第四十二話 逃げる才能
新キャラ
九条レン 鬼塚迅
既存メンバー
神代朔 火野 ルカ
佐川浩介 森川しえる
第十四層へ入ってから、およそ一時間が経っていた。
俺たちは、白い結晶に挟まれた細い通路をゆっくりと進んでいる。
さっきまでの階層とは違い、ここはとにかく狭い。
左右の壁は、人が三人並べば肩がぶつかるほどしか離れておらず、ところどころでは結晶が槍のように突き出している。天井も低く、鬼塚迅が背負う大剣は、少し油断すれば上の氷柱へぶつかりそうだった。
そのくせ道は一本道ではない。
数十メートル進むたびに二つ、三つと分岐し、どの道も同じ白い光に照らされている。
「……さっきもここ通らなかったっすか?」
ルカが壁際の結晶を指差した。
「いや」
俺は足を止める。
似ている。
確かに、さっき見た景色にそっくりだ。
けれど。
「この柱、先端が三つに割れてる。さっきのは二つだった」
「よく見てるっすね」
「間違えると戻るからな」
「僕なら間違えないけどね」
後ろから、やけに自信満々な声が飛んでくる。
九条レンだ。
相変わらず白いコートの襟を整え、ダンジョンの中だというのに髪型まで崩れていない。
「じゃあ道分かる?」
俺が聞く。
「もちろん」
レンは迷いなく右を指差した。
「こちらだよ」
神代が端末を見る。
「左です」
「…………」
「右へ行くと、先ほどの分岐へ戻ります」
レンは自然な動作で髪をかき上げた。
「君たちがどれほど僕に依存しているのかを試しただけだよ」
ルカが俺を見る。
「今の絶対間違えたっすよね」
「ああ」
「聞こえているよ!」
少し離れた場所で、迅が舌打ちした。
「くだらねぇこと言ってねぇで進め」
「君はもう少し会話を楽しむべきだと思うよ」
「てめぇと喋るくらいなら壁と喋る」
「なんて寂しい人生なんだ」
「お前そのうち壁に埋めるぞ」
「ほら、物騒だ!」
この二人。
出会ってまだ一日も経っていないはずなのに、もう昔から喧喧嘩しているみたいだ。
ただ。
軽口を叩きながらも、全員の足は止まっていない。
久我冬真。
あいつがどこへ逃げたのか。
転移石で完全に離脱した可能性もある。
けれど、レンによれば、ホワイトゲート内部で使用できる簡易転移石は同じ階層か、近接する階層へ飛ぶ程度のものらしい。
なら。
まだ近くにいる。
そして何より。
冬真が仲間を置き去りにした。
捕らえた二人から得られた情報では、あいつは以前から弱い冒険者を利用していた。
自分たちだけでは突破が難しい魔物がいる。
そんな時。
適当なパーティへ近づく。
一緒に戦おうと誘う。
そして。
《スケープゴート》を使う。
魔物の標的を押しつけ、自分だけ先へ進む。
死者が出ても。
「ダンジョンだから仕方ない」
そう言っていたらしい。
「……胸糞悪いな」
思わず呟く。
前を歩いていた迅が、こちらを見ずに答えた。
「人間なんてそんなもんだ」
「迅は平気なの?」
「何が」
「人が人を利用して殺すの」
そこで、迅の足が止まった。
ゆっくりと振り返る。
「平気に見えんのか?」
その目が、鋭く俺を射抜く。
いつもの口の悪さとは違う。
本気で不愉快そうだった。
「弱ぇ奴が死ぬのは珍しくねぇ。俺だって全部助けられるわけじゃねぇ」
迅は大剣の柄へ手をかける。
「だが、自分じゃ勝てねぇからって、他人を前に放り込む奴は嫌いだ」
「……」
「弱ぇなら鍛えろ。それでも足りねぇなら仲間と頭使え。それすらせず、他人の命で距離稼いで強者ヅラしてる奴が一番ダセぇ」
一瞬。
俺自身へ言われているような気がした。
死なないから。
自分を使う。
それも、似たようなものなのかもしれない。
他人ではなく、自分を囮にしているだけだ。
「何だ、その顔」
迅が眉を寄せた。
「いや」
「また変なこと考えてんだろ」
「考えてない」
「嘘つけ」
横から神代が口を挟む。
「恐らく、自分自身を囮として使う行為について考えています」
「神代?」
「図星ですか?」
「……ちょっとだけ」
迅が盛大にため息を吐いた。
「てめぇ本当にめんどくせぇな」
「何でだよ」
「自分なら使っていいと思ってる奴が一番厄介なんだよ」
それだけ吐き捨てると、迅は再び前を向いて歩き出す。
「死なねぇことに甘えんな」
その背中を、俺はしばらく見つめていた。
相変わらず言い方は荒い。
だけど、言っていることは多分、正しいのだと思う。
その時。
先頭を歩いていたルカが、急に右手を高く上げた。
「止まって」
声のトーンが一変する。
全員が即座に口を閉じ、警戒を強めた。
ルカは腰を低く落とし、少し先の曲がり角を見つめている。
「いるっす」
「人数は?」
神代が短く尋ねる。
「人じゃないっす」
ルカが鼻を僅かに動かした。
「匂いがする」
俺も集中して空気を探る。
確かに、冷たい空気の中に混じる嫌な獣臭。
それと、腐肉のような饐えた匂い。
迅が大剣を静かに抜き放つ。
レンは、すっと一歩後ろへ下がった。
「おい」
俺が横目で見やる。
「何だい?」
「もう逃げる準備?」
「違う。後衛として最適な位置へ移動しただけだ」
「お前、武器なんだっけ?」
「短剣だよ」
「前衛じゃん」
「細かい分類に意味はない」
相変わらず逃げる気満々だ。
ただ、次の瞬間。
レンの顔からふざけた笑みが消えた。
「待て」
低く鋭い声。
珍しく緊張を孕んだその声に、俺たちは思わず彼を見た。
レンが見つめていたのは曲がり角ではなく、天井だった。
「上だ」
全員、反射的に見上げる。
しかし、そこには何もいない。
白い結晶の天井と、そこから伸びる長い氷柱があるだけだ。
「何も――」
しえるがそう言いかけた瞬間、レンが彼女の腕を力強く掴んだ。
「伏せろ!」
全員がほとんど反射運動で身を沈める。
直後。
バキバキバキバキッ!!
