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聖女も過ぎれば毒となる  作者: 日室千種


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19. 魔王の私信

 魔族の馬は俊足だった。草原はもちろん、谷も森も難なく真っ直ぐに駆け抜けて、ヴィットールが嘆くほどに早く、その日の暮れには、王宮のある都のすぐそばまでたどり着いた。


「……まあ、心配をかけているでしょうから、このまま戻りましょうか。今すぐどうこうする気もないですし。大事に進めましょう」

「え、なにを? それに、大丈夫? この馬はかなり目立つけど……」


 角は装飾だと誤魔化すにも無理があるし、そもそもツヤツヤと黒く輝く美しさと巨大な躯からして普通ではない。都に近づくにつれ、人の目を集め始めている。


「俺も、魔王から私信を預かってまして。だから、ちょうどいいかな、と」

「私信? ケイルード国に、私信の相手が?」

「おびき寄せるにも、ちょうどいいでしょう」


 魔王は、あまり人を覚えていないと言っていた。王女の他に記憶があるのは、王女の夫と、もうひとり。

 不穏な予感をものともせずに、馬車は堂々と都へと入った。ジゼラの宰相府上席事務官としての印章によって、門番に止められることもない。その代わり、すでに情報を得て待機していたらしい、騎士たち数名が少し離れて付いてくることになった。

 先行して、道に出てくる物見高い者たちを下がらせてくれるので、これは有難い。この大きさの馬では、人を踏んでも気が付かないかもしれない。


 その、騎士の制止を無視して、一体の人馬が飛び出してきた。


「その馬車、止まれ!」


 巨馬にも怯えずに、むしろ歯を剥いて威嚇してくる荒々しい馬に乗っていたのは、武装した大公だった。

 老いてもなお勇ましくといえば聞こえはいいが、騎士たちが先導している通行を認可された馬車を無理やりに止め、あげく馬車に向かって槍を向ける様は、傲慢で横暴だ。

 手出しをしかねた騎士たちが、大公の向こうで険しい顔をしていた。


「そこに乗るのは、ジゼラ・プレジュか! 聖女様はどうした!」


 出会い頭にこうしてジゼラを問い詰めてくるということは、大公は、かなり正確に、聖女がなにを企んだかを知っているということだ。

 知った上で、ジゼラだけを強く責めている。いつもながら、聖女至上の言動に、ジゼラはそっとため息をついた。

 ジゼラもまた、彼の敬愛してやまない王女の系譜だということは都合よく忘れられている。そうでなくとも、一人の事務官としてそれなりの立場にもあるのだが。幼い頃に、王女への憧れを知られて以来、徹底して取るに足らない者として扱ってくるこの老人との対峙は、いつも疲労感が大きい。


 印章を提示したのだから、情報はすぐに伝わることはわかっている。

 馬車が王宮へ着くよりも早く大公が現れたということは、大公の情報網が都への出入りを把握する力がいまだにあるということ、そして、大公が行動を制限されない、身軽な状況であるということだ。

 大公は、いまだ大きな権力を持って、聖女の暴挙を知りながら止めなかったという罪を、罪だと思っていないに違いない。

 大公への罪の追求には、国王の裁断が必要だ。

 今、この場は、どう切り抜けるか。


「ほら来た。ジゼラさん、俺が出ますね」


 考えるジゼラに対して、ヴィットールは軽やかだ。


「トール。それは」

「大丈夫、ここでは何もしませんよ」


 押し留める前に、ヴィットールは馬車の窓から顔を出して、ついでにジャラリと印章を二つ見せつけた。


「急ぎの馬車なのでね。先に王宮に行きますよ」


 その手にあったのは、ジゼラと同じ宰相府の事務官の印章、そして——いつの間に、手に入れたのだろう。

 深紅の円柱は、王特使の印章だ。

 いついかなる時も、誰もその進路を塞いではならない。魔王その人と同じほどに敬意を表すべし。

 条約締結以来一度も使われた記録はないのに、最重要事項として人間の国で徹底して周知されている、幻の印章だ。


「邪魔しないでくださいね。誰であろうと、即、犯罪者ですよ。あ、着いてくるならご勝手に」

「ぐ、ぬ……」


 みるみるうちに顔を赤くした大公の横をすり抜ける。黒馬が、大公の馬に向かって小石を跳ねたのはたまたまか。屈辱に震える人馬を引き摺るように後に従え、馬車はその場を後にした。


「ははっ、顔真っ赤でしたね。権力を使う輩は、権力に叩き伏せられるのがきっと一番嫌いでしょ?」

「トールったら、いつの間に」

「私信と一緒に、預かりました。これはケイルード国の事務官としてはジゼラさんは持てませんからね」


 ご機嫌のヴィットールがちょいちょい窓から後ろの大公を振り返って視線で揶揄う以外は、何事もなく進み、王宮の門を止められることもなく入って、まもなく王宮正面へと横付けされた。

 印章を出したままのヴィットールに手を取られて馬車を降りたジゼラが、二人連れ立って王宮の奥へと入るのも、止める者は誰もいない。

 奥の廊下から早足で出てきた宰相は、ジゼラを見て少しだけ息をつくと、「こちらへ」とくるりと振り返って、二人の先導を務めるほどだった。


 大公は、諦めていないようだった。馬車の横に自分の馬を乗り捨てると、鎧をガシャガシャと鳴らしながら、後を追ってくる。それを止める者も、またいなかった。


 最終的に、王宮で最も格の高い秘された部屋で、大きな円卓の周りに、ジゼラとヴィットール、宰相と国王が並び、部屋の端に大公が腕組みをして立つという形に落ち着いた。

 宰相府の事務官たち、怯えるように小さくなった聖女の側仕えたちが様子を見にきたが、彼らは一律、部屋から閉め出された。


「何よりもまず、聖女様はどこか! まさかお主ら、魔王の元に聖女様を置き去りにしたと申すまいな!」


 これに対して、ヴィットールが余裕に満ちた視線を返したので、大公はぐっと喉を鳴らした。



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