16. 対話
「なるほど。若いが、なかなか老獪なものの考え方をするようだ。王女も、よき子孫に恵まれたな。なぜお主が聖女とならなかったのか。人間は、生き急ぐくせに、考えることは迂遠だな。そして、すぐに人生を賭ける」
「——私が、王女の血縁だと、お分かりになるのですか? ジゼラという名は、王女にあやかって多くの女児に付けられたそうですが」
なるとも、と魔王は一笑した。
「魔力が似ている。血縁であることは明らかだ。プレジュの名に、覚えがある。いつも王女の後ろに立っていた伴侶だろう。静かな男だった。あまり他に名を覚えているものはおらんのだ。あとは小うるさい、小僧、ゾクス」
「そ、れは、大公様です、王女の護衛をされていた」
「そうだ。狂犬のようだった奴も、もはや耄碌しているようだな。このような聖女に入れ込むとは。だが、いまはよい」
魔王は膝に頬杖をつくと、ふいと指を振った。聖女の呻きが消え、静かになる。騎士たちもまた、意識を失ったようだった。
問答無用に人払いをして、魔王はどこか愉快げなまま、ジゼラをしげしげと見つめた。
「ふん。聖女を返してもよい」
「! ありがとうございます」
「ただし、答えよ。そなた自身の見る未来を。王女の血縁であっても本人ではない。なにか、腹に抱えた望みもあろう。此度のこととて、かの王女の描いた道筋を書き換えることにもなる。意図してのものであれば、たいした野心家ではないか?」
「……」
指摘を受けて、言葉を止めた。確かに、王女の残した制度を改めることになる。
だがジゼラは、答えに詰まったわけではない。必要な、余白の間だ。
「……ええ、聖女制度も、もう四十年続いて、その間に人と魔族の関係も緩やかに変わってきています。真の目的は聖女存続ではなく人と魔族の間の平和の存続です。そのためなら、取る手段は変えてよいと、きっと王女も、認めてくださいます」
執務室では、仕事の話や愚痴ばかりではない。現行の制度の問題点や、改善するとしたらどうするか、そんな議論もよくあること。
聖女制度そのものを話題にしたことはなかったが、考える底力は、ジゼラの中にすでにある。
「ふん、真面目くさった模範のような答えだが、王女も認めるというのはそうだろうな」
「あっ、えっ、そう、なのですね」
気を張っていたのに。本物の王女を知る魔王その人に肯定してもらって、大いに動揺してしまった。
魔王にまで、微笑ましいような生暖かい目で見られたが、似た視線が背後からも向けられている気がする。
「よいが、もっとお主の根源的なものはないのか」
「根源?」
「そうとも。感情であり考え方でもある。お主、最も許せぬものはなんだ。最も幸せを得るものは? 私がここまで興味を示すのは、稀なことだぞ」
それは、光栄なことだとジゼラは心から思った。
国と国の付き合いであっても、代表者同士が相手にカケラも興味がなければ、上手くいきにくいだろう。人と魔族であれば尚更相手が遠くなりやすい。
とすれば、今の対話相手として、ジゼラに興味を持ってもらうのは有難いことなのだ。
制度の議論には慣れていても、ジゼラ自身についての質問には、慣れていない。慣れていないが、捻り出さなければならない。
「私、私は、でも今の世の中は、とても良い方向に向かっていると思っているので、それを次代に繋ぐことしか……」
真面目で特色のない答えだ。魔王の評価の通りだと思う。どうせ語るなら、堂々と言い張ればよいのに、それもできない。未熟としか言いようがない。
自分が恥ずかしくて、顔が熱くなる。
でも、諦めない。
ジゼラは、魔王と相対しながら、自分の心を必死で手探りした。
「……王女は、王女ジゼライシスは、幼い頃からの私の憧れでした。きっかけは同じ名前をいただいたからでもあり、高祖母だからでもありますが、私が王女を眩しく感じたのは、彼女が一生の間ずっと走り続けたと知ったからです。悩みも、苦しみも、ささやかな喜びすら、立ち止まる理由にしなかった。その貫く姿勢に、心が掴まれたみたいにぎゅっとなったのを、覚えています。その頃からずっと、私も王女のように走り続けたいと願っています」
