第四十七話 Aランクの本気
二十一層へ足を踏み入れた瞬間、俺たちは揃って立ち止まった。
「ホワイトゲート」
その名の通り、ここまでの景色は徹底して白かった。白い洞窟、結晶、平原、光を反射する氷壁。多少の地形変化はあっても、「白い世界」という印象が崩れることはなかった。
けれど二十一層は違う。
巨大な聖堂のような空間だった。左右には十メートルを超える白い柱が並び、中央を幅二十メートルほどの石畳が真っ直ぐ奥へ伸びている。
壁際には頭を垂れるような姿勢で膝をつく石像。そして、その白い柱の根元からは——
「……増えてるっすね」
ルカが小さく呟いた。二十層の出口で見つけたものと同じ、墨汁を垂らしたような黒い線が、柱を這うように上方へ伸びていた。
「昨日より酷くなってない?」
「形状は似ていますが、同一かは分かりません」
神代が床近くの筋を観察する。腰のケースへ手を当てると、黒球が中でほんの僅かに震えていた。嫌な予感しかしない。
「行くぞ」
迅が俺たちの横を通り過ぎ、大剣の柄を軽く叩く。
「何か出たら斬る。十分だろ」
「そういうのを警戒って言わない」
レンが髪をかき上げながら俺の横へ来た。
「安心したまえ佐川君。危険を感じた瞬間、誰より早く知らせよう。逃げながらね」
「やっぱりかよ」
軽口を叩きつつも足取りは自然と慎重になる。石畳を百メートルほど進んだところで、先行していたルカが低姿勢で手を挙げた。
「三体。前、柱の裏」
ドン、と重い音が響き、四メートル近い巨大な狼——《フロスト・フェンリル》が姿を現した。
白い毛皮の隙間から青い結晶が鎧のように突き出し、額には一本角。そして中央の一番大きい個体の右半身には、黒い線が走っている。
「通常個体でもB級上位……あの中央個体は未登録です」
神代の端末を見た顔が引きつる。B級上位と、それ以上の変異体。
「撤退?」
「早ぇよ」
レンの言葉を迅が即座に蹴飛ばす。大剣を抜き、刃先で床を擦った。
「二十層じゃ肩慣らしにも足りなかった。ちょうどいい」
フェンリル三体が姿勢を低くし、同時に跳ねた。
「来る!」
「散れ!」
左右に別れて展開する俺たちに対し、中央の変異個体は一直線に迅へ突進した。
大剣と長角が真っ向から衝突し、硬質で重い金属音が空間に鳴り響く。迅の靴底が床を擦り、数メートル後退した。
「……重ぇな」
迅の顔から笑みが消える。
一方、左手に展開した俺とルカの前にも別個体が迫っていた。《身体強化》を発動し、青白い魔力を身体に巡らせる。
世界がわずかに遅くなり、鋭い噛みつきを横に回避して短剣を振り下ろした。
ガキン!
「硬っ!」
前に戦ったフロストリザードより遥かに硬い。二体が連携して襲いかかってくる。
「一人で相手すんな! 二人一組!」
神代の指示に従い、俺とルカで一体、神代としえるで一体を引きつける。だが中央の変異体と対峙する迅は孤立していた。
「迅! そっちはA級近いかもしれない、手伝う!」
「いらねぇ!」
フェンリルが頭を振り、迅の大剣を叩き落とすと、巨体で胸元へ頭突きを叩き込んだ。
ドォンと凄まじい衝撃音が響き、迅の体が十メートルほど吹き飛んで床を転がる。
「迅さん!」
「……っ、なるほどな」
口元の血を拭いながら立ち上がった迅は、大剣を拾うと首を鳴らした。
「こいつは……使わねぇと無理か」
「使う?」
迅が大剣を片手で持ち、左拳を強く握りしめる。
「《身体強化》」
ドン、と空気が爆発したような圧力が膨れ上がった。青白い魔力が一気に迅の身体を包み込む。
俺の放つそれとは量が違いすぎる。立っているだけで周囲の床にピシピシと亀裂が走った。
「……は? 身体強化使えたの!?」
「あ? 使う必要なかっただろ」
「二十層ボスで血出てたよ!?」
「倒せただろ」
「判断基準そこなの!?」
ルカの叫びを無視し、迅が一瞬で視界から消えた。
次の瞬間、巨体フェンリルの横に立ち、下から上へ大剣を振り抜いていた。
ズガァァァン!!
四メートルを超える巨体が宙へ浮き、石柱へ激突して派手に粉砕する。踏み込んだ一歩で床を凹ませた迅が、逃さず追撃の刃を振り下ろした。
バキン!!
