21. 証言、そして顛末
「まあ、俺のことはともかく、証言は必要ですよね」
無造作に、ヴィットールが円卓の上の魔具ブローチに触れてみせた。
何も、起こらない。
だが、数呼吸ののち、突然その場所に、人が現れた。
「なるほど、魔法が使えるようになるというのは、こういうことか」
宰相の小さな呟きが落ちる。
人間の国で、魔法が使われることは、それほどの驚きなのだ。
円卓の上に倒れ伏していた人物の背で金のふわふわとした髪が揺れ、顔を上げると、透き通る青い目が現れる。確かにその色はどちらも、王女ジゼライシスの肖像画と似て、美しく。切り裂かれた跡などなにもない、昨日と同じ肌と衣服。だがその顔は青褪めて、泣き濡れていた。
聖女マールだ。
聖女マールは後で送り届ける、と魔王が言っていた意味を、ジゼラは初めて理解した。
「お、おお、聖女さ」
「おじいさま!」
「聖女様! おお、おいたわしい。恐ろしくて混乱されておるのですな」
ちらちらと国王と宰相を見ながら引き攣った笑顔で誤魔化そうとする様が、いっそ哀れに見えた。
そしてもちろん、聖女マールが忖度するわけはない。
「そんなわけないわ。私は正気よ! 悔しい! 私は、なんでもできるのに! ねえ、あの魔具よりもっとすごいのをちょうだい! あのくそ魔王は、私の魔力の使い方が下手だっていうのよ。何様よ! 騎士たちも弱すぎて役に立たないし、私の回復がたまたま調子悪いのに、何度も何度も。ねええ、おじいさま、私が魔王をぶち殺すために、全部差し出して! 全部!」
「聖女様、場をわきまえられよ。王の御前じゃ」
「……はあ? あんたも否定と説教? わたしは聖女なのよ? この国では国王でさえ聖女を否定することを禁じられているのよ? 知ってるわよね、だっておじいさまが言ったのよ。私は聖女になるべく生まれたって、なれば世の中は思い通りだって」
「待て、それは」
「何よ。お母さんはなんの意見もない人だったからおじいさまの言うのこと信じ込んでたけど、嘘だったってこと?」
「まさか! おま…貴方様は正真正銘聖女だとも!
「なら! わたしのやることを邪魔しないでよ! 役に立たないわね!」
「こ、この!」
大公が聖女の頬を殴り、聖女はあっけなく意識を失った。
だが、大公もまた、体制を崩してガシャガシャと音を立てて姿勢を崩す。腰が痛むのか、酷く呻いたが、その場の誰も助けようとはしなかった。
「やれやれ」
歪な沈黙を意に介さず、ヴィットールは国王に進行の許可をとった。
「ではこちらは、魔王陛下より、ケイルード国王陛下への、通信です」
聖女と同時に忽然と現れた、両の手のひらに乗るほどの黒い石をヴィットールが掲げると、そこに白く輝く文字が現れた。
『今代の聖女の行いは許し難い。だが、これを機に今ひとたび人間と魔族ともに力を合わせて平和へと進むことを改めて確認するものとし、今後の交渉にはその命ある限り、ジゼラ・プレジュを遣わせよ』
「……っ」
輝く文字の中に自分の名を見つけて、ジゼラはつい声を出しそうになり、手で口を押さえた。
文末の署名は、魔王の名だ。誰も読めず、誰も書けないのに、誰もが魔王だとわかる魔法の署名。
ケイルード国王は一度だけ、頷いた。
「承知した」
その声を吸い込むようにして、黒い石は輝きを失い、ごとり、と円卓に落ちた。
「これにて、この度の特使としての役目は終わりです」
「うむ。務めご苦労だった。……ジゼラ・プレジュ。そなたもな。これから頼む」
寡黙で知られる国王からの常にない労いに、ジゼラはまた驚いた。宰相も、少し目を見開いたのを視界の端に見て、さらに驚く。
何が起こっているのか、わかっているようでわかっていない。
今、ほんの一時の間に、ヴィットールとジゼラの立場が大きく変わった、気がする。
まだ呑み込めてはいない。
だが、事務官としてのふさわしい対応は、体が覚えている。
「……光栄です」
ジゼラは胸に手を当てて、頭を下げた。