王女のように、いや、もし時代を越えられるなら、王女と並んで、走りたいと思っていたので、本人ながら変わった娘だったと思う。少女時代の高祖母と、並んで駆けて、その広い視野を少しでも共有したいと心から願っていたのだから。
「おっしゃるとおり、私は王女自身ではないので、見えるものできることは違うでしょう。王女の知らない四十年が経ってもなお、人にも魔族にも、緊張が残っています。今は平和だと、王女ジゼライシスの功績に心を支えてもらって、自分達に言い聞かせているけれど、きっと人も、魔族も、まだ不安を抱えている。——私は、その不安を和らげたい」
「和らげる」
「はい。不安を消すのは難しい。王女ジゼライシスが四十年かけて、無理でした」
ふと、一瞬、魔王が悔しげな顔をしたのは、気のせいだっただろうか。
「そなたになら、できると?」
「いえ、まさか!」
「王女に成り代わりたいとは思わないと?」
「思ったことは、ありません。一度も」
そうだ。ジゼラはずっと、王女に憧れてきたけれど。王女になりたいわけではない。
ジゼラはジゼラとして、王女の作り出した今の平和を守りたい。ずっと、純粋にそう思っていたのだ。
ようやく、はっきりとそこに辿り着いた。
「きっと、時間と、人それぞれの役割があるのです。王女ジゼライシスにできなかったことは、誰にもできないことかもしれません。でも少しずつ受け継げば、次の百年でできるかもしれない。それなら、今の私は、私にできる方法で、王女と魔王陛下の築かれた平和を幾久しく受け継げるように、守りたいのです」
両手を祈るように組んで、ジゼラは確かめるように頷いた。
「守るために、王女のように一生走ります。私の生きているうちに、大きな成功などないかもしれませんが。——そう、ですね。たとえば」
ふと、ヴィットールと仕事終わりに立ち寄る食事処の、暖かな空気を思い出した。
「大切な人との夕食時に明日の話をしても、理由のない不安に襲われずに済む、そんな、同じ明日が当たり前に来る日々を、人にも魔族にも過ごしてもらえたら」
「ふははははっ」
大きな笑い声に驚いて、ジゼラは後ろに倒れ込むところだった。何が起こったのか、わからない。
支えて起こしてくれたヴィットールにも、やけに甘く微笑まれて、こちらは何だかジゼラが想像していた食卓を見透かされたようで、頬が勝手に熱くなった。
「一生走るか! 人間とは本当に思い込もうとする生き物よ。生の長い我らには思いつかんな。したいことをしたくなった時にすればよい。やめたくなったら、やめるだけだ。だろう?」
だが、と魔王は玉座の肘掛けを指で叩いた。
「短い生のくせ、魔族には思いもよらぬ濃密な時間を過ごす人間は、嫌いではない。そうだな、これも縁よ。お主の魂が人の間で生きている間は、付き合ってやろう」
知っているか、と魔王は紅い目をどこか遠くに向けて、微笑んだ。
「かの王女も、変わっていた。永の平和を求めたくせに、好むものは全て、刹那の儚いものばかりだった。花を飾る朝露、空にかかる虹、農地から家路に着く人の列、夜闇の中の窓の灯、幼子の寝言、友と語る時間。そんな、人にも魔族にも、誰にでもあるささやかなものが、理由もなく打ち壊されないこと。それが大事だと言っていた。あの王女は、永久が、刹那の積み重ねだと、よく知っていたのだろう。そなたたち、少し似ておるな」
そうだろうか。ジゼラの回答はそんなに詩的ではない、もっと身近で、ありふれた場面で、深い意味は無かったけれど。
「そう、ですね。大事なものが、似ているのかもしれません。今知りました」
そういうことにしても、いいのではないか。大公などは、目を剥いて否定するかもしれないが。
なにしろ、王女と共に長年平和を支えてきた魔王が言うのだから。
ジゼラもまた、そうした刹那を美しいと思うのだから。
「ますます、追いかけたくなりました」
「はは、これから百年。楽しみだな」




