20. 大公の罪
「大公閣下は、深紅の印章よりも己の用件を優先せよと申されるのですね。よいでしょう。特使として預かった言伝も、貴殿と無関係ではない。先に貴殿の用件を終わらせましょう。けれど、なるほどその傍若無人ぶり、魔王陛下が、耄碌して堕落したと呆れられるのももっともです」
「ん何を、貴様……」
「違うと? 王女ジゼライシスに終生の忠誠を誓うと言いながら、形式的にその意思を継ぐ立場の聖女を、王女の正当な系譜であるジゼラ殿より優先する。優先するどころではない。こんな、禁じられた魔具を与えてまで守ろうとするとは、耄碌しているのでなければ、何故でしょう」
ヴィットールが円卓に置いたのは、花を模った銀のピンブローチだ。確かに、聖女はよくこれを身につけていたと記憶にある。目立たない意匠だからこそ、本当に気に入っているのだと思っていたのだが。
「これは、極小の状態異常無効空間を作る魔具であり、製作者は魔族の一人であることは、魔王陛下が証言しています。かつて、魔王が王女に贈った記録があるが、その遺品にはなかったもの。魔王陛下は覚えていましたよ。王女が、いつも身を挺して守ってくれる護衛のゾクスに与えたと言っていたのを」
「……!」
「人間基準では、いまや他に誰も直接知ることのない過去のことかもしれないですが。まあ、あの魔王本人ですので。そうそう、魔王陛下からの個人的な言付けです。
『王女への忠誠も蔑ろにして、王女から贈られたものすら与え、我欲と女に溺れておきながら、まるで今は「聖女への忠誠心」で動いているかのような顔をするなど人間の中でも圧倒的な醜さだ。王女に心酔して狂犬のようだったころはそれなりによい狂いぶりだったのに、落ちぶれたな』
と」
ぎりぎりと大公の革手袋が軋んだ。
憤怒の表情で大量の汗を滴らせる様は、尋常ではない。いきなり血管が切れるのではないかと、ジゼラはおかしな心配をした。
「言いがかりだ。王女殿下から賜った品だからこそ、聖女殿に相応しいと」
「ええ、有効活用していたようですね。本来は護衛が状態異常を無効にして動けるようにする目的の魔具ですが、人間の国で使うと、土地にかかっている魔法抑制の効果が無効になる。自分だけは、魔法を使えるようになるということです。この類の魔具は、周囲の魔法を記録するので、分析すればわかることですが、聖女は周囲に何度も、感情の書き換え魔法を使った疑いがあります。自分の愚かな行動のツケを全て、周囲の他人に被せていた。何をしても言っても、最終的に肯定されたはずだ。悪感情、否定、責任、そうしたものは全て都合よく他人に押し付けてきたのだから」
「何だと!」
「もちろん、それを予想して与えたのでしょう? 面白いほどの効果を実感して、聖女は増長した。だからこそ、今回のような魔王を襲撃するという笑えない事態を大真面目に引き起こした。ああ、この点は議論は必要ありません。我々に最初に詰め寄ったではないですか。『聖女様を魔王の元に残してきたというのか』と。聖女の計画を知りながら、止めることもしなかった。ジゼラさんが交渉をして食い止めましたが、条約が破棄されて人間たちがまた暗黒の世を迎えることになっていたかもしれない。——それでもよいと、大公殿下は判断したのだから、聖女と馬鹿な騎士らと同じく、人間の、敵ですね」
「口を慎め! 儂はともかく、聖女様を侮辱して、良いと思っているのか」
「思っていますよ。ただの、役者ですよ」
「なっ、なんということを!」
「何を叫ぶのです。この部屋にいる人間は皆わかっていることですが、貴殿が一番、そのことをよくわかっているでしょうに。——聖女マールに、おじいさまと呼ばせているそうですが」
大公の喉が、笛のように鳴った。
「そんな、恥知らずなことは、せぬ」
「そうですね、もし男女の関係でそう呼ばせているなら、どうかと思いますが。違いますね」
今度こそ、大公の顔から血の気が引いた。
「貴殿は、王女殿下に心酔していたそうですね。若い恋心があったかもしれませんが、どうでもいい。どんな動機であれ、王女殿下に似た髪と目の色の娘に、王女殿下と同じ生誕日に娘を産ませ、聖女選定をくぐり抜けて、自分の娘を聖女にさせるなんてことをしでかすなんて、誰も理解できないですから。いやまあ、理解し難いなりに考えてみますか? 聖女が王女の代理人、後継者だとして、その立場に自分の娘を押し込むことで、王女を文字通り自分の掌中に収めたかのような達成感でもありましたか? 流石にお父様とは呼ばせられないから、おじいさま、と」
「黙れえええ!」
ヴィットールに殴り掛かろうと足を踏み出したところで、ぐっと唸った大公は、そのままぴくりとも動かなくなった。
「ははっ、そういえば腰が悪いんでしたっけ。気をつけたほうがいい」
悪ノリを始めたようなヴィットールを嗜める余裕もなく、ジゼラは唖然としていた。
大公夫人とも、彼らの子息たちとも、その息子たちとも、面識がある。皆穏やかで、優しい、なんの問題も感じない一族だと思っていたのに。
家族を裏切って、隠し子を、聖女に。しかもそれが、王女への想いゆえだというのか。
王女が、自らの死後を思って聖女制度を構想し実現していった時、若き頃の大公はまさに王女の側らで、その一部始終を見ていたはずだ。聖女選定の決まり事も、よく知っているはずだ。
知っていたら、条件を合わせることができたのか、それとも、選定に介入や操作があったのか。
いやなにより、何のために。
条件に合わせて用意した娘を聖女にして、何が満たされるというのだろう。
それはもはや、忠誠からはかけ離れ、王女への恋情ですらない、自己満足と劣情と、歪んだ執着の塊でしかないのではないか。
気持ち悪い。
言葉が溢れるのは抑えたが、視線に嫌悪が乗るのは抑えられなかった。
その視線に弾かれたように、目の下を落ち窪ませた大公が、がなりたてた。
「なんの証拠がある! 聖女様の母親は亡くなったと聞く。証人も証拠もなく、死者を冒涜するような言いがかりをつけるなど、貴様らの品性をこそ疑うわ! どうせ、魔王の特使などというのも、でまかせであろう!——陛下、このような出自の怪しい者を、国に入れるから乱れが生じるのです。この男、魔王の息子だというではないですか!」
しん、と部屋が静まった。
宰相より幾分若いはずだが老成した面差しの国王は、表情も変えない。宰相は、我関せずと一歩引いたままだ。
ジゼラは、ただ目を丸くするしかなく。
はあはあと息を継ぐ大公に答えたのは、ヴィットール本人だった。
「あっははは。息子! 俺が魔王の、息子! そんなわけないじゃないですか」
あっけらかんと否定され、大公は目を剥いた。
ジゼラは、少し首を傾げた。
まるっきり否定されることで、かえって不思議に思ったからだ。あの紅い目と黒い炎は、確かによく似ていたけれど。




