39.side:エヴァン(1)
名前は、エヴァン・ウィスロー。
ウィスロー家は代々、役人を輩出する家系で、父や兄も現在王宮の役人を勤めている。家名を名乗ればほとんどの人が知っているであろうその名門一族のなかで、俺は二番目の男児として生を受けた。兄と俺、二人兄弟である。
我が家は役人家系と言えども堅苦しすぎることはなく、家族仲はいたって良好の一般的な家庭だった。
もっとも、そうなったのもここ二、三十年のことらしい。それまでは役人一家らしく、かなり厳格な雰囲気だったと聞く。
ここまで雰囲気が柔らかくなったのは、おおらかだった前当主――祖父の影響があった。
祖父は、ウィスロー家出身にしては珍しい魔法使いで、更に筆頭魔法使いだった。
そう、ジュード様の師匠に当たる人である。
俺は、幼い頃から祖父が大好きだった。
優しい祖父とその手から作り出されるキラキラした魔法に夢中だった。会うたびに強請り、様々な魔法を見せてもらった。そして見れば見るほど魅せられ、自分も魔法を使ってみたいという欲求は強くなっていった。
当然の如く、将来の夢は魔法使いだった。
その頃、兄が剣術を習っていたので、俺も嗜み程度で習っていた。先生から才能があると言われたが、俺の興味は百パーセント魔法にあった。だから剣術の稽古はそこそこで切り上げ、残りの時間は可能な限り祖父の元で過ごした。
とにかく魔法が使ってみたかった。
そのため、祖父に魔法について色々質問し、会えない時は魔法書を読んで過ごした。学んでいれば、いつか使えるようになった時に、人より一歩も二歩も先に進めるだろうと思った。
本のなかには魔女について書かれたものもあった。魔法に関するすべてが憧れの対象であったことと、祖父が魔女を非難しなかったこともあり、俺は魔女に対しても強い憧れを抱いていた。
祖父は魔女のことを「どんな魔法使いよりも強大な魔力を持つ」と語っていた。そのことにひどく惹きつけられたことを覚えている。そんな素晴らしい力を持っているなんて、一体どんな気分なんだろうと想像することもあった。
祖父の魔女への態度は、他者と比べるとかなり穏やかだった。好意的な印象さえ持った。
かといって尊敬や憧れの念があった感じはなく、単純に学術的に興味があるといった様子だった。きっと目の前に魔女がいれば、ジュード様のように根掘り葉掘りその知識を得ようと問い質しただろう。
今思い返せば、祖父は魔女の秘密に気づいていたのかもしれない。
魔女の悪口を聞いた時は、いつもさりげなく話を変えていたような気がする。
さて、こんな感じで、幼い俺は魔法への期待を膨らませながら日々を過ごしていた。
だが、ある日事件が起こる。
魔力が認められなかったのだ。
絶望した。齢十歳にして、生きる目標と希望を失ってしまったのである。
これまで必ず魔法使いになると信じて努力してきたことが、たった数分の検査ですべて水の泡になった。
それからは何に対してもやる気がなくなり、部屋に引きこもるようになった。
家族が心配して何度もやって来たが、どんな慰めも響かなかった。
元々嫌な予感はしていた。魔力が宿るのは血筋ではなく、運だ。祖父がそうであったからといって、父に魔力がなかったように、俺にも魔力があるとは限らない。
だが、俺には魔法に対する強い熱意があり、きっとこの想いは報われるだろうとずっと信じてきたのだ。
夢など儚いものだと悟った。
しかし、それでも魔法のことは嫌いになれなかった。諦めきれなかった。
魔力がなかったとしても、どうにかその魔力を生み出す方法や、扱う方法がないだろうかと思っていた。
それが無理なのであれば、せめて、魔法の近くで過ごしたかった。
そんな風に思っていた時、祖父が部屋までやって来た。
ノックもせずに扉を開け放つと、ニヤリと笑って俺にこう告げた。
