34.戸惑い
三人が遅れてギルダの寝室に到着すると、陛下はベッドの縁に腰かけ、彼女の髪をくるくると弄っていた。
その表情は、彼らが想像していたような憎悪や嫌悪に溢れたものではなく、慈愛に満ちたものだった。
どこか神聖ささえ感じられるその美しい光景に、三人はごくりと唾を飲み込んだ。誰も声をかけられなかった。
「随分と衰弱しているな……」
その声音は、まるで後悔しているような雰囲気だった。
決して弱っているところに止めを刺しに来た人物の様子ではない。本当に彼女のことが心配で、見舞いに来た客のようだった。
三人は顔を見合わせ、頷いた。
ひとまずは様子を見ることにした。
不可解な点はあるが、彼が今すぐ彼女を始末することはないと判断したからだった。
「薬は与えたのか?」
陛下は視線を彼女から外さないまま、問いかけた。
髪を弄っていた手はするりと滑り落ち、青白いギルダの手のひらに重なった。その手は形を確かめるようになぞり、ぎゅっと握りしめた。
「……与えました。しかし、薬が効かず難航しております。恐らく、我々とは魔力の質が異なることが原因だと思われます」
一拍遅れてジュードが簡潔に回答した。
エヴァンとアーチーはそこでやっと意識を取り戻した。陛下の行動がやけに甘ったるく、引きずり込まれていたからだった。
もちろんそれはジュードも同じで、だからこそ、一瞬反応が遅れてしまったのだった。
エヴァンは顔を振るうと騎士の顔に戻った。アーチーもくしゃり、くしゃりと髪を何度も握りしめ、平常心を取り戻そうとした。
そんな三人の反応を知らない陛下は――振り向きもしないので、どうでもいいと思っているのだろう――マイペースにギルダの手を握っては緩めてと繰り返し、たまに指をすりすりと擦り付けている。
まるで恋人に甘えるようなそれに、アーチーはドキリとして口を押さえた。もし観客がいなかったらキスさえするのでは――?彼の平常心は余計遠退いて行った。
「なるほど」
陛下は空いた方の手で顎をさすり、少しの間思案すると「やはりそうか……」と呟いた。
「やはり、とは?」
ジュードが質問すると、陛下は人差し指を立てた。黙れということらしい。
下々の習性でアーチーは瞬時に口を閉じた。だが、緊張のせいで息まで止めてしまい、エヴァンに小突かれて慌てて呼吸をした。
陛下はギルダの手を持ち上げると、その手を覆うようにそっと両手で包み込んだ。
そして神に祈りを捧げるように組むと、ゆっくりと額を押しつけた。
シン……と部屋が静まり返る。
静寂のなか、陛下の深呼吸の音が響いたかと思えば、突然、室内の空気が変わった。
「「「!」」」
彼の手から淡い光がもれ始めた。
三人は息をのんでそれを見つめた。
光は直径三センチ程の球体に形を変え、ギルダの腕に沿ってすいすいと下っていく。
そして心臓の辺りで止まると、体のなかに沈み込んでいった。光はそのまましばらく光っていたが、やがて消えていった。
三人は慌ててベッドに駆け寄った。
驚くことに、たった今まで喘鳴を繰り返していたギルダの呼吸が、みるみるうちに落ち着いていった。顔色も随分と改善された。完全に元通りとは言えないまでも、呼吸と顔色が良くなっただけで、大分マシになった。
あの光は彼女を害するものではなく、苦痛から解放させる類いのもののようだった。
「陛下……今のは一体……」
ジュードの額に汗が浮かぶ。信じられない光景だった。
一応、彼のなかではとある仮説が立っていた。今見たものと彼女の様子から考えるに、陛下が行ったことはアレの可能性がある。だがそれは俄に信じがたいことだった。
しかし、その仮説は、本人によってあっさりと立証された。
「魔力を分け与えた。これで少しは彼女も楽になるだろう」
「魔力を……?」
エヴァンがギルダとレナードを交互に見て、問いを投げかけた。
レナードはやはり彼らの方は一瞬たりとも見ないで、あぁとだけ簡潔に答えた。そして落ち着いた彼女を見て、安心したようにふわりと笑みをこぼした。
ジュードは、ガツンと何かに頭を殴られたような衝撃を受けた。
アーチーもその大きな瞳を、これでもかと見開いている。
――魔力を分け与える。
そんなこと、魔法使いでない限りできることではない。魔法使いであったとしても、おいそれとできるような簡単なことではない。
だが、彼らは陛下が魔法使いであるなどという話は聞いたことがなかった。
