54.別れ
それは、今回もまたある日突然起こった。
紛れもない、私たちの別れの合図だった。
*
ちょうど朝食を終えたところだった。
今日は三人とも外出の予定はないらしく、ダイニングスペースでそろって、食後のゆるやかな時間を過ごしていた。
私はこの時間が好きだった。
私たちがそろうと、いつも会話は途切れることがなく、笑いに包まれている。
アーチーが突拍子もないことを言い出し、ジュードがそれにツッコミを入れ収拾しかけたところを、エヴァンがさらっとかき回す。いつもこんな調子だった。
エヴァンがこの場所を好きだと言っていたが、私も同意見だった。
いくつになっても、馬鹿みたいな話題で盛り上がれる仲間というのは、なかなか得難く、尊いものだ。私は本当に素晴らしい友を得たものだ。自然と口元が緩んでいく。
そんな風に、感慨深く思っていた時だった。
ドーンという、聞いたこともないような恐ろしい爆発音が聞こえた。
前回経験した地震とは明らかに違う。驚きから体が硬直し、何が起きているのかを理解するために脳がフル回転した。
そして、何が起きたのかを察すると、体が一度大きく震え、鳥肌が立った。
ゴクリと唾を飲み込む。
ついに、噴火したのだ。
私たちは互いに顔を見合わせ、頷いた。
確認のために窓へと向かった。
この塔の窓は一つしかない。残念ながら、噴火した山の様子は確認できなかった。
しかし、空の変化は確認できた。
現在の時刻は十時過ぎ。太陽はとっくの昔に昇っており、普通に考えれば、日の光に照らされて視界は良好のはずだ。ちなみに今朝見た際は、雲一つない晴天だった。
けれども、今、窓から見える景色はどんよりと暗く、まるで夜のようだった。しかもどんどん暗くなっていく。空は厚い雲に覆われ、今朝見た快晴が嘘のようだった。
否、これは雲のせいではない。
噴火した火山灰によるものだった。
大量の火山灰が空気中に漂い、雲のように太陽の光を遮っているのである。
それによって、あたかも時間が夜まで進んでしまったかのように思わせられるのだ。
まさに、終焉の始まりと言えるような光景だった。
何も知らなければ、この恐ろしい出来事にただ震えることしかできないだろう。
空を見上げ、これから何が起こるのだろうと不安で胸がいっぱいになるのだ。
世界は一気に、恐怖の闇に包まれた。
「……いよいよね」
思わず溜め息が出た。
地上の方で人々が逃げ惑う姿を確認すると、余計溜め息が出た。きっと魔女が魔女がと騒いでいるのだろう。そのうち騎士団が乗り込んでくるかもしれない。
これ以上見たくなくて、最後にもう一度空を確認して、みんなの元に戻った。
別れの挨拶をしなくてはならない。
そのことに、余計気持ちが暗くなった。
アーチーは既に涙をたっぷりと溜め、唇を強く噛んでいた。
私と目が合うと、涙はぽろりと落ちていく。くしゃくしゃに歪んだ顔が何か言葉を発しようとして、声にならずに消えていった。
私は彼の頭をぽんぽんと叩くと、ジュードにこの後のことについて確認した。
「噴火が起きたら、陛下の方で異世界の少女から血を貰ってくる手筈になっている。その後、直接聖域に向かうそうだ。ギルダはこのまま聖域に向かい、陛下と落ち合ってくれ」
「分かった」
「そして――」
そう言ってジュードは、不自然に言葉を区切る。
「……知っての通り、我々はそこには行けない。……だから、これが最後だ」
「……そう」
“最後”という言葉が少し力んでいた。それを聞いていたアーチーとエヴァンの二人は、それぞれ露骨な反応を見せた。
ジュードを見ると、彼は口を真一文字に結び、視線を床に落としていた。
何とも言えない空気が広がる。
この後はもう、私たちのお別れの場面だ。
しかし、それを始めてしまうということは、同時に“別れ”がくるということである。
彼らから、まだ始めたくないという抵抗を感じた。それぞれ、口を閉じたり、まごまごさせたりと、時間を延ばしているようだった。
私は、彼らのその姿に嬉しくなった。
「あははっ!」
三人は、突然笑い始めた私にぎょっとして目を瞬かせた。
「もぉ~みんな、本当に可愛いんだから!」
この言葉で、彼らは何を笑われているのか理解したようだった。
そろって顔を見合わせ、他の人も自身と同じだったことが分かると、恥ずかしそうにもじもじしたり、頬を掻いたり、態とらしく首を回したりした。そんな姿が面白くて、また笑ってしまった。
私は、本当に素晴らしい宝物ができた。
「アーチー」
アーチーの名前を呼び、真正面から向かい合った。彼は目を潤ませながらもへらへら笑っていた顔を、ピシリと固まらせる。
