23. 知りたいこと、わからなくてもいいこと
「ところで、聖女について、宰相府内でも一月前までは極秘だ。他言無用。ヴィットールにも平等にな」
「はい、わかっています。えっ、どうしてトールいえ、ヴィットールが出てくるのです?」
慌てたジゼラに釣られたように、宰相が口元に拳を当ててわざとらしい咳払いをした。
「あれは随分、お前にべったりだと聞くからな」
「——っ」
以前なら、なんとも思わずに否定できたはずだ。
けれど今は否定もできず、もごもごと口ごもったジゼラに、宰相は複雑な顔をした。
「ジゼラ、その、な」
「閣下、ヴィットールは」
「ん?」
あの場で魔王の息子だという指摘を笑い飛ばしたヴィットールを思い出す。
ヴィットールを受け入れた立場で、今まで彼の経歴は決して明かさなかった宰相が、今さら教えてくれることはないと思うが。
尋ねてみるのは、許される。そんな気がした。
「ヴィットールにはどういう事情があるのですか? あの時聖女様はヴィットールを意図的に巻き込もうとしていました。何の理由があったのでしょう」
宰相はジゼラと同じ色の目を、思案げに二度瞬いた。
「ヴィットールの情報については、私からお前に開示する許可は出ていない。親しい仲ならなおさら、私の口からではなく直接聞くのがよい」
誰の許可かは、宰相は口にしなかった。
「聖女の目的は、あれの魔力だったのだろう。どう嗅ぎつけたかわからないままだが、神殿の秘宝を手に入れた聖女は、絶対無効の魔具があってもなお、秘宝を起動できず、自分以外の膨大な魔力を巻き込む必要があると知っていた」
魔力、と聞いて思い出す、黒い炎。あれが魔力ならば、確かに桁違いだった。何しろ、魔王陛下と遜色ないほどの大きさと勢いだったのだから。
思い出していたジゼラは、宰相の小さな呟きを聞き逃した。
「神殿長から聞き知ったようなことを言っていたが、神殿長は半分夢の国にいる御仁だ。王女の遺産を管理するだけの神殿に、そんな情報があったとは思えんがな」
「あれほどの人数の転移魔法ですから、大変な魔力を使うのでしょうね」
ジゼラは、素直に賞賛した。
ヴィットールはきっと、魔力に応じた魔法も使えるのだろう。魔王の前で、瘴気を遮断してくれたことを思い出した。
人間の国にいる限り、魔法は使えないはずだけど。
「ジジ、今日はもう仕事は終わり?」
宰相の部屋を辞すと、すぐにヴィットールが駆け寄ってきた。
いつもタイミングが良い。
ジジと呼ばれるだけで照れていたのに、さらに敬語も使わない宣言をされ、以来毎日これなので、かなり慣れた。むしろ呼ばれるたび、自分だけの口調を聞くたび、胸に花が咲くような気持ちになる。
「今日はあと、いくつか出金の依頼書を確認したら終わりかな」
「それならさっき確認しておいた。あの様式はもう任せて」
「そうなの? 助かる。それなら、もう帰れるわ」
「それなら、食事に行こう。美味しい肉料理の店があるって聞いたんだ」
閣下に許可をいただいてくる、とヴィットールは律儀に宰相の執務室をノックした。
もう成人しているしそこまで毎回しなくてもと思いつつ、大事にしてくれている証拠のようで気恥ずかしい。今更、父親に「べったりだ」と言われたことを思い出して、ジゼラは居た堪れずに、自分の髪をいじった。
ヴィットールはすぐに機嫌良く出てきたので、腕を時々触れ合わせながら隣同士で廊下をいく。確実に、前より距離が近い。
「ねえ、ヴィ、じゃなくてトール」
「うん、なに、ジジ?」
問い返してくれる声が甘すぎて、恥ずかしい。恥ずかしいのに、頬が勝手に緩むから、困る。
「あの、答えにくかったらいいんだけど、トールは、どこかの王族、なの?」
「えっ」
「あっ、言いにくかったらごめんね。さっき閣下から、トールの魔力が高いって聞いて。高い魔力を持つのは魔族が定番。でも、トールは魔王陛下の息子説を笑い飛ばしてたし、なんとなく忠誠心がある感じではなかったから、魔族でないかなと。
でも、魔王陛下に対しても堂々として怯まなかったし、魔法も扱えるみたいだったから、もしかして人間の国の王族か貴族だから魔力が高くて、魔族の国にも行ったことがあるのかと思って」
「ああ、そういう」
要するに、少しヴィットールのことが知りたくなっただけ。それを、我ながら長ゼリフで推理など披露したりして、言い訳じみたことをしてしまったとジゼラは顔を熱くさせた。
ヴィットールはその様子を眺めながら、目を細めた。
「嬉しい。ジジ、何でも聞いてよ。そうだなぁ、王族とか考えたことなかったなぁ。そんなにたいして国として機能してないし」
おかしなことではない。だからこそ、ケイルード国へ見習い事務官として来たのだろうし。
ジゼラは頭の中でいくつか小さな国を思い浮かべたが、しっくりこなかった。
ケイルード国を取り囲むように存在する小さな国々には、きっちりとした身分制がある。では、魔族の領域に近い端にいくつかあるという、自治領のひとつだろうか。だが魔族に近い立地ゆえ、魔族への警戒心がいまだに強かったり、あるいは逆に魔王を崇拝していたりと自治領ごとに極端だと聞く。
とても魔王陛下を前に泰然とはしていない、はず。
「ねえ、国の名前は? 知らないかもしれないけど」
「名前? 名前はないなあ、そういえば。付けるといいかもね。付けるように言おうかな」
「え、国の名前を?」
そんな気軽に?
