18. 眩しいものは
そろそろ行きましょうか、と言うヴィットールの左手は、しっかりとジゼラの背中を支えてくれている。
温かさが伝わる距離をなるべく意識しないようにしているのに、段を上がる時に時々体が当たってしまって、その度に捕まえるようにぎゅっと支えられて、意識しないのは、難しい。
でもなにより、そうして支えてくれたから、今こうして穏やかに帰る道を進めているのだと思うと、堪らなくなった。
「ヴィットールくん、ありがとう」
「え?」
隣から見下ろされているのはわかったけれど、あえて足は止めない。
ここには二人きりで、ほかに音もなく、声はよく届くはずだ。
「魔王陛下と話してた時も、全然思うようには上手くできなくて。私はやっぱり未熟で足りないなって思ったんだけど」
一瞬、何か言いかけたヴィットールが、口を閉じて沈黙を選んだ。話を聞こうとしてくれるのだ。
ああ、やっぱり全部受け入れようとしてくれるのだと、ジゼラは嬉しくなって、でも少し照れ臭い笑みを浮かべた。
「いつも、褒めてくれたり信じてくれるでじょ? そんなヴィットールくんが見てくれてると思ったから、私にしては、少しだけ、頑張れたと思うんだ」
思い切って言葉にして、気になって少しだけ隣を見上げた。
紅い目が、まんまるになっている。
なんだか可愛いな。そんなことを思って見ていたら、今度はきゅっと細められた目を真正面から見てしまった。
狙いを定めた相手しか、見えないような。
この表情、すごく好き、かも。
ヴィットールの方は、何か笑顔のまま固まっていたけれど。
「ほんと、嬉しいです。ここがもっと綺麗で雰囲気のある場所ならよかったのに。いやもうそこは耐えます。嬉しい方が大きい。俺の言葉、ジゼラさんに届いたんですね」
ぼうっとしていたジゼラは、ぎゅっと腰を抱き寄せられて我に返った。
今、何かとんでもないことを考えたような。
「や、あ、うん、そう、そうなの」
またしても思い切り挙動不審になったジゼラを、ヴィットールは気にせず軽々と導いた。足元もあやふやなのに、段も踏み外さずに軽々と上がっていけるのは、きっとすべて、ヴィットールのおかげだ。
「よかった。たまにはジゼラさんも、自分を褒めたらいいと思ってたんですよ。自分に厳しくできるのはすごい所ですけどね。だってジゼラさん、失敗に終わってる案件て、ない、ですよね?」
空いている手で、指を折る。
——騎士団は大公の干渉を逃れて、適切な閉鎖性を導入できた。今まで誰でも騎士隊に出入りできていたので、機密性の高い任務を与えにくかったんですよね? 守秘義務の伴う護衛任務とかを与えられるようになれば、多少は承認欲求、じゃない、やり甲斐を見出せるかもしれないですしね。あの騎士団長も、大いに忙しくなって良いことです。
——遠征の影響を調べるために、村長たちから直接聞き取りをする。これって、あの一帯の領主たちが結託して横領している疑いの検分も兼ねてますよね? 宰相閣下がほくそ笑んでましたよ。
——あとは、花祭り。聖歌隊の活躍が好意的に受け取られ、公爵家の令嬢が婚姻を延期して聖歌隊の残ることを婚約者の家からも公に許されたとか。公爵家も令嬢の輿入れを先延ばしにしたがっていたので、ジゼラさんに感謝している。
——石を投げた子ども。権力者に対する抗議を暴力で示してしまったら、弱い者は蹂躙されるだけです。でも、あの正義感は折りたくなかったですよね。あいつは、村に帰ってからジゼラさんに謝りたいと親に言ったそうで、そのうち、意欲が続けば役人か騎士かを目指すかもしれませんね。
「最後のは本当? ヴィットールくんって、どうしてそんなことを知ってるのか、不思議に思うことがあるわ」
