神の血
〜シャルル〜
その場所を一言で形容するのであれば、海。
「ここはどこ? 何が起こっているの?」
シャルルの魂、意識は、海の最深部へと沈んでいた。
シャルルの、一糸まとわぬ華奢な肢体が真っ暗闇を漂っている。
「動かない」
いつものように体を動かそうと試みるが、上手くいかない。
「そっか。わかった。私の体、乗っ取られたんだ」
シャルルは少しだけ光が差し込む表層を見上げた。
そこでは、大量の青い竜が所狭しと泳ぎ回っている。
「なんとか、しなきゃ。私の体。ロキたちを傷つけちゃう」
そこでシャルルは気がついた。
彼女の四肢が、青い竜によって啄まれていることに。
「何、これ? 痛い。痛い痛い痛い痛いっ」
理解した途端、シャルルは激しい痛みに襲われた。
痛みに体を捩っても、動かすことも出来ない。
「やめてっ! 痛い! 痛いよぉ! 誰か助けてっ! ロキぃっ!」
自分の体が食されるような感覚が続く。それは紛れもなく拷問だった。
叫んでも叫んでも、助けの手は差し伸べられない。
唯一感じ取ることが出来るのは、蒼帝の嘲笑だけ。
涙を流しても、すぐに海に混ざって消え去る。
「助けてぇっ」
いつしか四肢は食いちぎられ、悲痛な叫びも途絶えてしまった。
「ああ。もう、ダメなんだ」
シャルルの胸中には、諦念が生まれていた。
体は動かず、抵抗する方法もない。四肢も無くなった。
「ロキ。お願い。殺して。もう辛いよ。皆を傷つけて、私も傷ついて。もう、やだよ」
制御の効かない体で、シャルルは考えることをやめた。
「死にたいよ。殺してよ。早く」
〜ロキ〜
「なんだ、ここ」
ロキの体は、砂浜の上に横たわっていた。
周りを見渡せど、見えるのは海と白い靄のみ。
「俺は、どうなったんだ?」
ロキは俯いて目を閉じ、過去を呼び起こした。
「ああ、そうか。シャルを助けようとして、騙されて」
記憶が蘇る毎に、ロキはより強く拳を握りしめる。
ロキはひとしきり思い出した後、顔を上げた。
「ここは天上界じゃない。つまり、まだやれる。さっさと抜け出して、シャルを」
ロキは、次の言葉を紡ぐことが出来なかった。
言いたくなかった。
「このまま、死んだ方が良いのか?」
シャルルの結末など無視して、天上界に逃げてしまえば良い。
シャルルを殺さずとも、ロキが完全に消滅することはない。ならば、良いのではないか。
「どう足掻いても、シャルを生かす方法はない。なら良いじゃないか」
ロキは砂浜に身を投げ出した。
「さあ、殺せよ。俺は帰るぞ」
海から小さな青い竜が飛び出し、右腕に齧り付いた。
右腕を全て食い尽くされたとき。
声が聞こえた。
「助けてぇっ」
最後の力を振り絞った、弱々しい叫び。
「シャ、ル? どこだ? シャル?」
上体を起こして周りを見渡せど、彼女の姿はない。とくれば、残る場所は、海の下。
「シャル」
ロキは、彼女の名を呟いた。
そのとき、ロキは確信した。
シャルルのあの叫びは、ロキに向けられたものなのだと。
シャルルは、助けを求めているのだと。他ならぬ、ロキによる。
「ああ。本当に、俺は馬鹿だったんだな」
ロキは嘆息した。
「あいつに助けを求められただけで、こんなに簡単に決断をひっくり返す」
右肩に齧り付いていた青い竜を、左の手で掴んだ。
「こんなに簡単に、心に火がつく」
ロキはそのまま、青い竜の喉笛を握り潰した。
ロキの胸には、黄金に輝く炎が宿っていた。
「やってやろうじゃないか」
ロキは不敵に微笑んだ。
心臓には金色の炎。全身に真紅の炎を纏う。
「俺は神だ! 人一人を救うくらいわけないだろう! 死ぬしかない? 馬鹿を言え! どんな理不尽でも覆してやる! 待っていろ、シャル!」
ロキは叫びと共に、海へと飛び込んだ。
