55.大切な思い出
さて、ラストはジュードだ。
私のリクエストに応えようと、エヴァンに迫りかかる忠犬アーチーを制し、ジュードの方を振り向いた。
そこで驚くものを目にする。
てっきり苦言を呈するだろうと思っていた彼が、コントを繰り広げる私たちのことを、笑みを浮かべて眺めていたのだ。何だか慈愛に満ちたようなその姿に、戸惑いが生じる。
繕うこともせず凝視していれば、さすがに気づかれた。彼はバツの悪そうな顔をして、コホンとわざとらしく咳払いした。
「ギルダ」
呼ばれるままにジュードの元へと向かった。
見上げる距離まで近づくと、二人と異なり、彼の目には涙が浮かんでいないことが分かった。
ただ、その真剣な眼差しからは確固たる決意が感じられ、自然と背筋が伸びた。
気がつけば、アーチーとエヴァンはすっかり大人しくなっている。どうもこちらを気遣って、様子を窺っているようだ。
おかげで、この場はジュードと私、二人のための空間へと様変わりしていた。
私は小さく深呼吸した。
「……ジュード、ありがとう。貴方にたくさん助けてもらったね。本当に感謝しきれないや」
彼はニヤリと笑った。
「そうだな。随分と苦労したのだから、ここはたくさん感謝してほしいところだ」
「……」
先日、自信喪失していたのが嘘のように、普段通りの姿だった。
まさか傲慢とも呼べるそれが、こんなに安心できるなんて。そう思い、クスリと笑った。
ジュードはその笑みの意味を正確に理解したのだろう。それがまた笑いを誘うというのに、眉をひそめ、口をへの字に曲げた。
「ふふ……。あのね、私、結構ジュードに甘えてた部分があったと思う。だからジュードがいてくれて本当に良かった。もしも貴方がいなかったら、早々に心が折れてたかもしれない」
一瞬、その眉間のシワが深くなったように見えた。しかし、すぐに消えてしまう。
「……そうだな。魔法に関してでも何でも、小難しいことになるとすぐ俺に投げてたからな」
「ウッ……。その節は失礼しました」
痛いところを突かれて目を逸らした。
私には魔法の理論とやらの知識がないうえに、彼の方が説明が上手いのだからいいじゃないか。そう思っていると、間近からクツクツという楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
彼も先ほどの私同様、お見通しのようだ。
「ところで」
笑みを引っ込めたジュードが問いかける。
「約束は覚えているか?」
「約束?」
不意の質問だったので、おうむ返ししてしまった。
それを私が忘れたと勘違いしたのか、彼が不機嫌そうに腕を組む。
まずいと思って、慌てて何度も頷いた。
「覚えてるわよ!今のは反射的に返事しちゃっただけだから!」
胡乱な視線を送られたので、「夜中にベッドで話したやつでしょ?」と自信満々に証拠を提示した。
すると彼は、ぎょっとして視線を外した。赤らめた頬を隠すように覆い、溜め息を吐く。
「?」
「……ギルダ…その言い方はちょっと……」
「え?……あ、あぁ!」
確かにいかがわしい表現になっていた。気まずくなって、私の視線も宙をさ迷う。
そろりと傍観者たちを確認すれば、そろって口を押さえて頬を染めていた。
――あぁ、これは絶対勘違いしてるな。そう途方もない気分になる。
案の定、アーチーが興奮した様子で「やっぱり!やっぱり!」とエヴァンに絡んでいた。やっぱりって何だお前。
ジュードがすかさず睨みつけたためすぐに口をつぐんだが、目が面白いものを見つけた時のように爛々としている。まるで蟻の巣を見つけた子どものようだ。
しかも、今回はエヴァンまで信じているようで、興味津々といった様子だった。
ジュードは口元をひきつらせ、やれやれと頭を振った。
「……はぁ。誤解を解くためにもう一度伝えておこう。付け足したいこともあるしな」
そう言って彼はスッと息を吸った。
そして再び真剣な顔で、故意に、視線を合わせてくる。
先ほどと同じだった。
タンザナイトの輝きに囚われてしまい、思わず体に力が入った。
たった今まで辺りを漂っていたおちゃらけた雰囲気が、一瞬でピリッとした空気に変わった。
謁見の時もそうだった。こういうところを見ると、魔塔のトップという役職は彼にピッタリだったと思う。
視線が、外せなかった。
「俺たちは、お前と過ごした時間、幸せだった。ここにいる全員がそう思っている。そのことを忘れないでほしい」
視界の端で二人が頷いたのが分かった。
ジュードは続けて「もう一つ」と話し始める。
「このことも忘れないでほしい。――お前のおかげで、俺たちの未来があるということを」
ヒュッと息をのんだ。
「ありがとう、ギルダ」
彼に続くように、二人も声を張り上げた。
「そうです!ギルダ様、本当にありがとうございました!」
「俺たちも貴女に助けてもらったことは一生忘れません」
「…………わぁ」
鳥肌が立った。