座ったままの彼の腕を引っ張って無理矢理立たせた。そしてそのまま力強く抱きしめる。
彼は石像のように動かず、ただ私にされるがままだった。力を更に込めれば、静かだった彼から、しゃくりあげる声が聞こえ始めた。
「ありがとう、アーチー。貴方のおかげで、毎日が楽しかった。私が私らしくいられたのも、素直な貴方がそばにいてくれたからだと思う。アーチーのために色んなカラーのマニキュアを用意しておいたから、楽しんでね」
「~~ッ!」
彼のしゃくりあげは回数を増し、言葉はまったく出せないようだった。必死に何度も頷いてアピールしてくれたので、彼が理解してくれたことだけは分かった。
あまりにも彼が激しく泣くものだから、逆に冷静になった。恐らく最後は泣くだろうなぁと思っていたのに、泣けなくなってしまった。
苦笑いしながらアーチーとの抱擁を続けていると、急にがっちりとホールドし返してきた。抱きしめるというか、もうほとんど力技に近い。苦しくて、潰れた蛙のような声が出たが、彼には聞こえていないようだった。
そして気がついた。
背中に回された彼の手が、ぎゅっと私の服を握りしめていることに。
抱きしめるでもない。力技でもない。
彼は私に、しがみついていた。
「……アーチー」
「…ぅえっ、ヒック……」
「私、二人ともお別れしなきゃ」
心を鬼にして離れようとすると、アーチーは首を何度も振って嫌がった。
ふぅ、と一息吐く。
「アーチーは本当に甘えたに磨きがかかったわねぇ。大丈夫よ。寂しくなったら、私の代わりにジュードがハグしてくれると思うから」
後ろの方から「は?」という声が聞こえたが、聞こえないフリをした。
アーチーはジュードに懐いているし、てっきり頷くだろうと思って返事を待っていたら、首を振って拒否された。
一寸間が空く。
「……エヴァンは?」
アーチーはまた首を振った。しかも、先ほどよりも大きく。
「……」
「……」
アーチーはもう一度首を振った。
「……き、筋肉があるから硬いものね!」
恐る恐る後ろを振り向けば、二人が眉間にシワを寄せて渋い顔をしていた。エヴァンなんて胸を押さえている。地味にショックを受けているようだった。
エヴァンはともかく、ジュードもなんだかんだ言いつつ、私の言う通りにしてくれる気だったのだろう。あれでいて弟子のことをかなり気に入っているのだ。
冗談半分で言ったことだったのに、むやみに彼らを傷つけることになってしまった。
じんわり罪悪感に苛まれていると、服がくいくいっと引っ張られる。
「……ぎ、ぎる、だ…さまっ」
「なあに?」
努めて優しい声音で返事をした。彼が落ち着いて話せるよう、背中を撫でてやる。
焦らなくていいと伝わるように、ゆったりとしたリズムで。
彼は何度も深呼吸を繰り返した。
そして、やっと落ち着いてきところで、拳五つほど開く距離まで体を離した。拘束が緩み、ホッと息を吐く。
ただ、目の前に見えたその真っ赤になった瞳が、私の胸をひどく締めつけた。
アーチーは言葉を発しようとして口を開いたようだった。しかし、それが音になることはなかった。「…ッ……」勇気が出なかったのか、ただ唇を噛みしめて終わった。
それを計三回ほど繰り返し、やっと一言、絞り出した。
「……僕のこと、……忘れないでください…」
「……うん」
「毎日、思い出してください」
「うん」
「毎日、絶対、毎日ですよ」
「うん」
「……ギルダ様」
「うん?」
「……だいすきですっ…」
「…っ……私も、大好きよ……!」
ぽろぽろと落ちていく涙ごと、再び彼を強く抱きしめた。
泣けないと思っていたが、気づけば私も泣いていたようだった。
鼻を啜り、エヴァンの方を振り向いた。
自分の番を確信した彼は、そろそろと近くまでやって来てくれる。
なんと、彼も瞳を潤ませているようだった。
朗らかな笑みを見せてはいるが、眉が頼りなく垂れ下がっている。驚きからじっと見つめていると、ぽろりと一粒落ちた。
視線が絡む。
彼はそれを拭き取ることなく、目を細めた。そのおかげで、またぽろりと落ちた。
「……エヴァン、今までありがとう」
彼の雰囲気にのみ込まれかけていた。ハッとして、慌てて感謝の言葉を告げる。
エヴァンはふにゃりと笑った。
「……はい。……俺も、楽しい時間をありがとうございました。本当に、素晴らしい日々でした」
エヴァンの瞳はブルーだ。普段から透き通っていて綺麗だと思っていた。
それが涙で濡れると、こんなに透明感に溢れ美しくなるのか。そう、変なところで感動してしまった。
ぼんやり眺めていれば彼が首を傾げた。
