46.side:レナード(4)
聖域での一件の後、私には目標ができた。
それは、彼女との約束を果たすことだ。
『次に貴女に会える時までに、僕はこの国を、今よりももっとよりよいものにさせると誓おう。そして、先王たちに負けないくらい、素晴らしい王となってみせる』
今こうやって改めて考えると、抽象的すぎて何とも恥ずかしい約束だった。あの時はまだ子どもだったし、実を言うと彼女を前に、どうしてもかっこつけたかったのだ。
だが、本気だった。
だから、出来うる限りのことをしようと、必死で取り組んできた。
次に会った時に、約束をきちんと守るかっこいい男だと思ってもらえるように。
例えば、魔法使いの待遇を改善し、国民の生活の質が上がるような魔道具製作の後押しを行った。彼女から要望のあった、ジュード・ディアスも早い段階から筆頭として起用したが、彼がその計画にかなり役に立った。
もちろん、発展に関してだけでなく、地震対策も慎重に進めてきた。これについては十分にその効果を発揮したと言えよう。
あれほど悩んでいた政務も、あれ以降驚くほど何でもうまくいくようになった。
時間が惜しくて、使えるものは人でも何でも使おうと思った。そこで、信用できる人材を選択し、ある程度任せるようにしたのだ。
すると心にゆとりができて、的確な判断ができるようになった。一つのことに集中できるようになった。
任せられた人々も、私に報いようと思うのかやる気に溢れ、こちらが想定していた以上の結果を見せてくれることが多かった。正にいいこと尽くしだった。
目標があるということは、こんなにも見える世界が違うものなのかと驚いた。
毎日が楽しくなっていった。
成人した後はすぐに結婚し、子どもが生まれた。決められた通りに、男児が一人。
私は、世継ぎが無事に生まれたことに一仕事終えた気分だった。
王家には必ず、男児が一人だけ生まれる。女児は生まれない。また、二人以上の子どもを授かることも決してない。
これについて、民の間では魔女の呪いだと言われていたが、きちんと理由があった。
まず女児が生まれないのは、王家が大切にする対比の関係に支障を来すからだ。魔女が求めるのは男の国王でなくてはならなかった。
また、女性には継承権が認められていないことも原因にあった。
これらのことから、女児が生まれることは得策ではないと判断されていたのだ。
二人以上の子どもが生まれないのは、後継者問題の勃発を阻止するためだった。
万が一兄弟同士で殺し合いでもして、王族が断絶でもしたら一貫の終わりだ。
それに、指輪の認証には濃い血筋が必要だった。
例えば、曾祖父が王子だったものが次代の国王になったとして、認証が無事に成功する可能性は低い。そうなれば、国は火砕流に飲み込まれ、誰一人として助からないだろう。
だから指輪をはめた国王は、その魔力によって不妊をコントロールされる。ちなみに、指輪をはめるまで精通は来ない。
世継ぎのことまで、ギルダの魔法で徹底的に管理されているのである。
さて、このように着々と目標に近づいていたが、そんななかでも、私は暇さえあれば彼女に会いに行っていた。
ほとんど毎日だ。眠る彼女に触れ、様々なことを語って聞かせた。
アレがうまくいった、コレがもう少しで完成する、誰ソレがいい奴で――。
もちろん彼女からの返事はない。だが、語れば語るほど、その口元が笑うような気がした。それが私をすぐそばで見守っていてくれているようで、安心したのだ。
来日も来日も彼女に会いに行き、運命の日を指折り数えて待ち続けた。
そうして待ちに待った、あの日。
触れている彼女に少しずつ体温が戻り、そっと目が開かれる瞬間――。
言いようのない興奮が、体中を駆け巡った。
あぁ、ついに彼女が戻ってきた。
私がどれほどこの時を待っていたか。
緊張と興奮で手が震えた。夢でないことを確かめようと、瞼を何度も強く擦った。
――夢ではなかった。
ゆっくりと上下する胸が視界に入り、そっと口元に手を伸ばした。こそばゆい彼女の吐息に、思わずぞくりとした。
あぁ、本当に目を覚ましたんだ。
しかし、彼女はまだ不安定で、すぐにまた眠りに落ちてしまった。これ幸いと、その間に彼女を抱え塔に連れて行った。
本来であれば、これまで通り儀式を行うまで聖域で保護するべきだ。だが、今後の計画のためにそれはやむを得ないことだった。
少しでもいいから話したかった。
また会えて嬉しい、ずっと待っていた、と抱きしめて伝えたかった。彼女のぬくもりも、声も、全部一人占めしたかった。
しかし、それには面倒な事情や、今後の計画のこともあるので不可能だった。過去彼女に会った際、未来の自分が理解できないと言ったが、結局同じことになってしまった。
その後は泣く泣くジュードたちに任せ、堂々と会える謁見の日まで心を閉ざし、政務に明け暮れた。そうでもしない限り、彼女を渇望する心が抑えきれなかったからだ。
――どうせ今、会いに行ったところで彼女は私のことを知らない。あの時の彼女ではない。その眼差しに堪えられるか?
そんな風に自分を叱咤して、必死に欲望を抑え込んでいた。
そうして謁見の日が訪れた。
久しぶりに動く彼女を見て、心臓がぎゅっと掴まれたかのような錯覚に陥った。体中の血が沸騰するような感覚もあった。ただ大人しく座っていることがこんなにも難しいだなんて思いもしなかった。
すぐに走り寄って抱きしめたかった。
たくさん話したかった。
目の前に愛しい、唯一の相手がいるというのに、まるで拷問のようだった。自分で決めたことだが、正直おかしくなりそうだった。
欲は満たされることはないうえに、周囲の人々の反応が騒々しいものだから、段々と苛立ちが募っていった。
――何も知らないくせに!
