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外伝第一話 文化部室のスケッチブックは凶器につき

放課後の西日が、校舎の窓から長く差し込んでいた。


まだ春の終わりにも届かない季節だというのに、

世界が変わってからというもの、学校の景色は少しだけ違って見える。



廊下には、避難経路を示す紙。

掲示板には、近隣で確認されたモンスターの目撃情報。

職員室の前には、見慣れない金属製の箱が置かれている。


おそらく、誰かが作った簡易的な武器庫だ。


一週間前までなら、そんなものは学校に存在しなかった。


ここは高校だった。

勉強をして、昼休みに騒いで、放課後になれば部活へ行く。

それだけの場所だった。


今は違う。

世界そのものが、ゲームのようなシステムに変わってしまった。


そして俺は....。


「なあ浩介、文化部室、行くぞ」


肩を叩かれた。

振り返る。

幼馴染の透が、ニカッと笑っていた。


制服のネクタイは緩んでいる。

片方の肩には、画板のようなものを抱えている。


「……お前、何持ってんだ?」


「これ?」


透が抱えているものを少し持ち上げる。


「おれの古のスケッチブック」


「なんで?」


「昨日から文化部室で変な音がするんだって」


「だから?」


「調査頼まれた」


「誰に?」


「生徒会」


「……お前、なんでも引き受けるな」


「頼まれたら断れないだろ」


「断れ」


「なんでだよ」


「嫌な予感しかしないから」


「考えすぎだって」


透は笑いながら歩き出した。

俺も仕方なく、その後を追う。


廊下には、まだ帰宅していない生徒たちがちらほら残っている。

窓の向こうでは、運動部が校庭を使っていた。


ただし、以前と同じようにはいかない。


野球部は外周を走っている。

サッカー部は、校庭の隅に設置された簡易柵の内側で練習している。


モンスターが出現して以来、先生たちが決めたらしい。


「ゲート付近には近づかない」

「一人で校外に出ない」

「放課後の活動は日没前まで」


どれも、少し前なら笑ってしまうような注意事項だった。

今では、誰も笑わない。


「なあ」


透が歩きながら言った。


「学校って、まだ学校だよな」


「急にどうした」


「いや、こうして見るとさ」


透が廊下を見回す。

掲示板。

下駄箱。

掃除用具入れ。


教室から聞こえる笑い声。


「なんか、普通だなって」


「普通に見えるだけだろ」


「まあな」


透は少しだけ笑った。


文化部室は、校舎三階。

西側の端にある。


美術部、吹奏楽部、文芸部が共同で使っている部屋だ。

扉の前まで来る。


透が手を伸ばした。


「開けるぞ」


「待て」


「何?」


「武器」


「え?」


「何か出てきたらどうする」


「……画板?」


「武器になるかもしれないな」


「お前、ゲーム脳すげえな」


「今さらかよ」


透が扉を開ける。


ギィ……。


古い蝶番が軋んだ。

部屋の中には、西日が差し込んでいた。


美術部が使う絵の具や筆。

壁際にはキャンバス。


隅には吹奏楽部の楽器ケース。

文芸部の机には、読みかけの小説やノートが積み上げられている。


絵の具の匂い。

木材の匂い。

楽器ケースの革の匂い。


そして――。


「……何かいるぞ」


透の声が低くなった。


部屋の奥。

窓際のイーゼル。

その陰で、何かが動いた。


カサッ。


小さな音。


俺は足を止める。


「……」


もう一度。


カサッ。


緑色の手が、イーゼルの陰から伸びた。


尖った耳。

小さな身体。


手には....。


「ゴブリンか」


「うわ」


透が目を見開く。


「本物だ」


「本物だな」


「RPGの」


「そこじゃない」


二体。


どちらも子供ほどの身長だ。


だが、手には画材用のナイフを持っている。


しかも一体は、床に落ちていた絵の具を指ですくい....


ぺろ。


「……」


「……」


俺と透が同時に固まった。


「絵の具、食ってるぞ」


「知らねえよ」


「美味いのかな」


「試すな」


ゴブリンがこちらを振り向いた。


「ギャッ!」


「来るぞ!」


その瞬間。

視界にウィンドウが浮かび上がった。


【クエスト発生】


【文化部室の安全確保】


【内容:ゴブリンを2体討伐】


【報酬:経験値20・画材セット】


透が目を輝かせた。


「画材セット!」


「そこ喜ぶのかよ」


「美術部に返せるじゃん」


「お前、妙なところだけ真面目だな」


俺はステータスを確認する。


レベル2

体力 11

攻撃 11

防御 11

魔力 11

スキル ────


まだ弱い。


正直、ゴブリンだって怖い。

けれど。


今までゲーム画面の向こうにいた敵が、現実にいる。

だったら...


「透」


「ん?」


「武器を探す」


「おう」


二人で部屋を見回した。


絵筆。

木炭。

パレットナイフ。

消しゴム。

絵の具。


そして壁際には...。


「……トロンボーン」


「吹けないぞ」


「吹けとは言ってない」


俺は楽器ケースを指差した。


「持て」


「これ?」


「お前のスキル、バリアブルアタックだろ」


「そうだけど」


「武器によって攻撃の性質が変わるなら、楽器でも武器になる可能性がある」


「なるほど」


透がトロンボーンを持ち上げた。

青い光が、手元に集まる。


【バリアブルアタック発動】

【武器:トロンボーン】

【打撃属性】


「……」


「……」


「浩介」


「なんだ」


「俺、これ吹奏楽部に怒られるかな」


「壊さなければな」


「よし!」


透が突っ込んだ。


「おい、待て!」


遅かった。


「うおおおお!」


ゴブリンが飛び退く。


ブンッ!


