第五十話 今度は二人で。
暗闇に沈んだ天井を、赤い亀裂が不気味に切り裂いていた。
その裂け目のさらに奥から、巨大な眼がゆっくりとこちらを見下ろしている。
直径だけでも数メートルはある。真紅に染まった瞳孔の周囲には黒い輪が幾重にも重なり、その表面を、意味を読み取る暇すら与えない速度で無数の文字列が流れていた。
ただ見られているだけではない。
身体の動きも、魔力の流れも、身につけている装備も、保有しているスキルも。
それどころか、次に何を考え、どう動くのかという思考の癖まで、頭の中へ直接手を突っ込まれて暴かれているような視線だった。
背筋を、冷たいものが這い上がる。
やがて巨大な眼の下へ、赤い文字が次々と浮かび上がった。
【復元個体02――制御喪失】
【所有者による干渉を確認】
【禁則情報への接触を確認】
【処刑個体を送信します】
最後の文字が表示された、その直後だった。
ギギギギギギ――ッ!!
耳障りな音を響かせながら、赤い亀裂が強引に押し広げられる。
裂け目の向こうから現れたのは、巨大な黒い腕だった。
磨き上げられた黒曜石を思わせる表皮。その内側を、赤い光が血管のように脈打ちながら走っている。
開かれた五本の指は、一本だけでも人間の胴体ほど太かった。
「全員、散れ!!」
神代の鋭い声が部屋を貫く。
その直後、巨大な掌が俺たちのいた場所へ叩きつけられた。
ドゴォォォォン!!
床が爆発したように砕けた。
円形の部屋そのものが上下に跳ね、俺の身体まで一瞬宙へ浮く。砕けた石片が弾丸のような勢いで四方へ飛び散り、頬のすぐ横を鋭い破片が通り過ぎた。
「うおっ!?」
俺は咄嗟に腕で顔を庇い、攻撃範囲から転がるように離れる。
ルカは《クイック・シフト》を使い、途中で移動方向を急激に変えると、しえるの腰を抱えて巨大な掌の範囲から抜け出した。
神代はすぐに柱の陰へ身を滑り込ませる。
迅は逃げる代わりに大剣を盾のように構え、飛来する石片を金属音とともに弾き落としていた。
そしてレンは――。
「おい金髪!!」
迅の怒声が飛ぶ。
見れば、レンだけがすでに俺たちからかなり離れた場所まで避難していた。
「何故怒る! 僕は危険を察知しただけだ!」
「一人だけ先に逃げてんじゃねぇ!」
「判断が速かったと言ってくれ!」
「逃げ足だけはマジで速ぇな!」
こんな状況だというのに、いつものやり取りだった。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩む。
俺も思わず口元を緩めかけた。
だが、黒い腕がゆっくりと持ち上がった瞬間、その笑みは消えた。
さっきまで俺たちが立っていた床が、数十センチも陥没している。
まともに受ければ、まず助からない。
少なくとも、普通の人間なら。
「浩介」
すぐそばから聞き慣れた声がした。
振り返る。
そこに、透が立っていた。
ほんの数分前まで、防衛機構に身体を奪われていた男。
俺たち全員を相手に暴れ、どうにか取り戻したばかりの――本来なら、休ませなければならないはずの親友だ。
顔色はまだ悪い。
呼吸もわずかに荒く、身体に残っている負担を隠し切れていない。
「お前、大丈夫なのか?」
「何が?」
「何がって……今やられたばっかだぞ」
「だから?」
何でもないことのように答えながら、透が肩を回した。
ゴキッ、と嫌な音が鳴る。
「いっっってぇ……!」
「ほら!!」
「全身筋肉痛みたいになってる」
「休んでろって!」
「いやいや」
透は痛そうに肩を押さえながら、それでも天井の巨大な赤眼を見上げた。
そして困ったように笑う。
「今やられたばっかだぞ?」
「俺が言ったんだよ!」
「復活して、親友ぶん殴って、みんなに取り押さえられて、その直後にこれ?」
透が巨大な眼を指差した。
「人使い荒いなぁー!」
「まだ何も頼んでねえ!」
「顔に書いてある」
「何が」
透は俺を見る。
しばらく俺の顔を眺めたあと、昔と何も変わらない笑みを浮かべた。
「一緒にやれって」
言葉が出なかった。
本当に、こいつは昔からそうだった。
俺が何かを言う前に勝手に察して、勝手に動く。
考えていることを説明する必要なんて、ほとんどなかった。
以前なら呆れていたかもしれない。