「まあ、つまり俺が言いたいのは、ジゼラさんはいつも自己評価する、その3倍は評価していいと思うんですよ」
「そう、かな?」
ほんのりと、胸の奥が温かい。
いつも、誰かからぬくもりを与えられるほど、ここに冷水を浴びせられるのが怖くなってしまう。だから、先回りをして、自分で冷やそうとしてしまうのだ。それは自分に厳しいのではなく、怖がりなだけ。
でも、ヴィットールなら。この人にあたえられたぬくもりには、安心して包まれても、いいのだろうか。
肩の力を抜くと、ヴィットールも笑った。
それでも、ふと、習い性で。
「……魔王陛下とは、何もそんな話はできなくて「ジゼラさん」
言葉を遮られた上に急に耳元で呼びかけられて、ジゼラはしゃがみ込みそうになった。
「っひぁ、なに」
クスクスとヴィットールが笑っている。さっきからずっと、笑顔が眩しく見えてしまう。
「ジゼラさんはもはや存在が架け橋なんですけど」
耳元の囁きがまだ残っているようで、小声で何か言われたのは聞き取れなかった。
「あのおじさんのことは忘れましょう」
「おじさんて、ヴィットールくん!」
「トールで」
「え?」
「トールって呼んでください。ダメですか?」
ダメかと言われればダメではないので首を振った。
「じゃあ俺も、ジゼラさんのこと違う呼び方していいですか?」
「な、なんて呼ぶの?」
ジゼラ、という名自体が、王女ジゼライシスの愛称からいただいたもの。呼びやすいためか友人にも家族にも、愛称で呼ばれたことはない。
いいか悪いかより、好奇心でもって問い返したが、その後でよく考えてみても、ダメな理由は思いつかなかった。
「やった、それなら」
その時、階段の終わりが見えた。
出口から光が差しているのだろう。あたりの壁や床が照らされ、いつの間にか荒削りな岩ではなく、石の表面が丁寧に整えられているのが見て取れた。
ジゼラたちの動きで舞い上がった土埃が白くチラつく中を、ゆっくり上がると、新鮮な空気が土と草の匂いと一緒に吹きつけて。
ジゼラは朝の匂いに満ちた、広い草原の始まりに立っていた。
「ジジ」
後ろから声をかけられて、思わず振り向く。
暗い洞穴から、光の下に歩み出てきたヴィットールは、黒髪を輝かせて、紫の穏やかな目を細めていた。
眩しいのだろう。確かに草原は、光に満ちている。
「ジジって呼びたいです」
ダメですかともう聞かれないのが、くすぐったい。
「最初は、興味本位で人間の強国を見てみるかって感じだったんですけど。もう、ジジから、目が離せない」
「ヴィットールくん」
「トールです」
「と、トール」
ヴィットールはにこりと笑った。
どこからか、馬車が近づいてきた。御者はなく、黒く逞しい馬が一頭で、小型ながら堅牢そうな馬車を牽いている。
「魔王が馬車を用意するって言ってましたね。明らかにこれでしょう。乗りましょう」
そんなことを、打ち合わせただろうか。
だが、黒馬はそうだとばかり首を上下に振るし、なにしろ馬には角も生えていて、明らかに魔族の範疇だ。となれば、ヴィットールの判断は妥当な範囲だろう。
なにせ、足がなければ、この果ての見えない草原を抜けられる気がしない。
差し出された手を取れば、ヴィットールがさらに機嫌良く笑った。
「しばらくは二人きりです。まずはすんなりとトールと呼べるように、練習ですね、ジジ」
草原の明るさのせいだろうか。ヴィットールが、どんどん眩しくなる。
なのにいつだって、隣にいるとほっとするのだ。
けれどこの時、同時に、ああもう逃げられないなと、ふと思ったことは、道中の楽しさに紛れてすっかり忘れてしまった。