凄まじい音を立てて、天井が崩落した。
落ちてきたのは氷柱ではない。
白い異形の群れだった。
十体以上の影が、頭上から一気に降り注いでくる。
「上に潜んでいたのか!?」
着地した魔物は、不気味な人型をしていた。
だが、腕が異様に長く伸び、白い身体の先にある指には黒く尖った爪が生えている。
顔には目がなく、代わりに口だけが横へ大きく裂けていた。
「ホワイトクロウラー!」
神代が叫ぶ。
「十四層の群体型です!」
一体、二体、五体、十体……。
さらに後ろの曲がり角、さっきルカが察知した獣臭のする方角からも、三体、四体と追加の影が押し寄せてくる。
「挟まれた!」
しえるが慌てて杖を構える。
狭い通路という劣悪な環境で、前後から合計十五体以上。
迅が獰猛に笑った。
「やっとまともに出やがったな」
「嬉しそうにするな!」
俺は速やかに身体強化を発動させる。
襲いかかってきた最初の一体に対し、壁を蹴って間合いを詰めた。
横から迫る爪を危うくかわし、反撃の短剣をその腹へ突き刺す。
感触が浅い。
「柔らかい!」
グリーンやホワイトの階層で出会ったこれまでの敵と比べると、防御力自体は低い。
けれど、圧倒的に数が多すぎる。
「ルカ、前をお願いします!」
神代が即座に指示を飛ばす。
「後ろは迅さん!」
「指図すんな」
悪態をつきながらも、迅は大剣を背後に向けて身構える。
「しえるさんは中央で援護! 佐川君はルカ側を――」
「神代!」
俺は前方に視線を固定したまま叫んだ。
魔物たちが狭い通路へ殺到している。
横に避ける余裕などない。
「これ、まともに戦うより詰まらせた方が早い!」
「……!」
神代は即座に俺の意図を理解した。
「ルカ! 引いてください!」
「え?」
「十メートル後退です!」
ルカが身を翻して下がる。
俺もそれに合わせて退いた。
魔物たちは一斉に俺たちを追って踏み込んでくる。
細い身体で足は速いが、この通路の幅ではせいぜい横に三体並ぶのが限度だ。
後ろの群れが前の背中を押し、勢い余って雪崩れ込んでくる。
「しえる!」
俺が叫ぶ。
「ストーンウォールを低く出せ!」
「低く!?」
「膝の高さだ!」
しえるが理解し、素早く地面へ杖を突いた。
「ストーンウォール!」
ゴゴゴゴッ!
本来なら大人の背丈ほどある岩壁が、今回はわずか高さ五十センチの隆起として出現する。
猛スピードで突進してきた先頭の魔物が、足を取られてつんのめった。
「ギィッ!?」
派手に転倒した先頭に、後ろから追突する二体目、三体目。
勢いを殺しきれず、魔物たちは一気に一塊の団子状態へと陥った。
「迅!」
「分かってる!」
後ろで迅の大剣が一閃した。
ドゴォォン!!
三体の魔物がまとめて壁へと叩きつけられ、吹き飛ぶ。
「浩介さん!」
ルカが押し合って身動きの取れない前方の敵を指差した。
「今っす!」
俺は一気に踏み込もうとする。
だが、背後から迅の大声が飛んできた。
「待て馬鹿!」
思わず足を止める。
迅が後ろから駆け抜けてきた。
「退け!」
「え?」
迅は大剣を両手で上段に構える。
狭い通路では振るうスペースがない。
だからこそ、彼は大剣を槍のように真っ直ぐ突き出した。
積み上がった魔物たちの中心に向かって。
「うらぁッ!!」
ドォン!!