いけない、いけない。また彼の雰囲気にのみ込まれてしまった。
まったく、イケメンは泣いてもイケメンなのねぇ、と先ほどから涙を拭う様子のない彼のために、背伸びをして拭いてやった。何となく宝石を手に入れた気分になり、ほくそ笑む。
すると、エヴァンに抱きすくめられた。
――ぎゅう。
先ほどまでのアーチーのように、強い力で抱かれ、くすぐったい気持ちになる。彼にされるのは初めてだった。
彼は背が高い上に体格が良かった。端から見ればほとんど包まれた感じだろう。羞恥から逃れるように真珠を思い浮かべた。
そして、彼の背に腕を回し、宥めるようにゆっくりと背を撫で上げた。
すん、と鼻を啜る音がする。
「……俺は、二人と違って貴女に何もしてやれなかった。そのことが悔やまれます」
そう言って彼は、一つ長い息を吐いた。
「俺もアーチーのように忘れないでほしいと言いたいですが、貴女の記憶に残るようなことを何一つできていない。……それでも、忘れないでほしいと願うのは、我儘でしょうか」
体を離した彼は私を見下ろし、自嘲めいた笑みを浮かべて問いかけた。
どこか縋るような姿に母性本能がくすぐられ、気づけば何度も首を振っていた。とにかく彼を安心させたかった。
それにホッとしたように花を開かせる彼に、心臓が激しく音を立てた。本当に、彼は心臓に悪い。「ギルダ様は優しいですからね」――違う意味でも心臓に悪い。嘘だと思われたようだ。
エヴァンが自身の存在価値を気にしているとは思わなかった。
先日の会話のなかで、世話役に騎士が必要だったことを話してくれた。その時は本人も満足しているようだったので何も思わなかったが、言い換えれば、彼は自身の価値がそれだけだと思っていたのだろう。
エヴァンは魔法使いではなく、騎士だ。私が魔女だから、どうしてもジュードやアーチーに協力してもらってばかりいたが、それは仕方がないことだ。
人にはそれぞれ役目がある。彼は彼で、しっかりと私を助けてくれていた。
「よぉ~く聞きなさい!」
子どもに言い聞かせるように、たっぷりと間を取って突きつけた。
「エヴァンは私のことをよく見てくれていて、ちょっとした変化でも気にかけてくれたのが嬉しかったわ。女はそういうのに弱いのよ!」
この前のお返しとばかりにウインクを送れば、彼は目を瞬かせた。そしてクスッと吹き出すように笑う。
「だいたい、この二人とじゃ喧嘩ばかりだったかもしれないわ。だってデリカシーがないもの!レディーの部屋に勝手に入って来るっていう時点でおかしいでしょう?」
私からは見えないが、エヴァンが苦笑いしたので二人が肩を揺らしたようだった。
私の罪が晴れた後も、彼らは勝手知ったる何とやらで、好き勝手出入りしていた。それを指摘した時の「え、今さら何を?」という二人のきょとん顔が忘れられない。
「それに、貴方の役割は私の護衛!地震が起きた時も瞬時に守ってくれたでしょう?かっこよかった。忘れるわけないじゃない!」
はっきりと告げれば、彼は数秒間目を瞬かせた後、花開くように破顔した。頬を緩めさせ、溢れる喜びを隠そうとしなかった。
彼は、はい、はい、と何度も嬉しそうに頷いて、目元を拭った。
「ふふっ、俺もきちんとお役に立てていたようで良かったです」
エヴァンはひょいと肩を竦めた。
そこで大事なことを思い出す。
「――あ、後はウサ耳もね!絶対忘れないから!」
「それは忘れてください」
一瞬で笑顔が固まったのがまた面白い。
反射的にか、彼は二歩下がった。
「ピアス、ちゃんと使ってよ?」
「……右手だけです」
私はにこりと笑った。
「まぁまぁ、そう言うかと思って、既にアーチーには、ピアスの効果を伝えてあります」
「……」
親指を立てて宣告すれば、エヴァンは恐る恐るアーチーを見た。
見られた彼はにっこり笑ってウインクした。そして、左手で何かを摘まむような動作を繰り返している。
一方、右手は、親指以外の指が根元から何度も折れ曲がった。おいでおいでをするような――いや、この場合、何かが垂れるような動作と説明するのが正しいだろう。
エヴァンはジュードのように、眉間にシワを何重にも刻ませた。
「……じ、地獄だ……」
「うふふ、最後にまた見たいなぁ。お願いしたら見せてくれるかなぁ」
「!?~~あっ、ギルダ様!本当に今までありがとうございました!ギルダ様のことが好きです、大好きです!一生忘れません!!それじゃあ!」
「私もエヴァンのこと大好きよ~」
エヴァンは簡単にハグすると、そそくさと順番を明け渡した。
部屋の端の方で必死に左耳を隠す彼に、思わず吹き出してしまった。