私が一言黙れと言えば静かになるはずなのに、それができないことがもどかしかった。
しかも、思ってもない、絶対に言いたくもないことを、国王として魔女に問わなくてはならなかった。辛かった。
だが、私より辛いと感じているのは何も知らない彼女である。私が強いているのに、逃げることなどできるわけがなかった。
彼女と視線が交わった。
ここ何年もその瞼が開かれていることはなかったので、私も他の国王と同じく、指輪を通して彼女の琥珀を思い浮かべていた。
それが、今。目の前にある。
琥珀の輝きはあの時と同じだった。
懐かしさと恋慕に胸がいっぱいになった。
そのうえ、あろうことか彼女は笑顔を見せた。およそこの場に似つかわしくない不敵な笑みを見せたのだ。
それが、私が覚えている彼女の姿そのもので、思わず演技も忘れて息をのんだ。
あぁ、彼女だ。彼女が目の前にいる。
何か言葉をかけなくてはならないのに、何の言葉も思い浮かばなかった。
あれからもう十五年以上経っているが、彼女との思い出は記憶に鮮明に残っている。それが今、目の前で同じように起こっていた。
抑えろ抑えろと自身にずっと語りかけてきたが、さすがにそろそろ限界だった。
全部のしがらみを放り投げ、彼女の元に駆け寄る寸前だった。
幸か不幸か、煩わしい魔女の糾弾騒動とジュードのパフォーマンスで我に返った。あともう少しで踏み出すところだった。
だが、助かったことは事実だが、いかんせん彼の態度が気にくわなかった。
全責任を持って管理する、だと?なぜ彼はそんなにも彼女に信頼を寄せているのか。
苛立たしい。
いったいどういうつもりなのか。
彼女の隣にいるべきは私で、彼女を真実支えることができるのも私だけだ。それを、自身を「この国一番の適任者」と声高々に宣言するなど、愚かにもほどがある。何も知らない者が、何を偉そうに語っているのだろうか。
何より許せないのは、そう宣言したジュードを、彼女が感激したように見ていたことだ。
私が知らない間に、私が我慢している間に、二人の間に他人とは言い難い繋がりができていることは明らかだった。
今この場において、彼女の頼れる味方はジュード・ディアスだった。
悔しかった。
彼女に何もしてやれないのはどちらだ。
大事な局面で、私は彼女の“敵”だ。
彼女のそばで支えてやることができない。役に立たない男なのはいったいどちらだ。
手のひらに爪痕を残しながら、私はその無念を拳にぶつけることしかできなかった。
ジュードがこの提案をすることは予想していた。
むしろ、その提案は彼女を守るための企てのうちだ。予想通りにことが進んで万々歳の結果である。
それなのに、愚かにも私は純粋に喜ぶことができなかった。
私が企てたというのに。私がこの結果を望んでいたというのに。
決断したつもりだった。
だが、国王としてのレナード・ラプタンと、ただの一人の男、レナード・ラプタンとして彼女を求める心の間で、どうしても揺れ動いてしまう。
なぜどちらか一方しか選べないのだろう。
決断したと思っていたのに、どうして私の心はこんなにも弱いのだろう。
その後も彼は、彼女のために尽力しているようだった。
あんなに堂々と魔女を擁護するなど、相当彼女との間に深い絆が出来上がっているらしい。過去、彼女が彼らを守るように言っていた意味がよく分かった。
自分に正直に行動できる彼らが羨ましかった。
だから、不謹慎なことではあると分かっていても、地震が起こる日を今か今かと待っていた。そんな愚かな自分に気づく度、苦笑いするしかなかった。そして、そっと蓋をして毎晩朝日を待った。
三週間後には、一週間後には、明日には――彼女はまた、私に笑ってくれるようになる。
そんな希望を胸に抱きながら。
そして、彼女が眠りについた後、私は彼らに真実を告げた。
慣例にないことだ。本来なら、国王以外が真実を知ることなどあり得ないことだった。
だが、今後の計画のためにもそれは避けられないことだった。
私だって彼らに秘密を教えたくなどなかった。私たちの、私とギルダ、たった二人だけの秘密だったのだから。
唯一で、秘密の共有者で、共犯。
それが、私にとってどれほど大切なものだったか。どれほど力をくれたものだったか。
その関係に他者が踏み込んでくることになるのだ。この決断をするまで、相当悩みに悩んで、やっと決めたことだった。
けれども、この選択は仕方がないことだった。こうするしかなかった。
これは、先祖や魔女たちが必死で努力してきたその意志を尊重する、ということである。
つまり、この国を、人々を守るということに繋がる、唯一の手段だった。
だから私は、レナード・ラプタンとしての想いを封印し、この国の国王として、真実の共有者を増やすことにしたのだ。
これまでは謁見時のこと然り、心は揺れてばかりだった。
だが、これを伝えたからには、もうただのレナード・ラプタンではいられない。
ここから新たな歴史が始まるのだ。
――あぁ、ギルダ。
もうすぐ貴女に会える。
戻ってきた貴女は、私のことをよく知っているだろう?
約束が果たせているかどうか、貴女の目でしっかりと確認してほしい。
そして、うまくいっていたら、よく出来たとまた頭を撫でてほしい。
かっこいいね、と誉めてほしい。
私はずっと、ずっとこの時を待っていたんだ。
だから、早く目を覚ましてくれ――愛しい人よ。