底の見えない、深い深い海へ。
〜シャルル〜
「ロキ。お願い。殺して」
シャルルは祈っていた。己の生存ではなく、己の死ばかりを。
「楽になりたいよ」
最愛の人の手で安らかに眠りたい。そんな願いばかり口にしていた。
だからこそ、妄想してしまう。
最愛の人と過ごす、最高の日々を。
「これが走馬燈、なのかな。良かった。もうすぐ死ねるんだ」
シャルルはその妄想に身を委ねた。
〜ロキ〜
ロキは炎の鎧を身に纏い、海に飛び込んだ。
多量の水の中でも、神の炎は消えることなく、燃え続けた。
「邪魔だ!」
海面付近では、視界を埋め尽くすほどの竜がロキの侵入を拒んだ。
ロキはその全てを、殴り、潰し、溶かし、排除していった。
一度火がついたロキを止めるのに、小さな竜の集団程度で足りるはずもない。
「燃え尽きろ!」
深層へ進むにつれ、青い竜の数は飛躍的に増加していく。
ロキの攻撃を掻い潜り、腕や足を啄む。
が、神の炎は衰えない。
「らああああっ!」
近づく竜を熱波で溶かし、深く深く進んでいく。
「シャル!」
ロキの目は、群がる竜の隙間に、白い人型を捉えた。
〜シャルル〜
「おはよう、ロキ」
妄想の中で、シャルルはロキに話しかけた。
新築の木造二階建て。ロキはその二階にある寝室から降りてきた。シャルルは一足先に下へ降り、キッチンで料理をしている。
「いい匂いだな」
「まあね。お嫁さんにして良かったでしょ?」
「あーそうだな」
「また棒読み。素直じゃないんだから」
苦言を呈しつつも、シャルルは笑顔である。
「今日はどうしようか。依頼に行く?」
「いいや」
ロキは朝食の最後の一口を放り込み、椅子に座るシャルルを後ろから抱きしめた。
「今日は一緒にゴロゴロしよう」
「そんなこと言って。寝足りないだけでしょ?」
「そうとも言うが。どうする? 依頼に行くか? 俺は寝るが」
「もう。分かってるくせに」
シャルルは回された手にそっと自分の手を添えた。
二人の手には、銀白色の指輪が光っていた。
「ねえロキ」
「ん?」
ぽかぽかと暖かい光が差し込むベッドの上。
白いシーツの上に、シャルルとロキが手を繋いで横たわっていた。
シャルルは転がって、仰向けのロキにマウントポジションを取った。
「大好き」
差し込む太陽に負けないほど眩しい笑顔で、ロキにそう告げた。
「知っている」
「もー。もう少し反応ってものがあるでしょ?」
ロキは目を逸らした。
「相変わらずだなぁ」
シャルルはふふふと笑って、ロキの顔を両手で引き寄せた。
唇と唇が触れ合う直前。
「あっ」
間抜けな声と共に、ロキの顔はシャルルから離れていった。
妄想の中のロキが拒んだのではない。
シャルルの腕が、消え去ったのだ。
気がついたときには、ベッドも、陽の光も、ロキの顔も、腕も足も、全てが消えていた。
「最期まで、させてくれないんだね」
シャルルは暗い暗い海の底で、顔をくしゃくしゃに歪めていた。
「バイバイ。大好きだよ」
涙も涸れた海の底。シャルルは目を閉じた。もう一度、妄想の世界へ入ることを夢見て。
「え?」
再び開いた紅い目に映ったのは、新築二階建てでも、ベッドでもない。
暖かな光。太陽のようで、けれど少し違う。包み込んでくれるような優しい光。
「シャルっ!」
「ロ、キ?」
近づく光は、確かにロキの声で、彼女の名を呼んだ。
動くことも出来ないシャルルは、呆然と光を眺めていることしか出来なかった。
「待っていろ! 助け出してやる!」
「ロキっ! どうしてっ!」
「俺は神だぞ! 好いた人間の一人も守れなくて何が神だ! 約束はまだ終わってねえんだよ!」
「うそ。本当に?」
「当たり前だ! 魔物なんかに約束を破らせてたまるか!」
