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アリス・イン・ワンダーログ ー今日から俺はアンドロイドのマスターらしいー  作者: tomato.nit
収束条件:f(呼称) → Alice

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第十八話 箱と観測



 久々の講義。


 出席こそできていなかったが、講義の情報はすべてエネコに同期されている。


 サマリーをざっと叩き込んで講義に臨めば、分からないなりになんとかなった。


 ノートを取る。板書を見る。頷く。


 体は勝手に動く。


 頭も、必要なところだけ働く。


 同じ学科の同級生には、しばらくいなかったことを適当にはぐらかした。


「体調?」


「まあ、そんな感じ」


 乾いた笑いで、その場は過ぎていく。


 帰り道、空を見上げる。


 雲は薄い。


 雨の匂いは、もうしない。


 夕方。


 今日の活動場所。


 空いた講義室が指定されたメッセージがエネコに届く。


 あれ以来サークル棟は臨時閉鎖。


 今も点検作業中らしい。


 足は自然と講義室へ向く。


 ノブを回す。


「久しぶりだな」


 太い声。


 久川先輩。


「お久しぶりです」


「ほら。これでも食え」


 真っ赤なトマトが差し出される。


「なんでここの先輩は皆んなして食わそうとするんですか」


 ゼリーを押し込まれた記憶が蘇る。


「はっは。なんでだろうな。やっぱり考えるには頭を使う。エネルギー補給は大事だろう」


 久川先輩は机の上に紙袋を置く。


 中にも赤いのがいくつか転がっている。


「柊先輩は?」


「さっきまではいたんだけどな。丁度入れ違いで。そのうち戻ってくるだろ」


 久川先輩は椅子を引いて、どっかり座る。


 ノートとペン。


 ホワイトボードに、すでに何か書いてある。


 大きく、二つ。


 箱。


 観測。


「今日の議題」


 久川先輩はペン先でボードを叩いた。


「観測って、結局なんだと思う?」


「いきなりですね」


「昨日配信で見たんだよ」


 いつもより目が楽しそうに輝いている。


「量子力学の解説動画。猫がどうとか言ってた」


 ホワイトボードにでかく『猫』とだけ書く。


「シュレディンガーのやつですか」


「それそれ。箱の中の猫が、生きてるか死んでるか分からんって話」


「観測するまで状態が重なってる、ですよね」


「らしいな」


 久川先輩は肩をすくめる。


「正直、半分くらいしか分かってない」


「先輩が?」


「農学部だぞ」


 トマトを一つ放り投げ、キャッチする。


「でもな。聞いてて思った」


「観測って、“見る”ことではないのかもしれんと」


「……?」


「関わること、だろ」


 ボードに雑に書く。


 観測=ちょっかい出す


「ちょっかい」


「箱開けるって、ただ見るんじゃなくて、猫の世界に手を突っ込むってことだろ」


 颯太は少し眉を寄せる。


「でも、開けなきゃ状態はそのままなんじゃ」


「そこが怪しい」


 久川先輩はペンで箱の絵をぐるぐる囲む。


「箱って密閉だと思うだろ。でも畑のビニールハウスだって閉じてても温度変わるし、湿気も入る」


「……」


「中の猫も呼吸するし、動くし、なんだったら猫は出てくる」


 段ボールから顔を覗かせる猫が追加される。


「それが……デコヒーレンス、とか言ってた」


「覚えてるじゃないですか」


「今の僕の脳内」


 ボードには無駄に上手い、額が広いオッサンが段ボールを抱える絵が追加された。


 「これっぽっちも理解してないですよね」


「たぶん、勝手にどっか行くんだろ」


「観測しなくても?」


「何とも関わらないのは無理なんだろ」


 トマトをかじる。


「何もしないって言って畑を放置しても、雑草は伸びる」


「それは放置したからでは」


「そう。それも選択だ」


 久川先輩が俺を見る。


「見ないって決めるのも、だいたい何かしてる」


 少し間。


 颯太は視線を落とす。


「……じゃあ、どうすればいいんですか」


「知らん」


 即答。


「とりあえず米を食べる」


「は?」


「腹減ると考えすぎるからな。まず食う」


 トマトを指差す。


「それから、開けるかどうか考える」


「開けるんですか」


「僕は開ける派」


「最悪だったら?」


「その時はその時だな」


 あっさり。


「難しいこと言うと分からんけどさ」


「止まってるようで実は動いてるんじゃないか」


 沈黙が落ちる。


 久川先輩は時計を見る。


「む、ひいちゃん先輩は戻らんか」


 椅子が軋む。


 立ち上がる背中が大きい。


「明日も来るか?」


 問いは軽い。


 答えの重さだけ、こちらに残る。


「……まあ」


 久川先輩は頷くだけ。


「それでいい」


 講義室の電気を消す。


 廊下に出る。


 足音が、二つ。

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