『城で働けば、魔法使いと関われるぞ』――と。
これだ、と思った。
魔法使いは希少な存在だ。害されると国益に響くため、国によってしっかり守られている。俺は家族だったからこそ会えたが、一般人はそう易々と会うことはできない。
けれども、城で働くとなれば別だ。職種にもよるが、自ずと魔法使いと関わる機会も増えるだろう。そうすれば、俺の夢のために手助けをしてもらえるかもしれない。
希望を見つけたことで、再びやる気が満ちてきた。
それならば、仕事は何にしよう。
やはりウィスロー家といえば役人だ。
現役である父のコネや家名が役に立つかもしれない。ただ、役人といえども色々な職種があるから、そのなかでも特に魔法使いと関わる可能性があるものを選びたかった。
そしてもう一つ、俺には騎士になるという手段もあった。
真面目に剣術の練習はやっていなかったが、天才だと褒められる程度の実力はある。先生はいつも俺が才能を無駄にしていると嘆いていたから、役人よりもよっぽど実現性の高い目標だろう。剣術が嫌いではないことも幸いだ。
それに何より、騎士になれば魔女に会えるかもしれない。
俺が生きている時代に再び復活するかは分からない。だが、チャンスがまったくないとは言い切れないだろう。
騎士はとても魅力的な仕事に思えた。
そうして俺は、騎士団に入団できるよう、剣術の鍛練に真剣に取り組むようになった。
今度の願いは無事成就し、騎士団に所属した後は着々と力をつけていった。
騎士団のなかでもトップに上り詰める必要があった。魔女との戦い然り、魔法使いの警護然り、基本的には下位の騎士が最前線に当たる。だが、その配置に関する決定権など、最終的に必要になってくるのは権力である。
もし自分がやりたい現場に選ばれなかったらどうだろうか。それは絶対に悔しい。だから俺は、上に行きたかった。
そんな貪欲な姿勢が評価されたのか、それとも剣術の才能を見出だされたのか。今回、魔女の“護衛”に選出された時はとても興奮した。
もちろん、なぜ魔女に護衛が必要なのかという戸惑いはあった。
しかし、これはチャンスだ。魔女の魔法を目の前で見ることができるかもしれない。
想像していたよりも早く訪れたチャンス――しかも俺にとって至福の時間でしかない、喉から手が出るほど欲しかったチャンスだ。命令された時は飛びつくように返事したい気持ちを何とか抑え込み、冷静に、ただ簡潔に答えた。
冷静に受け止めたところで、自身の現状が見えてきた。
そもそも、騎士団のメンバーは総じて、団長の意向で魔法に関するものを嫌悪している。そのなかで、元筆頭魔法使いを祖父に持つ俺の存在は少々異色だった。
そんな俺だからこそ、魔女の対処や、同僚となる他の魔法使いとの連携を上手くこなせるだろうと判断されたのではないか。そう推測した。
さすがに魔法や魔女に興味を持っていることはバレていないはずだ。
このチャンスを存分に味わおうと、俺は期待を胸に魔女に会いに行った。
初めて魔女を見た時、強く激しい心臓の音で頭がいっぱいになった。そのせいなのか、体が燃えるように熱かった。
自分が今、きちんと呼吸が出来ているかが分からなかった。
緊張と、興奮と、歓喜と。
鳥肌が立っていることに気づくと、ゾクゾクとした感覚が体を駆け抜けていった。
彼女の周りの空気は、魔女とは思えないくらい澄んでいた。どこか神聖さすらあった。例えるならば、冬の早朝の空気のような、ピリッとした清々しいあの空気感だ。
ハクハクと口を開け閉めさせて、俺は彼女を凝視していた。彼女も、不思議そうにそんなおかしな俺を眺めていた。
彼女を見た時、瞬時に魔女だと分かった。
それくらい、彼女は話で聞いていた通りの容姿だった。
その姿を一目見て「魔女だ」と認識し、落ち着いてきた脳が再度彼女をインプットして「間違いなく魔女だ」と再認識した。
