43.side:レナード(1)
私の名前はレナード・ラプタン。
ここ、ラプタン王国の国王として、十四の歳に即位した。
それから十五年以上経過しているが、今でもその頃のことをよく思い出す。それくらい、私のなかで大切な思い出になっていた。
十四歳。
父が亡くなったのも、即位したのも、――そして彼女に会ったのも、すべてこの歳だった。
激動の年だった。
唯一の後継者とはいえ、平和な日常に慣れきっていた私に突然降ってきた「父の死」と「国王の責任」は、重すぎるものだった。成人もしておらず、自分にその役目が回ってくるのはまだまだ先だろうと高を括っていたのだ。
もちろん勉強はきちんとしていた。しかし、その地位の意味を想像するのと、実際に手にするのとでは、雲泥の差があった。技量はあったから慣れれば問題ないだろうと思ったが、なぜかなかなか上手くいかなかった。
今だから分かる。
単純に、あの頃の私は受け入れる準備ができていなかった。
気持ちが追いついていないのに、碌な仕事などできるはずがなかった。
そんな状態であることにも気づかず、当時の私はひたすらに政務に明け暮れた。
一刻も早く一人前の国王にならなければならない。
一刻も早く父に追いつかなくてはならない。
国王として完璧でなくてはならない。
そのことで頭がいっぱいになり、休むことなく仕事に打ち込んでいた。
気持ちは焦るばかりだった。
家臣たちは真面目に取り組む私を褒めた。彼らのその期待でやる気が上がるなら良かったが、残念ながら私には重荷でしかなかった。余計押し潰されそうになっただけだった。
なかには気を遣って休んでくれと言ってくれた者もいた。けれども、弱い人間だと思われることが嫌で、そして――怖くて、平気だとはね除けた。
子どもだとなめられることも、王の仕事に変に手を出されることも、嫌だった。
僕が、僕の力で何とかしなければ――。
僕が、この国を維持しなければ――。
こういうことを考えること自体が子ども――つまり未熟だったのだろう。
人を頼ればいいだけのことだ。適材適所という言葉がある。
単に適した人物に采配すればいいだけのことだった。何でも自分でやらなければならないと思っていた私は、そういうことをきちんと理解していなかった。
未熟な私は未熟なりに必死だった。
朝、昼、晩にかけて必死で頭に詰め込んで、体力も限界になった真夜中。
大抵その時間は勉強しているだけなので、一人きりである。周りに誰もいないので気が緩むのか、ふとそれまでの出来事やかけられた言葉の数々が思い出されるのだ。
期待、願望、賛辞、激励、指導、上奏――。
そして、父の死。
ズドンという鈍い衝撃に思わずよろける。
パニックになった。
心臓の鼓動が早くなり、何も考えられない。ただ息をするだけのことが苦しかった。
これまでいったい、どうやってそれらのことを受け止めていたのかが思い出せなかった。
無理だ、と思った。
もう自分には無理だ。
頑張っても頑張ってもなぜか身につかない政務の数々。回らない頭。何の役にも立たない口。思った通りに動かない手足。
もう、どう足掻いても自分には無理だ――。
視界がぼんやりしてくる。
睡眠不足もあるため、頭もぼんやりしていてそのことだけしか考えられなくなった。
体に力が入らなくなり、崩れ落ちるように執務室のソファーにごろりと寝転がる。
そうして、気づけば朝だったということが連日のようにあった。
私の疲労は、少しずつ蓄積されていった。
段々と何もかもがどうでもよくなっていった。
ギルダに会ったのは、そんな日々を過ごしていたある真夜中の日のことだった。
いつものように鬱々とした気分でいっぱいになっていたところに、彼女は現れた。
その日は昼間伯父に言われたことを思い出し、特に疲弊していた。我慢の限界だった。
例えるなら、水がギリギリまで入ったコップが、思いきり横から叩きつけられたかのような衝撃だった。あの時、自分がどんな表情をしていたかが思い出せない。
コップは呆気なく音を立てて転がった。中身は溢れていく。
結局、何も残らなかった。
逃げようと思った。
何もかも目を瞑ってしまおうと思った。
彼女には数時間で戻ってくると言ったが、実際のところは分からなかった。
帰ってきたくなどなかった。
小さな国だ。すぐに見つかって連れ戻されるだろう。
それでも、少しの間だけでも自由になりたかった。自由な時間があれば、きっと心は安らぎ、昔の自分に戻れるような気がした。
彼女――魔女を見た時の感想は、「あぁ、魔女か」――ただその程度だった。
疲れきっていた私は、どうこうする元気もなく、ただその現状を受け止めた。
私に会いに来たのだろうと思った。
いや、私というよりも“国王”か。
これまでの国王と同じように、彼女は私に求婚でもしに来たのだろうか。
しかし、私にとって、魔女などもうどうでもよかった。否、魔女だけでなく、もうどんなことでもどうでもよくなっていた。
疲れた。
いっそ殺されても構わなかった。
すべてのことに疲弊しきっていた私には、魔女の来訪など驚くことではなかった。