光の塊は、シャルルのすぐそば。手を伸ばせば届く距離だというのに、シャルルには手がない。
「お前は! お前だけは! 絶対に助けてやる!」
ロキはめいっぱい手を伸ばした。
「うんっ。うんっ! 助けて、ロキっ!」
シャルルの体は、それに呼応した。
腕が再生し、脚が再生する。
「届け!」
「届いて!」
そして、ついに。
二人の指先は触れ合った。
暗い海の底は真っ白な光に包まれ、青い竜は全てが消滅し、微笑み合った二人の姿も見えなくなった。
〜現世〜
「ぐ、が、あああっ!」
「な、何が起こっているのでしょうか」
リリたちの前では、地面に倒れたロキと、のたうち回るシャルルの姿があった。
「これは、白帝のときと一緒や」
「ロキ君の血が神獣を苦しめているのね」
「白帝の結末になぞらえるなら、娘も神獣も死ぬことになるな」
リリに傷を治して貰ったガラナが、予想を立てる。
「いいや、そんなことあらへん」
「シャルちゃんとロキ君だもの」
「あの二人であれば、きっとうまく調和します」
その予想を、三人は尽く否定した。
そして、三人の言葉は、すぐに本当だったと実証されることとなる。
「ぐ、う、あ? ロキ?」
「シャルっ!」
シャルルは暴れるのをやめ、それと同時にロキの名を呼んだ。
ロキは唐突に跳ね起き、シャルルの名を呼んだ。
二人はしばらく見つめ合って、互いに笑んだ。
「ただいま、ロキ」
「おかえり、シャル」
二人は見えない力で引き寄せられたかのように近づき、抱きしめ合った。
「おかえりシャルちゃん!」
「おかえりなさい、シャルちゃん」
「シャルル様、おかえりなさいませ」
「みんな、ただいまっ!」
元気ハツラツ。シャルルは晴れやかな笑顔で再会を喜んだ。
そこへ、不穏な慟哭が響いた。
「なんやなんや! 終わりとちゃうんか!」
「せっかくの雰囲気に水を差すのは誰かしら」
「皆様、あれを!」
リリが指さす先には、ロキが殴り飛ばしたはずの蒼帝が、巨大な竜の姿で上空に佇んでいた。
「吸血鬼の体を手に入れることは叶わなかったが、軍勢さえ攻め入れてしまえばこちらのものだ!」
「くそっ。まだ生きていたか」
「その姿でも喋れたんかいな!」
「それよりもよ。魔物の軍団を早く始末しなければならないわ」
「もし大都市圏まで攻め入られては、大打撃です」
少し焦りを見せるアイリスとリリであったが、対してロキは泰然自若としていた。
「良いだろう。もう助け出すものは何も無い。ここから先は、蹂躙だ」
ロキは悪魔のような笑みを浮かべた。
「リリ、アイリスの魔力を回復させ続けろ。アイリスは前線でぶちかましてこい。俺たちはあれをもう一度叩き落としてくる。いいな、シャル」
「うんっ。倍返しにしてあげよう!」
「ちょっ、ロキ様?! そんな急に」
「そうよ。また操られてしまうかもしれないわ」
「問題ない。それよりも、俺はあいつを吹っ飛ばさないと気が済まないんだ」
「ロキがいるから大丈夫だよ。私もあれを串刺しにしないと気が済まないんだ」
「ちょっと待っ」
「行くぞ、シャル」
「うんっ!」
ロキとシャルルは、お互いに笑んで、飛び上がった。
黒い翼を広げたシャルルが、ロキを運んでいく。
「もう。勝手なんですから」
「仕方ないわ。シャルちゃんを元に戻したのが余程嬉しいんでしょうね。言われた通り、殲滅してしまいましょう」
「そうですね。行きましょう」
「なぁちょっと」
フランは誰にも見向きもされず、ガラナと二人、おいてけぼりにされた。
「うちの仕事はぁっ?!」
フランの叫びは誰にも届かない。
ただ一人、ガラナを除いて。
「ここいらの魔物の殲滅だ」
「わかっとるわ!」
フランは八つ当たりのように返した。
お読みいただきありがとうございます。
アドバイスなどいただけると幸いです。