二度認識したことで、やっと目の前にいる存在が現実で、伝説の存在であると判断できた。
しかし、彼女が口を開いたことで、その興奮は一瞬にして萎んでしまう。
彼女は良くも悪くも普通だった。その容姿さえなければ誰も魔女などと思わないだろう。これまで聞いてきた話とはまったく異なる魔女の様子に戸惑いが生じた。――いや、落胆かもしれない。
始めはもしや偽物かと疑って注視していたものの、彼女の魔法に関する能力をジュード様たちが手放しで褒めている姿を見て、その考えを改めた。
やはり、彼女は魔女ギルダその人だった。
それを確かめたところで、当初の目的が思い出された。
魔女の能力を確認した二人が、どんどん彼女に魔法を習うようになったことも原因だった。
毎日様々な魔法を目にした。俺にとっては夢のような時間だった。
魔法使いトップであるジュード様、魔道具の発明家として有名なアーチー、そして、最強と言われる魔女ギルダ様。こんなトップの魔法使いの集いを見れるようになるとは、少し前までは想像もしていなかった。
とても充実した日々だった。
任命された際、魔女に少しも緊張していなかったわけではない。命日になるかもしれないと思っていた。
しかし、魔女と戦うなんて騎士の冥利に尽きることだ。みすみすやられるつもりはなかったが、俺はそれでも構わなかった。どこまで戦えるのかも気になっていた。どんな魔法を使うのだろうとも。
実のところ、緊張の対象は二人の魔法使いにも向けられていた。
騎士と魔法使いの相性は、前述の通り最悪である。彼らに騎士に対する偏見があれば、職務上問題が生じるかもしれない。そう思って、始めは期待半分、億劫な気持ち半分だった。
一応、ジュード様とは祖父を通して何度かお会いしたことがあった。だからまさかそんなことはないだろうとは思っていたが、祖父が亡くなってからは交流はなかった。
万が一の可能性もあるし、アーチーはどうも対人関係であまり良い噂を聞かなかったので心配だった。
けれども、彼らはそんな様子は微塵もなく、俺のことも分け隔てなく接してくれた。
魔女もその平穏を望んでいるような様子だった。
伝説で聞くような悲惨な事件とは無縁に、ただただ穏やかに日々が過ぎていった。
不思議だったのは、彼女がなぜか俺のことだけ警戒しているようだったことだ。警戒するのはむしろ俺の方なのに、彼女はたまにじっと俺のことを観察していた。
力量差は明らかで、基本的には「守る」ように言われている騎士が陛下の命令を反故にするわけがない。しかも、このエヴァン・ウィスローが。
ただ、彼女のその警戒は長く続かないようで、基本的にはジュード様たちに接するように気楽に話しかけてくれた。そして、時折思い出したように警戒する。
恐らく、常に気を張ることに慣れていないのだろう。
おかしな話だと思った。
まさかあの魔女が、警戒心を持ち続けることが苦手などと。
もともと、“魔女”やその“魔法”、“魔力”に関しては強い憧れや興味を持っていた俺だったが、彼女自身に対する感情は、“無”だった。
彼女は俺にとって“魔女”。ただ、それだけの存在だった。
男にフラれたとか、記憶がないとか、そういった彼女の経歴やパーソナリティーに関連することは大して興味が持てなかった。
だが、彼女との交流を通して、少しずつ彼女のことを気にかけるようになった。
気に入っていたのだ。
それは、事実だった。
繰り返すが、ここでの日々は充実していた。
焦がれていた、毎日魔法に囲まれる生活。
それは、魔法に対して偏見のある他の騎士であれば、地獄のような生活であろう。
しかし、俺には正しくご褒美のような、そんなとてもおいしい職場だった。
なんとも笑える話だ。
俺にとってこの場所は、騎士団よりも何倍も居心地のいい職場になっていたのだった。




