第三十一話 残響【前半】
前半後半に分け直して内容を少し変更しました
ここは、グリーンゲート第九階層。
....俺たちは、逃げていた。
「浩介さん! 右、右っす!」
「分かってる!」
「分かってない顔してるっす!」
「顔で判断するな!」
ぬかるんだ石床を蹴る。
ズシャッ!
靴底が泥を噛み、身体が僅かに流れた。
俺はとっさに壁へ手をつき、体勢を立て直す。
その横を.....
ヒュンッ!
一本の石槍が通り過ぎた。
「……っ!」
壁から飛び出した槍が、俺の頬を掠める。
遅れて、
ガンッ!
反対側の壁へ突き刺さった。
「今のは危なかったっすね!」
「お前がもっと早く言え!」
「言ったっすよ!」
「右って言っただけだろ!」
「右にある危険を察知してほしかったっす!」
「無茶言うな!」
背後から、
ギャアアアアッ!
ゴブリンの叫び声が響いた。
振り返る。
いる。
十匹以上。
棍棒や粗末な刃物を握ったゴブリンたちが、狭い通路を埋めるようにして追ってきている。
先頭の一匹が、こちらへ向かって棍棒を振り上げた。
「来る!」
「任せるっす!」
ルカが足を止めた。
「おい!」
俺が叫ぶより早く.....
ルカの姿が消えた。
いや。
消えたように見えただけだった。
次の瞬間。
ゴブリンの懐に潜り込んでいる。
「せーのっ!」
ザシュッ!
ナイフが一閃。
ゴブリンの棍棒を握る腕が跳ね上がった。
「ギャッ!?」
「はい、一匹!」
ルカがその場で身体を回転させる。
二本目のナイフが横薙ぎに走った。
ザンッ!
「二匹!」
「数えるな!」
「大事っすよ!」
「何が!?」
「気分が乗るっす!」
「戦闘をゲームみたいに言うな!」
「浩介さんが一番ゲームっぽいこと言ってるっすけどね!」
「俺は言ってない!」
その間にも、残りのゴブリンが迫る。
俺は短剣を抜いた。
一匹。
二匹。
三匹。
正面から来る奴だけを見ればいい。
俺は一歩踏み込む。
「.....ふっ!」
短剣を横へ振る。
ザッ!
一匹の肩を裂く。
そのまま身体を沈めた。
頭上を別の棍棒が通過する。
ブンッ!
「危なっ!」
俺は足を払う。
ゴブリンの身体が前へ崩れた。
その背中を踏み台にして跳ぶ。
「ルカ!」
「はいっす!」
俺が投げた短剣が、ルカの頭上を飛ぶ。
「え?」
ルカが目を丸くした。
短剣はそのまま.....
ズブッ!
背後から迫っていたゴブリンの肩へ突き刺さった。
「……ナイスパス?」
「言ってる場合か!」
「でも綺麗だったっす!」
「拾ってくれ!」
「了解っす!」
ルカが短剣を抜き取る。
そのまま俺の横を駆け抜けた。
「逃げるっす!」
「最初からそうしてる!」
俺たちは再び走り出した。
◇◇
第九階層。
ここ数日、俺たちは何度もここへ来ている。
最初は、ただ敵を倒して進んだ。
次は、地図を作った。
その次は、魔物の出現位置を記録した。
そして今は.....
「左!」
ルカが叫ぶ。
俺は迷わず右へ跳ぶ。
直後。
ドンッ!
目の前の床が陥没した。
「……」
俺は落とし穴を見下ろした。
深い。
底には、鋭く尖った石が何本も並んでいる。
「……これ、初見だったら終わってるっすね」
「だから覚えてる」
「でも配置、変わってるっすよ?」
「罠そのものは同じだ」
俺は周囲を見る。
「位置が少しずつずれてる」
第九階層に入ってから、これで三回目。
同じ通路。
似た構造。
似た罠。
なのに、完全に同じではない。
最初は偶然だと思った。
二回目は気のせいだと思った。
三回目で.....
確信した。
「この階層、罠が動いてる」
「罠が?」
「ああ」
俺は壁を見る。
苔。
石。
ひび割れ。
その奥に、僅かな金属音。
カチッ。
「……ほら」
「何がっすか?」
「今、動いた」
ルカが耳を澄ます。
「……聞こえないっす」
「お前、耳いいだろ」
「人間の耳にも限界があるっすよ」
「お前、普通の人間じゃないだろ」
「失礼っすね。私はちゃんと人間っす」
「そこじゃない」
ルカが首を傾げる。
「じゃあ何なんすか?」
「……お前、本当に分かってないのか?」
「全然!」
胸を張られた。
なぜか誇らしげだった。
俺はため息をつく。
「……もういい」
「褒められた気がするっす!」
「褒めてない」
そんなやり取りをしながらも、足は止めない。
俺たちは、ただ走っているわけじゃない。
通路の幅。
分岐。
罠。
魔物。
壁の傷。
そして.....