先日レニーに感謝された時も感動したが、こうやって三人からも言葉を貰うと胸に込み上げてくるものがある。せっかくコントで引っ込んでいた涙が、また溜まり始めた。
三人の顔を見渡せば、みんな笑顔で私のことを見ている。それがどうしようもなく嬉しくて、やっぱり我慢ができなかった。
本日、何回目かの涙を落とし、私はへらへら笑った。きっともう目は真っ赤だろう。
「どういたしまして。……ふふ、忘れたくない思い出がいっぱいできて嬉しいなぁ」
言葉にしたら、余計涙が込み上げてきた。
ぽたぽた落ちるそれを拭っていると、突然影ができた。不思議に思って見上げれば、ジュードがすぐそばまでやって来たようだった。
首を傾げていると手が伸びてくる。
目元に触れられた。
自ずと瞼を閉じれば、普段より少し低い声で名前を呼ばれた。
「――ギルダ」
何となく、緊張しているような雰囲気が伝わってくる。
「なあに?」
「……」
「?」
きちんと返事をしたのに、応答がない。
閉じていた瞼を開けば、こちらをじっと見つめる彼に言葉が詰まった。
その瞳には、いったいどんな意味が込められているのだろうか。
このまま待つべきか、再度尋ねるべきか、それとも、――話を変えるべきか、迷った。
辺りは静まり返っている。
しかし、迷っていると、その静寂を壊すような爆発音が鳴り響いた。
考えなくとも分かる。それは明らかな噴火の音だった。二回目の噴火だ。
私たちは無言のまま顔を見合わせた。
――もう時間がない。
それぞれの顔に焦りと悲しみが走った。
ゆっくりと別れを惜しむ猶予はもうあまりないようだった。それに、この間にもレニーは慌ただしく任務をこなしているだろう。私もそろそろ聖域に向かった方がいい。
ジュードを見れば、複雑そうな表情で私のことを見下ろしていた。
私の意思を悟ったのか、触れたままだった指がピクリと反応し、離れていった。
「……」
「……」
妙な空気が流れる。
お互い、もう挨拶は終わりにするべきだと理解している。なので、何となく、ジュードも先の二人のようにあの言葉を言ってくれるのかと思って、待ちの姿勢でいた。
しかし、彼はそわそわするだけでなかなか口を開こうとはしなかった。
分かっている。彼はそういうタイプではないから、期待しても無駄だろう。
それに、もしかするとその言葉は、彼にとって奥が深すぎる。
ここは私から――そう思い、にこりと微笑んで正面から抱きついた。
その体は大袈裟に揺れる。
苦笑いしそうになるのを押し殺し、感謝をたっぷりと込めて伝えた。
「ジュード、大好きよ」
待っていれば、背中にゆっくりと腕が回され、力一杯抱きしめられた。
「……あぁ、俺も」
頬に触れる彼の髪がくすぐったかった。
*
これで、思い残すことはない。
私は鏡の前まで軽いステップで歩いて行くと、くるりと振り返った。
並び立つそれぞれの顔をしっかりと見て、出来る限りの笑顔を振りまいた。
「みんな、本当にありがとう。元気でね。怪我しないでね。嫌なことがあったらレニーに相談して権力利用してね。喧嘩はほどほどにね。ちゃんと毎食しっかり食べてね。風邪引かないようにね。それから……」
「まだあるのか?」
「母親じゃないんですから!」
「あら、ごめんなさい」
けらけらと、軽く笑いが起きる。
しかし、その笑いの渦はすぐに収縮し、何となくもぞもぞするような、そわそわするような、気まずい空気が流れ出す。
――あぁ、最後は笑ってお別れしたいと思っていたけれど、やはりどうしても変な空気になってしまうのか。
それが嬉しいような、切ないような、何とも形容し難い気分だった。
だが、本当にそろそろ行かなければならない。
先ほどからどうも、外が騒がしかった。
この塔には魔法がかかっていて、許可された者以外は入って来れないが、暴動が大きくなることは避けたい。三人の命に関わるやもしれないから、早めに事態を収拾させた方がいい。
本当の本当に、お別れだ。
「……それじゃあ、行くね」
アーチーが息をのんだ。目を細めて、泣かないように力をこめている。
エヴァンは口元に笑みを浮かべていて、ジュードは真顔だった。その表情は、少し不機嫌そうにも思える。
あぁ、本当に忘れられない、否、忘れたくない思い出がたくさんできた。
幸せを感じたのは、貴方たちだけではない。
もちろん、もちろん私も。貴方たちと出会い、ここで過ごした時間が――。
「幸せだった」
「「「!」」」
三人が瞠目する姿が目に入った。
ふふ、と肩で笑う。
彼らは次第に私の唐突な言葉の意味を理解したのか、口元を緩めた。
「……私も、貴方たちと出会えて良かった。ここで過ごした時間を大切に思ってる。
――幸せだったよ」
そうして私は、いつものように軽く手を振って、鏡に足を踏み入れた。
最後の仕上げと、彼が待っている。
ツンとする鼻の感覚を振り払い、聖域を思い浮かべながら目を閉じた。




