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第三十四話 指揮官の片鱗

「……負けた」


俺は水を一気に飲み干した。


冷たい水が喉を落ちていく。


隣ではルカが地面に座っている。


「悔しいっすねー」


「お前、楽しそうだな」


「悔しいっすよ?」


そう言っているのに、笑っている。


「でも、面白かったっす」


「俺は全然面白くない」


「浩介さん、めちゃくちゃ悔しそうっすね」


「当たり前だ」


少し離れた場所では、しえるも腰を下ろしていた。


杖を膝の上に置いている。


「私……最初の壁、早すぎた」


「いや」


俺は首を振る。


「俺の指示が悪かった」


そのとき。


「そうですね」


神代が戻ってきた。


「……容赦ないな」


「事実ですから」


神代は俺たちの向かいに腰を下ろした。


訓練場にはまだ土煙が残っている。


壁に開いた魔力弾の跡。


削れた土。


さっきまでの戦闘の痕跡が、そのまま残っていた。


神代はその戦場を一度見てから、俺を見る。


「佐川君」


「なんだ?」


「貴方は、一人で戦うときは敵をよく見ています」


「……」


「敵の癖」


神代が指を一本立てる。


「地形」


二本目。


「距離」


三本目。


「攻撃のタイミング」


そして、最後に。


「昨日のホブゴブリン戦もそうだったでしょう」


俺は少し驚いた。


「見てたのか?」


「報告書を読みました」


「なるほど」


神代は続ける。


「ですが」


一度、訓練場を見る。


「今日、貴方が見ていたのは敵だけでした」


「……味方を見てなかった?」


「正確には違います」


神代は首を振る。


「味方を『動かす』ところまで考えていなかった」


俺は黙った。


神代が土の上に指を置く。


そして三本の線を引いた。


「ルカ君が右へ行く」


一本目。


「だから貴方は正面へ行く」


二本目。


「しえるさんが壁を作る」


三本目。


「だから貴方は進む」


指で三本の線を繋ぐ。


「全部、間違ってはいません」


「なら、どうして負けた?」


神代は線の先を指した。


「三人の行動が、それぞれ独立していたからです」


「……」


「一人が動く」


「それを見て、もう一人が動く」


さらに。


「それを見て三人目が動く」


神代は顔を上げた。


「それでは、敵に先読みされます」


俺は何も言えなかった。


全部、思い当たる。


「強い人が三人いるだけでは、強いチームにはならない」


神代の声は静かだった。


「三人の行動が、一つの意思として繋がって初めて、チームになります」


ルカが「なるほど」と頷く。


しえるも真剣な顔で聞いている。


俺は神代を見る。


「お前は、どうやってる?」


「全員に細かい指示を出しているわけではありません」


「じゃあ?」


「目的だけ共有します」


「目的?」


「例えば、『敵の魔法使いを倒せ』とは言わない」


神代はルカを見る。


「『右側を空ける』」


ルカが「あ」と声を漏らした。


「確かに、神代はそういう指示出すっすね」


「そう伝えれば、ルカ君は自分で考えて動ける」


「俺はいつも『あそこへ行け』って言ってる」


「はい」


神代は頷いた。


「それでは、指示を出した人間がいなければ動けない」


拳を握る。


「……なるほど」


昨日のホブゴブリン戦を思い出す。


敵の右足。


棍棒。


攻撃後の隙。


全部、自分で見ていた。


そして、自分で判断した。


あのとき俺は一人だった。


だから、それでよかった。


でも。


パーティなら違う。


「指揮って……」


俺は呟いた。


「仲間に命令することじゃないんだな」


神代が少しだけ笑った。


「少なくとも、僕はそう思っています」


「じゃあ、何だ?」


神代は訓練場を見る。


崩れた土塁。


石壁。


遮蔽物。


さっきまで戦っていた場所。


「仲間が自分で正解を選べるように、戦場を作ることです」


その言葉が、妙に深く残った。


戦場を作る。


敵を倒すだけじゃない。


敵の動きを制限する。


味方の動ける場所を作る。


視界を切る。


敵を分断する。


そして.....


仲間自身に判断させる。


神代朔。


ステータスが飛び抜けて高いわけじゃない。


剣の腕だって、俺が見た限りでは圧倒的ではない。


それなのに。


五人が、神代の言葉一つで動く。


こいつが強い理由は......そこなんだ。


「もう一回」


俺は立ち上がった。


神代が目を細める。


「休まなくていいんですか?」


「いい」


「では、条件を変えます」


「何をする?」


神代は訓練場の奥を指した。


「今度は僕たちも、同じ条件では戦いません」


「……?」


「敵も罠を使います」


その瞬間。


......ゴゴゴゴゴ……。


地面の奥から低い音が響いた。


俺たちの目の前。


さっきまで腰ほどの高さだった土塁が、ゆっくりと地面へ沈んでいく。


ズズズ……。


逆に、その横。


何もなかった場所から土が盛り上がった。


ドォン!