だけど今は、そのやり取りさえ妙に懐かしかった。
もう二度とできないと思っていたからだ。
「……動ける?」
ようやくそれだけ聞くと、透は鼻で笑った。
「誰に聞いてんだよ」
次の瞬間、透の身体を青白い魔力が包み込んだ。
《身体強化》。
足元の空気がわずかに震え、全身へ魔力が巡っていく。
「英雄になる男だぞ」
「まだ言ってんのかよ」
「死んでも言う」
「お前の場合、冗談にならねえんだって」
「説得力増しただろ?」
「増やすな」
思わず笑ってしまった
透も笑う。
こんな会話をまたできていること自体、少し前までの俺には想像もできなかった。
その横へ、レオが静かに歩いてくる。
「佐川」
「何?」
「あいつは、もう同じ方法では操られない」
レオの視線が透へ向いた。
透が自分の胸を指差す。
「俺?」
「さっき黒い線を切ったから?」
俺が尋ねると、レオは首を横へ振った。
「それもある。だが一番大きいのは――」
そこで一拍置き、何でもないことのように告げる。
「死んでるからだ」
「言い方!!」
透が即座に反応した。
「事実だ」
「もっと何かあるだろ! システム上とか!」
「システム上、死んでる」
「変わってねえ!」
神代が端末を確認しながら、二人の会話へ割って入る。
「防衛機構の管理情報では、大久保君はすでに死亡個体として処理されている……ということですね?」
レオが頷いた。
「ああ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏にさっき見た表示が蘇った。
【個体名:大久保透】
【状態:死亡】
【復元個体識別番号:02】
目の前にいる。
喋っている。
相変わらず、うるさいくらい元気だ。
それでも、防衛機構の管理する世界の中では、透はすでに死んだ人間として処理されている。
「死亡済みの個体には通常の干渉処理が走らない」
レオが続ける。
「観測因子を入れる必要もない。制御対象にもならない。すでに処理の終わった存在だからだ」
「つまり……」
俺は巨大な赤眼を見上げる。
その眼からすれば、目の前に立っている透は――。
「あいつからしたら、お前もういないの?」
「やめろ。ちょっと悲しくなる」
その瞬間だった。
巨大な赤眼の周囲を、高速で文字列が駆け巡った。
【戦闘対象解析】
赤い光が部屋全体を薙ぐ。
光は俺の身体を通過し、神代、ルカ、レン、迅、しえる、レオへと順番に移っていく。
そして透のところまで来た。
俺は息を止める。
だが赤い光は、透の身体を調べることさえせず、そのまま何事もなかったように通り過ぎていった。
「……マジか」
解析結果が次々と表示される。
【佐川浩介】
【所有者権限保持】
【危険度――継続測定】
【神代朔】
【指揮能力――優先排除候補】
【火野ルカ】
【高速機動型】
【レン】
--
そしてレンの名前が表示されたところで、本人が真顔で手を上げた。
「待て」
「何だよ」
「何で僕だけ名字がない?」
「知らねえよ!!」
そんなことに拘っている場合か。
解析は迅、しえる、レオへと続き、そのまま終了した。
透はしばらく表示を見つめたあと、自分の胸を指差す。
「俺は?」
「死んでるから」
「雑!!」
ルカが堪えきれずに吹き出した。
「透さん、敵からも忘れられてるっす」
「地味に傷つくんだけど!」
透は不満そうだった。
だけど、俺の口元は勝手に上がっていた。
敵の戦闘予測から完全に外れている。
防衛機構から直接干渉されることもない。
それなのに、現実の透はここにいる。
動ける。
戦える。
なら――。
「透」
「ん?」
「お前、今めちゃくちゃ便利だぞ」
「親友に復活一発目で便利扱いされた」
その時、迅が何かを透へ放った。
「使え」
透は反射的に片手を伸ばして受け止める。
予備の片手剣だった。
特別な装飾もない。大量生産された、ごく普通の武器だ。
透はゆっくり鞘から剣を抜いた。
シャキン、と澄んだ金属音が響く。
そして数秒間、何も言わずにその刃を見つめていた。
「武器……」
小さく呟く。
その声に混ざっていた感情を、俺は知っている。
こいつの本当の得意分野は拳じゃない。
《身体強化》だけでもない。
透は片手剣を構えた。
「《バリアブルアタック》」
瞬間。
ギィン――!
