45.side:レナード(3)
彼女のスキンシップはむず痒い。
頭を撫でられたことがないわけではないのに、初めての体験のように緊張した。触れられた部分が熱を持ち、全神経が集中する。手が離れた後もしばらく感触が残っていた。
目が自然と離れていく手を追う。
些細なことだった。
ただ、行儀の悪いことをやっても、彼女なら非難することはないだろうと思い、思いきってやってみたことだった。それがよもやこんな変な気分に陥ることになるとは。
色々知って、彼女の罪も晴れ、気分が高揚していたのだと思う。だからこんな幼い子どものような行動に出てしまった。
そのことをバレたくなくて、慌てて『秘密の共有者で、唯一の対等な関係だから』とそれらしい言い訳をした。
嘘ではない。実際に彼女に対してなら、素の自分を曝け出すことができると思っていた。
そして、その自身が苦し紛れに発した台詞は、驚くほどストンと胸に落ちた。
――あぁ、そうだ。
僕たちはお互い、唯一の相手なんだ。
彼女との関係に名前がついたことにより、より特別感を感じた。
胸がぽかぽかする。落ち着かせたはずの高揚感がまたぶり返してしまった。
その後、何が原因かは分からなかったが、彼女は必死に私のことを心配していた。
そういえば、鏡の前でも彼女は私を心配していた。あの時は優しさからだと思ったが、ここでその意味にハッと気がついた。
彼女が、心配するに値するくらい、私のことを大切に思っているということに。
ぽかぽかした胸の熱が急に温度を上げ、体中にじわじわと広がっていく。
口元が緩み、だらしない顔になった。
あの時は優しさからだったかもしれない。
でも、すべてを知った後の私たちは、お互いが唯一の関係だということを知っている。唯一の相手であれば、大切にするのは当然であろう。だから彼女は、私のことを心配している。
――彼女は、私のことを大切に思っている。
そのことに、胸がドキドキした。
では、私の方はどうだろう?
頭を捻らずとも、すぐに答えは出てきた。
――私も、彼女を大切に思っている。
あぁ、そうか。
私たちは、秘密の共有者で。
唯一の関係で。
お互いが大切なんだ。
お互いが、特別なんだ。
それはとても甘美な響きだった。
私には彼女だけで、彼女には私だけという事実が、この上ないほどの快感だった。
それなのに、彼女が他の人間を信用しているなどと言うものだから、はらわたが煮えくり返る思いだった。
私たちはお互いの唯一の相手なのに、なぜ他の人間に構わないといけないのか。なぜ私だけでは満足できないのか。
裏切られたと思った。
私たちの世界を壊された気がした。
何と問い詰めようかと悩んでいると、彼女が『きっと、私が悪女にならない限りは、彼らは私の味方をしてくれると思う』と話した。
その言葉にひどく安心した。
――あぁ、やはり彼女には僕だけだ。
いくらその人間たちが彼女に親切だろうと、魔女というフィルターは完全に取り払われないだろう。疑わしい事件が起これば、当然、その矛先は彼女に向くはずだ。この先悲劇が起きるのは確定事項だから、きっとその人間たちは彼女のことを見限るだろう。
なぜなら、真実を知らないから。
あぁ、良かった。
やっぱり彼女には私しかいない。
自然と笑みがこぼれた。
他者の介入により冷めていた心が、再びぽかぽかと温かくなっていった。
私たちの関係をより強固なものにするために、何か新しい適当な言葉はないだろうかと思い、頭をフル回転させた。
そこで浮かんだのが『共犯』だった。二人で国を騙しているという点から取ったものだ。我ながらピッタリの言葉だと思う。
“唯一”や“秘密の共有者”に――“共犯”。
どれもこれも私の心をくすぐる、甘くて、心が満たされるような言葉の数々だった。
お互いにお互いしかいないという事実が、私をひどく安心させた。
私たちの関係は不可侵だ。
それだけでも満足していたが、もっともっと彼女との繋がりを確固たるものにしたかった。決して誰にも邪魔されないような、二人だけの世界が望ましかった。
そのためには、お互いについてもっとよく知ることが必要だ。
だから、ゲームを用いてコミュニケーションを行うことは、かなり有用だった。有用なうえに楽しいので、すぐに夢中になった。
彼女と共に過ごす何てことのない時間が、とても心地よかった。
そして過ごせば過ごすほど、この後に訪れる別れが辛くなった。
無理だとは分かっていた。
彼女はいずれ、元の場所に帰る。その事実は何があっても変わらないだろう。
けれど分かっていても、『一緒にやれるだろうか』と聞かずにはいられなかった。彼女が何と応えるかが知りたかった。その応えで、彼女の気持ちをはかりたかったのだ。
自分と同じように、別れを悲しんでくれているのだろうか――と。
結果、ただ彼女を困らせることになってしまったので早々に諦めた。