トロンボーンがゴブリンの頭上を通過した。


ガンッ!


「痛っ!」


今度は壁に当たった。


「お前、落ち着け!」


「この楽器、思ったより長い!」


「だから...」


俺は、トロンボーンのスライド部分を見る。


「縮めろ!」


「え?」


「伸縮するだろ!」


「……あ!」


透がスライドを縮めた。


カチッ。


青い光が走る。


【武器:トロンボーン】

【短棍属性】


「短くなった!」


「最初からそうしろ!」


「すげえ! 軽い!」


透が振り抜く。


ゴンッ!


「ギャッ!」


ゴブリンが吹き飛んだ。


「効いた!」


「楽器壊すなよ!」


「攻略優先だろ!」


「学校生活も優先しろ!」


俺は床を蹴る。


ゴブリンがナイフを振り上げた。

右肩が下がっている。


右手に武器。


左足が前。


「右から来る」


予測通り。


ゴブリンが斜めに斬り込んできた。


俺は左へ踏み込む。


ヒュッ!


刃が制服の袖を掠める。

そのまま懐へ入った。


「...っ!」


パレットナイフを振る。


ザッ!


緑色の血が飛んだ。


「ギャアアア!」


「浩介、後ろ!」


「わかってる!」


もう一体。


ゴブリンが絵の具の瓶を投げてきた。


ビュッ!


避けきれない。


バシャッ!


赤い絵の具が制服に広がった。


「……」


透が一瞬黙った。


「浩介」


「なんだ」


「血まみれだぞ」


「絵の具だ」


「赤いぞ」


「だから絵の具だ!」


「似合ってる」


「黙れ!」


その横で、透がまたトロンボーンを振り回す。


ゴン!


ガン!


ガシャーン!


「お前!」


「わざとじゃねえ!」


「画材落としてる!」


「敵がいるんだから仕方ねえだろ!」


「後で片付けろよ!」


「わかった!」


そんな言い合いをしながら、俺たちはゴブリンを追い詰めていく。


最後は、ほとんど同時だった。


「透!」


「おう!」


俺が一体の懐に飛び込み、パレットナイフを突き込む。


同時に....。


ゴンッ!


透のトロンボーンが、もう一体の頭を捉えた。


二体のゴブリンが、青白い光に包まれて消える。


静寂。


そして。


【クエスト完了】

【報酬:経験値20・画材セット】


「……終わった」


俺は、その場に立ち尽くした。


制服は絵の具だらけ。


床には散らばった画材。


壁にはトロンボーンの跡。


そして透の手には...。


「……これ」


「ん?」


「壊れてるぞ」


トロンボーンのスライド部分が曲がっていた。


ベルも少し凹んでいる。


「…………」


「…………」


透がゆっくり俺を見る。


「浩介」


「なんだ」


「これ、どう説明する?」


「お前が壊した」


「浩介も戦っただろ!」


「俺はパレットナイフ一本だ」


「俺だってトロンボーン一本だ!」


「その一本を壊したのはお前だ」


「いや、戦った結果だろ!」


「吹奏楽部に言え」


「絶対怒られるじゃん!」


俺たちは、しばらく壊れたトロンボーンを見つめていた。

窓の外では、夕日が沈み始めている。

西日が、部屋の埃を照らしていた。


倒れたイーゼル。

散らばった絵の具。

床に落ちた筆。


そして、壊れたトロンボーン。


ひどい有様なのに....。


なぜか、それは少しだけ笑える光景だった。


「なあ、浩介」


透が、床に落ちたスケッチブックを拾った。


「ん?」


「これ、記念に描いとくわ」


「何を」


「今日の俺たち」


「やめろ」


「なんで?」


「恥ずかしい」


「いいじゃん」


透はスケッチブックを開いた。


そこには、二人が小学生の頃に描いた落書きが残っていた。


下手くそなモンスター。


変な剣。


そして、その隣に描かれた二人の名前。


『こうすけ』


『とおる』


「……まだ残ってたんだな」


俺が呟く。


「懐かしいな」


透が笑う。


「昔からゲームみたいなの好きだったよな、お前」


「今じゃ、それが役に立ってる」


「人生、何があるかわかんねえな」


「本当にな」


透が新しいページを開いた。

鉛筆を走らせる。


数分後。


「できた」


「……」


そこには、トロンボーンを振り回す透。

絵の具まみれの俺。


その後ろに、変な顔をしたゴブリン。


「……俺、こんな顔してないぞ」


「してた」


「してない」


「してたって」


「美化しろよ」


「十分美化してる」


「どこがだ」


二人で笑った。

文化部室を出る。


ドアを閉める。


カチャリ。


廊下は、もう薄暗くなっていた。



「なあ」


透がスケッチブックを抱えながら言った。


「明日も、何かあるかな」


「あるかもな」


「そしたらまた一緒に行こうぜ」


「……ああ」


階段を下りる。


窓の外では、夕日が校舎の屋根を赤く染めていた。


世界が変わってしまっても。


学校はまだ学校だった。


くだらないことで笑って。


怒られて。


誰かに頼まれて。


放課後になれば、一緒に帰る。


そんな当たり前が、まだここには残っている。


俺は隣を歩く透を見た。


この時の俺は知らなかった。


こうして笑える時間が、どれだけ貴重なものなのかを。


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