俺の短剣を弾いた角が叩き折れ、そのまま肩口へ深々と食い込む。咆哮を上げる巨大狼を前に、ルカは動きを止めて絶句していた。
「……Aランク怖っ」
「同感」
「戦闘中に喋ってんじゃねぇ!」
迅の怒声に慌てて意識を目の前の戦闘に戻す。
「しえるさん、ルカ側へ火球! 佐川君、壁際まで誘導!」
神代の指示通り、背後を壁にして突進を誘導。直前でかわして壁に激突させ、しえるの火球で崩落させた天井の結晶で足場を奪う。
姿勢を崩した隙にルカが前脚の関節を撃ち抜き、俺が背中に飛び乗って耳の隙間へ短剣を深く突き刺した。
脳を破壊された個体が崩れ落ちる。神代としえるの連携でもう一体も仕留めた俺たちが振り返った時、迅の戦いも佳境を迎えていた。
黒い線を全身に走らせ、前脚を異常発達させた変異フェンリルが跳躍する。迅は膨れ上がらせた魔力をさらに大剣へ集中させた。
「足りねぇよ!!」
一閃。白い衝撃波が走り、変異体の巨体が真っ二つに裂かれて地面へ倒れ伏した。
静寂が戻る。血を払って身体強化を解除した迅に、俺は呆然と呟く。
「……強すぎない?」
「Aだからな」
「今まで普通に手抜いてたっす?」
「力加減してただけだ」
「それを手抜きって言うんすよ!」
後方から「素晴らしい戦いだった」とレンが優雅に戻ってきた。迅が大剣を持ち上げると、即座に三歩下がる。
「レン、お前も身体強化使えるのか?」
「もちろん」
「何で今まで使わなかったの!?」
「疲れるだろう? それに汗をかく」
「殺すぞ」
迅の殺気立った声にレンが身を縮める。呆れ果てつつも、俺は床を見つめた。
◇
二十二層は巨大な地下都市だった。
白い石で作られた建物が並び、広場や噴水まであるが、人の暮らした痕跡だけがない。
気味が悪いほどの静寂の中、壁や路地には血管のような黒い線が網の目のように張り巡らされていた。
「佐川君、黒球に変化は?」
「強く反応してる。けど、表示は出ない」
神代と会話しながら進んでいると、ふいにレンが立ち止まった。
「待て」
「何かいる?」
「分からない。だが、滅茶苦茶逃げたい」
「説明雑すぎんだろ」
だがレンの危険察知は馬鹿にできない。警戒を強めた瞬間、頭上からカサカサと不快な音が響いた。
屋根の上、窓、路地の奥から、次々と白い人型怪異——《ホワイトクロウラー》が姿を現す。全身に黒い線が走り、裂けた口から威嚇音を漏らしている。
「反応値がB級相当……全部!?」
「数を見ろ、三十以上いるぞ! 撤退だ!」
正面突破は不可能。レンの誘導で四百メートル先の分岐路を目指し、一斉に走り出した。
壁や屋根を四足歩行で追ってくる敵は速い。最後尾の迅が大剣で数体を薙ぎ払うが、多勢に無勢だ。
「分岐まであと少し! だが追いつかれる!」
「佐川君、しえる君を頼む」
レンが足を止めた。
「僕が引く」
「レン!?」
「逃げるのも攻略と言っただろう?」
レンが澄んだ目で笑う。その全身を青白い光が包み込んだ。
「《身体強化》」
さらに足元へ魔力を集中させる。
「《プリンス・ステップ》」
瞬間、音が消えた。
「……え?」
ルカが声を漏らした時には、レンはすでに群れの横にいた。短剣で浅く切りつけ、注意を引くと、次の瞬には屋根の上に移動している。視線すら追えない超絶的な機動力。
「速っ……! 《プリンス・ステップ》に身体強化重ねてやがる!」
「金髪の野郎、やりゃできんじゃねぇか!」
迅が笑う。レンは群れの半分を引き連れ、別の路地へと消えていった。
「分岐まで走るぞ!」
残った十五体を倒すため、俺たちは作戦を切り替えた。
「右の建物のバルコニーを落とす! しえる、支柱を吹き飛ばせ!」
迅が大剣で片方の支柱を折り、しえるの火球で反対側を爆破。崩落した巨大な石塊が道路を塞ぎ、追撃の群れを一時的に分断した。
狭い坂道へ雪崩れ込んできた残りの敵を、俺とルカ、神代と迅で挟み撃ちにして確実に撃破していく。身体強化の限界を迎える直前、なんとか目の前の敵を掃討し終えた。
「……レンは!?」
言いかけた瞬間、曲がり角から白いコートが全速力で飛び出してきた。
「道を開けろぉぉぉ!!」
「来た!」
「……って、後ろ! 全然撒けてないじゃん!」
二十体近いクロウラーを引き連れて戻ってきたレンに、全員でずっこける。
「無理だった! 予想以上にしつこい!」
