↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
40/54

第三十八話  託された理由



目を覚ました瞬間、俺は息を吸ったこと自体を深く後悔した。


「……っ!」


浅く空気を吸い込むだけで、胸の奥を激しい激痛が突っ走る。


眠りから覚めた身体が無意識に求めた吸気が、折れた肋骨の隙間へ容赦なく杭を打ち込んでくるようだった。 


息を止め、脂汗を浮かべながら、掠れるような呼気を少しずつ吐き出す。


視界に広がるのは、天宮ギルド併設医務室の無機質な白い天井だ。


薄いカーテン越しに朝差しが差し込んでいるが、ツンと鼻を突く消毒液の匂い。


そして、廊下から聞こえる金属器具の触れ合う冷ややかな音が、ここが病院以上の異質さを備えた場所だと告げていた。


掛け布団をめくると、胸、腹、右肩、左腕に至るまで、びっしりと白い包帯が巻き付けられている。


昨日、俺は死ななかった。全高七メートルにも及ぶ異形の怪物——S級相当と判定された規格外個体との死闘。


アドレナリンが切れ、冷え切った肉体に今さら巡ってきたのは、全身を苛むズタズタの痛打と骨折の記憶だけだ。


「英雄は普通、五十二回も死にかけないと思うっすけど」


「うわっ……!?」


不意に右側から落ちてきた軽い声に跳ね起きようとし、胸の奥で爆薬が弾けたような痛みにベッドへ突っ伏した。


「ちょ、何してるんすか!?」


カーテンを勢いよく開けたのは、赤い髪の火野ルカだった。頬に絆創膏を貼りつつも、昨日大木に背中から激突させられたとは思えない軽快さでこちらを覗き込んでいる。


「……いつからそこにいたんだよ」 


「十分くらい前っす。浩介さん、『無理無理、天井あるから』

って寝言言ってたんで観察させてもらってたっす」


「どんな夢だよ……」


ルカのけらけらとした笑い声に、こわばっていた胸の奥の力が少しだけ抜ける。


生きているのだ。ルカも、しえるも、神代も、マダムも。


視線をベッド脇のサイドテーブルへやると、そこには重厚な銀色の金属ケースが置かれていた。


幾重にも封印テープが貼られたその中には、あの不気味な黒い球体が収められている。


昨日、あの球体は怪物に対して明確な反応を示し、禍々しい黒い霧を吸い上げた。


そして何より、俺の頭の中に直接浮かび上がった謎のログ。


【所有者照合——佐川浩介】


なぜあれは俺の名前を知っていたのか。『また選ぶのか』という謎の声と、血のように赤く染まった空、崩壊した街、天を穿つ黒い塔の幻影。


「佐川君」


静かなノックと共に、右腕を三角巾で吊った神代が入ってきた。彼は無表情のまま、一枚の書類を差し出してくる。


《緊急再査定通知》


「ギルド上層部が直接、君の査定を行います」


神代の声が重く低くなる。


「昨日の規格外個体はS級相当。それをFランクのあなたが倒した。」

「純粋な攻撃力や速度はFランク相当のまま、あなたは直撃すれば即死確定の攻撃を三十一回、全体で五十二回にわたって回避・生還した。」

「オールエスケープの異常性が問題視されているのです」


「……」


「だが、オールエスケープが回避するのはあくまで『致命的な結果』のみです。両腕両脚だけを破壊されたら? 致命傷に至らない凄惨な痛打を永久に繰り返されたら? そして何より——あなたではなく、周囲の仲間を標的にされたら?」


