↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
47/54

第四十六話 風の使い手



黒崎レオが白い霧の向こうへ消えてから、しばらく誰も口を開かなかった。


空洞の中央には、久我冬真が横たわっている。


異形と化していた巨体はすでに人間の姿へと戻り、背中を覆っていた黒い翼も、床に散った灰を残すだけになっていた。


俺はその亡骸を見下ろす。


最後に漏らした「助けて」という声が、まだ耳の奥に残っている。


そして、その声ごと断ち切った黒崎レオの姿も。


許せるわけじゃない。


それでも――あいつが何も知らずに人を殺しているわけではないことだけは、もう否定できなかった。


「浩介君……」


しえるの声に顔を上げた、その時だった。


カタカタカタ……。


腰に下げたケースが微かに震える。


「……黒球?」


慌てて蓋を開く。

黒球そのものに変化はない。

だが、視界の端に青白い文字が浮かび上がった。


【外部観測因子――活動停止】


【観測端末化――失敗】


【接続経路――遮断】


「……観測端末?」


神代が眼鏡の奥で目を細める。

俺は最後の一文を見つめた。


接続経路――遮断。


脳裏に、レオが残した言葉が蘇る。

――これで、入口にはならない。


「もし……」


しえるが不安そうに冬真を見る。


「冬真さんの変異が完全に終わっていたら……ここが何かの『入口』になっていたんでしょうか」


誰も答えられなかった。

だが、否定することもできない。

グリーンゲートで遭遇した規格外の存在。


黒球。


異常な一致率。

観測因子。

観測端末。


そして――防衛機構。


今まで意味の分からなかった言葉が、少しずつ同じ場所へ集まり始めている。


ただ、その先に何があるのかはまだ見えない。


「……一度戻るぞ」


迅が大剣を肩へ担いだ。


「ここで考えてても答えは出ねぇ」


神代も頷く。


「そうですね。ギルドへ報告しましょう」


俺は最後にもう一度、冬真を見る。

そして、レオが消えた霧の奥へ視線を向けた。


次に会った時こそ。

絶対に全部聞き出す。

俺たちはホワイトゲートを後にした。


◇


ギルドへ帰還した頃には、街はすっかり夜の闇に包まれていた。


ホワイトゲートの無機質な白い光に晒され続けたせいか、ギルドの暖かな照明も、食堂から漂ってくる肉の匂いも、行き交う冒険者たちの喧騒さえ妙に懐かしく感じる。


「佐川君」


受付前で俺たちを待っていたのは玲だった。

白雪さん、豪、一堂さんまで揃っている。


「報告を聞いた」


玲が静かに切り出す。


その表情に、いつもの余裕はなかった。


「黒崎レオと遭遇したそうだな」


「……はい」


「交戦は?」


「俺だけです」


「結果は?」


横からルカが口を挟む。


「一発っす」


「言うな!」


迅まで鼻で笑う。


「腹に指二本当てられて吹っ飛ばされてたな」


「お前も言うな!」


豪が腹を抱えて笑った。


「ガッハッハ! 生きて帰ってきたなら上等じゃねぇか!」


「笑い事じゃないですよ……」


少しだけ張り詰めていた空気が緩む。


その後、俺たちはホワイトゲートで起きたことを説明した。


久我冬真の変異。

観測端末。

接続経路。

黒崎レオ。


そして――。


「『防衛機構』」


その言葉を口にした瞬間だった。


玲の表情から、明確に余裕が消えた。


「……佐川君」


声が低くなる。


「その言葉は、当面ここにいる人間以外には伏せてくれ」


「やっぱり、知ってるんですね」


「知っている、とは言えない」


玲はゆっくり息を吐いた。


「聞いたことがあるだけだ」


「どこで?」


「そうか君にはまだーー」


玲の視線がわずかに遠くなる。


「世界が変わり、魔王が現れる――あの妙な夢だ」


俺は息を呑んだ。


「玲さんも……?」


「ああ。一度だけ、その言葉が出てきた」


玲は腕を組む。


