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聖女も過ぎれば毒となる  作者: 日室千種


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12/26

12. 嵐

「——あっ、ここね」


 聖女が、腕に不思議な壺を抱えて、ツカツカと入ってきた。

 もちろん、本来は部外者を立ち入らせることなどない。警備の者は侵入を防ごうとしたようだが、聖女相手に実力行使は憚られたのだろう。扉の横で青い顔をして固まっていた。

 不躾に部屋を見回す聖女を、宰相府の面々は遠巻きにしている。聖女府の青年ですら、固まったまま動かない。


 ここは、聖女府を担当しているジゼラが前に出るべきだろう。

 そう思ったジゼラが声をかける前に。聖女がきらりと目を光らせて駆け寄ったのは、ジゼラではなく、ヴィットールの前だった。


「ふーん、あなたがヴィットール。見たことある顔ね。なのに全然わからなかったわ。神殿長から聞いてても、まだ信じられない。変わり者よね」


 そこで、聖女がふんと鼻で笑うので、ジゼラはもやもやとした。

 聖女が何を言いたいのかはわからないが、ヴィットールを馬鹿にしているのはわかる。

 自分がどれほど軽く扱われても無視できるが、後輩であり、友人であり、仲間でもあるヴィットールを見下されるのは、我慢がならなかった。


 だがヴィットール本人には、動じた様子は微塵もない。

 風が吹いたかな、という程度に、わずかに視線を動かした程度。かえってジゼラの方が、その態度にひやりと背中が冷えた。

 なのに、聖女マールはまったく気にしないのだ。片手を腰に添えて、物分かりのわるい子供を諭すように語り始める。


「最近、誰も彼もちゃんと聞いてくれないんだけど、人間って、素晴らしい存在なんだから、私たちはもっと人間であることを誇っていいし、私たち自身を信じるべきなのよ。この間はそれをみんなにわかってもらおうとしたんだけど、信じることを恐れる人って、頑ななのね。しょうがないから、やり方を変えて、もっともっとはっきりと、誰の目にもわかるようにしたらいいと思うのね。慎重すぎて妨害までしちゃうような人にも、一目でわかるように、根本的にいかないと」


 ぶるり、と震えてから、ジゼラは自分が怯えていることに気がついた。

 いつも理解を飛び越えたことを言う聖女だが、今日は、特にわからない。わからないが、良くないことを考えている。確実に。今すぐ、その目の前から立ち去りたかった。


「聖女サマ、あんた、ぶっ飛んでるね。何一つ言ってることがわからない」


 ジゼラが袖を引いても、ヴィットールは退かない。


「やだ、あなたの方がどうかしてるわ。知ってるんだから。でも、おかげでこれを使えるんだから、私って幸運よね。さ、この神殿の秘宝で行きましょう」

「どこへ?」

「魔王のところ」


 南方瓜の一種のようなどぎつい緑と黄色の壺が神殿の秘宝というのも、聖女がどこへ行くと言ったのかも、なにもかも現実味がなかった。

 だが、さきほどからずっと宰相の顔色が悪く見えることが、ジゼラの不安を煽る。


「せ、聖女様、あの、少し落ち着いて」

「ジゼラさーん、何でもダメダメ〜ってばかりのあなたとお話ししてる時間はないの。ほんと、いつもいつも後ろ向きで、辛気臭いったら。いい? とっても簡単なことなの。魔王を、倒しちゃえば良いのよ。昔の王女様だって、本当はそうしたかったのにできなかったから、停戦なんて面倒なことをしたんでしょ? 最初から魔王に突っ込んで、私が聖女として強化魔法をバッチバチにかけたら、きっと倒せるわ。そうしたら、いつ魔族に裏切られるかって怯えなくても良いし、花祭りなんかで平和平和と民衆を洗脳しなくても良くなるじゃない!」

「な……」


 これは。こんなことを言い放つ人間が、聖女だというのか。

 ジゼラは目眩がした。


「なんてことを…勝手に王女殿下のお考えを決めつけるばかりか、平和を維持しようという人々の長年の努力を無碍にしては」

「あーうるさいうるさい。ほんと、いつも否定ばっかり。あなたさ、そんなんだと人生つまんなくない?」

「自分の人生を面白くするために生きてはいませんので」

「わ、言い返した〜」


 つい反駁したが、そこで止まってしまった。

 揺らぎたくはない。けれど、こう言われてしまっては、ジゼラは内省からは逃れられない。自分を振り返る思考の渦が、縄のようにジゼラを縛る。

 否定ばかり。

 つまらない人生。

 そうかもしれない。

 ——だが、否定ばかりでは、なかったはずだ。

 マールが聖女じゃなかったら、もっと聖女を敬愛できたのでは。そんな夢想をした自分を恥じたし、半年の間、何とか歩み寄ろうと、それが無理ならできるだけこちらが合わせようと、もがいていたのに。

 ジゼラの努力は顧みず、マールこそが、聖女としての在り方を踏み躙り、王女の意志まで、否定しているではないか。


 当然だ、と、誰かが頭の中で囁いた。

 王女と同じ日に生まれたというだけで選ばれる女性が、どうして悉く王女の精神を受け継ぐというのだろう。そんなはずはない。

 人々の王女への希求を貶めたくはないけれど、聖女という仕組みだけは、害悪あって、利は少ないのではないか——。

 そこまで考えてふと、ジゼラの中に宰相への疑いが芽生えた。

 上手くやれ、と言われて、マールに上手く聖女らしくなってもらうことばかり考えていた。けれど、もしあれが、違う意味だったとしたら?

 自分は、何かを見落としているのだろうか。


 考え込んでいる間、聖女は待ってはくれなかった。


「さ、魔王を打ち倒す勇者候補たちにも来てもらってるのよ。騎士団を抜けて来てくれた騎士もいるの。さっさと行って、サクッと帰ってきましょ」


 壺の中に片手を突っ込み、掴み出した何かを、躊躇なく周囲に撒いた。

 目には何も見えない。

 だが、ひどく不安定で不快な「歪み」が波のように広がった。

 魔法の抑止された場ですら、これほどの力を感じさせるそれは、確かに、秘宝、なのかもしれない。


「ふふっ、ヴィットールは逃げられたら困るから、ちゃーんとジゼラさんに念入りにかけたげる」


 至近距離から、顔に向けて何かを投げつけられた。

 その瞬間、周囲がズレた。

 驚く宰相、事務官たち、見慣れた部屋の全てが、上へ。

 沈むように下へとズレたジゼラたちを今度は重たい、何層にも重なる闇が、取り囲んだ。


「どうして……」


 いつもできるできると騒いで、できた試しがない。今回も、秘宝など上手く働くはずはないと思っていた。

 侮っていたつもりもない。ジゼルなりの、ありのままの聖女マールの評価だ。

 なのに。


 闇には濃淡があり、ジゼラの身じろぎに合わせて揺れ、笑うようにさざめいた。

 咄嗟に、吸い込む息を止める。

 魔界の黒い空気は人の身には毒。それを瘴気と呼ぶのだと、ものの本にあった。



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