神代の言葉が、鋭い針となって胸を刺す。

昨日、俺は生還した。だが、あの黒球の力がなければ怪物の外殻すら破れなかった。


「あなたはまだ、あまりにも弱い」


自分に言い聞かせるように呟いた自戒の言葉に、神代は静かに、しかしどこか試すような視線を向けていた。


◇◇


一時間後。俺は手すりを固く握り締め、胸の痛みに耐えながら地下二階の機密区画へと足を進めていた。


継ぎ目のない白い特殊金属板で覆われた廊下。十メートルごとに配置された監視カメラが、ぬめっとした動きで俺たちを追う。


重厚な金属隔壁を三つ越えた先に存在したのは、《戦闘能力測定室・第一》だった。


ガコン、と重々しい音を立てて扉が開く。


「……広っ」


体育館を優に超える巨大な空間。黒い特殊素材で補強された床、整然と並ぶ解析モニターや防壁。


そして中央には、三人の人物——白雪ゆあ、金剛豪、一堂みのるという最高峰の冒険者たちが佇んでいた。


そして、そのさらに奥。


ただ一本の剣を腰に下げ、悠然と立つ男がいた。

全ステータス『999』を記録した規格外の存在。『勇者』天宮玲。


威圧する気配すら出していない。それなのに、間合いが詰まるにつれて肌を刺すような妙な圧力が膨れ上がっていく。


「来たか。まずは君自身の状態を確認し、最後に模擬戦を行う」

「相手は……?」

「俺だ」


あまりに淡々とした告白に、俺は思わず叫んだ。


「俺、昨日肋骨三本折れてるんですよ!? ステータス999相手に模擬戦なんて無理です!」


「安心しろ、俺から攻撃は仕掛けない。一分間、好きに攻撃を叩き込んでくれ」


十分後。十五メートル離れた位置で構える俺に対し、玲は手に武器すら握らず無造作に立っていた。


「開始!」


《身体強化》を発動し、青白い魔力を足に宿して床を蹴る。一気に間合いを詰め、短剣を玲の左肩へと一閃させる。

勝てるはずもないが、かすめさせることくらいは——。


十センチ、五センチ、三センチ。


「——え?」


腕が、止まった。

掴まれたわけでも、かわされたわけでもない。俺自身の身体が、土壇場で攻撃を強制的キャンセルしたのだ。


「どうした?」

「いや……」


再度踏み込み、下段から足を狙う。しかし、やはり数センチ手前でピタリと動きが止まる。


攻撃を繰り出そうとした瞬間、脳の奥底が狂暴なまでの拒絶を叩きつけてくるのだ。


「……玲さん。一回だけ、俺を本気で殺すつもりで攻撃するフリをしてもらえませんか?」


静寂が走る。玲はすっと右の手刀を持ち上げた。


ゾワリ。


全身の毛穴という毛穴から冷や汗が吹き出す。

【致命——】


視界の端に不吉な光の文字が浮かび上がった瞬間、文字が掻き消え、玲の手刀は俺の首筋数センチ横で止まっていた。


「なるほど」と玲が呟く。


今度は腰の剣の柄に手をかけただけで、世界が変質した。漏れ出す圧倒的な殺意。


体内の細胞が「逃げろ」と悲鳴を上げる。玲が腰を落とした瞬間、彼の姿が消えた。


気がついた時には、玲の人差し指が俺の額に触れていた。


文字表示すら出なかった。圧倒的な速度と精度の前に、《オールエスケープ》すら認識の猶予を与えられなかったのだ。


「君のスキルは、思っているほど万能ではない」

玲の冷徹な指摘に、俺は己の無力さを思い知らされる。


その時、白雪ゆあのアナウンスが響いた。

「玲さん! 昨日の十五階層における解析データが出揃いました!


あの規格外個体から検出された残留魔力と、黒球の固有波長——一致率99点87パーセントです!」


一瞬、室内に緊張が走るが、神代が即座に言った。


「それは当然では? 昨日、黒球は規格外個体から魔力を吸収していました。残留魔力が一致するのは理にかなっています」


「いいえ」とゆあが静かに画面を切り替える。


「問題はそこではありません。吸収された魔力をデータ上で消去した際、球体の奥底に残った極小の『固有波長』……これが、データベースのどこにも存在しない未知の波長なのです」


ホログラムの日本地図が浮かび上がり、雪のように白いアイコンが赤く点滅した。


【ホワイトゲート】


「三日前、ホワイトゲート中層にてわずか七秒間だけ、この黒球の固有波長と86%以上一致する異常魔力が観測されています」


ゆあがさらに公的資料を展開する。

「そして……その異常反応が発生した区域で、現在7名の冒険者が失踪しています。生還者一名の音声記録を再生します」


ザザッ……ノイズの向こうから、絶望に満ちた男の掠れ声が響いた。

『……魔物じゃない……人だった……若い男……紫髪の……』


画面に映し出された最重要犯罪者の顔写真。

怪しく揺れる紫色の髪。柔らかな眼差しと、張り付いたような穏やかな笑顔。


【黒崎レオ】


ドクン、と心臓が跳ねた。


あの日、俺の目の前で透を殺した男。

かけがえのない親友の命を奪い、俺に絶望を焼き付けた仇。


握りしめた拳の爪が掌に食い込み、血が滲む。

「……俺も、ホワイトゲートへ行きます」

地獄の底から響くような声で、俺はそう告げた。


◇◇


「……俺も、ホワイトゲートへ行きます」


壁一面のメインモニターに映し出された黒崎レオの顔を凝視したまま、俺は絞り出すようにそう告げた。


鮮やかな紫の髪。柔らかな眼差しと、静かに浮かべられた穏やかな笑み。正体を知らなければ誰もが「爽やかな青年」と錯覚するだろう。


だが、俺は知っている。こいつが、透を殺した。


記憶の蓋が吹き飛び、胸の奥底に押し込めていたドロドロとした感情が、一瞬で煮えたぎる殺意となって全身を駆け巡る。


「却下だ」


天宮玲の返事はあまりにも早かった。


「肋骨三本骨折、右肩亜脱臼、全身の打撲および裂傷。歩けることと、ダンジョンで戦えることは全くの別物だ。


さらに正体不明の黒球に反応し、ホワイトゲートで同質の異常が起きた。その状況で不安定な君を放り込むのは、ただの博打だ」


冷徹なロジック。反論の余地もない。だが、モニターのヘラヘラした顔を見るだけで思考が怒りに塗り潰されていく。


「でも……あいつは……透を殺したんです!」


測定室の空気が凍りついた。ルカから笑みが消え、しえるが悲痛な目で俺を見る。


「理由くらい……あいつの口から直接聞きたいんです……!」

言葉にした瞬間、絶望に歪む透の顔がフラッシュバックした。あの日の無力な自分。


「殺したいですか?」


静寂を切り裂いたのは、神代の声だった。


「……分からない」

「本当に? 自分の醜い本音から目を背けているだけでは?」


「神代」とルカが制止しようとするが、神代は一歩も引かない。


「佐川君。ホワイトゲートで黒崎レオを見つけた時、あなたは周囲の状況や仲間を見ることができますか?