新しい壁がせり上がる。


右側の岩の遮蔽物が、地下の機構によってゆっくり横へ移動する。


さらに奥では木製の壁が回転し、さっきまで見えていた通路を塞いだ。


訓練場そのものが.......


形を変えていく。


数十秒後。


そこにあったのは、さっきまでの戦場とはまるで違う場所だった。


「実戦に近づけます」


神代が言った。


「敵も、地形も、最初から全部は分からない」


俺は短剣を握り直す。


「……面白い」


ルカが笑った。


「やっと本番っぽくなってきたっすね」


しえるも杖を握る。


「私も、今度はちゃんと考える」


俺は二人を見る。


今度は違う。


俺一人で勝つんじゃない。


三人で.......


いや。


この戦場そのものを攻略する。


「行こう」


俺たちは再び訓練場へ踏み込んだ。


◇◇


二度目の模擬戦。


開始の鐘が鳴った。


......カァン!


俺たちは走らない。


さっきとは違う。


まず見る。


目の前には、高さ二メートル近い土壁。


正面が完全に塞がれている。


右。


三枚の壁が階段状に並んでいる。


その向こうに、細い通路。


左。


岩の遮蔽物が連続している。


中央奥には、俺たちの旗。


旗までの距離は約十五メートル。


ただし、途中に四枚の壁がある。


敵の姿は見えない。


「……見えない」


ルカが小さく呟いた。


「神代が地形を変えた」


俺は周囲を見る。


足元の土はまだ湿っている。


さっき動いた壁のせいで、ところどころ土が盛り上がっている。


「敵も同じ条件だ」


「じゃあ、どこにいるか分からないっすね」


「ああ」


俺は旗を見る。


「だから探さない」


ルカが振り向いた。


「え?」


「向こうから来させる」


しえるが目を見開く。


「どうやって?」


俺は旗を見る。


「旗を守る」


「守るだけ?」


「ああ」


俺は地面にしゃがみ込む。


土。


壁。


足跡。


新しくできた通路。


そして......壁と壁の間に残る、わずかな隙間。


「完全にランダムじゃない」


俺は呟く。


「神代は俺たちを動かしたい」


「どうして?」


「俺たちの位置を見て、人数差を使いたいからだ」


壁の向こうを見る。


「なら、こっちから動かなければいい」


「なるほどー」


ルカがしゃがみ込み、指先で土を触った。


「でも、向こうも待ってるかもしれないっすよ?」


「その場合は.....」


俺は立ち上がった。


「待つ」


「地味っすね」


「勝つためならな」


「うへぇ……」


しえるが小さく笑った。


そのとき。


.....カサッ。


左側。


岩の遮蔽物の向こうで、何かが動いた。


俺は顔を向ける。


「しえる」


「うん」


「壁」


「はい!」


杖が振られる。


「ストーンウォール!」


ドゴォン!


俺たちと左側の岩の間。


地面から石壁が一気にせり上がった。


壁の向こうから、


「チッ」


舌打ち。


「いた」


俺は立ち上がる。


「左に一人!」


「任せて!」


ルカが走った。


俺たちから見て左奥。


土壁と岩の間、幅三メートルほどの空間を抜けていく。


タッ!


一歩。


タッ!


二歩。


壁を蹴る。


そのまま身体を傾け、角を回り込む。


ヒュンッ!


魔力弾。


「......っ!」


ルカが身体を捻る。


魔力弾が髪を掠めた。


ドンッ!


背後の壁に命中。


土煙が噴き上がる。


「惜しい!」


ルカが笑う。


「当たってないっすよ!」


「ルカ、追いすぎるな!」


「了解!」


ルカは敵を追わなかった。


すぐに壁のこちら側まで戻ってくる。


俺は目を見開く。


今、俺は「戻れ」と言っていない。


それでも戻ってきた。


目的。


「敵を探す」じゃない。


「旗を守る」。


その目的から、自分で判断した。


「……そういうことか」


「浩介さん?」


「いや」


俺は笑った。


「今の、良かった」


「へへ」


その瞬間。


.......ズンッ!


右側の土壁が揺れた。


「来る!」


しえるが叫ぶ。


ドォン!


