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聖女も過ぎれば毒となる  作者: 日室千種


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17. 帰途

 追いかけるといっても、その背は遠い。追いつけるとは、到底思えない。


 ぼんやりと、遠くに王女の幻を見ていたら、ガクリと膝が折れた。

 支えてくれたヴィットールに、どこからか取り出した水筒から水を飲ませてもらって、ジゼラはようやく、今の状況を把握した。

 薄暗い、荒削りな岩肌の洞穴に、延々と続く、階段。人の国への近道だという。

 今、その段を踏み外し、危うく、数時間かけて上がってきた階段を転げ落ちるところだったのだ。

 不思議な熱のない松明の光が途切れ、ぽっかりとただ闇が蟠っているだけの下方を見て、遅ればせながらゾッとした。


「ごめんなさい。体力がなくて」

「いえいえ、ゆっくり行きましょう。ジゼラさんと一緒なら、こんな洞穴でも楽しい道のりですよ」

「そう? 焦らず、回り道でも他の人たちと一緒に帰った方がよかったかなって」

「えええ?」


 白い松明の光に、ヴィットールのしかめ面が照らされる。


「俺は嫌ですよ。あの女が簀巻きになっていたとしても、同じ道行はごめんです。ちゃんと、後から送り届けてくれるって言ってたんですから、任せましょう」

「そう、ね?」


 それでも気になってしまうジゼラに、ヴィットールは柔らかく眉を下げた。

 不思議と、それは初めて見る表情な気がする。


「仕方ないですね」


 どうしてそんなに、何もかも受け入れている、みたいな顔をするのか。

 心が座っていられなくて、ついソワソワと歩き出してしまいそうだ。


「どんな相手でも平等に見て気にかけるのは、ジゼラさんのすごいところです」

「そう? でも痛がっている時には特に助けなかったし」

「その場の感情であれを止めていたら、問題はもっと大きくなったでしょうね。聖女サマなら、カワイソー、とか言うのでしょうが。攻撃を受けた者がやり返すのを可哀想だと止めたら、やられた側の鬱憤は一層溜まるでしょう。どちらも納得する結末がないなら、最低限の取り決めに従うしかない。命は取っていないのだから、それ以上の温情を求めるのは、押しつけです」

「……そうね。結局命は救えたけれど、これから利用することになるし」

「そこで、利用するだけの存在だと切り捨ててしまわずに、気にかけ続けることができるのは、ジゼラさんの本質が真に『平等』だからですよ。あの時の騎士たちを見たら、よくわかるでしょう。人間は、自分に都合の悪いものは、敵側に押し遣る。そうやって、自分を正義の側に置いて、安心するんです。ジゼラさんは、それをしない。それで疲弊してしまったりして、不器用だなと思いますけど。俺は好きです」


 素直な賞賛だと受け取って、くすぐったく笑って、ありがとうと返せば、いつも通りだったのに。

 勢いよく顔に血が昇って、口をぱくぱくしながら、声を出せなかったから、いつもとは違ってしまった。

 ジゼラの反応を待ってくれていたヴィットールの目が、じわりと暗く濃くなっていく。


「あれ?」


 大きくて、指の長い手が、頬に伸ばされる。


「もしかして、意識してくれました?」


 熱い頬に触れると、ヴィットールの指は驚くほど冷たくて。

 ジゼラの忍耐が、ふつりと切れた。


「あっ、あ、安心! 安心て言えば、私も安心させたいって思ってて、でも違って」


 ヴィットールが目を丸くするのが、至近距離で見えたけれど、触れそうな距離だけど、口が止まらない。


「だって、人が魔族に向けてとか、魔族が争いに向けて警戒する気持ちは、外から小さくできるかもしれないけれど。騎士たちのあれは、外に向かって盾を作っているようで、自分に向けてるから。自分自身への言い訳だから、あれは外からはどうにもできないね。そう思うと、考えすぎかもしれないけど、きっと聖女マールは、そんな内面の不安も含めて外に仮想敵を作ってそれを排除することで、完璧な平和を手に入れられると思ったのかもしれないわね。でも、自分の内の敵は、きっと消せば消すだけ、溢れてくるから……」


 ぼんやりと考えていたことをそのまま口から出していくうちに、少し落ち着いてきた。落ち着いてくると、自分の、女性としての経験値の低さに打ちのめされた。

 ジゼラだって、雰囲気というものはわかる。

 わかるが、今まで、一度もそうしたことに興味を持って来なかったから、どうしていいか、わからない。わからないが、今の対応がそれにしてもあんまりな態度であることは、わかってしまった。


「う、あの……」


 見上げたヴィットールは、紅い目は、そのままに、見たことがないくらい優しい笑みを浮かべていた。


「確かに、消せる不安も消せない不安もあるし、消せる不安を全部消していいのかわかりませんけど」


 話題が、逸れる。どうやら逃がしてくれるらしい。なぜか、ほっとするのと同時に、少しだけ、寂しい気持ちになった。


「ジゼラさんが決めたのだから、まず魔王に宣言した方法をやってみてくださいよ。それと同時に、考えていきましょ」

「う、うん。そうね」

「けど、あの聖女だけは、もう気を使うのは禁止です。あの女、多分特殊な魔法で、いつも誰かを犠牲にしてきてますよ。まあ、普段からやってることは同じですけど。魔法まで使ってるとなると、エグ過ぎます。さっき、魔王の前でジゼラさんに手を伸ばしていたのは、それを狙っていたと思います」

「え、魔法? 犠牲?」

「以前から、不思議な証言があったんですよ。聖女の周りには、必ず、小さな規則違反やミスなどで、ちょっと考えられないほど過剰な罰を受ける侍女や兵士が定期的に現れると。聖女の周りの人員は、かなり神経を使って決められているはずなのに。この前の遠征でも、ちやほやされた最初の数日が過ぎたら、聖女はさっさと王宮に戻っていた。それに対する不満は出ず、代わりに、聖女付きの若い侍女が、聖女の威光をかさにきて不当な要求を繰り返し騎士たちを振り回したと、聖女府を辞めさせられています」


 知らなかった事実に、ジゼラは眉を顰めた。聖女の横暴は、ジゼラだけに向いていたわけではないのだ。そういえば、あの聖女府の青年も、側付きを外されたと言っていた。


「側付きを外されたくらいで済んで、良かったんじゃないですか、彼は。おそらく、聖女に向く負の感情を、他の誰かに向けることができる魔法だと思います。魔王の前で、魔王からの負の感情をジゼラさんに向ければどうなるか、わかっていて、入れ替わりの相手にしようとしてた。そんな女には、もう近寄るのもダメです」


 ヴィットールは激しく怒っているようだ。

 ジゼラは神妙に、はい、はいと頷く。


「しかもあの女、きっと何にも悪ぶれず、ゴクロウサマー、とか言いますよ」

「そ、それは、無理」

「ですよね。なのでこの話は終わりです。せっかく二人きりの旅になるんだし、あれを連れ帰るとかなしです。なし、なし」

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