「ただし、決していい意味ではなかった」


また一つ。


点が増えた。


玲の夢。

黒球。

レオ。

防衛機構。


どこかで全部が繋がっている。


「ホワイトゲート攻略は一度中断するか?」


玲の問いに、俺は少しだけ考えた。

怖くないと言えば嘘になる。


冬真の変異を見た。

レオとの差も思い知らされた。

それでも。


「……進みたいです」


顔を上げる。


「レオは二回とも、俺たちより先に異変を察知していた」


俺は拳を握った。


「だから追いつきたい」


迅が鼻を鳴らす。


「今のままじゃ届かねぇけどな」


「分かってるよ」


「なら強くなりゃいい」


大剣の柄を軽く叩く。


「三十層までに届くようにな」


俺は迅を見る。


「……付き合ってくれるの?」


「十九層に戻るついでだ」


素っ気なく顔を背ける迅。

その横でルカがニヤニヤしている。


「迅さん、優しいっすねぇ」


「赤チビ、埋めるぞ」


「怖っ」


「僕も行こう」


レンが優雅に髪をかき上げた。


「危険からは逃げるが、仲間からは逃げないよ」


少し間を置く。


「……何より、僕がいなければ君たちは撤退の判断が遅すぎる」


「一言多いんだよ!」


迅が怒鳴る。

けれど、今度は誰も止めなかった。

ホワイトゲート攻略続行。


目標は第三十層。

まだ半分。

先は長い。


◇


翌日。


第十六層へ足を踏み入れた瞬間、狂暴な横風が全身を叩いた。


「うおっ……!?」


思わず腕で顔を覆う。


これまで続いていた洞窟は終わりを告げていた。


目の前に広がっているのは、白い断崖絶壁に挟まれた巨大な峡谷。


崖下は濃い霧に覆われ、底は見えない。

その奥では時折、青白い電光が走っている。


俺たちが立っているのは、断崖の側面を削り取ったような岩棚だけ。


幅は狭いところで二メートル。

広い場所でも五メートルほどしかない。


一歩踏み外せば、まず助からない。


「……これ、敵出たら最悪っすね」


ルカが崖下を覗き込み、すぐに顔を引っ込める。


「言うなよ」


前衛にルカと神代。

中央にしえると俺、迅。

最後尾にレン。


突風に身体を煽られながら、慎重に断崖沿いを進んでいく。


十分ほど進んだところだった。

最後尾のレンが、突然足を止める。


「待て」


全員が振り返る。


レンは三十メートルほど離れた峡谷の対岸を見つめていた。


「……いる」


「どこ?」


目を凝らす。


白い岩壁。


何も見えない。


その瞬間、峡谷を突風が吹き抜けた。

岩肌の一部が――ぬるりと動いた。


「擬態……!?」


次々と輪郭が浮き上がる。


白い四足の魔物。

鹿と豹を掛け合わせたようなしなやかな体。

頭部から左右へ伸びた、透明な巨大な角。


神代が叫ぶ。


「ミラージュホーン! 壁面擬態型です!」


その数――十体

だが、対岸との距離は三十メートル近くある。


すぐには来られない。

そう思った直後だった。

一体が跳んだ。


「は!?」


峡谷へ飛び出した身体が、猛烈な横風に乗る。


落ちるどころか、白い身体は大きな放物線を描き、俺たちの頭上を飛び越えた。


「後ろ!」


着地と同時。

迅の大剣が唸る。


ガァン!!


硬質な衝突音。

火花が散る。


迅の斬撃を、ミラージュホーンは透明な角で真正面から受け止めていた。


「硬ぇ!」


さらに二体目。

三体目。

次々と風に乗ってこちら側へ飛び込んでくる。


狭い岩棚の上で、一瞬にして乱戦になった。


「場所が悪すぎるっす!」


ルカが突進を避ける。

だが、その瞬間に横風が吹いた。


「っ!」


身体が崖の外へ流される。


「ルカ!」


俺は咄嗟に腕を掴み、力任せに引き戻した。

その頭上を角が薙ぐ。


キィン!


神代の剣が滑り込み、軌道を逸らした。


「佐川君、下がって!」


「分かった!」


身体強化。

一気に踏み込み、魔物の側腹部へ短剣を突き立てる。


カンッ!