しかし、話を変えながらも、まだ悶々としていた。
なぜこんなにも彼女のことを考え、気になり、求めてしまうのだろうか。
その疑問に頭を悩ませていると、ふと昔誰かに言われた言葉を思い出した。
『殿下にもいずれ、誰かを愛しいと思い、四六時中その人のことを考えてしまうような素晴らしい恋が、きっと訪れると思います』
――そうか、僕は彼女に、恋をしたのか。
彼女と過ごす時間が楽しいのも、別れが惜しいのも、頼れる相手はお互いしかいないことがこんなにも満たされ嬉しいのも――。
これらはすべて、私が彼女に恋をしているから起こる事象なのか。
そのことに気づいた途端、彼女の周りがきらきらと輝いて見えるようになった。
目が離せなくなった。彼女が新たなゲームを探しに行くのをずっと追いかけていた。
意識してようやっと外せても、彼女の一挙一動が視界の隅に入り、気になって仕方がなかった。目を閉じれば、余計彼女の足音や息遣いが間近に感じられるだけだった。
どうして彼女の周りだけ、雰囲気が鮮やかになっているのだろう。
なぜこんなにも、手を伸ばして、少しでも近づきたいと思うのだろう。
触れたいと思うのだろう。
もう抑えきれなかった。
すぐにでも想いを伝えるべきだと思った。
私たちはお互いが唯一無二の存在だ。もしかすると彼女も同じ気持ちかもしれない。そう思えば、余計気持ちは急いていった。
それに、将来彼女に会う機会がないことを聞いていた。これを逃せば、次はいつ二人だけの時間を取れるかが分からなかった。
これが、ラストチャンスかもしれない。
せめてこの時間だけでも、彼女との思い出が作れないだろうかと必死でアピールした。
しかし、無情にも彼女は、未来の私に妻子があることを告げただけだった。
だがそうであるならば、余計、今この場で気持ちを伝えておかなければならないと思った。
今の私にはそういった関係は皆無だ。未来の私にはできなくとも、今はまだその権利はあるはずだ。
彼女に愛を請う権利が。
想いが爆発して、もう止められなかった。これが本当にラストチャンスなのだから、思い止まることなどできやしなかった。
逸る気持ちは自然と彼女の手を取り、口づけを落としていた。
言葉がダメだというのならば、無理矢理行動で示すしかない。
――ギルダ。どうか、どうか、僕の想いを受け取ってくれ。貴女のことが好きなんだ。
貴女のおかげで無知の王にならずに済んだ。
貴女がいたから前を向けた。
貴女は僕の、特別なんだ。
お願いだから、受け入れてほしい。
唇に口づけをするのは違うと思った。あくまでも彼女の部分はその魂だけだ。
だから心臓に触れるようにした。
最後の賭けだった。
彼女が応えてくれればと強く願ったが、結局、その意思は固かった。
反応は上々だった。
私の好意は伝わり、そしてそれに対し彼女も嫌がる様子は見られなかった。むしろ満更でもない反応に少し舞い上がった。
だが、彼女は思っていた以上に真面目な女性だったらしい。彼女は彼女なのに、自身を祖母だと言って私の想いを拒絶した。
未来の妻子のことや、決して報われることのない私たちの運命を意識しているのだろう。
これ以上のアピールは彼女を困らせることになるだけだった。そしてその分だけ、私も、彼女も、傷つくことになるだけだった。
諦めるしかなかった。
私たちの背負うものが大きすぎた。
王族に生まれて良かったと思う反面、苦しかった。彼女に出会えて良かったと思う気持ちと、これほど辛い思いをするくらいなら真実を知りたくなかったという気持ちで、ぐちゃぐちゃになった。
ここまで喉から手が出るほど何かを欲しいと思ったのは初めてのことだったのに、それは絶対に手に入らないものだった。
何が一番悔しいかといえば、お互いに結ばれないことが、お互いの一番の幸せだと理解していることだった。
私たちの関係に他者は不可侵だが、それと同時に、私たちの間にも大きな壁があったのだ。
とても歪な、悲しい関係だった。
だからこの感情は、私たちの宝物として、鍵をかけてしまっておくのが一番いいと思った。
来るべき日に、きちんとお互いの役割をこなせるように。
私は国王で、彼女は魔女でいられるように。
そうして、この出会いの時から私はずっと人知れず彼女に恋をしている。
心の奥底にしまいこそしたが、そのまま消えることはなかったのだ。
実はたまに、この感情は本当に恋なのかと疑う時がある。一般的に聞くようなそれとは何かが違うように思えたからだ。
それでも、次の瞬間にはすぐに思い直す。
彼女は私の唯一の共犯者だ。そんな彼女を大切に、愛しいと思うことの何がおかしい。
私には彼女という、秘密を共有した絶対的な味方がいるということが、この十数年、ずっと心の支えになっていた。
彼女の存在があったからこそ、どんな時でも乗り越えられた。
何よりも、大切だった。