そもそも、これまでの国王で魔法使いだった人間は誰一人としていない。前例がないのだ。
師弟はそっと視線を交わした。お互い考えていることは一緒だった。
確かにあの光からは強い魔力が感じられた。ギルダの様子から見て、それが彼女を助けたのは事実だろう。
それでは実際のところ、彼女の魔力は回復しているのだろうか。
ジュードは陛下に断りを入れると、彼女の状態を確認した。横で陛下がじっと見張るように見つめているので居心地が悪かった。もしちょっとでもあやしいことをすれば、殴られそうな雰囲気だった。
おかしな話だ。
もともと、その“あやしいこと”をするのは陛下のはずだった。
ジュードはギルダの状態を確認し終えると、ふぅと安堵した。
「確かに魔力が回復しています」
見守っていたエヴァンとアーチーも、その言葉に安堵の息をもらした。
アーチーは気を張っていたのが一気に緩んだのか、その場に力なくへたりこんだ。「よかった……」震える小さな声が聞こえた。エヴァンはそんな彼の背中を、讃えるように二回叩いた。
「……陛下は魔法使いなのですか?」
ジュードの言葉に、二人がハッとしてレナードを見た。
「……」
陛下は無言だった。
何かをじっと考えているようだった。
そうして、かなりの時間を費やした後、彼は一言も発することなく、予想外の行動に出た。
眠っているギルダをじっくりと観察し始めたのだ。
それは頭頂部から始まり、顔、首、肩……と体のパーツをすべて触りながら何かを確かめている。たまに動きが鈍るので三人は不思議に思ったが、それがどういう理由かは傍目には分からなかった。
途中、わざわざ服の裾を捲り、かなり際どいところまで確認していたので、三人はドキリとした。
最終的に、その謎の行動は足まで続き、彼女の全身を確かめたところで終了した。
彼はふぅと長い溜め息を吐いた。
そしてこの場に来てから初めて、三人を視界に入れた。
「先ほど、私が魔法使いかどうかを聞いたな。その質問に答えるならば、否、だ」
納得しなかったジュードが眉間にシワを寄せ、反論しようとした。
レナードはそれを手で制すると、その手を回転させ、三人に手のひらを見せた。
三人が自然とその手のひらを注視していると、何もなかったその場所に、ふわりと光の球が現れた。
「――しかし、魔法を使えるのかと聞かれれば、その答えは応となる」
「……それは……」
ジュードが言葉を詰まらせていると、レナードが内ポケットから一本のガラス瓶を取り出した。小指サイズだったそれは、彼が二回指で叩くと、一瞬でペットボトルサイズに変わった。
そこには透明の水が瓶いっぱいに入っており、赤い薔薇も浮かんでいた。
「これを使って、薬を作るんだ」
「……これは?――っ!?」
瓶を受け取ったジュードは、持ち上げて上から下までじっくりと観察した。そしてその水に凝縮された膨大な魔力に気づくと、目を見張った。
彼が何より驚いたのは、その魔力がギルダが持つ魔力と同じだったことだ。まるで彼女が用意したかのような代物だった。
一体なぜそんなものを陛下が持っているのか。
次から次へと疑問がわいてくる。ジュードは舌打ちしたい気分になった。ここにレナードがいなければ盛大にやっていた。
なぜ陛下がギルダを見舞うのか。
なぜ陛下は魔法使いではないというのに、魔法を使えるのか――これは魔道具という可能性はあるが、次の疑問と結びつかない。
それは、なぜ陛下は魔力の質が異なる魔女に、自身の魔力――魔道具の魔力かもしれないが――を分け与えることができたのか――という疑問だった。
ジュードだって、そんなことはやろうと思えばできた。
けれども、ギルダと自分では魔力の質が異なるので、どんな副作用が起こるかが分からなかったから泣く泣く諦めただけだった。だからこそ、彼女自身の魔力を回復させるしかないと、回復薬を作ったのだ。
「この水は特別な泉の水だ。ギルダの魔力回復には必要不可欠なもので、これでないと十分に回復しない。……ふむ、レシピは魔法使いのもので問題なかったはずだ」
なぜ、陛下はこんなにも詳しいのか。
三人は誰も返事をしなかった。
普通であれば不敬なことだが、陛下を信じていいものか悩ましかった。
話がうまくいきすぎている気がする。いかんせん、これまでの彼の対応が対応なので、急に魔女を助けるなどという発言の真意が分からなかった。
やはりこの水は毒なのでは?