握っていた剣の刀身が、生き物のように歪んだ。
「……え?」
ルカの声が漏れる。
一メートルほどだった刃が前方へ伸びていく。
ただ長くなるわけではない。
刃は徐々に細く、鋭く形を変え、やがて二メートルを超える槍のような姿へ変貌した。
「は?」
レンまで目を丸くする。
「武器……変わった?」
しえるも驚いている
透だけが、当然のように笑っていた。
「これが俺のスキル」
槍状になった武器を軽く回す。
すると再び刃が変形した。
長かった刀身が一気に縮まり、その代わりに厚みと横幅が増していく。
数秒もしないうちに、片手剣だったものは大剣にも巨大な斧にも見える重厚な武器へと変わった。
透が床へ軽くおろしただけで、ズン、と重い音が響く。
迅が初めてはっきりと興味を示した。
「……面白ぇ」
ルカが透と武器を交互に見比べる。
「ちょっと待ってくださいっす」
「ん?」
「武器の形、自由に変えられるんすか!?」
「まあ、何でもってわけじゃないけどな」
透が笑う。
「状況に合わせて、形と攻撃方法を変える」
その姿を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
これだ。
何度も見た。
グリーンゲートでも、学校でも、透は嬉しそうにこのスキルを見せていた。
こいつのおはこだ。
「久しぶりだな」
俺が言うと、透はこちらを見る。
「何が?」
「それ」
変形した武器を指差す。
透も意味を理解したらしい。
ほんの少しだけ懐かしそうに笑った。
「おう」
巨大だった刃が再び縮まり、元の片手剣へ戻る。
だけど、もう俺にはただの片手剣には見えなかった。
敵との距離に応じて長さを変えられる。
硬さに応じて重量を変えられる。
狙うべき場所に合わせて、刃の形を変えられる。
そして、その弱点を見つけるのは――俺の役目だった。
目が合う。
説明なんて必要なかった。
昔からそうだった。
グリーンゲートで俺が敵を観察し、透が武器を握る。
俺が攻略法を見つける。
こいつが実行する。
何度も、何度も。
そうやって二人で先へ進んできた。
透が剣の柄を俺へ向ける。
俺も握っていた短剣の柄を軽くぶつけた。
コツン、と小さな音が鳴る。
「久しぶりに」
透が笑う。
「二人でやるか」
胸の奥で失っていた何かが、ようやく元の場所へ戻ってきた気がした。
「行くぞ、透」
「おう!」
その声に呼応するように、巨大な赤眼が激しく発光した。
そして赤い亀裂の奥から、二本目の黒い腕が姿を現す。
さっきまでは、俺たちが一方的に処刑される側だった。
けれど今度は違う。
ここからは、こっちが攻略する。
二本目の黒い腕が勢いよく振り下ろされる。
「透、そっちから抜けろ!」
俺が叫び切るより早く、透はすでに走り出していた。
《身体強化》によって青白い魔力が両脚へ集中し、床を蹴る。
純粋な速度だけなら、ルカやレンには及ばない。
けれど透には、一瞬の迷いもなかった。
俺が示した場所へ向かう理由を聞かない。
黒い掌が、走り抜ける透のすぐ後ろへ叩きつけられた。
ドゴォォン!!
凄まじい衝撃波が背中を追いかける。
それでも透は体勢を崩さず、そのまま巨大な腕の脇を駆け抜けた。
「そのまま三歩進め!」
「おう!」
俺の声に合わせて、透が三歩進む。
「そこで止まれ!」
靴底が床を強く擦った。
透が急停止した直後、もう一本の巨大な腕が目の前を横薙ぎに通過する。
ブォォン!!
空気そのものが押し潰され、風圧で透の金髪が激しく揺れた。
あと一歩進んでいたら直撃していた。
透が一瞬だけ俺を見る。
「相変わらず気持ち悪いくらい当てるな」
「褒めてる?」
「半分」
「残り半分何だよ!」
「キモい」
「おい!」
文句を言いながらも、透の視線はすでに巨大な腕へ戻っている。
俺も目を凝らした。
黒い装甲の内側を、何本もの赤い光が流れている。
その中に一本だけ、他とは明らかに明滅の周期が違う筋があった。
「透! 肘の内側を見ろ! 点滅が違う赤い筋がある!」
透がすぐに視線を合わせる。
だが、距離は八メートルほど離れている。
普通の片手剣では届かない。
「遠い!」
「伸ばせ!!」
「了解!」
《バリアブルアタック》。
ギィン!!
刀身が細く伸び、槍のような形状へ変わった。
透が《身体強化》で一気に踏み込み、その勢いを乗せたまま刃を突き出す。
ズシュッ!!
切っ先が赤い筋へ突き刺さった。
「入った!」
しえるの声が飛ぶ。
巨大な腕が激しく痙攣した。
しかし、透の表情がすぐに険しくなる。
「硬い! 刺すだけじゃ足りない!」
俺は刺さった箇所を見る。
黒い装甲には薄い亀裂が走っているだけだった。
なら、貫く必要はない。
先に装甲そのものを壊せばいい。
「透! 今度は重くしろ!」
「おう!」
赤い筋へ突き刺さったままの槍が変形する。
長かった刃が縮まり、その分だけ厚みと重量を増していく。
「戦闘中に変えるんすか!?」
ルカが驚く。
透は答えなかった。
大剣状へ変わった武器を両手で握り、《身体強化》を全身へ巡らせる。
腕だけではない。
脚で床を踏みしめ、腰を回し、全身の力を一つの斬撃へ乗せる。
「おらぁぁぁ!!」
ドガァァァン!!
