40.side:エヴァン(2)
けれども、異世界の少女はやって来た。
この穏やかな日々がこの先もずっと続くかもしれない――ちょうどそんな期待を持ち始めた頃だった。
彼女にあやしい行動は見られなかった。毎日毎日朝から晩まで、俺たちと他愛ない会話と勉強会を繰り返しているだけだ。もちろん国内で被害があったという話も聞かない。
それにも関わらず、少女はやって来た。
理由が分からなかった。
しかし、魔女がいて少女もいるというこの現状は伝説通りである。
国にピンチが訪れない限り、少女が来るということも考えづらい。昔から、火のないところに煙は立たないというだろう。
つまり、今は何もなくとも、これから起こるということなのだろうか。彼女は何も分からないなんて顔をして、実は悪逆非道な計画を立てており、だから少女がやって来たのだろうか。
――あぁ、やはり悪は悪なのか。
不確かなことだらけであったが、俺は勝手にそう落胆した。
俺にとって魔女という存在は、語り継がれている話を知っていてもなお、いい意味での興味が大きかった。強大な魔力を持つ存在として、好奇心が強く働いていたからだ。
だが、彼女が国を害するというならば、話は別である。
俺は、この国が好きだ。
もともと邪な気持ちで目指した騎士であったが、その過程で『大切なこの国を守りたい』という意志が生まれていた。騎士という仕事に愛着が生まれ、誇りも持っていた。
だから、もしも彼女が伝説通りの行動をとるならば、俺はこの剣を向けるつもりでいた。
魔女には憧れていたが、優先順位としては決して高いものではなかったのだ。
俺のなかで、彼女に対する疑いの念がじわじわと大きくなっていった。
しかし、その膨らむ疑いは、急に小さな穴を空けられたかのように勢いを止める。
謁見前、彼女を迎えに行くとひどく緊張した様子だった。不安げで顔色も悪かった。それを見て、「これが本当にあの魔女なのだろうか」という疑問が生まれたのだ。
二度も国の転覆を企んだ魔女が、これしきのことでここまで動揺するだろうか。それともこれは演技で、俺たちは騙されているのか。
そもそも、最初に会った時から彼女のことがよく分からなかった。
見た目こそ魔女だが、中身はおよそ魔女らしくない。記憶がないと、人はここまで変わるものだろうか。記憶喪失の人間なんて初めてなので、判断がつかなかった。
それについて深く追求してこなかったのは、総じて俺に、彼女自身に対する興味がないからだった。この時初めて、今まで気にしていなかったことを後悔した。
記憶がないという彼女は、自身の置かれた状況について何も文句を言わなかった。ただ受け入れるばかりだった。
そういうところもよく分からない。
ふと、自分たちがやっていることは本当に正しいことなのだろうかと不安に思った。
顔色の悪い彼女が倒れてしまうのではないかと思い、あの日思わず腕を掴んでしまった。
気づくと彼女を誉めるような言葉が出ていた。無意識に慰めようとしていたのだ。ジュード様も同じようで、なるべく彼女に優しく語りかけるようにしているようだった。
そのあと、彼に手錠を見せられた彼女がピシリと固まる姿を見て、同情した。
国の敵である彼女に対する感情として、相応しくないのは分かっている。特に、国を守る騎士という立場である俺が。
複雑な気持ちだった。
彼女のことも、そして何とか彼女を励まそうとしている俺のことも、よく分からなかった。
しかし、謁見での彼女は、塔にいた時とはうってかわって堂々としていた。
これぞ魔女だと言えるような風格だった。それまでの彼女を見ていなければ、まさか彼女が数分前まで不安そうにしていたなどと誰も思わないだろう。
何かを覚悟しているような姿に心が揺さぶられた。
あぁ、それでこそ魔女ギルダだ。
俺はちょっぴりミーハー心が復活した。
謁見を終えた彼女は、今までと何も変化はないと語った。記憶が思い出されることも、陛下に恋心を覚えたということもないという。
本当だろうか。
記憶に関しては医者でないので分からないが、陛下は同性の俺から見ても魅力的だ。国中のすべての女性が彼に一度は恋心を抱くと言われている。そんな美丈夫を前に、何の感情も持たなかったと?