魔物がどこから現れるのか。
全部、見ている。
このダンジョンには、規則がある。
完全なランダムではない。
なら。
その規則を見つければいい。
「浩介さん」
ルカが前を向いたまま言った。
「もうすぐっす」
俺も前を見る。
薄緑色の光が、暗い通路の先から漏れていた。
転移圏。
その向こうに.....
第十階層。
「……行くぞ」
「はいっす」
俺たちは光の中へ飛び込んだ。
◇◇
視界が白く弾けた。
次の瞬間。
空気が変わった。
冷たい。
第九階層よりも明らかに温度が低い。
足元には、苔ではなく硬い灰色の石。
そして目の前には.....
巨大な扉。
高さは五メートル以上。
左右には太い石柱が並び、扉の表面には無数の傷が刻まれている。
その傷の中には.....
人間のものではない爪痕も混じっていた。
「……ここが」
「あっす」
ルカが扉を見上げる。
「ボス部屋っすね」
「ああ」
俺は扉に近づいた。
だが、すぐには開けない。
手を伸ばす。
石に触れる。
冷たい。
そのまま周囲を見る。
「どうしたんすか?」
「確認してる」
「何を?」
「逃げ道」
ルカが目を瞬いた。
「……逃げるんすか?」
「違う」
俺は左右を見る。
「ボスに追い込まれたとき、どこまで動けるか確認してる」
右。
壁。
左。
壁。
奥。
ボス部屋。
入口。
「……狭い」
「広いと思うっすけど」
「敵に対しては狭い」
巨大な魔物。
長い武器。
大きな腕。
あの体格なら、中央を取られたら逃げ場がなくなる。
逆に言えば。
「壁を使える」
「壁?」
「ああ」
俺は石柱を見る。
四本。
一定間隔で並んでいる。
「こいつを利用できるかもしれない」
「何をするんすか?」
「まだ分からない」
「じゃあ?」
「見てから決める」
ルカが笑った。
「それ、なんか浩介さんらしいっす」
「そうか?」
「前より楽しそうっすよ」
「……そうか?」
「はい」
ルカはナイフを抜いた。
「前は『死なないように』戦ってたっす」
「……」
「今は『どうやって倒そう』って顔してるっす」
俺は少しだけ黙った。
確かに。
そうなのかもしれない。
扉の向こうには、俺たちより強い敵がいる。
それでも。
怖いだけではなかった。
知りたい。
この先に何があるのか。
そして。
今の俺が、どこまで通用するのか。
「行くぞ」
「了解っす」
俺が扉へ手をかける。
ギギギギギ……。
重い音を立てて、扉が開いた。
◇◇
最初に見えたのは.....
血だった。
床に黒ずんだ跡が残っている。
その先。
巨大な円形の部屋。
直径は、およそ三十メートル。
四本の石柱が中央を囲むように立っている。
その奥。
岩を削ったような台座。
そこに.....
一体の魔物が座っていた。
大きい。
立てば三メートル近くある。
緑がかった灰色の皮膚。
太い首。
盛り上がった肩。
そして。
手には、人間の脚ほども太い骨の棍棒。
周囲には、通常のゴブリンが六体。
一匹。
二匹。
三匹……。
「……六体」
俺が呟く。
「おまけ付きっすね」
「そうみたいだな」
その瞬間。
魔物が顔を上げた。
濁った黄色の目が、俺たちを捉える。
グルルル……。
低い唸り声。
ゴブリンたちも、一斉にこちらを向いた。
俺は短剣を構える。
「ルカ」
「はい」
「まず従者を減らす」
「ボスは?」
「まだ触らない」
「了解っす」
俺は部屋を見渡した。
柱。
壁。
床。
入口。
ボス。
従者。
距離。
頭の中で配置を組み立てる。
まずは六体。
問題は.....
ボスがどう動くか。
「来る!」
ルカが叫んだ。
ゴブリン六体が一斉に走り出した。
俺も踏み込む。
「.....ッ!」
一匹目。
棍棒を受け流す。
二匹目。
横から刃物。
身体を捻って避ける。
三匹目。
正面。
俺は短剣を突き込む。
ズブッ!
「ギャッ!」
一体。
だが。
「浩介さん、後ろ!」
「....っ!」
振り返る。
四匹目。
間に合わない。
ガンッ!
棍棒が短剣にぶつかった。
手が痺れる。
「重っ……!」
俺は後ろへ飛ぶ。
その瞬間。
ドンッ!!
地面が揺れた。
俺の目の前に.....
巨大な影が落ちる。
「……な」
ホブゴブリンがいた。
速い。
巨体からは想像できない速度。
骨の棍棒が、真横から迫ってくる。
「浩介さん!」
俺は咄嗟に身体を沈めた。
ブォンッ!!
頭上を棍棒が通過する。
風圧だけで髪が浮いた。
「……っ!」
そのまま床を転がる。
直後。
ズドォン!!
