11. 風向き
結局、聖女にはお咎めはなかった。
聖女本人にも、あまり変わりはない。
だが、風向きは変わったようだった。
騎士団は、平時から公式な許可証のある者以外の立ち入りを禁じた。聖女ですら、無用な立ち入りを断られ、何度も追い返されているという。
実はこれまでも、人事担当者や出納担当者の一部は個人的に聖女に対して警戒心を持っていたようだったが、これほど強固にひとつの組織が聖女を拒否したのは初めてだった。聖女府の抗議も、大公の怒鳴り込みもどこ吹く風で、揺らがない。
「わからなくなってきました」
聖女府の青年は、ぽつりとこぼした。花祭りで、聖女をエスコートしたあの青年だ。
何度も出納部から差し戻しをくらった書類についてジゼラに助言を求めたいとやってきたのに、まだ書類を取り出しもしていない。
「聖女様は、正しいことをおっしゃっていたはずです。時に弊害ばかりの慣習を取っ払って、時に誰もが諦めていた理想形を提示してくれて、まさに聖女、一番良い形を最短で実現してくださる方だと信じていました」
青年は、副指揮者の令嬢との婚約は断られたらしい。それどころか、今まで話したこともない令嬢たちにも眉を顰められ、母や姉からも家族として恥ずかしいと叱責されたという。
それを聖女に相談をすると、「まあ、困ったわね」とだけ言われて、そば付きを外されたそうだ。
「聖女様を令嬢たちと同列に見るのは不敬だと思っていたのですが、聖女様は令嬢方と不仲になると、その、身嗜みや社交において大変不利だと言って。まるでただの女性のようだと思ったら、気がついたんです。耳障りのいいことを言っても、ジゼラさんが遠征で被害受けた村々にしたように、最後まで責任を取るなんてこと、聖女様はしたことがない」
宰相府の事務官たちは態度には出さないが、この吐露に密かに苦笑いをしていただろう。
貴族の子弟としても優秀な彼らにとっては、それは幼い頃から教え込まれることだ。高貴な身分や重要な地位にある者ほど、権力と比例して責任を問われる。
責任から逃げ続ける者には、権力を持たせておくべきではない。
平民でありながら事務官となった者の心身には、より切実に刻みつけられている。
純粋に聖女を敬愛しただけのこの若者は、残念ながらその点の学びも気づきも遅かったようだ。
「はいはい、わかってよかったね。でも聖女様相手には、何も諫言できないと。で、書類は?」
「え? 書類?」
「書類の書き方を教えてほしいってジゼラさんに依頼したんでしょう? ジゼラさんは、忙しいわけ。上席事務官になると、手作業は減る代わりに大きな判断が立て続けだから、事務官5人分くらいの時間の価値があるって、わかる? ジゼラさんは、やれるやれるいうばっかりで何もできてないのにできてると言い張るどこかの聖女と違って、実績を重ねてきてるわけ。違い、わかる? だから邪魔しないで欲しいんだよね」
横から口を出したヴィットールが、ほらほら、と手を出しながら、青年を威圧した。先日の一件から、どうにも苛立って、いや、ジゼラに対して過保護になっているようだ。
「呑気なものだね。聖女府ではいつも何してるわけ? くっちゃべってる暇があるってこと? 聖女様におべっか言いながらお茶会ですか? 大体、ジゼラさんが責任を取るのがすごいなんて他人事みたいに言うけど、責任をジゼラさんに押し付ける聖女が最低なんだよ。聖女府のお前らは、そこを正すべきだろ? 何もせずにジゼラさんすごーいって、馬鹿かよ」
「ヴィ、ヴィットール君、そのくらいで」
「止めないでください、ジゼラさん。俺はあの、自分だけが聖女という名に庇護されながら、ジゼラさんを生贄にしようとした女が吐き気がするほど」
「わ、わわわ、待って。だから不敬だって。そんなの止めるでしょ。ほら、仕事は……」
気まずげに俯く青年から、怒れる後輩を引き離そうとしたが、後輩は一枚上手だった。
「机にあった分なら終わらせました。急ぎの分は少し修正して閣下の方へ」
「えっ、あんなにあったのに? すごいねヴィットール君。あああ、えっと、じゃあ、もしかして、書類の指導はヴィットール君に任せてもいいってことかな」
え、と責めて責められていた青年二人が一瞬だけ目を合わせた。
「なんでそうなるんです?」
「だってほら、私の書類は、聖女様にはなかなか読んでもらえなかったみたいだし」
「ジゼラさん、僕の話聞いてました? ジゼラさんの書類が不出来なわけがないじゃないですか。それはあの女が——」
「だから、ヴィットール君、それ不敬だって……」
「ジゼラ」
どれほど騒がしくも忙しくとも、宰相府において、誰よりも優先されるべき人の声に、室内の全員が即座に立ち上がった。
珍しく少し息を切らせた宰相が、扉からツカツカと入ってくる。
「聖女が暴走した」
室内が、ぴりりと張り詰めた。
「お前たち、しばらく隠れておけ」
いつも冷静な宰相も、焦っていたようだ。さすがにそれですぐに動けるものはなく、古参の事務官が意図を確認する前に、嵐が来た。




