53.レナードと二人で
「プレゼントだ」
そう言ってレニーは、花束を差し出した。
大量の青い花で作られたそれは、種類も豊富で、知らない花ばかりだった。唯一見分けられたのは薔薇と紫陽花くらいだ。残りは見たことこそあるものの、名前が分からなかった。
そういえば、毎日花瓶に飾られているラインナップと同じもののような気がする。
「当たり前だ。あれを用意しているのは私だからな」
*
夜、いつものようにレニーに会うため聖域にやって来た。
そこで驚くべき事実を聞いた。
「え!?あの花ってレニーが用意してたの!?」
あまりの驚きで自然と声が大きくなる。思った以上に部屋に響き、少し恥ずかしくなった。
レニーはきょとんとして頷く。
「あぁ、青い花が好きだと言っていただろ?」
わざわざ入口まで迎えに来てくれた彼は、私をテーブルへとエスコートした。そして椅子も引いてくれる。立派な紳士になったものだ。
しかも、プレゼントと言いつつ、花束はあまりに大きかったため彼がそのまま持ってくれた。テーブルに陣取る華やかな青いドレスのようなそれは、生花独特の香りを漂わせていた。もちろん、聖域には元々赤い薔薇の甘い香りも充満しているので、まるで花畑に来たかのような錯覚を覚えさせられた。
「……え?」
そんなこと、言ったっけ。
私にとってはつい数日前のことなのに、まったく記憶になかった。
一方、彼にしてみればもう十五年以上も前のことなのに、しっかりと覚えている。
私の困惑した様子に気づいた彼が、眉尻を下げ、少し泣きそうな顔になった。
「……もしかして、嫌いだったか?」
「や!そんなことない!好きよ!!」
「なら良かった」
ほっと胸を撫で下ろす彼に、私の方もこっそりと胸を撫で下ろした。
青い花が好きなことは事実だ。きっと会話の流れで彼に伝えていたのだろう。
危ない、危ない。もう少しでレニーを泣かすところだった。
そして私たちは、いつものようにゲームで遊び始めた。
今日はオセロだ。
私からすれば、まぐれ勝ちのババ抜き以外、どんなゲームでも負けてしまうので選択肢はあってないようだった。つまりこれは、国のトップを相手にした接待ゲームである。
「この間から思っていたけど、この部屋以前より随分と物が増えているわよね?」
レニーは私が石を置こうとするのを止め、別の場所を指示した。
こうやって、敵であるはずの彼がアドバイスしてくれるのも慣れた。接待しているのではなく、接待されているのかもしれない。
「そうだな。毎日来るので私物を色々置いたんだ。おかげで便利になった」
改めて部屋を見渡す。机の上には書類がいくつも散乱していた。他にも、明らかに聖域のものではない本やカップ、お皿など、人が定期的に使用している気配があった。
「ギルダが目覚める瞬間も、そばにいた」
この言葉に、突然閃いた。
『その後私が記憶したものは、甘い薔薇の香りと、美しく輝く灰色だった。』
あの時の不思議な感覚の記憶は、幻ではなかったのだ。
薔薇の香りとは聖域の薔薇のことで、そして美しく輝く灰色とはレニーの髪の色だったのだろう。正確には、彼の髪色はアッシュブロンドだが、ぼやけた思考では灰色に見えたというのも分かる。
とすると、『生温かい感触』とはなんだろう。
「……頬っぺた触ってた?」
「あぁ」
「……」
とてもこそばゆい気持ちになった。
でも、おかげで改めて確信した。
やはり彼にとって、私はどうでもいい存在になっていなかったということを。
嫌われてはいなかったということを。
幸福感で胸がいっぱいになった。
テンションが上がった私は、つい本音をペラペラと語り始めた。
「白状するね」
彼の反応が気になって、意味深な言葉を使ってみた。ちらりと盗み見れば、思った通りに片眉が上がるのが見えて、馬鹿みたいに嬉しくなった。
「私たちが別れた後、レニーは私のことが嫌いになったんだと思ってたの。だから会いに来てくれないんだろうって。そうやって諦めてたから、目が覚めた時、レニーがそばにいてくれて本当に安心した」
自分から言い出したことなのに、段々と恥ずかしくなってきてへらへら笑った。
