って、恵美さん。メモを取りたいから」
私は前を向いたまま、そう告げた。
気まずい空気。けれど、彼女と仲良くする理由なんて私にはない。……このままでいい。
カバンから手帳を取り出す。書き込むためのボールペンも。
あいつのことを記したあの大切なノートを汚さないように、慎重にページをめくる。もし誰かにあの中身を見られたら、それこそ一生の不名誉だ。
「……ねえ、レナさん」
記録を始めようとしたその時、恵美さんが私を呼んだ。私は反射的に彼女を振り返った。
視線がぶつかる。彼女の目は鋭く、まるで釘を打ち込むかのように私を射抜いていた。
彼女が私を嫌っているのは分かっている。けれど、今は仕事のパートナーとして、最低限のプロフェッショナリズムを見せてほしい。……選べるなら、私だって彼女となんて組みたくなかった。
すると突然、彼女が倉庫の扉を閉めた。
私は彼女の背中を見つめる形になる。彼女の肩が微かに震え、やがて低い声が漏れた。
「……調子に乗るんじゃないわよ、クソ女!」
いきなりの怒声。彼女は叫んでいた。
私は思わず息を呑んだ。
彼女の剥き出しの敵意が、ダイレクトに私を襲う。どうして彼女がここまで激昂しているのか、私には理解できなかった。
問い返そうとしたけれど、言葉が出てこない。
……いつもの「完璧な私」を演じるべき? 何も知らないふりをして、笑顔で対応すべき?
いいえ。本当に、私には心当たりがなかった。
「……あ、あの。恵美さん? どうしたの……?」
私は精一杯の笑顔を浮かべ、震える声で尋ねた。
背中を向けていた彼女が、勢いよく振り返る。
顔を真っ赤に染め、肩で息をしている。その拳は、白くなるほど強く握りしめられていた。
「レナさん……! 零治くんに手を出さないで! 自分が綺麗で人気者だからって、何でも思い通りになると思ったら大間違いよ!」
彼女の絶叫が、狭い倉庫内に響き渡る。
「……えっ? 何を言って……恵美さん? 私にそんなつもりは――」
「嘘よ! 最近、零治くんは私のことを避けてる。昨日だって、あんたを呼び出したこと、私に一言も教えてくれなかった……!」
彼女は感情を爆発させ、私の言葉を遮った。その視線はあまりに険しく、私は目を逸らすことさえできなかった。
「……あれは、恵美さんの手伝いを頼まれただけで。体育祭の準備のために、生徒会に協力しろって言われて……」
必死に説明を試みる。
「……どうせ、近づくための口実でしょ?」
彼女の声が、不気味に低くなった。
彼女の目から、涙がこぼれ落ちた。彼女はそれを乱暴に拭う。
どうすればいいのか、私には分からなかった。
いっそ、私には好きな人がいるって正直に言えばいいのかもしれない。……その相手は、零治先輩なんかじゃないって。
けれど、あいにく私は、自分が惹かれているあの男の名前さえ知らないのだ。何年何組で、何部で……そんなアリバイになるような情報は、何一つ持っていない。
私のミスだ。
彼女に会う前に、もっと心の準備をしておくべきだった。彼女が私に嫉妬している可能性は、前から分かっていたはずなのに。
あいつの「答え」を聞けるのが楽しみすぎて、私は他のことなんて何も考えられなくなっていた。自分の不注意が、今の事態を招いたんだ。
どうすればいい?
頭をフル回転させるけれど、答えが見つからない。
まずは、彼女を落ち着かせなきゃ。
「……ねえ、恵美さん」
私はゆっくりと、彼女の肩に手を置こうとした。
けれど、指先が触れる前に……彼女は激しくその手を振り払った。
「寄らないでよ……っ!!」
彼女の悲鳴に近い叫びが、耳の奥でキーンと鳴り響いた。
反射的に耳を塞ぐ。
振り払われた手は、熱を持ってジンジンと痛む。
……本当に、どうしよう。
これが、私の最大の弱点だ。
私には「プランB」というものがない。プランAが完璧だと信じ込み、失敗した時のことなんて考えていない。
あいつを探していた時も、そうだった。
「……やっぱり、あんたのことが大嫌いよ。レナさん。いいわよね、人気者は。……何だって許されるんだから!」
言葉が出てこなかった。
ゴミを見るような目を向けてくる彼女を前に、私はただ立ち尽くすことしかできない。
こんな最悪な展開、望んでいたわけじゃないのに。
あまりにも大きすぎる誤解の深淵に、私は足を踏み外していた。