しえるさん、ルカ、同行する調査員……その誰の命よりも、目の前の黒崎レオを優先しないと、今ここで断言できますか!?」


咽喉がカラカラに乾き、言葉が出ない。

もし届く距離に仇が現れたら、俺は自分を保っていられるのか——?


「——そこまでよ」


重苦しい空気を切り割る太い声。

ドアの枠を窮屈そうに潜り抜けて入ってきたのは、右腕に痛々しい固定具を巻いたマダムゴンゾウだった。


ドスドスと重い足音で近づいてくると、マダムは俺の額を容赦なく『ペシン!』と弾いた。


「痛っ……!」

「まずは傷を治しなさい」


もう一発、デコピン。


「知恵を絞って調べなさい。頭を冷やして考えなさい。その全てを完了させた上で、行きなさい!」


厳格な眼差し。

「仇を見つけたからって、ボロボロの体のまま盲目的に飛び出していく奴を英雄とは呼ばないの。ただの突撃バカよ」


そして、目元を少し柔らかくして呟いた。

「……透ちゃんが、アンタがそんな酷い顔をして自分を壊しに行く姿なんて……望んでいると思うの?」


——透なら。

もし同じ立場なら、きっと『行くぞ浩介!』と真っ先に駆け出すはずだ。


そして俺が『待てバカ!』と胸ぐらを掴んで引き留める。

いつだって、俺たちの役割はそうだった。


「……逆だな。いつだって……俺がアイツを止める側だったんです」


思わず自嘲の笑みが漏れた。頭に上っていた血が引いていく。

透が隣にいないから、俺が焦ってあいつの代わりに突っ走ろうとしていたんだ。


「……分かりました。しっかり準備します」


固く握りしめていた拳をゆっくりと解く。神代が静かに、確かな信頼を込めて頷いた。


◇◇




それからの十日間は、人生で一番発狂しそうなほど退屈で、苛烈な日々だった。


寝る。痛い治療を受ける。高栄養の食事。地獄のリハビリ。また寝る。


「……ダンジョンで命のやり取りしてる方がよっぽど楽だ……」

「贅沢言うんじゃないっすよ、一日中寝てるだけじゃないっすか」


医務室の椅子で勝手に俺のリンゴを齧るルカとくだらない軽口を叩き合いながらも、先進医療の甲斐あって肉体は確実に繋ぎ合わさっていった。


その間も失踪者は10人、13人と不気味に増え続けていた。共通点は「中層以深」での発生と、通信が絶たれる直前に報告された「予兆のない謎の白い霧」。


十一日目の朝、ついに「長時間戦闘の厳禁」「異常時の即時撤退」を条件に戦線復帰許可が下りた。


薄暗い装備室。

メインの短剣、高濃度ポーション、耐久ロープ、予備ブーツ、閃光石、簡易食料。


以前なら適当に詰め込んでいた道具を、俺は整然とリュックへ収めていく。


あの死闘で理解したのだ。ただ生存を目指すだけでは、大切なものを守れない。


万全の道具、確保された退路、仲間の位置関係。その僅かな差が生と死を分ける。


「浩介くん」


振り返ると、完璧に装備を整えたしえる、ルカ、そして神代が立っていた。


「……みんな、来るのか?」

「当たり前っすよ。置いていくなんて許さないっす」

「私も行くよ、浩介くん」


神代だけが厳格な表情のまま歩み寄る。

「同行にあたり条件があります。

現地で黒崎レオを発見した場合、絶対に単独追撃を行わないこと。約束できますか?」


「……分かった。約束する」


一息つき、俺は三人の顔をしっかりと見つめ返した。


「だから……もし俺が頭に血が上って暴走しそうになったら……全力で止めてくれ」


ルカとしえるが驚きに目を丸くする。神代は冷徹な仮面を少しだけ緩め、満足そうに微笑んだ。


「……ええ、そのために同行するのですから」


◇


その日の午後。ホワイトゲート前。


視界の先で、巨大で不気味な「白い光の渦」が、意思を持っているかのように静かに蠢いていた。

冷気が肌の表面をサーッと撫でて湿らせていく。


俺は左手で、頑丈なケースに入った黒球の存在を確かめた。


「……行こう」


小さく呟き、俺たちは揺らめく不気味な白い光の中へ、迷いなく一歩を踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。