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Sketch: 0-2 同じ路地、同じ問い

午前中の聞き込みは、いつもと同じ路地だった。町の外れ。

古い建物が肩を寄せ合うように立ち並ぶ一角。大通りから一本入るだけで、世界の色が一段階、暗く沈む。


石畳はところどころ欠け、壁には湿った苔が張りついていた。雨が降ったわけでもないのに、石壁には古い水気がいつまでも残っている。奥へ進むほど道はわずかに狭まり、建物に見下ろされているような息苦しさがあった。



人が住んでいる気配は、確かにあるのだ。

窓には洗濯物が揺れ、どこかで子どもが遊ぶ声もする。だがその声さえ、妙に遠い――薄い壁を何枚も隔てた向こうから聞こえてくるようだった。


クラウディオは、この路地をもう何年も歩き続けていた。


「あのじいさん、先週も聞いたじゃァないですか」


背後から、グイードがぼやく。ブーツの踵が石畳を叩き、乾いた反響が路地に残った。

呆れたように息をつきながらも、その足取りだけは忠実にクラウディオの後を追っていた。


「また同じこと言われますよ、『知らない』って」

「知らないなら知らない。それでいいんだよ」


「じゃあなんで来るんスか」


探るような、どこか苛立ちを含んだ声音。

クラウディオは足を止めず、視線だけを伏せた。


「行き続けること。そして観察すること。それ自体が大事なんだよ。どんな小さな変化でも見逃さないようにね」

「……意味わかんねェ。アンタが言うとそれが()()()に聞こえるんスよ」



グイードは吐き捨てるように言い、口をへの字に曲げた。

やがて路地の突き当たりで、老いた住民が箒を手に立ち尽くしていた。


クラウディオが近づいて声をかけると、老人はしわくちゃな顔をほころばせる。

他愛のない世間話を交わし、近況を聞き出しながら、クラウディオはさりげなく「あの夜」の話題を毒を混ぜるように差し込む。だが、返ってきたのは聞き飽きた「知らない」という無機質な言葉そのものだった。



「ありがとうございます、お邪魔しました」

クラウディオはそう言って、丁寧に頭を下げる。


それを、何度も、何年も繰り返してきた。

相変わらず、真面目な人だ。クラウディオの仕事を見ながらグイードは常々思っていた。


誰に対しても誠実で、些細な話も聞き逃さない。

刑事として見れば、文句のつけようもない模範的な姿だ。


けれど同時に、グイードにはどうしても引っかかるものがあった。

この地域は、もう重点的に追うものがないと判断され、とっくに捜査区域から外されている。

上層部も、他の同僚たちも、今さらこの腐りかけた場所を掘り返そうとはしない。

それなのにクラウディオだけは、まるで失った体の一部でも探すように、この湿った路地へ執拗に足を運ぶ。


――この人は本当に、何かを「探している」のだろうか。それとも。もう見つからないとわかっていて、それでも歩き続けなければ自分を保てないだけなのか。


グイードはわずかに眉をひそめたが、結局その問いを言葉にすることはなかった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


聞き込みの帰り道、二人は並んで歩いた。薄暗い路地を抜けると、大通りの喧騒が戻ってくる。

遠くで響くエンジンの唸り、商人の呼び声、子どもたちの笑い声…日常の音が、何事もなかったかのように流れていた。


グイードはしばらく黙って歩いていた。

石畳の継ぎ目を踏まないように歩く不規則な足取りが、彼の迷いをそのまま映している。何度か口を開きかけては、結局何も言えずに閉じる。


やがて、意を決したように「なァ、クラウディオさん」と声を絞り出した。

「――アンタ、なにをそんなに探してるんスか」


クラウディオはすぐには答えなかった。

通りを横切った荷車の車輪が石畳を鳴らし、その音だけが二人のあいだを通り過ぎていく。


「いや、別に。答えたくなきゃそれでいい。ただ……なんつーか」


言葉が続かない。答えのない沈黙に耐えかねたのか、グイードは乱暴に頭を掻き、視線を足元へ落とすと「あぁクソッ忘れてください」と小さく呟いた。


必死に言葉を飲み込むグイードの姿に、クラウディオはふっと目元を和らげた。

それは年下への慈しみを含んだ、彼らしい穏やかな微笑みだった。

けれど、その奥にある一線だけは、決して誰にも触れさせないという静かな拒絶も滲んでいた。


「……ありがとう」

クラウディオは静かに言った。「大丈夫だよ」と、やわらかく続ける。


「……っす」

グイードはそれきり黙った。ただ分署へ戻るまで、彼はクラウディオの背中に落ちる影――どこまでも深く、暗い影をじっと目で追い続けていた。


石畳の継ぎ目も、いつの間にか気にしなくなっていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


夕方。

分署へ戻ると、机の上に小さな置き手紙が残されていた。

折り畳まれた紙を広げると、筆跡からみて署長のものとわかる。


――至急、戻り次第報告に来るように。

装飾のない簡潔な伝達が記されていた。淡白で短い文だったが、その短さがかえって重みを持つ人間がいる…署長という人はそういう人だった。クラウディオは手紙を丁寧に畳んで机の端に置くと、制服の裾を一度だけ整えてから分署の奥へと足を向けた。