棍棒が石床を叩き潰した。
亀裂が走る。
「うそだろ……」
床が割れた。
一撃で。
ホブゴブリンが棍棒を引き抜く。
石片がバラバラと落ちる。
そして。
俺を見る。
「……」
嫌な予感がした。
ホブゴブリンが一歩踏み込む。
ズン。
もう一歩。
ズン。
肩が下がった。
「……来る」
次の瞬間。
ドンッ!
地面を蹴った。
「速.....」
俺は横へ飛ぶ。
しかし。
間に合わない。
ブォンッ!!
棍棒が脇腹を掠めた。
「ぐっ!」
身体が横へ吹き飛ぶ。
ドサッ!
床を二度、三度転がる。
肺から空気が抜けた。
「浩介さん!」
「来るな!」
俺は叫んだ。
ルカが止まる。
起き上がろうとする。
右脇腹が痛い。
だが。
動く。
俺は息を吐いた。
「……大丈夫」
そう言った瞬間。
視界の端に、文字が浮かんだ。
《致命判定》
心臓が跳ねた。
「……」
まただ。
オールエスケープ。
死ぬ結果だけを回避した。
だが。
痛みは残る。
衝撃も残る。
怪我もする。
無敵じゃない。
俺はホブゴブリンを見る。
こいつの一撃をまともに受けたら、次はない。
なら.....
正面から戦うな。
「ルカ!」
「はい!」
「従者を全部引き離せ!」
「ボスは?」
「俺が見る!」
「一人で!?」
「五秒でいい!」
ルカが笑った。
「了解っす!」
「……なんで笑ってる」
「面白くなってきたっす!」
「お前なぁ!」
ルカが走った。
ゴブリンたちが追う。
その瞬間。
俺とホブゴブリンの間に、誰もいなくなった。
静かになる。
ホブゴブリンが棍棒を握り直す。
俺も短剣を構える。
「……来い」
魔物が吠えた。
グオオオオオオッ!!
走る。
速い。
右肩が下がる。
棍棒を振る。
横薙ぎ。
俺は後ろへ下がる。
ブォンッ!
避けた。
次。
振り下ろし。
ズドォン!!
床が砕ける。
俺は横へ逃げる。
三撃目。
また横薙ぎ。
「……!」
今度は近い。
俺は石柱の裏へ飛び込む。
ブォンッ!!
棍棒が柱へ激突した。
ガンッ!!
石片が飛び散る。
俺は目を細めた。
「……なるほど」
こいつ。
ただ力任せに振っているわけじゃない。
俺は柱の陰からホブゴブリンを見る。
棍棒を引き戻す。
右肩。
腰。
足。
そして....
右足。
「……」
ホブゴブリンが一歩踏み込んだ。
右足が前へ出る。
棍棒を構える。
まただ。
俺は息を止める。
「右足……」
魔物が吠えた。
来る。
俺は柱から飛び出した。
その瞬間.....
ホブゴブリンの右足が、半歩だけ後ろへ引かれた。
「……!」
ブォンッ!!
棍棒が振り抜かれる。
俺は横へ飛ぶ。
轟音。
柱が揺れる。
だが。
俺の視線は、攻撃そのものではなく....
足に向いていた。
攻撃直後。
ほんの一瞬。
右足が床に残る。
「……そういうことか」
俺の口元が僅かに上がった。
だが、その瞬間。
背後から、
「浩介さん!」
ルカの声。
振り返る。
ゴブリンが一匹。
俺の背後まで回り込んでいた。
「しまっ......」
棍棒が振り上がる。
そして。
俺は気づく。
ホブゴブリンも、こちらを見ている。
まずい。
挟まれた。
「浩介さん、しゃがんで!」
「.....!」
俺は反射的に身体を落とした。
ヒュンッ!!
俺の頭上をナイフが飛んでいく。
ズブッ!
背後のゴブリンの額へ突き刺さった。
「……」
俺は固まった。
ルカが遠くから手を振っている。
「ナイス回避っす!」
「お前……」
「何っすか?」
「危ないだろ!」
「浩介さんなら避けると思ったっす!」
「信用の仕方がおかしい!」
「大丈夫っす!」
「俺が大丈夫じゃない!」
言い合っている間にも。
ホブゴブリンが動く。
「....来る!」
俺は構え直した。
今度は逃げない。
観察する。
肩。
腰。
足。
棍棒。
そして。
攻撃の瞬間に生まれる....
ほんの僅かな空白。
「……あと少しだ」
まだ足りない。
一度見ただけじゃ足りない。
二度。
三度。
もっと見る。
俺は短剣を握り直した。
この魔物を倒すなら。
力比べをする必要はない。
必要なのは....
こいつが自分から作る「隙」を見つけることだ。
そして。
その隙を、俺たち二人で突く。
「ルカ!」
「はいっす!」
「次の攻撃.....」
俺はホブゴブリンの足元を睨んだ。
「もう一度、見せてもらうぞ」
ホブゴブリンが咆哮する。
グオオオオオオッ!!
巨体が踏み込む。
右足が....
引かれた。
俺は走り出した。