剣というより巨大な鉄塊の打撃が炸裂する。
魔物の群れがまとめて前方へと押し飛ばされた。
ルカが引きつった声で叫ぶ。
「無茶苦茶っす!」
「道は空いただろ!」
確かに、強引極まりない一撃によって、一瞬だけ前方の道が開けた。
そして、レンはその一瞬を見逃さなかった。
「佐川君」
「何?」
「ここは僕の出番だ」
「は?」
レンがふっと口元を緩める。
「君たちは」
短剣を滑らかに抜き放ち、彼は言葉を続けた。
「逃げることを軽視しすぎている」
《プリンス・ステップ》。
次の瞬間、レンの姿が消失した。
本当に、空間から消え去ったように見えた。
次に彼が現れたのは、なんと押し寄せる魔物たちの向こう側だった。
「え?」
思わず声が出る。
「通れたの!?」
「僕にとって、この程度の隙間は大通りだよ」
後ろを取られた魔物たちが一斉に振り返る。
レンはパンパンと手を叩いて見せた。
「こちらだよ!」
彼が走り出すと、魔物の群れの半分が脱兎のごとくそれを追いかけ始めた。
「おい!」
俺は思わず叫ぶ。
「何してんの!?」
「分断だ!」
レンの声が遠ざかっていく。
神代が一瞬だけ驚愕に目を見開いたが、すぐに状況を把握した。
「有効です!」
前方は七体、後ろは五体。
レンが三体以上の敵を引き連れて引き離してくれたのだ。
「一気に減らします!」
そこからの戦況は一変した。
数が減ってしまえば、もはや恐れるような相手ではない。
ルカが俊敏に一体の喉元を短剣で穿ち、俺が二体目の脚を払って体勢を崩す。
すかさず神代が首を跳ね、迅が残りをまとめて叩き潰した。
しえるが放った火球が着弾し、魔物たちの逃げ道を塞ぐ。
数分後。
最後の一体が荒い息を吐きながら地面へと倒れ伏した。
「……レンは?」
ルカが耳を澄ませるが、遠くから足音は聞こえてこない。
「まさか……」
しえるが心配そうに身を乗り出す。
迅は鼻を鳴らした。
「死なねぇだろ、あの手の奴は」
その時、背後から軽快な声が響いた。
「まったく」
全員が振り返ると、そこにレンが立っていた。
髪は少し乱れ、コートの裾も破れていたが、どこにも傷は負っていない。
「僕を置いて全部倒してしまうなんて、酷いじゃないか」
「三体はどうしたんだよ?」
俺が尋ねると、レンは涼しい顔で答えた。
「撒いたよ」
「どうやって」
「道を七回曲がり、一度天井へ登ってから、別の通路へ誘導したんだ」
ルカが目を丸くしてパチパチと瞬きをする。
「それ……普通にすごくないっすか?」
レンは乱れた髪を誇らしげにかき上げた。
「ようやく僕の真価に気づいたようだね」
迅が吐き捨てる。
「戦わねぇけどな」
「適材適所という言葉を知りたまえ!」
俺も思わず苦笑した。
確かに、これまではただ逃げるだけだと思っていた。
けれど、逃げること、誘導すること、そして生き残ること。
それをここまで突き詰めれば、立派な武器になる。
「レン」
「何だい?」
「ありがとう」
「…………」
レンは一瞬言葉を詰まらせ、動作を止めた。
「……当然だよ」
そして、どこか照れくさそうに、けれど嬉しそうに微笑んだ。
「この僕がいるんだからね」
その瞬間、神代の視線が床の死体へと注がれた。
「……これ」
倒れた魔物の首元に、異様な変化が現れていた。
黒く細い線が、皮膚の下を這うように浮かび上がっている。
血管かと思ったが、違う。
まるで糸のような何かが、生き物のように蠢いていた。
「何だこれ」
俺がしゃがみ込もうとすると、迅が険しい顔で引き留めた。
「触るな」
「知ってるのか?」
「知らねぇ」
だが、迅の様子は明らかに尋常ではない警戒を示している。
黒い線は魔物の首から胸の中心へと伸び、そしてピクリと微かに動いた。
ゾワッと鳥肌が立ち、しえるが後退する。
「生きてる……の?」
黒い糸が魔物の体を突き破り、床へと伸びようとしたその時。
シュッ!
空を切る鋭い音が響き、どこからか黒い刃が飛来した。
刃は正確に黒い糸を叩き切り、床へと突き刺さる。
全員が一斉に振り向いたが、通路の奥には誰もいない。
ただ、壁には一本の黒い短刀が刺さっていた。
そしてその足元には、一枚の黒い羽が静かに落ちていた。
迅が低い声で呟く。
「……近ぇな」
俺は通路の奥の暗がりを見つめた。
あいつがいる。
間違いなく、暗闇の中から俺たちを見つめているのだ。