廊下には、夕暮れの斜光が床の石畳に細長い影を落としていた。

日中の喧騒が嘘のように静まり返ったその空間には、自身の足音だけが規則正しいリズムで響き渡る。

奥の扉の前で立ち止まるとノックを一度。

「入れ」と間を置かず、凛とした声が返ってきた。


扉を開けると、書類の山と年季の入った木の机で満たされた部屋が広がっている。壁際の棚には分厚い台帳が並んでおり、どれも背表紙が陽に焼けている。

長い時間、ここで積み重ねられてきた記憶の重さと、その時間がそのまま空気に滲んでいた。


「来たか」

窓から差し込む夕暮れの光が、彼女の輪郭をやわらかく縁取っていた。

ゆらりと体を動かせば、燃えるような赤い髪が彼女の目元を透かせ、複雑な影を落としていた。


「お呼びでしょうか、署長」

「その呼び方はよせ。堅苦しくて、息がつまりそうだ」


「……では、アルハンブラ」

困ったように眉を下げながらクラウディオが名を呼ぶと、緩やかに目を伏せながら「それでいい」と呟いた。

アルハンブラ。この分署を束ねる分署長でもある。年齢に見合わぬほど背筋をまっすぐに伸ばし、その制服には一片の乱れもない。揺るぎない貫禄と、わずかな暖かさ。削ぎ落とされたような厳しさと、長く人を見てきた者の落ち着きを併せ持っていた。


椅子に座ったまま、彼女は眼鏡の奥からクラウディオをまっすぐに見つめると。

一つ、深いため息を置いた。


「今日も…例の地区へ行ったそうだな」

「はい」

「何か収穫は」


アルハンブラの瞳がクラウディオを捉える。

出るはずがないとでも言わんばかりの目で見つめられると、「なにも」とつぶやくクラウディオに、小さく息を吐いた。


「クラウディオ…あの件はもう正式な捜査案件じゃない。お前もわかっているはずだ」

「わかっています」

「わかったうえで、続けているな」

「はい」


沈黙が部屋を満たす。

まるですべてを見透かしているような、吸い込まれそうなその瞳は、長い間彼を。クラウディオという一人の男を観察し続けてきた結果だろう。


何一つ表情を崩さず、淡々と答えるクラウディオにはわかっていた。

お互いに見透かされていることも、見透かしていることも。だが、それ以上は決して踏み込まない。それが、この部屋に漂う暗黙のルールだった。


ふと、クラウディオの視線がアルハンブラの机の端で止まった。

そこには、雑然と積まれた古い台帳の横に、不自然なほど新しい紙の束がおかれている。

表紙に印字された先週の日付を、彼は瞬きひとつする間に読み取った。


何も問わず、ただそこにある情報を吸い込むように見つめると、彼は何事もなかったかのように視線をアルハンブラへと戻した。


「お前を拾ってからずいぶんと経つが――その目は変わらないな」

「そうでしょうか」

「あぁ」


「変わらない」と彼女は静かに繰り返した。

それから、ほんのわずかに目を細めると「ただ……深くはなっている」と小さくつぶやいた。

クラウディオは否定も肯定もしない。ただ、その言葉を重しのように受け取る。


ほんの一瞬だけ、クラウディオの視線が揺れたのをアルハンブラは見逃さなかった。

だが、彼女はそれ以上を問わなかった。それ以上は問わない、という意思表示だったのだ。


アルハンブラは静かに椅子から立ち上がると、すれ違いざま、クラウディオの肩に軽く指先を触れ、「話は以上だ」と告げた。


「報告書は明日の朝までに」

「承知しました」


彼女はそのまま通り過ぎようとして、不意に足を止める。

命令でも注意でもなく、ただの独り言のような低さで、彼女は言葉を送った。


「たまには、美味い飯でも食えよ」


――――――――――――――――――――――――――――――――――


一人になった分署で、クラウディオはゆっくりと自分の席へ戻った。

窓の外では、夕暮れの光が石畳の上を静かに流れている。

一日が終わる。いつもと同じ、静かな終わり方だった。だが、そのいつも通りという光景は、手を伸ばしても決して届かないかのような。どこか遠い異国の出来事のように感じられた。


ふいに、クラウディオは引き出しをそっと開ける。

中には、色褪せた古い写真と、小さな白いのボタンが一つ入っていた。

写真の中で並んで笑う幼い三人の子供。時の波に洗われ紙の端は黄色く変色しているが、その横に置かれたボタンだけは、不思議なほどに汚れを知らず、色が褪せていなかった。


クラウディオは、指先でそっとその写真とボタンに触れてみる。

三十年余。それだけの時間が経ったとしても。この顔だけは、あの日の思い出だけは、昨日のことのように鮮明に覚えていた。忘れようとしたことだって、一度だってない。


しばらくの間、彼はその感触を確かめるように見つめていた。

指先に伝わるボタンの小さな丸みだけが、彼にとっての唯一の現実であるかのように。

やがて、彼はそれらをそっと引き出しの奥へと戻し、音を立てずに閉める。


彼一人をこの場所に置き去りにして、世界は、時間だけは、音もなく先に進んでいた。

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