我々を油断させておいて、この毒で彼女を殺すのでは?
薬とは、この国を救うという大きな比喩なのでは?
――などと、彼らの疑問は尽きることがない。
そんな彼らの戸惑いは隠せるものではなく、レナードには筒抜けだった。魔塔のトップとしてそつなくこなしているジュードですら、その表情に混乱が出ているほどだった。
だが、もちろん、レナードには彼らのこの反応は想定内のことだった。
だから彼は慌てることもなく、苛立つこともせず、堂々とギルダのベッドに腰を下ろした。その姿はまるで、彼女を自身の背の後ろに隠し、守っているかのようだった。
陛下の奇怪な行動をじっと目で追っていた三人は、彼が指を鳴らした後、急に目の前に椅子が現れたことで肩を揺らした。椅子は人数分あった。
アーチーは「ヒエッ」と情けない声を上げた。
「座れ」
レナードは我が物顔で彼らに椅子を勧めたが、この椅子はギルダが用意した、リビングに置いてあるその椅子で間違いなかった。どうやら魔法でここまで移動させたようだった。
警戒心が極限状態まで高まっている彼らは、やはりそれを拒んでいた。おずおずとお互いの顔を窺っている。
その様子にさすがにレナードは面倒に思ったのか、露骨に大きな溜め息を吐いた。
「今から、お前たちの疑問すべてに答えてやろう。長い話になるから座れ。途中で腰を抜かしても知らないからな」
その言葉を聞いて、まず最初に腰を落ち着けたのはジュードだった。
彼のなかで、警戒心よりも好奇心の方が勝った証だった。彼は魔法馬鹿ゆえ、陛下がとても興味深い魔法を使っていたことも、その決断を後押しする形となった。
とはいえ、実際に陛下がギルダや自分たちを害するのであれば、その権力をもってすればいつでも、如何様にもできるだろうとも思ったからこそ、とりあえずは話を聞くことにしたというのが一番の理由だった。
アーチーは師匠が従うのであれば、というように、おっかなびっくり座った。
残るはエヴァンだった。陛下と彼の視線が交わった。
エヴァンは少し躊躇うような様子だったが、やはり最終的には話を聞く姿勢を見せた。
レナードは三人が大人しく座ったのを見届けると、そっと後ろ手にギルダの手を握った。その手は彼が最初に触れた時よりずっと血色がよくなっている。彼がずっとずっと待ち焦がれていた、大切な共犯者の温もりだった。
彼はふぅと一呼吸置いて切り出した。
「これから話すことは、今後一切、他言無用だ。――それを誓えるか?」
一気に雰囲気が変わった。
それはまさに“国王陛下”と呼べるような威厳と圧のある言葉だった。
ピリピリとした空気に慣れないアーチーが腰を引かせる。
慣れていないのはエヴァンも同様だった。しかし、彼は持ち前のポテンシャルと騎士という誇りもあり、何とか持ちこたえた。
「それは、彼女のためになりますか?」
ジュードが淡々と問いかけた。
「あぁ」
「……分かりました。誓います」
ジュードは椅子から下りると、その場に膝をつき、恭しく頭を下げた。
残り二人もワンテンポ遅れてそれに続いた。もちろん、彼らもその誓いは本心からのものだった。ギルダのためになるなら、と。
「その決意、決して忘れるなよ」
レナードの手に赤い光の球が現れた。
三つほど生まれたそれは、弾けるように三人の胸に飛び込み、消えていった。
「簡単な誓いの魔法だ。私はそれにあまり詳しくないが、破れば命の保証はないだろう」
アーチーの顔が青くなった。ジュードとエヴァンはごくりと唾を飲む。
どうやら陛下は本気らしい。
彼らは、これからどんな話を聞かされるのか、緊張と不安でいっぱいになった。
レナードは薄く笑うと、足を組んだ。
「それでは、まずは昔話から始めよう」