例え陛下が妻子持ちだといえど、彼女は世の女性たちのように、そして伝説のように、恋に落ちるだろうと思っていた。
見栄を張っているのだろうか。それとも、騙すための嘘だろうか。
俺はその仮面を壊すために「国の奴隷になることをどう思うか」と問いかけた。
今後俺が、彼女とどう接するかの最終確認でもあった。これで彼女が怒りなどの本性を見せれば、彼女は伝説通りの魔女だったとして、腰の剣を向けるつもりだった。
――彼女を殺す。
そのことを想像すると、胸が苦しくなった。
国のためにやらなければならないという意志と共に、彼女を葬ることに拒否感を覚えている自分がいた。相反する感情が俺のなかでぐるぐると渦巻いていて、気持ちが悪かった。
彼女のことを気に入っているとは感じていた。けれども、その感情は自分が思っていたよりも相当強かったらしい。
段々と自信がなくなっていった。
俺は彼女を殺せるのだろうか。
全力で向かったところで歯が立たないだろう相手だ。こんな風に迷いを持つ時点で厳しいだろう。
溜め息しか出なかった。
そんななか、彼女から強烈な一言が放たれた。
『衣食住のついた終身雇用ってだけよ』
拍子抜けだった。
決心がつかず、悩みに悩んでいる俺に彼女は飄々としながら答えた。
その楽観的とも言える台詞に、胸がすっと軽くなるのを感じた。
悩んでいることが馬鹿馬鹿しくなった。俺は必死に生死について考えているのに、当の本人は今後のことについては「まぁこんなものか」程度の意識しかないようなのだ。
当の彼女がこんな様子なら、今すぐにどうこうなるという話ではないのかもしれない。
しかも彼女はこの場所を「楽園」と呼んだ。
つまり彼女にとって、――いや、彼女にとっても、俺たちと過ごす時間は至福のものだということなのか。
敵同士なのに?
自由など何もないのに?
意味が分からなくて笑いが込み上げてきた。もともと彼女のことは分からないことだらけだったが、また分からないことが増えた。
とりあえずその話しぶりから、彼女がここの生活を気に入ってくれていることは分かった。確かに、俺も心地よいと感じていた。
俺たちは同じ意見だったのだ。
様子を見るべきだと思った。
結論を急ぐべきではない。
そう判断すると、そんな自分を後押しするかのように肯定する意見が次々と浮かんだ。
この塔からは彼女は出られないこと、そもそも陛下が許可を出していること、俺が彼女のことをよく分かっていないこと――。
そうだそうだ、と高らかに叫ぶ内なる声に苦笑いした。
やっぱり俺は、内心では彼女の死を望んでいないらしい。
これ以降、俺は彼女に対する“魔女ギルダ”というフィルターを取り去り、彼女自身をよく観察するようになった。
フィルターを取り除いてからの毎日は、心が軽くなって余計楽しさが増した。まるで友人たちと寮生活をしている気分だった。
友人――もちろん彼女も、魔女というフィルターを外せば、自然とただの友人の一人として触れ合うようになった。
なんてことない言葉のやり取りも、悪戯も、喧嘩紛いのことも、どれもが新鮮だった。
これまでは騎士になることを夢見て、がむしゃらに頑張ってきた。青春時代と呼ばれるものは、俺には鍛練ばかりの毎日だった。
友人とこうやってじゃれあって過ごすことなどほとんど経験がないものだから、新鮮だった。仕事など忘れて、とにかく彼らと、彼女と、面白おかしく過ごした。
仲間というものはこういう関係を言うのだろうか。
なんだかむずむずしたが、嬉しかった。
夜中ベッドに入りながら、ふとその日にあった出来事を思い出して笑みを浮かべる――なんてことが連日してあった。
騎士である俺にとって、当然騎士団が居場所であるはずだ。
しかし、俺の居場所はあってないようなものだった。
微妙に遠巻きにされていたので、居心地が悪かったのだ。理由はもう敢えて話す必要もないだろう。
もちろん騎士全員がそうというわけではない。だが、表立って騎士たちが俺に仲良くすることは難しい雰囲気だった。それでも、何人かそういったことを気にしない連中がいたから、俺には夢があったから、ここまでやってこれた。
その点、ここはどうだろう。
これほどのんびりできる場所はなかった。
やっと自分に居場所ができたような気がして嬉しかった。
俺という存在が認められたような気がして、心が震えた。
大地震が起こった際、彼女を疑う気持ちが一切なかったと言えば嘘になる。