「それで思ったの。私、思っていた以上に貴方が心の拠になったんだなって。ちょっとしか会ってないのに、おかしな話だよね」
そうなのだ。
ここまで簡単に他人に依存してしまうのだろうかと疑念を抱くくらい、私はレニーを頼りにしていた。
もちろん、ジュードたちを頼りにしていないわけではない。しかし、私にとって、やはり彼は秘密を初めて共有した人間なのだ。その瞬間にはジュードたちは知らなかったわけで、私を本当の意味で理解してくれるのは彼しかいなかった。そのせいか、どうも刷り込みのように彼を特別に思ってしまうのだ。
レニーがお互いを「唯一の存在」と呼んだように、そのことが私自身にも深く浸透していた。だからこそ、裏切られたことに強くショックを受けていたのだ。
「あ、もちろん今は理由があったからだと分かってるから大丈夫よ!」
「……」
無言のレニーは真剣な顔をして、席を立った。そして座っていた椅子を片手に、テーブルを回って私の隣に座った。
ぐっと顔を寄せ、彼は語る。
「ギルダ、あれは演技だった。無表情だったのは、本当に我慢していたからだ」
「……謁見のこと?」
「あぁ。あれはそうするべきだと思ったからしたまでで、本心ではない。昔言っただろう?駆け寄って、再会を喜ぶはずだ、と」
「……うん」
「本当は、私は貴女のもとに駆け寄って、抱きしめて、その時間を大切にしたかった。――私が貴女を嫌いになるはずなどないんだ」
この後のレニーの表情を忘れられない。
ふにゃりと顔をゆるませ、まるで大好物のデザートを食べた時のように、だらしなく、蕩けるように、彼は微笑んだ。
「それに、貴女が心の拠になっているのは私も同じだ。――同じ気持ちで嬉しいよ」
心臓をわし掴みされるとはこういった感覚を言うのだろうか。
顔に熱が集まっていくのが分かった。今鏡を見たら絶対赤くなっているだろう。
レニーはそんな私の様子にまた破顔した。
全部筒抜けなところが何とも憎たらしい。
彼はさらに追い討ちをかける。
「私は、貴女のおかげで腐らないですんだんだ。真実を知れたんだ。貴女の優しさが、存在が、私に勇気をくれたんだ」
手が伸びてきて、頬に触れた。
――あぁ、今ならはっきり分かる。
この感じ、目覚めた時と同じだ。
「こんな重い真実、もしかすると一人では受け止めきれなかったかもしれない。あの時の私はボロボロだったから、たとえ父上の言いつけ通りに指輪をはめたところで、自暴自棄になったかもしれない。……壊れたかもしれない」
目を閉じて、思い出してみた。
あの時の彼は責任感に押し潰されそうになっていた。うまくガス抜きができず、見ず知らずの私に泣き喚くほど、ギリギリの状態だった。
壊れる、というその表現は適切だろう。
切なくなって、頬の熱に少しすり寄った。
「一人じゃないということ、貴女という絶対的な味方がいてくれたことが、私の心の支えになった。だからここまでやってこれた」
瞼をなぞる感触があり、目を開けた。
輝くような翡翠と視線が絡み合う。
「貴女がいたから、今の私がいるんだ」
鼻の奥がツーンとした。
視界が少しずつ見えづらくなっていく。
「それに、もし私が真実を知らなかったら。知ったとしても、逃げ出してしまっていたら。この国は噴火ですべて埋もれていただろう。この国すべての命が、貴女によって救われたんだ」
――あぁ、ずるい。
こんなの、期待していなかったのに。
「貴女のおかげで、貴女のその犠牲で、たくさんの命が救われる」
ポタリ、と溢れてきたものが胸元に落ちた。
頭がぐちゃぐちゃになって、またポタリ、ポタリとそれは落ちていった。
彼は頬を触れていた指で、そっとそれを掬い上げる。
「ギルダ、ありがとう。私個人としても、この国の王としても礼を言う。
――本当に、ありがとう」
あぁ、想像していただろうか。
人生で、こんなに人に感謝されるようになることを。
自分が、誰かを救うようになることを。
私は、平凡だ。
何かが秀でているわけでもない、特技があるわけでもない。