「そう。今は、乳兄弟みたいなやつが王様になってるから、言っておくよ」
「えっ、あの、そういうのはよく検討したほうが」
「大丈夫、ケイルードと違ってゆるゆるだから」
ははっと悪戯そうに笑うので、つい可愛いなどと思ってしまって、自分を疑った。
このところ、自分でも浮かれていると思うのに、止められない。
「こうして社会勉強を許されるくらいには放置されてるし。おかげで最近は毎日が楽しい」
「社会勉強?」
ジゼラは、幸せな気分から一転、胸が冷たいものに塞がれるのを感じた。
うかつにも、ふらりと現れたヴィットールが、またふらりといなくなる可能性を、全く考えていなかった。社会勉強が終わったら、いつか自国に帰るのだろう。
「え、ちょっとなんでそんな可愛い顔してるの?」
「えぇっ、か、かわいい?」
心は暴風雨なのに、ヴィットールが何をかわいいと思うのかは聞いてみたい。熱くなった鼻先を手で隠して見上げると、ヴィットールのとろりとした目とぶつかった。
「あー、ごめんね、言い方が悪かった? ジジが嫌なことは何もしないよ。でもかわいい。顔が赤くて、目も潤んでるし、なんだか俺が、泣かせてるみたい」
独り言のように呟くのに合わせて、目の色が、紫から、徐々に深い緋色に——。
「お疲れ〜」
後方で挨拶を交わしながら廊下に出てくる音がして、ジゼラははっとした。
ここは、宰相府の主廊下だ。ぼんやりと見つめ合っていていい場所ではない。
ヴィットールに目を向ければ、そこにはいつもの、爽やかな青年がいた。
「そろそろ出ないと、呑み客で混んで来ちゃうね。行こうか」
大きな手のひらを差し出されて。
なんとなく。
なんとなく、相手が自分より遥かにうわ手だと感じる。同時に、それでもなお、自分には譲ってくれることも、わかる。その目のもっと奥に、まだジゼラの知らない一際温度の高い熱がありそうなことも。それに気がついて怖気付く前に、絡め取ろうとされていることも。なぜかわかる。
何故だろう。
ジゼラは、ヴィットールに何が気に入られているのか、わからない。
ぽろぽろと彼の言葉の端に上がる褒め言葉は、好意にはなっても、ここまでの執着にはならない気がする。
たまたま、宰相府で一緒になったから。
歳の頃が同じだから。
仕事をよく教える先輩後輩だったから。
よく愚痴を言って慰めてもらったから。
どれも、ジゼラでなくてもよいことだ。
仕事と同じ。
何も特別なことはしていない。特別扱いをされる理由がない。
わたしなんか、とできないことを数えてしまう。
——でも。
仕事と、恋は、別だ。
ヴィットールがジゼラに恋をしてくれているなら、ジゼラはその理由を知らなくてもいいのかもしれない。ヴィットールは、信じられる。信じたいと、思うから。
ジゼラにできるのは、反対にヴィットールへ向いているこの気持ちを、大事に大事にすることだけ。
そう思うと、ジゼラの頬が自然と上がった。
そっと、差し出された手のひらに手を置いて。
「トールは、優しいね」
「は、不意打ち?」
「いつも思ってる。仕事もできるし、頼りになるし、凹んでるときは寄り添ってくれるし、足りないところばかりを見てしまう私の、いいところをたくさん、教えてくれる」
好ましいところは幾つでも挙げられる。けれど、どれだけ言葉を尽くしても、結局全てを言い表すことはできないと、突き付けられるだけ。
そうか。
同じだ。
ジゼラが自分の気持ちを全て言葉にできないのと同じように、ヴィットールの言葉から恋する理由を知ることなど、元より無理なことなのだ。
「全部、好きよ」
ふわりと浮くような心地のまま、ただ気持ちを溢してみたら、ヴィットールの目がゆらゆらと色を揺蕩わせる。
その底知れなさもまた、快くて、ジゼラはきゅっとヴィットールの手を握った。