「硬っ……!」


弾かれた。

角だけじゃない。

皮膚そのものが異常に硬い。


迅の大剣が地面ごと魔物を叩きつける。

衝撃で足元に亀裂が走った。


「迅! 足場壊れる!」


「知るか!」


「知れよ!」


さらに対岸から敵が飛んでくる。

このままではまずい。


狭い

逃げ場がない。

足場まで壊れれば全滅する。


「しえる! ストーンウォールで崖側を広げられる!?」


「やってみます!」


しえるが両手を地面へ向ける。


「《ストーンウォール》!」


岩壁がせり出し、崖側へ一メートルほどの足場が形成された。


多少は動ける。

だが、それでも敵は多い。


その中で。

レンだけが戦場ではなく、峡谷そのものを見ていた。


「……なるほど」


「何か分かったのか!?」


レンが口元を吊り上げる。


「こいつら、跳ぶ前に風を見ている」


「風?」


「突風が強くなる瞬間だけ跳んでいるんだ」


対岸を見る。

確かに。

魔物たちは飛び出す直前、わずかに身体を沈ませ、風を待っている。


「つまり、飛んでいるんじゃない」


レンが言う。


「風に乗っている」


そして。


「なら――使える」


レンは突然、崖際へ走った。

嫌な予感がした。


「おい、レン?」


「僕が向こうへ行く」


「はぁ!?」


迅が叫ぶ。


「死ぬぞ!」


「失礼だね」


レンは走りながら髪をかき上げる。


「逃げることに関して、僕を誰だと思っている?」


《プリンス・ステップ》


加速。

そして。

レンは断崖から飛び出した。


「レン!?」


二十メートル以上の空間。

普通ならそのまま落ちる。


だが。

一瞬遅れて、猛烈な横風が吹いた。


バサァッ!


レンの白いコートが大きく膨らむ。


「うおおおおおお!?」


風を受けた身体が、予想以上に遠くへ流されていく。


対岸。

レンの指が岩棚へかかった。


「ぐおっ……!」


必死にしがみつく。

脚をばたつかせながら、泥臭く身体を引き上げた。


「……マジか」


俺は呆然と呟いた。

ルカも引きつった顔で笑う。


「逃げ足の使い方じゃないっすね……」


対岸へ到着したレンは、ゆっくり立ち上がった。

胸を張る。


「フッ」


その直後。


背後にいた三体のミラージュホーンが、一斉にレンを見た。

レンも振り返る。


数秒。


「佐川君!」


「何だよ!」


「作戦に重大な問題があった!」


嫌な予感しかしない。


「何だよ!」


レンの顔が青ざめる。


「僕、今一人だ!」


「今気づいたのかよ!?」


「やはり撤退だぁぁぁ!」


レンが走り出した。

三体のミラージュホーンが猛追する。


「何しに行ったんすか!?」


ルカが叫ぶ。


だが。


「……いや」


神代が気づく。


「成功してる」


対岸を見る。

三体がレンを追っている。


つまり。


「追加が来ない!」


こちら側へ渡ってきた七体。

対岸に残った三体。

完全に分断された。


「今だ!」


神代が叫ぶ。


「一体ずつ崖側へ寄せる!」


迅が大剣の腹でミラージュホーンを叩く。


体勢が崩れる。

ルカが脚を斬りつけ、さらにバランスを奪う。


「浩介!」


「分かってる!」


俺と神代で身体を押し込む。

魔物が崖下へ消えた。


一体。


二体。


だが、残った個体は学習した。

崖際へ近づかない。


「頭いいっすね!」


「なら角だ!」


しえるの火球が透明な角へ直撃する。

赤熱。


そこへ峡谷の冷たい風。


ピシッ。

温度差で、透明な角に亀裂が走った。


「ルカ!」


「はいっす!」


同時に踏み込む。

短剣を叩き込む。


バキィン!


角が砕け散った。

武器を失った魔物が怯む。


その瞬間。


「退け!」


迅の大剣が振り下ろされた。


ドゴォン!!


地面を揺らす一撃。


ミラージュホーンが沈黙する。

そこからは早かった。


七体。


全て撃破。


「終わりっす……!」


ルカが肩で息をする。

俺も短剣を下ろした。


「レンは?」


対岸を見る。


遥か先。

白いコートが物凄い速度で走っている。


「逃げてる」


「めちゃくちゃ逃げてるっすね」


三体のミラージュホーンを引き連れながら、レンは上層の岩棚へ駆け上がっていく。


やがて大きく迂回すると、足を止めた。


風を待つ。


そして――跳んだ。


「またやるのかよ!?」


猛烈な突風。

白いコートが膨らむ。

レンの身体が峡谷を越える。


「うおおおおお!」


着地。


ゴロゴロゴロゴロ!


