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聖女も過ぎれば毒となる  作者: 日室千種


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13. 魔王と聖女

 

「ジゼラさん、こっち」


 肩を抱かれて背中が誰かに当たった。

 考えるまでもなく誰かわかって、自分でも驚くほどに安心した。


「俺の服、特殊効果があるので、くっついてると息が楽ですよ」


 確かに、止めていた息を吸っても、嫌な感じはしない。

 遠慮がちにしがみつきながら、まず足元を確かめる。硬い床に、足が着いているのを感じる。一歩、足を動かすと、踵が床に当たる音が空間に響いた気がした。

 広い、屋内にいるのではないだろうか。

 思わず、ジゼラは声をひそめた。


「ねえ、ヴィットール君、もしかしてここって」

「ええ、めちゃくちゃな転移が的中、まさに魔王の前、ですね」


 ヴィットールの目線を辿ると、合わせたように黒い闇が晴れ、ねじくれた巨大な木の幹の組み合わさった奇妙な玉座に、壮年の男が傲然と座っているのが見えた。

 豊かに流した白い髪、全身に宝石を散りばめた深い黒の衣装を覆う銀の縫い取りと合わせて、闇の中にそこだけ星が凝縮したようだ。


 だが、ヴィットールには響かなかったらしい。


「うわ、派手……」

「そう? 素敵じゃない?」

「え? ほんとに?」


 魔王に相応しい、夜闇の衣装ではないだろうか。その壮麗な装いがよく似合う、蝋のように白い顔の美麗なこと。


「あれが……魔王さm、魔王」

「今、様を付けてました? ジゼラさん、あの魔王みたいなのが趣味なの?」

「いや、趣味だなんて! 違うけど! でもだって、あの(・・)魔王だよ……あっ」

「おっと」


 足が萎えてヴィットールに抱き留めてもらうほど、ジゼラは興奮していた。

 高祖母にあたる王女が亡くなって、もう四十年経つ。

 だがあの魔王は、伝え聞くその寿命の長さが本当ならば、まさに王女と交渉をし、果ては協力をして停戦を実現した魔王その人、真の当事者のはずなのだ。


「本、物……!」


 はうっと胸を抑えるジゼラを、なぜか魔王がチラリと気にしたようだったが、チッとヴィットールから大きな舌打ちが聞こえた途端に、魔王はふい、と何事もなかったかのように聖女たちに向き合った。


「何用か、小娘」


「小娘! 王女も最初はそう呼ばれたんですって。生の、小娘! 威厳がすごくて素敵」

「えええ、ジゼラさん、しっかり。よく見て。ただのおじさんだから、ね?」


「あなたが魔王? 私は今の聖女。お願いがあって来たの」


 しまった、とジゼラは冷水を浴びたように硬直した。

 騒いでいる場合ではなかった。停戦を破棄しようなどと目論む聖女を、魔王の前に立たせるべきではなかった。

 だが、すでに二人は、向き合っている。

 ふと、魔王が目をすがめたのは、聖女マールに、かつての王女が単身魔王の元に乗り込んできた時を、思い出したのだろうか。

 ジゼラはいつまでも落ち着かない胸の前で、ぎゅっと両手を組んだ。

 もしかすると、少しは平和な話になるかもしれない。そんな微かな期待を込めて。


「願いか。言ってみろ」

「ええ、あのね、もう十分馴れ合ったから、そろそろ人間に譲って欲しいのよ。世界を」

「ほう?」

「あら。やだ、伝わってる? だから、魔王は死んで欲しいの。いいでしょ? 魔族なんて生きてても人間にいいことないもの。だって、役に立つものも美しいものも美味しいものも生み出せもしない。人間が努力して生み出したものを、停戦してるからって勝手に使って食い潰して、ほんと、寄生虫みたいじゃない? 駆除したって人間にも、この世界にも、良いことしかないはずよ。魔族たちだって、自分で嫌気がさしてるんじゃないの? 生きてて楽しくないでしょ?」


 ——聖女が、今までどれほど非現実的な提案をしても、何の実績がなくても、必ず信じて従う者がいたのは、魅了魔法などのせいではない。聖女という地位の後押しがあるにしても、それだけでもない。

 聖女マールには、そもそも、人をその気にさせる力がある。

 人が心の奥底で望んでいることを見出し、寄り添い、認めて、励ます。それを繰り返して、少しずつ自分の導きたい方向へと促せば、誰もがまるで、自ら発してその未来を選んだかのように、喜んで歩き始めるのだ。