一方のヴィットールはあっさりと深紅の印章を仕舞い込むと、さっと部屋の扉を自ら開けて、外から人を招いた。
「大公閣下。お迎えですよ」
「う、ミーティア……」
大公夫人は、夫にチラリと視線を向けたあと、国王に向けて、年齢を感じさせない美しい姿勢で隙のない礼をとった。
少し血の気の薄い顔色をしているが、眼差しは強く、揺らがない。
話の内容は聞いていないはずだったが、円卓の上に倒れ伏す聖女マールと、床に無様に転がったまま汗で髪と髭が濡れた夫の顔を順に見つめて、密やかな息をついた。
「夫を連れ帰りますが、許されますでしょうか。どうぞ、必要な処遇については大公家にお知らせください。一族揃って、お待ち申し上げます」
それは、夫が何かしら重い罪に問われるのだと理解している言葉だ。この場にいたのも、異常な状況の夫について報せを受け、急ぎ来たのだろう。
夫に向けて深い愛情を持つひとだ。
果たして、真実を知った時にも、落ち着いていられるのかどうか。いや、もしかすると、すでに薄々勘付いていたのだろうか。
旧知の間柄としてジゼラは気を揉んだが、ややして気がついた。大公家へ知らせよと夫人が言うからには、夫人の立場と誇りにかけて、一族を統制し、反抗せずに沙汰を待つとの忠誠の宣言だ。
彼女は歴戦の大公夫人なのだ。
それは大公にも伝わったようだ。がっくりと膝をついた大公を、近衛兵たちが抱えていく。
それきり、彼が大公として人前に姿を現すことは、二度となかった。
騎士たちはといえば、数日後、気の荒い緑の牛の引く荷車で運ばれて来た。牛の背には小さな一対の羽がついていたが、飛ぶでもなく。気まぐれに走っては止まり走っては止まる。そんな荷車に縛り付けられたように降りられない騎士たちは、酔ってぐったりと折り重なり、人々のおかしなものを見る目に晒されながら王宮に辿り着いた。
何があったのか、彼らは岩のように黙して、あるいはブルブルと震えて語らなかったが、一様に、聖女どころか騎士団以外の世俗から距離を置き、いっそ世捨て人かと揶揄されるほどに職務と鍛錬に打ち込むようになった。
聖女本人は、すっかり自信を失って……はいなかったが、周囲に好みの人間だけを集めることは許されなくなった。
聖女府の聖女の取り巻きは、罷免か、あるいは聖女から遠い部署で真面目に働くかの選択を迫られ、遠ざけられた。
その穴を埋めたのは各方面から臨時に派遣されたベテランの事務官たちで、聖女の要求はほとんど通らなくなった。彼らは、秘密保持を誓った上で、聖女マールの所業について知らされている。
聖女に同行した騎士たちも、表向きは沈黙を貫いたが、正式に求められれば吶々と証言をしたため、魔王の前でのやり取りはほぼ真実が書き留められ、極秘の資料となっていたのだ。
聖女は魔王に、魔族が一方的に利益を得ているかのように吹っかけていたが、魔族由来の技術や嗜好品は実は多い。さらにはこの百年の間に、魔族と人間の間で愛ある結びつきも、経済的な交流もじわじわと増えている。それを知る良識ある人間たちにとって、一方的に魔族を貶め不要と断じる行為は、聖女として、人間としての信頼を綺麗さっぱりと失わせるものだったのだ。
「あらそのお花、飾るの? 少し色が偏って寂しいんじゃない? ほら、見る人に元気を与えるのが花の本分でしょう」
「そうでしょうか」
「そうよ! 華やかな色、赤とか入れたらどうかしら。私、赤い花が好きなの」
侍女は表情を変えずに聖女の伸ばした手から一歩下がる。
「赤がお好きなら、お部屋にお持ちいたします。この場所に置く花は、季節に沿った組み合わせになっておりますので、ご提案は受け入れられません」
「……そう」
大事から小事まで、こうした繰り返しがあったそうだ。
今までのように受け入れられなくなってもなお、周囲を思い通りに動かそうとする言動が絶えず、事務的な対応以外、誰からも避けられるようになり。外で問題を起こしてはならないと、閑散とした聖女府から出ることを厳しく禁じられてしまった聖女は、ずっと鬱々としているらしい。