巨大な刃が黒い装甲を叩き砕いた。
破片が弾け飛び、その奥に赤い筋が露出する。
「今度は細くして、一気に切れ!」
「忙しいな!!」
「早く!」
「人使い荒いって!」
文句を言いながらも、武器はすでに変化していた。
巨大な刃が細く絞られ、速度を重視した片刃へ変わる。
透が迷いなく振り抜いた。
ザンッ!!
露出した赤い筋が切断される。
巨大な黒い腕から力が抜け、重い音を立てながら床へ崩れ落ちた。
一瞬、部屋が静まり返った。
ルカは口を開けたまま固まり、レンですら珍しく髪を触るのを忘れている。
しえるも目を丸くし、神代でさえわずかに驚いた表情を見せていた。
「……何すかそれ」
ようやくルカが声を出す。
透は不思議そうな顔をした。
「何って?」
「いやいやいや! 槍になって、大剣になって、また細くなったっすよ!?」
「そうだけど」
「そうだけどじゃないっす!」
レンまで近づいてくる。
「武器というのは完成された形状に美しさが――」
「うるせぇ」
迅が一言で遮る。
「まだ何も言っていない!」
迅は構わず透の武器を眺めていた。
明らかに気に入ったらしい。
「面白ぇスキルだな」
「でしょ?」
透が少しだけ嬉しそうに笑う。
昔からそうだ。
こいつは自分のスキルを褒められると、こういう顔をする。
「でも」
神代が冷静に口を開いた。
「単純に形状を変えているだけではないんですね」
透が頷く。
「形が変われば、当然攻撃も変わる。離れているなら伸ばせばいいし、硬いなら重くすればいい。狭い場所を狙うなら細くすればいい」
同じ一本の武器でも、状況に応じて攻撃そのものを変える。
それが《バリアブルアタック》。
「ずるくないっすか?」
ルカが不満そうに言う。
「何が?」
「私、短剣二本だけっすよ?」
「二本あるじゃん」
「そういう問題じゃないっす!」
その時、巨大な赤眼が再び動いた。
周囲へ大量の文字列が走る。
【戦闘情報更新】
赤い光が再び俺たちを走査していく。
俺、ルカ、レン、迅、神代、しえる、レオ。
そして今回も――透だけは、最初から存在していないかのように飛ばされた。
透が両手を広げる。
「だから俺は!?」
「死んでる」
ほぼ全員が同時に答えた。
「慣れてきてない!?」
笑いが起こる。
俺も笑っていた。
けれど、その中で一つだけ気づいたことがあった。
巨大な眼は、透の攻撃を予測できていない。
最初に槍が伸びた時、反応が遅れた。
武器が大剣へ変化した時にも、防御行動を取らなかった。
そして最後の斬撃に至っては、完全に無防備なまま受けていた。
頭の中で、いくつもの情報が一気に繋がる。
「神代」
「はい」
「透を軸にする」
神代もすぐ意味を理解した。
「敵が彼を予測できないからですか?」
「それだけじゃない」
俺は透を見る。
透もこちらを見る。
「俺が弱点を見つける」
敵との距離。
装甲の硬さ。
攻撃を通すために必要な角度。
最適な攻撃方法。
それらを俺が判断する。
「こいつが、それに合わせて武器を変える」
透が笑った。
「雑な説明だな」
「間違ってる?」
「いや」
片手剣を肩へ担ぎ、楽しそうに笑う。
「完璧」
巨大な眼が赤く発光した。
次の瞬間、天井付近へ何十本もの黒い針が形成される。
「来ます!」
神代が叫んだ。
無数の針が雨のように降り注ぐ。
俺は《身体強化》を発動し、床を蹴った。
一本目を躱す。
続く針も身体を捻って避ける。
だが、ただ逃げ回っているだけではない。
巨大な眼は、明らかに俺を追っていた。
現在地を狙っているんじゃない。
俺の次の移動先を予測し、そこへ先回りするように攻撃を落としている。
「浩介!」
透の声が聞こえた。
「そのまま走れ!」
「そのまま!?」
「俺を見させる!」
赤眼の下へ、新しい文字が浮かんだ。
【佐川浩介――進路予測】
次に攻撃される位置が、赤い線となって床へ表示される。
見える。
なら、逆に利用できる。
俺が片側へ大きく走れば、巨大な眼も俺を追う。
その間に透が反対側から死角へ入り込む。
「透!」
「もういる!」
振り向いた時には、本当にそこにいた。
巨大な腕の付け根へ回り込み、俺が説明するより先に弱点らしき赤い節まで見つけている。
ただし位置が高い。
「届かない!」
「だったら伸ばせ!」
ギィン!!