けれども、その疑念は異世界の少女が来た時とは異なり、すぐに消えた。
なぜなら、今度の俺は、彼女のことをよく知っていたからである。
俺たちを守るために保護魔法をかけたことや、ジュード様の安否を気遣ったこと、そして国に対する助言――。普段の彼女の言動から、それらが彼女の本心からのものであることが理解できた。これが演技だとすれば、逆に称賛を送ってしまうほどのレベルだ。
地震が発生する前後も、不審な行動は見られなかった。俺はずっと彼女のそばにいたので、自身が証人である。そのことが、疑念を払拭するのにも一役買った。
それに、何より彼女自身もその渦中にいた。本当に伝説通りの魔女であれば、高みの見物でも行うであろう。まさかその中心のような場所で、赤の他人であるアーチーを抱きしめ、身をもって守ることなどするはずがない。
それらの事実を知っているからだろうか。
彼女が疑われることが許せなかった。
陛下の計らいで――もちろんこれも今なら理由が分かる――参加した対策会議で、案の定、団長だけでなく全員から彼女が犯人だと疑われていることが分かった。
俺たちはその考えが間違っていることを論理的に説明したが、やはり人々は腑に落ちない様子だった。
説明者の人望の問題ではない。ジュード様ですら無理だったのだから。すべては、人々の魔女に対する思想の問題だった。
このままではいけないと思った。
これは、濡れ衣だ。
騎士としての正義感か。それとも彼女を守りたいと思っているからなのか。
俺は、何とかして彼女の汚名を晴らしたいと思った。
そういえば、今回陛下からの話を聞いて一つ解けた謎がある。
地震の被害報告だ。
あんなにも大きな揺れだったので、当然死傷者が出るものだと思っていた。それにも関わらず、結果はただの怪我人一人。
運が良かったと喜ぶことである。しかしあの時はどうもその内容に釈然としなかった。
これについてはジュード様も不思議に思っていたようで、調べていたようだった。聞くところによれば、ここ何年にも渡って、陛下がそれとなく地震に対して準備していたらしい。
その時は余計謎が深まっただけだったが、今はその理由が分かる。恐らく、過去に彼女から地震の話を聞いて、ずっと準備してきたのだろう。
その陛下の話は、俄に信じがたい内容ばかりだった。我々が常識として知っていたことが、すべて偽りだったとは。
しかも、それを国王自らが隠し通してきたなど――。
理解が追いつかず、言葉を咀嚼することに必死だった。
そして、とてつもないスケールの話に、一介の騎士でしかない自分が関わることになってしまったことに気づき、戦慄した。
当初彼女の「護衛騎士」として任命された際、その「護衛」の意味が分からず、色々と勘繰った。
何か裏があるのか。真の意味は監視か。はたまた暗殺か――。そんな様に、頭はぐるぐる回っていた。
謁見後は、そういったことは一旦置いておいて、自らの意思で彼女を守ろうと思うようになった。
しかし、陛下の話を前提とするならば、俺のこの職務はその言葉通りの意味となる。
つまり、真実救世主である魔女を守るための騎士、というわけだ。
よもや最初からその言葉通りの意味で「護衛」として配属されていたなど、思いもしなかった。
安心したというのが本音だった。
これで俺は、彼女と敵対する必要はない。
彼女自身を見るようになって、ここの生活は一段と良いものになっていた。
枷が外れ、解放感に満ちていた。
だが、それと同時に、余計に彼女に剣を向けることが怖くなってしまっていたのが事実だった。
毎晩考えた。
思い出し笑いをした後、毎晩自問自答したのだ。
――彼女を殺せるか、と。
もともと肯定しづらい質問だったのに、どんどん首を縦に振れなくなっていった。
関われば関わるほど、その魔力は抜きにして、普通の女性と何ら変わらないことに気がついた。
そして、そうであるならば、自分でも難なく処理ができるとも思った。
不意を突けば、殺れる、と。
必死に自分に言い聞かせた。
国のために、その時は俺が――と。
大切な家族や友人の顔を思い浮かべ、そうやって何とか暗示をかけてきたのだ。
けれども、その必要がなくなった。
とてつもない歓喜に、胸が震えた。
笑いが込み上げてきた。
涙も出てきた。
拭っても、拭っても、止められなかった。
俺は陛下に会ったその夜、震える声を押し殺し、たくさん泣いて、たくさん笑った。