「ぐあぁぁぁ!」


派手に地面を転がった。

しばらくして。

泥まみれになったレンがゆっくり立ち上がる。


乱れた髪を整え、胸を張った。


「フッ……計算通りだ」


迅が鼻で笑う。


「嘘つけ。最後派手に転がってたろ」


「着地も計算のうちだよ」


「絶対嘘っす」


しえるが小さく笑う。


「でも、すごく助かりました」


レンの動きが止まる。


「……そうだろう?」


少しだけ嬉しそうに鼻を鳴らす。


「僕がいなければ危なかった」


俺も頷いた。


「うん。今日は普通に格好よかったよ」


「今日“は”とは何だい!?」


笑い声が峡谷に響く。


だが。


「おい」


迅の声だけが低かった。


「……見ろ」


全員が対岸を見る。


さっきまでレンを追い回していた三体のミラージュホーン。


その三体が――倒れていた。


「……え?」


距離はある。


それでも分かる。


一体は首。

一体は胸。

一体は頭部。


全てが、正確な一撃だけで絶命している。

俺たちは誰も攻撃していない。


レンも逃げ回っていただけだ。

あいつがどこかで見ている。

俺たちは、そう確信した。


◇◇


第十九層へ到着したのは、それから二日後だった。


十六層の峡谷を越えたあとも、クリスタルモスの氷針が降り注ぐ十七層、分裂するホワイトスライムが立ちはだかる十八層。


一筋縄ではいかなかった。何度も補給と休息を挟みながら、ようやく辿り着いた十九層の巨大な円形ホール。


その先には【20F】と刻まれた巨大な門がそびえていた。


「登録名は《ホワイト・パラディン》。人型で長剣と盾を装備しています」


神代が端末を確認し、言葉を続ける。


「特徴は……挑戦者の中で、最も強い人間を優先して狙うこと」


全員の視線が一斉に迅へ集まった。


「囮決定っすね」「タンク」「俺はタンクじゃねぇ!」


軽口を叩き合いながら門を開けると、直径百メートルの闘技場の中央に白銀の鎧を纏った騎士が立っていた。俺たちが入ると騎士の兜が上がり、赤い文字が浮かぶ。


【TARGET LOCK】


「本当に迅だ」「来いよ」


迅が大剣を抜いた瞬間、パラディンが消えた。


ガァァン!!


迅が大剣で受けるが、衝撃で床に亀裂が走る。長剣の連続攻撃を迅が捌くが、敵は迅の動きに合わせて攻撃パターンを変える学習型だ。


さらに全周囲を把握しており、俺やルカが横から攻めても脚蹴りや柄攻撃で完璧に撃退してくる。


しえるの火球に乗じた迅の一撃で鎧が凹むと、騎士は盾を捨てて長剣を両手持ちに切り替えた。速度が上がり、迅の防具を切り裂いていく。


ターゲットを移そうと俺が前に出るが、ロックオンは解けない。入場時の最強者を撃破するまでターゲットは固定される仕様らしい。


「なら、背中を狙う! 三秒作る!」


迅が大剣で真正面から押し合う間、さっき作った鎧の亀裂へ俺とルカが左右から短剣を突き立てた。


ガリッ!


鎧が開き、内部で青白い核が光る。だが核は攻撃動作に合わせて体内を高速移動していた。


「魔力を使う場所に移動してる! 右肩だ!」


騎士が右腕を振り上げた瞬間、迅が大剣をフルスイングした。


ドガァァン!!


右肩ごと吹き飛び、露出した青い核が宙に浮く。逃げる核を追うが、胸の中へと戻ろうとする。


「届かない――!」


その時、白い影が疾走した。


《プリンス・ステップ》!


「僕を忘れていないかい? 速さなら、僕の方が上だ!」


レンの短剣が閃き、核を砕いた。パラディンは動きを止め、膝をついて崩れ落ちる。


短剣を収めたレンに、迅がぽつりと呟いた。


「……悪くなかった」


「もう一度言ってくれ!」「二度と言わねぇ!」


軽口のあと、迅が俺を振り返る。


「佐川。てめぇも、まだ遅ぇ。黒い奴は、さっきの騎士より速ぇぞ」


レオに指二本で吹き飛ばされた感触を思い出し、俺は拳を握りしめた。


「分かってる」


「じゃあ」迅は大剣を肩に担ぎ、二十一層へ続く扉を開けた。「届かねぇなら、届くまで強くなれ」


開いた扉の先。今まで真っ白だった壁の奥に、黒い血管のような線が走り始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。