片手剣が槍状へ変形する。
透が赤い節へ突き出した。
ガキン!!
しかし刃は弾かれる。
「硬い!」
「じゃあ、今度は――」
俺が指示を出すより早く、透が自分で武器を変化させた。
槍の先端が太くなり、鋭さよりも重量を重視した形へ変わる。
《身体強化》で踏み込み、そのまま叩きつける。
「こうだろ!!」
ドガン!!
一撃目で装甲へ亀裂が走った。
「もう一回!」
「分かってる!」
二撃目が同じ場所へ叩き込まれる。
バキン!!
赤い節が砕け、巨大な腕の動きが止まった。
その瞬間を、神代は見逃さなかった。
「ルカは片方の節へ! レンさんは反対側をお願いします!」
「はいっす!」
「任せたまえ!」
二人が同時に加速する。
ルカの《クイック・シフト》と、レンの《プリンス・ステップ》。
高速で動く二人へ巨大な眼の意識が向く。
そして、その瞬間には透が別の場所へ移動している。
相手は追えない。
認識すらしていないのだから当然だ。
「浩介!」
透に呼ばれ、俺は次の弱点を探す。
巨大な腕の手首付近。
装甲の隙間に、赤い筋が見えた。
「手首だ! 隙間が狭い!」
「了解!」
武器が細長い剣へ変わる。
透は巨大な腕の懐へ滑り込み、隙間へ正確に刃を突き込んだ。
ズシュッ!!
「入った!」
そこからだった。
突き刺さった刃の幅が、内部で広がり始める。
「うおおっ!?」
ルカが本気で驚いた声を上げる。
透は武器を傷口の内側で変形させ、そのまま強引に傷を押し広げた。
そして一気に引き抜く。
ブシャッ!!
赤い光が血飛沫のような霧となって散った。
巨大な腕が崩れ落ちる。
赤眼が明らかに揺れた。
【ERROR】
【未登録攻撃を検知】
【攻撃個体――照合】
少し間を置いて、新しい表示が出る。
【該当なし】
透がそれを見上げた。
「だから俺いるって!!」
「そのままでいて! 存在認識されたら困る!」
「親友に存在消されてるんだけど!」
ルカが笑い、しえるも口元を緩めている。
そんな中で、神代だけは俺たち二人をじっと見ていた。
「……なるほど」
「何?」
俺が尋ねる。
「強いですね」
「迅が?」
「違います」
神代の視線は、俺と透を捉えていた。
「二人が揃うと」
その言葉に、俺は一瞬だけ黙った。
俺が相手を読む。
透は俺の指示を疑わない。
そして必要に応じて武器を変える。
距離が足りなければ伸ばす。
装甲が硬ければ重量を増やす。
隙間が狭ければ刃を細くする。
長い説明なんて必要ない。
昔から一緒に戦ってきた時間そのものが、俺たちの連携になっている。
透が俺の隣へ戻ってきた。
さすがに無理をしているのだろう。
肩を大きく上下させ、荒い呼吸を繰り返している。
「なあ浩介」
「何」
「俺、今やられたばっかなんだけど」
「知ってる」
「復活直後なんだけど」
「知ってる」
「全身痛いんだけど」
「……知ってる」
「なのにもう二本腕壊したんだけど」
俺は少し考えた。
「あと一本いける?」
「人使い荒いなぁー!!」
透が叫ぶ。
でも、その顔は笑っていた。
俺も笑う。
そして二人同時に巨大な眼へ向き直った。
「行くぞ」
「おう!」
その時だった。
巨大な赤眼が、初めて俺たちから距離を取った。
亀裂の奥へゆっくり下がっていく。
逃げるつもりじゃない。
俺たちを観察するためだ。
瞳孔の周囲を走る文字列の速度が、これまで以上に上がる。
【戦闘情報再構築】
【佐川浩介――行動予測更新】
【火野ルカ――高速機動パターン更新】
【レン――高速移動パターン更新】
【神代朔――指揮優先度更新】
俺たちの戦闘情報が、次々と整理されていく。
けれど、やはり一人だけ名前がない。
「また俺いない?」
透が少し寂しそうに呟く。
「喜べよ」
「なんでだよ」
レオが巨大な眼を見たまま答えた。
「防衛機構にとって、お前の処理は終わってる」
「死亡で?」
「ああ」
「納得いかねぇ……」
「でも、最高だ」
俺は赤眼を見ながら言った。
相手はこちらを学習している。
同じ攻撃を繰り返せば、いずれ通用しなくなる。