過去に二度しかない魔女の来訪の、記念すべき三度目の国王であるなど、自分はとことん引きが強いと思った。
何をやっても中途半端な私は、父の死を引き寄せ、そして魔女までもを引き寄せてしまった。自嘲するしかない。
これが運命であるとするならば、受け入れようと思った。
いっそその方が、今の暮らしよりも何倍も楽になれることだろう。
楽になる――。
もう終わりなのだというならば、この溜まり続けた感情を曝け出してもいいだろうか。
ドクンと胸が高鳴った。
ずっと誰かに聞いてほしかった。
しかし、私にはその相手がいなかった。
父が亡くなってから目に見えて疲弊している母には言えない。
友人にも言えない。臣下にも言えない。そしてもちろん、国民にも言えない。
誰にも相談できなかった。
なぜなら私は、国王だから。
トップが揺らいでいるなど、笑い話にもならない。
彼女なら聞いてもらえると思った。
彼女は、国民ではない。国という枠組みから外れた人間、まったくの赤の他人だ。
私がどんな惨めな人間であろうと、どれだけ弱かろうと、この血筋が目当てなのであれば、決して切り捨てることはしないだろう。
そんな打算的な思いがあり、私は彼女に、心の底に溜まりに溜まっていた錆びを見せた。
聞いてほしいことはたくさんあった。しかし、いざそのチャンスが訪れたとなると、うまく言葉が出てこなかった。出てきたとしてもうまくまとまらなかった。
何を話せば自分のこの気持ちは伝わるのだろう――そう考えを巡らせていると、やはり思い浮かんだのは敬愛すべき父のことだった。今日の出来事も影響しているのだろう。
一言。たった一言だ。そのたった一言を形作ることがどれだけ大変だったことか。
だが、されど一言だった。
それを形作った途端、様々な感情が芋づる式に浮かび上がってきた。口は止まらなかった。これまで、あんなに固く結んできたのに。
伝えたい。
聞いてほしい。
気づいてほしい。
僕の、悲鳴を。
我に返った時には、分厚い錆びをゴリゴリと剥がしとった後だった。
しかしこの程度序の口である。
まだまだ言いたいことは残っていたが、少し爆発したことで冷静になってきた。
――魔女相手にいったい何をやっているんだろう。
そう思い、頭を抱えたくなった。
こんな情けない王族の本音、彼女が国民に黙っている保証などない。何かしらに利用される可能性だってある。羞恥心だけでなく、不安感にも襲われた。
だがそれ以上に、心がスッキリしていた。
ここしばらく味わっていない感覚だった。
自分の気持ちを吐露することが、こんなにも爽快感のあるものだとは思わなかった。
記憶にある限り、ここまで派手に涙を流したのも初めてだった。頭はぼうっとしたが、反対に心は透き通るかのようで軽かった。
私は、羞恥心と不安感を覆い隠すほどの、高揚感と充足感でいっぱいになった。
充足感を満たしたものはそれだけではなかった。
私の話を聞いた魔女が涙を流したのだ。
たったそれだけのこと。そう、たったそれだけのことだった。
だが、それは私の悲鳴が、確かに誰かに届いた証拠である。
嬉しかった。
彼女は私に共感してくれたということだろう。
相手は魔女だが、私にとって、そういう存在は彼女しかいなかった。
たった一人でも、誰かが自分に共感してくれている。
そのことが、とても胸を温かくさせた。
ところで、魔女が求めているのは、“初代国王の血を受け継ぐ、王族の人間”だろう。そこには威厳がある、とか輝かしい功績を残している、といった素晴らしい形容詞がつく。
しかし私は、“ただのレナード・ラプタン”として情けない本音をぶつけてしまった。
幻滅させてしまっただろうか。
別にそれならそれで構わないはずなのに、思わずそんなことを思ってしまった。
これだけ恥ずかしいところを見せた後で、未だにプライドが残っていたことに苦笑いした。そのプライドのおかげで、私は雁字搦めになってしまったというのに。
けれども、彼女の思いはどうであれ、今さら国王として取り繕うのは無意味だろう。
しかも、相手はあの悪しき魔女である。そういった意味でも、無意味だ。
そこで私は、変なプライドは今度こそ捨て去ることにした。
そして、情けない、“ただのレナード・ラプタン”として彼女と接することにしたのだ。
気を遣わなくていいというのは楽だった。
砕けた態度で接しても、既に彼女のなかで私の印象は底辺であろうから、これ以上下がりようがない。魔女相手に印象を良くしようとも思わないし、――と、いうより、そもそもそんなことを考える必要すらないだろう。
外聞を気にしなくていいというのは、疲れきった私にはちょうどよい休憩だった。
距離感もとても心地がよかった。彼女は話しやすい空気を作るのが上手いのだろう。
まるで、自分たちが仲の良い友人であるかのように話しかけてくるので、私もそれに便乗して自然と返すことができた。
信じがたいことだ。
相手はあの魔女であるというのに、ここ最近で一番安心できた。
やっと落ち着くことができる居場所が見つかったような、そんな満ち足りた気分だった。