 その力だけは、本物だとジゼラも感じていた。


 だがまさか、それを逆に使うと、かくも見事な挑発になるとは。


「無駄に挑発の才能がありますね」

「すごい才能だと思うのに、どうして……」

「ここで怒らせる必要あるのか? ていうか、魔王あれ本気で怒ってないか?」


 ヴィットールのぼやきもため息も、今は気にしていられない。

 ついに魔王が玉座から立ち上がり、聖女の前には騎士たちが一斉に進み出たからだ。

 万が一にも、魔王が倒されては、停戦が終わってしまうかもしれない。

 かといって、この状況で、ジゼラになす術はない。

 無力感に唇を噛んで、もう一度、ヴィットールの服を握りしめる。


 だが、結果として、ジゼラの心配は不要だった。

 魔王が軽く指先を鳴らしただけで、騎士たちがバタバタと倒れたからだ。


「……はあ?」


 低い、低い声が聖女から洩れた。


「何を遊んでるのよ」

「はっははは、確かに児戯よな。聖女の祝福だか魔法だかは、かくも弱くなったのか」


 美麗さを残したまま哄笑する魔王に向かって、残った騎士たちが飛びかかる。

 だが今度も、魔王の吐息ひとつで吹き飛ばされた。

 倒れた騎士たちは誰もが、苦しげに唸って起き上がらない。


「うう、聖女様、どういうことです。話が違う……」

「私は、ちゃんと強化をかけてるわ! 身体能力は上がってるはずよ!」


 まだ残っていた騎士たちは、疑わしげに剣を振ったり足踏みをしたりした。中には頷く者もいたが。


「だが我の前には、何の効果もないということだ」


 魔王はすでに事を終えたかのように再び玉座に腰を下ろし、ひらひらと片手を振った。

 手の中から青い燐光のような蝶が無数に飛び、隙だらけの騎士たちに纏わりつく。と、一気に彼らの身を焼いた。


「うっあああああ」


 ごろごろと地面に転がるも、青い炎は消えることはない。やがて騎士たちが動かなくなるまで、踊るように美しく燃え盛った。


「魔法にも弱いものだ。魔法耐性というものを、知っておるか? どれ、回復する時間を与えてやろうか。聖女というからには、回復くらいはマトモにできるのだろうな?」

「うるっさい!」


 聖女は、足元に倒れていた騎士の腹部に甲冑が鳴るほどの勢いで足を乗せ、回復の魔法を使ったようだ。

 触れていた方が効果が高まるのはわかるが、あまりな光景に、ジゼラは眉を下げた。

 しかも回復を受けたはずの騎士は、失った血は戻っていないのか、立ち上がろうとして、すぐにフラフラと蹲った。


「しっかりしなさいよ! 愚図!」


 聖女は、騎士たちの昏い目が見えないのだろうか。

 彼らとて、ここまで来て後がない。魔王という目の前の敵を決して忘れてはいないだろう。命ある限り戦うかもしれない。

 だが、彼らは同時に、その敵を見るのと同じ目で聖女を見ている。


「聖女とやらよ。お主、そもそも、今までに魔法を使ったことはあるのか」

「ないわよ」

「だろうな。人間の国では、魔法はまともには使えぬ。そういう、土地の制約がかかっておる」

「だけど、ここなら制約はないはずよ。実際、私は使えてる」

「実践は初めてというわけか。なるほどだとしたら、大したものよ。拙いが、低級魔族ほどには使えておるかもしれんな」

「はああ? 私は、聖女よ⁉︎ 魔力量は歴代でも最大と言われてるのよ? 馬鹿にしないでよ!」


 はじめこそ愉快げにしていた魔王だが、徐々に、あたかも臭いのきついものに辟易したような顔をし始めた。


「だが聖女よ、そも、魔力が役に立たぬ人間の国で、誰もが自分の魔力を知る機会などあるのか? 聖女の中では多いとしても、比べていないのであれば、国で最大かどうかはわからぬぞ」

「めんどくさ! そんな細かいことはどうでもいいでしょ! 聖女の方が、そこらへんの人間より魔力が強いに、決まってるじゃない」

「だが晩年の王女だとて、お主の百倍はあったぞ」

「——。うそ、よ」


 黙り込んだのは、一瞬だけ。

 聖女は、八つ当たりのように倒れた騎士を足蹴にして、さっと後方に視線を巡らせた。

 それを後方から目にして、ジゼラは嫌な予感がした。生贄を探しているようにしか、見えなかったからだ。

 もし、ヴィットールに魔王と戦えなどと言うなら、拒絶しよう。

 聖女だろうが、もう少しだって尊重はしない。

 身構えていたが、動くのは魔王が一番早かった。


「幕引きがまだだぞ、聖女。勝手に退場するのは許さん」

「うるさいっての。大前提が狂うなら、撤退するのは当然でしょ。帰ったら、神殿あたり詰めてやるんだから。話が違うって。はあ、もう魔王はいいわ」


 聖女が、無造作に身を翻した。魔王にあっさりと背中を見せる。そこにどんな思惑があるのか、思いめぐらせたジゼラは、咄嗟に動けない。

 振り返った聖女と目が合って。


「いつもどおり、責任はとってね、ジゼラさん。それが、あなたの役目でしょ」


 そう、ねっとりした笑みを浮かべて言われた時。聖女はジゼラを生贄に決めたのだと、いや、元からいつだって、決めていたのだと悟った。

 ジゼラの方に、片手を差し伸べる聖女は、舞台の上に立っているかのように堂々と煌めいて。不可思議で抗い難い引力に、ジゼラが持っていかれそうになった時。


 聖女の背後で、魔王の体が大きく膨らんだように見えた。


「己が好き放題行動したツケは、己が払え」


 さっとその光景を大きな手が遮ったのと、聖女から悲鳴と大きな音がしたのは、同時だった。



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