ルカの速度も、レンの《プリンス・ステップ》も、迅の《身体強化》も、神代の指揮も、俺の回避行動も、全部見られている。
だけど透だけは、その学習の外側にいる。
しかも《バリアブルアタック》によって、武器の形と攻撃方法を毎回変えることができる。
本人そのものを監視していない相手からすれば、どこから何が飛んでくるのか予測することさえ難しい。
「こいつ、今だけめちゃくちゃインチキじゃん」
「言い方!」
「褒めてる」
「なら許す」
神代が端末へ目を落とした。
「ですが、長期戦は避けるべきです」
「うん」
透を直接制御できなくても、相手は俺たちの戦い方を学習し続けている。
床を使うかもしれない。
壁を使うかもしれない。
また別の腕や針を出してくる可能性だってある。
時間を与えれば、それだけ不利になる。
「短期決戦でいこう」
俺は巨大な赤眼を睨む。
「ここで追い返す」
迅が大剣を肩へ担ぐ。
「やっと話が早ぇ」
しえるが不安そうに赤眼を見上げる。
「倒せるんですか?」
「多分」
「多分っすか」
ルカが微妙な顔をした。
そこでレオが口を開く。
「本体じゃない」
全員の視線が集まった。
「今見えている目と腕は、向こう側から伸ばしてるだけだ」
「じゃあ、倒すんじゃなくて……」
俺が呟く。
「接続を切る」
レオが短く答えた。
俺は改めて赤眼を観察する。
赤い亀裂。
眼球を覆う黒い装甲。
そして、そのさらに奥。
一定の周期で強く発光している場所がある。
「神代。反応値、見える?」
神代が端末を操作する。
すぐに表情が変わった。
「眼球後方に高出力反応があります」
「核?」
「可能性はあります」
位置は高い。
普通なら届かない。
俺は透を見る。
すると透は、すでに嫌そうな顔をしていた。
「何」
「いや」
「その顔やめろ」
「何も言ってない」
「絶対また無茶言う顔だろ」
「ちょっとだけ」
「復活した友達、もうちょっと大事に扱ってくれる?」
「あとでラーメン奢る」
「やる」
「安っ!」
ルカが即座に突っ込んだ。
でも、これで決まった。
俺は全員を見る。
「迅、出てくる腕を止めて」
「何秒」
「五秒ほしい」
「余裕」
「しえるは迅を全力で回復して」
「分かりました!」
続いて、ルカとレンを見る。
「二人は腕の節を同時に狙ってくれ」
「了解っす」
「美しく決めよう」
「普通でいい」
「何故!?」
「神代は全体を――」
「見ます」
最後まで言う必要はなかった。
神代なら分かる。
そしてレオへ向き直る。
「亀裂が閉じそうになったら教えて」
「分かった」
最後に透を見る。
「俺たちは?」
赤眼の奥を指差す。
「核まで行く」
透が少し笑った。
「結局一番危ないじゃん」
「嫌?」
「まさか」
片手剣を構える。
「そういうの、昔から俺の役目だろ」
その言葉に、少しだけ胸が痛んだ。
昔はそうだった。
俺が弱かったから。
危険な場所へ飛び込む役目は、いつも透に任せていた。
だけど今は違う。
俺も短剣を構える。
「今回は二人だ」
透が一瞬だけ俺を見た。
そして、嬉しそうに笑った。
「おう」
◇◇◇
「来る!」
神代の声と同時に、二本の巨大な黒い腕が亀裂から振り下ろされた。
迅が真正面から踏み込む。
《身体強化》を全開にした青白い魔力が、全身から爆発するように立ち昇った。
「おらぁぁぁぁ!!」
振り抜いた大剣と巨大な腕が真正面から激突する。
ドガァァァァン!!
床が大きく陥没した。
「ぐ……っ!」
迅の膝が沈む。
それでも、止めた。
巨大な腕を力ずくで受け止めている。
「しえる!」
「《ヒール》!」
淡い光が迅の身体を包む。
そこへ、もう一本の腕が横薙ぎに振るわれた。
「ルカ!」
神代の指示が飛ぶ。
「はいっす!」
ルカが《クイック・シフト》を発動した。
一直線に走っていた身体が途中で鋭く軌道を変え、腕の内側へ潜り込む。
二本の短剣が同時に赤い節へ突き刺さった。
「レンさん!」
「任せたまえ!」
反対側ではレンが《プリンス・ステップ》を発動する。
姿が一瞬掻き消えたかと思えば、次の瞬間にはもう節の前にいた。
二人の攻撃がほぼ同時に叩き込まれる。
ガキィィン!!