土壁が崩れる。


土煙の向こうから、一人の剣士が飛び出してきた。


「うおおおっ!」


頭上。


剣が振り下ろされる。


俺は一歩だけ左へずれる。


キィン!


短剣を斜めに構え、刃を受け流した。


衝撃が手首から肘へ突き抜ける。


「重い!」


剣士がそのまま身体を回す。


二撃目。


横薙ぎ。


ブォンッ!


俺は後ろへ跳ぶ。


刃が目の前を通過する。


だが.....


「そこだ!」


背後。


別の声。


盾役だ。


俺の後ろ、約二メートル。


いつの間にか回り込まれていた。


「......っ!」


盾が迫る。


俺は右足を引く。


だが、土が柔らかい。


靴底が沈む。


一瞬、踏ん張りが遅れた。


ガンッ!!


盾の縁が肩を掠める。


身体が横へ流れる。


「浩介さん!」


ルカが横から飛び込んできた。


ザッ!


ナイフが盾役の腕を狙う。


パァン!


魔力の膜が弾け、判定光が飛び散る。


「一人、止める!」


盾役がルカへ向き直る。


その瞬間。


俺は叫んだ。


「しえる!」


「分かってる!」


しえるが杖を振る。


ゴゴゴゴゴ……!


地面が震える。


だが、今回は俺たちの前ではない。


敵の後ろ。


ドォン!!


石壁がせり上がった。


剣士と盾役の間。


二人の間に、高さ二メートル近い石壁が生まれた。


「……!」


剣士が振り返る。


盾役も一瞬、動きを止める。


完全に分断された。


「今!」


俺は踏み込む。


タッ!


一歩。


二歩。


三歩。


剣士との距離が一メートルを切る。


剣士が剣を横へ振る。


俺は短剣を下から滑り込ませる。


キィン!


剣の軌道を外へ弾く。


相手の胸元が開いた。


そこへ身体を入れる。


「......!」


剣士が押し返してくる。


ギリギリギリ……。


刃が擦れる。


「力比べなら.....」


俺は身体強化を一段階上げた。


筋肉が瞬間的に膨らむ。


体が軋む。


足元の土が沈む。


「負けない!」


ドンッ!


押し返す。


剣士の足が後ろへ滑った。


その一瞬。


「もらった!」


ルカが飛び込んだ。


パァン!


判定光。


「一人、行動不能!」


だが。


.....ヒュンッ!


空気を裂く音。


俺の頬を魔力弾が掠めた。


熱い。


俺は反射的に身体を低くする。


頭上を二発目が通過。


ドンッ!


背後の土壁へ突き刺さった。


土がぱらぱらと落ちてくる。


「後衛がいる!」


ルカが壁の向こうから顔を出した。


「さっきと同じっすね」


「でも、位置が分からない」


俺は耳を澄ます。


周囲には、土壁に反響する足音。


風。


そして.....


ヒュッ。


魔力弾の発射音。


「右奥」


「了解!」


ルカが飛び出す。


タッ!


一歩。


二歩。


三歩。


その瞬間。


「待って!」


しえるが叫んだ。


「え?」


ルカの足が止まる。


......ガッ!


地面が割れた。


木製の杭が、土の中から一気に突き出した。


「うわっ!」


ルカが後ろへ跳ぶ。


杭が空を突く。


数センチ。


あと少し遅ければ、直撃していた。


「罠……?」


ルカが杭を見る。


「違う」


俺も地面を見る。


「これは神代が置いたんじゃない」


「え?」


「訓練場そのものの仕掛けだ」


さっき、地形が変わった。


なら、この場所には戦闘中に発動する仕掛けもある。


そして。


敵も、この場所の全てを把握しているわけではない。


「神代は、この場所を使ってる」


「どういうことっすか?」


「罠そのものを武器にしてる」


その瞬間。


ヒュンッ!


魔力弾。


俺たちは三人同時に伏せた。


頭上を弾が通り抜ける。


「……やっぱり」


俺は笑った。


「神代は、俺たちに考えさせてる」


「何を?」


「どこにいるか」


しえるが首を傾げる。


「それが分かれば、勝てる?」


「逆だ」


俺は首を振る。


「探すこと自体が、罠だ」


神代は俺たちを追わせようとしている。


俺たちが動けば、位置が分かる。


位置が分かれば、人数差を利用できる。


なら。


「俺たちは、探さない」


ルカが目を輝かせる。


「また待つっすか?」


「ああ」


「でも、旗を取られたら?」


「その前に.....」


俺は中央を見る。


「向こうが動く」


俺はそう確信した。

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