「走れ!!」
結局全員で階層出口の門を目指して猛ダッシュするハメになった。
「身体強化使えるなら最初から言え!」
「疲れると言っただろう! 限界だ、足が……!」
門の直前でレンの身体強化が切れ、もつれるように倒れかけた。追いすがるクロウラーの手が伸びる。
「レン!」
「飛べぇ!」
後ろから追いついた迅がレンの襟首を掴み、豪快に門の向こうへ放り投げた。俺たちも雪崩れ込み、重厚な扉がガシャンと閉まる。
床に倒れ込み、激しく息を荒げる俺たち。髪をボロボロにしたレンが仰向けでつぶやいた。
「……僕の髪が」
「そこ!?」
ルカが吹き出し、迅が呆れたように鼻を鳴らす。
「逃走速度だけなら、S上位あるな」
「……今、褒めたかい?」
「事実を言っただけだ」
息を整えながら見上げた23層の景色。そこは全体の半分以上が黒い筋に侵食され、まるで白い街が内側から喰われているような、異常な光景が広がっていた。
◇
第23層へ入って一時間。魔物の気配は一切なく、街全体を覆う黒い脈動だけが異彩を放っていた。
「足跡……レオか?」
床に残された白い靴跡を追い、街の中央広場へ辿り着いた俺たちは足を止めた。
噴水の中央には黒い根のような塊が絡みつき、そこから街全体へ黒い筋が伸びている。そしてその前に、黒い線に半ば侵食された白い騎士——《白銀のパラディン》が佇んでいた。
神代の端末がエラーを起こしながら数値を叩き出す。
「……推定危険度、A」
場が凍りつく。
「帰ろう」
「早ぇ。俺もAだ」
「一人でいけるか?」
「分からん」
迅のその一言で、相手の異常な強さが伝わってきた。レオの足跡は騎士の真横を通過している。戦わずに通り抜けたのか、それとも——。
騎士の兜の空洞に赤い光が灯り、二刀の長剣が掲げられた。
消えた、と思った瞬間には迅の目の前に現れていた。
ガァァァン!!
重厚な打撃音が響く。二刀流の猛攻に、迅は即座に《身体強化》を全開にして大剣で受け止めるが、刃が頬をかすめて血が飛ぶ。
「速ぇ! 全員で入るぞ!」
俺とルカが左右から飛び込み、しえるが後方から支援魔法を放つ。だが騎士の鎧は極めて硬く、短剣の刺突を容易く弾いた。さらに右半身の黒い線が怪しく光ると、騎士の速度が跳ね上がる。
「ぐっ……!」
迅が胸を斬られ、俺も短剣で受けた衝撃で吹き飛ばされた。一撃重く、速い。これが本物のA級の脅威。
「黒い線だ!」
倒れ込みながら叫ぶ。
「黒い線が敵を強化してる! 背中の細い線が、噴水の根と繋がってるぞ!」
「あそこを切れば弱体化する可能性がある!」
方針が決まった。
「レン! 根まで行けるか!?」
「僕の速度なら簡単だ!」
レンが《身体強化》と《プリンス・ステップ》を同時発動。残像すら残さぬ超スピードで騎士の牽制をかいくぐり、噴水へ到達した。
「腕にも魔力を回せ!」
「汗をかくだろうが!」
「今言うな!」
レンが悲鳴を上げながらも両手で短剣を握り込み、青白い魔力を腕に集中させて黒い根を激しく斬りつけた。
騎士が焦ったようにレンへ向き直るが、迅が全身の魔力を滾らせて割り込む。
「よそ見すんなぁ! おらぁぁぁっ!!」
大剣の全力の一撃が騎士を押し込み、時間を稼ぐ。
ブチン、と不快な音が響き、レンが黒い根を叩き切った。
瞬間、騎士の全身の光が消え、動きが著しく鈍化する。
「今だ!」
全員で一斉に畳み掛けた。ルカが脚を挫き、神代と俺が関節の隙間を裂く。しえるの火球が体勢を崩したところへ、迅の大剣が叩き込まれた。
ドガァァァン!!
胸甲が砕け、露出した青い核を迅の返し刃が完璧に粉砕する。ガシャァンと音を立てて騎士が崩れ去り、広場に静寂が戻った。
「……勝った……」
ルカが膝をつく。本来、23層で出るはずのないA級モンスター。黒い根の根本には、レオのものと思われる黒い短剣が突き刺さっていた。
そしてその時、俺の腰の黒球がかつてないほど激しく振動した。
視界に青いウィンドウが浮かび上がる。
【封鎖領域——接続可能】
「……なんだよこれ。」
24Fへと続く白い階段の先、遠くの暗がりで赤い光が一度だけ点滅した。
ホワイトゲート三十層まで、残り七階層。ここから先は、もう普通のダンジョンではない。明確な異変と危険の予感が、俺たちの背筋を凍らせていた。