「硬いっす!」
「もう一度!」
俺が叫ぶ。
ルカとレンが一度離れ、再び加速する。
二撃目。
バキッ!!
ルカ側の節が砕けた。
しかし、レンの狙った場所はまだ残っている。
「迅!」
俺の声に、迅が状況を一瞬で理解した。
受け止めていた大剣の軌道を強引に変える。
「金髪、退け!!」
「金髪ではなくレン――」
「退け!!」
「はい!」
レンが即座に飛び退いた。
その直後、大剣が赤い節へ叩き込まれる。
バキィン!!
残っていた節も砕け散った。
「今!!」
神代が叫ぶ。
俺と透が同時に走り出した。
巨大な眼がすぐに俺を捉える。
床へ赤い線が浮かぶ。
【佐川浩介――進路予測】
俺が走ろうとしている場所へ、すでに攻撃位置が表示されていた。
「全部俺に向けさせる!」
俺が叫ぶ。
透からすぐに返事が来た。
「分かってる!」
俺が大きく走ると、巨大な眼もこちらを追う。
黒い針が次々と降り注いだ。
一本目を身体を捻って躱す。
続く針も紙一重で避ける。
三本目だけは避け切れず、肩を浅く掠めた。
鋭い痛みが走る。
それでも止まらない。
赤眼の意識は完全に俺へ集中している。
その反対側を、透が誰にも妨害されることなく駆け抜けていた。
《身体強化》で速度を上げ、斜めに伸びた巨大な黒い腕を足場にして駆け上がっていく。
「透!」
「何!」
「もっと上だ!」
眼球の奥にある核は、床から十メートル以上の高さにある。
透は黒い腕を走り切った。
それでも、最後に三メートルほど足りない。
「伸ばせ!!」
俺が叫ぶ。
「それで届くかよ!」
「槍じゃない! 先端を曲げて引っかけろ!」
「あ」
一瞬で意味を理解した透が笑った。
「それか!」
《バリアブルアタック》。
片手剣の刀身が大きく伸びる。
ただし今回は槍ではない。
先端が曲がり、巨大な鉤のような形へ変わった。
遠くからルカの声が聞こえる。
「そんな形にもなるんすか!?」
透が武器を振る。
ガキン!!
巨大な鉤が赤眼の外殻へ引っかかった。
「うおおおっ!」
透はそのまま武器を支点にし、自分の身体を振り子のように宙へ浮かせる。
俺も巨大な黒い腕を蹴って跳んだ。
《身体強化》を全開にする。
それでも高さが足りない。
「浩介!」
透が俺を見る。
次の瞬間、鉤状だった武器の形が変わった。
刀身が太く、平たくなる。
まるで空中に突き出された一枚の足場だ。
「乗れ!!」
「マジ!?」
「早く!!」
考えている暇はない。
俺は透が作った刃へ足を乗せた。
「飛べぇぇ!!」
透が全力で武器を振り上げる。
足場そのものが跳ね上がり、その勢いで俺の身体がさらに高く打ち上げられた。
「うおおおお!?」
一気に視界が上昇する。
巨大な赤眼が目の前まで迫った。
その奥に核がある。
だが俺たちの接近を察したのか、黒い装甲が閉じ始めた。
「透!!」
「分かってる!」
空中で武器が再び変形した。
今度は長い槍になる。
俺のすぐ横を通り抜け、閉じようとする装甲へ突き刺さった。
ガキィン!!
装甲が止まる。
「硬い!」
「そのまま押さえてろ!」
俺は黒球を取り出した。
閉じかけた装甲のわずかな隙間へ、黒球を強引に押し込む。
その瞬間、赤い光が爆発した。
【所有者権限を確認】
【外部処刑命令への干渉を開始】
巨大な赤眼が激しく震える。
【ERROR】
【ERROR】
閉じようとしていた黒い装甲が、逆にわずかに開いた。
その奥に、強く脈打つ赤い核が見える。
「透!」
「どれ!」
「中央だ!」
透がすぐに核を捉える。
距離はおよそ四メートル。
「細くしろ!」
「おう!」
槍がさらに細くなる。
針のように一点を貫くための形だ。
だが核の周囲は狭い。
今の細さのまま伸ばせば、途中で折れるかもしれない。
「そのまま伸ばすな! 折れる!」
俺の声を聞いた透が一瞬で理解した。
槍を元の片手剣へ戻す。
「じゃあ――」
空中で身体を捻り、腰を落とすように姿勢を整える。
《身体強化》によって得た脚力も、腰の力も、腕力も。
全てを、一度の斬撃へ集める。
そして剣を振り始めた、その瞬間だった。
「《バリアブルアタック》!!」
最初は片手剣だった。
斬撃の途中で長剣へ伸びる。
さらに核へ届く直前、刃だけが細く鋭く変化した。
攻撃の軌道そのものが途中で変わる。
巨大な赤眼が防御しようと動いた。
だが、間に合わない。
ズドォォン!!