ただ、人の目が怖くて、親に、――他人に気に入られたくて、嫌われたくなくて、いい人であろうと努力していただけだ。
そのことが段々と自分の首を締めていって、生きることが辛くなっていた。
自業自得だ。自分で決めたことだ。
人は変われる、なんて言うけれど、そうやって生きてきた私には、今さらどうすればいいかが分からなかった。
真面目じゃなくなればいいのか?しかし、不真面目になって現状より良くなるなんて思えなかった。それなら、どうすればいいのか。
正解が、分からなかった。
結局、いいこであることを惰性で続けるしかなかった。
続けながらも、いいこだなんて、真面目だなんて、そんな風に生きていてもハッピーエンドを手に入れられるのは物語の主人公だけだ、まったく意味のないことだと思っていた。シンデレラのように、いつか報われる日が来るなど、浅はかな願いだと思っていた。
諦めていたのだ。
世の中、結局要領のいい人間が勝つのだと。
けれど、そんな私の性格が、これまでの経験が、今回、この国の、レニーの役に立った。
私が、この国に求められた。
私だからこそ、求められたのだ。
想像していただろうか。
こんなことになるだなんて。
――あぁ、まったく想像なんてしていなかった。
なんだろう。
やっと……。
やっと、自分の人生を肯定してもらえた気がする。
やっと、報われた気がする。
私の努力は、このためにあったのかもしれない。
結局、私の選択は、何一つ間違っていなかったのだ。
私の人生は、意味がないわけではなかったのだ。
「……れ、にぃ……」
もう、我慢ができなかった。
彼の名前を必死に絞り出せば、彼は無言で抱きしめてくれた。
ぼたぼたと大量の涙を落としながら、子どものように、泣きじゃくった。
*
どれくらい泣いていたのかは分からない。随分と長い時間だった気がする。
おかげで、ほとほと疲れ果ててしまった。
人前でこんなにしゃくりあげて泣くのは久しぶりだった。記憶を思い返してみても、まったく浮かばない。
もしかすると、子どもの時以来かもしれなかった。私は、よく泣くくせに、泣いているところを見られるのが苦手だから。
目元が重たくて、気持ち悪かった。
擦ろうとすると、素早くレニーに腕を掴まれた。
「擦ると腫れてしまうんだろう?」
そして彼は、私の左手の薬指に顔を寄せ、そっと唇を落とした。
「……」
「ちゅ」
「………っ!?」
二回目が降りてきて、やっと何をされたか分かった。
慌てて腕を引っこ抜こうとすれば、それより強い力で押さえつけられ、叶わなかった。
混乱した頭で思いついたのは、とにかく彼に攻撃することだった。空いた右手で彼をひっぱたこうとして、掴まれたままだったことに気がついた。ぴくりとも動かなかった。
彼は私の抵抗に気づいたのか、左手を滑らせ、私の右手とがっちり恋人繋ぎした。これでもう完全に両手が捕らわれてしまった。
「貴女も腫れるのは嫌だろう?後で後悔しないよう、私が捕まえておくから」
「べ、別に後で魔法で何とかすれば……」
「ふふ、情緒がないなぁ」
レニーは性懲りもなく、また薬指に唇を落とした。腹立たしいことに、ちう、という少し長めの、何とも恥ずかしい音を立てながら。
「~~もう!分かったからそれはやめて!!」
「ふむ。日記にあったのだが、貴女の世界の伝説では、左手の薬指に心臓に繋がる血管があるとされ、それで結婚指輪をここにはめるらしいな。これまでの国王は、それに基づいて、みんなここにキスを送っていたらしい」
ここ、と言いながら、彼はまたギリギリまで唇を指に近づけた。
そして最後まで言い終わると、挑発するように上目遣いでニヤリと笑う。ゆっくりと瞳が上向きになる様がとても絵になっていた。
「――私からも、たくさんの愛をこめて」
諦めて、何回目か考えるのも恥ずかしいそれを眺めながら、思考を明日の朝食メニューへとシフトした。
そこでふと気づく。
心臓に繋がる血管がある薬指――あぁ、つまり、これはギルダに憑依した“魂”に送るキスだということを。
最終的に、満足そうに笑うレニーに頭突きを食らわすことで、やっとそれは終了した。