変形した刃が赤い核へ深々と突き刺さった。
その瞬間、文字が浮かぶ。
【予測不能】
俺はその表示を見て、思わず笑った。
「ざまあみろ」
「まだ終わってねえ!」
透が叫ぶ。
核へ突き刺さった刃が、さらに形を変えた。
内部で横方向へ広がっていく。
逃げ場のない核を、内側から強引に押し割る。
バキィィィン!!
巨大な赤眼が激しく震えた。
【制御核損傷】
【現地戦闘継続――非推奨】
赤い亀裂が急速に縮み始める。
「離れろ!!」
レオの声が飛んだ。
俺は黒球を引き抜く。
透も武器を元の片手剣へ戻した。
そこで初めて気づいた。
足場がない。
「……あ」
次の瞬間、俺と透は揃って落下した。
「うわあああ!!」
「お前、何も考えてなかったの!?」
「上がることしか考えてなかった!!」
「馬鹿!!」
眼下でルカが叫ぶ。
「浩介さん!」
レンも走り出した。
「透君!」
ルカが俺の落下位置へ入り、必死に受け止める。
「ぐっ!」
勢いを殺し切れず、そのまま二人で床を転がった。
反対側ではレンが透を受け止めようと両腕を広げる。
「任せ――重っ!!」
ドシャァァ!!
透とレンが派手に床を転がった。
「痛ぇ!」
「僕の背中が!!」
迅が呆れたように鼻で笑う。
「ダッセぇ」
「君は受け止めようとすらしていないだろう!」
俺は床へ仰向けになったまま、荒い呼吸を整える。
すぐ横では透も同じように倒れていた。
二人で天井を見上げる。
赤い亀裂が、ゆっくりと閉じていく。
最後の瞬間、巨大な眼がこちらを見た。
それでも――透の上にだけは、最後まで名前が表示されなかった。
【戦闘情報保存】
【佐川浩介――危険度再算定】
【原因不明損傷を記録】
その文字を最後に、亀裂は完全に閉じた。
突然、部屋が静かになる。
さっきまで鳴り響いていた破砕音も振動も消え、自分たちの荒い呼吸だけが残った。
透はしばらく天井を眺めていた。
「……なあ浩介」
「何」
「俺、本当に今やられたばっかなんだけど」
俺は堪えきれずに笑った。
「そうだった」
「復活してから休憩ゼロなんだけど」
「ごめん」
「人使い荒すぎだろ」
透も笑った。
それから片手を上げる。
俺も手を伸ばした。
パンッ、と軽く掌がぶつかる。
「でも」
透がゆっくり身体を起こした。
床に落ちていた剣を拾い、肩へ担ぐ。
「やっぱこれだな」
「何が?」
透が俺を見る。
「お前が攻略考えて」
そして、自分を指差す。
「俺がぶっ壊す」
その言葉に、昔の光景が蘇る。
何度もやった。
俺が相手を観察する。
弱点を探す。
どうすれば勝てるのかを考える。
そして透が、それを現実にする。
だけど今は、昔とは違う。
俺も強くなった。
透も強くなった。
そして――俺たちはもう、二人だけじゃない。
周囲には、ルカがいる。
しえるがいる。
神代がいる。
迅がいて、レンがいて、レオもいる。
俺は床から立ち上がった。
「次はもう少し丁寧に使うよ」
「信用できねえ」
「何で」
「今までの実績」
「……否定できない」
透が笑う。
その時だった。
部屋の奥から低い振動音が響いた。
ゴゴゴゴゴ……。
巨大な扉が、ゆっくりと開いていく。
その向こうに現れたのは、上へと続く白い階段だった。
階段の上へ、半透明の表示が浮かび上がる。
【25F】
透がそれを見る。
そして、久しぶりにあの顔をした。
新しいダンジョンを見つけた時。
未知の階層を前にした時。
これから何が待っているのかと、子供みたいに楽しそうに笑っていた、あの頃と同じ顔だった。
「行くか」
俺は頷く。
「行こう」
死んだはずの親友と、もう一度並ぶ。
今度は俺も、同じ場所を歩ける。
俺たちは仲間たちと共に、白い階段へ向かって歩き出した。




