32.昏睡状態
ギルダがタイムスリップから戻ってきてから数時間が経過した。
当に朝日は昇り、人々が活動し始めるのに十分な頃合いだが、特に、彼女の部屋は喧騒に包まれていた。
鍋がグツグツと煮込まれる音。
バタバタと走り回る足音。
分厚い本がドサッと置かれる音。
謎の魔道具のギュインと唸るような音。
二人の男が大声で議論する声。
部屋に戻ってきたエヴァンは、先ほどのことを何と説明すればいいか悩んでいた。
幸い、二人は集中していて彼の存在には気づいていないようだった。既に彼が戻ってきてから十分以上は経過していた。
エヴァンは淡い期待を抱いて、ギルダが眠るベッドを覗いてみた。
しかし、やはり彼女は青白い顔で苦しそうに呼吸を繰り返しているだけだった。何度か呼びかけたが、目を覚ます気配はなかった。
ギルダは帰還後、昏睡状態に陥っていた。
エヴァンは再び彼らの作業場へと戻った。
ちょうどその時、コロコロと彼の足元に謎の魔道具の一部が転がってきた。そしてそれを追いかけてきたアーチーとばっちり目が合う。
(……あ、まずい)
彼がそう思った時にはもう遅く、アーチーが高らかに彼の名前を呼んだ。
「エヴァン様!」
「――エヴァン!」
アーチーの大声に気づいたジュードが、鍋を放り投げ、大股で詰め寄ってきた。
「陛下は何と!?」
同じようにやって来たアーチーも、彼を見上げる。
「医者は派遣してもらえるんですか!?」
「……え、ええと…それが……」
二人のそのあまりの剣幕に、彼は腰を引かせながら数歩下がった。
しかし、彼らもそれに追随したので、すぐに元の距離感に戻ってしまう。
(……これは適当な嘘では乗り過ごせないな)
彼は嘆息すると、先ほどの彗星のごとく終わってしまった陛下との会話を、説明することにした。
エヴァンは今朝、いつも通りにギルダの部屋にやって来て、鏡の前で倒れている彼女を発見した。外傷は見当たらなかったが、呼吸は浅く、何度声をかけても目覚めなかった。
慌てて魔法使いたちを呼んだが、彼らにも原因は分からなかった。
ただ一つ、普段と異なることは、ひどく魔力が乱れているということだった。魔力を使いすぎて枯渇した際の現象と似ているようだ。
実際、ギルダの魔力は昨日よりもかなり減少しているようだった。
しかし、彼女の魔力量は底抜けで、それほどの魔力が消費する理由が分からない。魔法使いたちはそろって首を傾げていた。
そんな状況のため、一旦医者に診せた方がいいだろうという話になった。
ただ、勝手に医者を連れてくるわけにもいかないので、報告も兼ねて、エヴァンは陛下の許可を取るべく向かったのだが……。
状況を説明した後の陛下の反応は、こうだった。
「今日の日付は?――そうか、分かった。問題ない」
そして、「今夜は塔から一切出るな」と付け足し、彼は部屋から追い出されたのだった。
こんなことを二人に話せば大激怒するだろうと思っていたが、案の定アーチーは顔を真っ赤にして、拾ったばかりの魔道具を再び床に落とした。悔しげに奥歯を噛みしめて、城のある方向を睨みつけた。
ジュードはある程度予想していたようで、鼻で笑うと、弟子が落としたそれを拾い上げた。
「お役に立てず申し訳ありません……」
エヴァンは三人の間に流れる嫌な空気に居た堪れなくなり、頭を下げた。
追い出された後、どうにか陛下に掛け合おうとしたのだが、彼の側近や護衛たちに阻まれ叶わなかった。
もしこのまま彼女が目を覚まさないなんてことがあれば……。エヴァンはそう思い、ぎゅっと胸元を握りしめた。
(……自分に力がないことを突きつけられるのは、何度経験しても惨めだ……)
帰ってくる途中、彼がどれだけ足が重く感じたか。
それでも、この事実を伝えるしかなかった。
「大丈夫だ、エヴァン」
ぽん、と彼の肩にジュードの手が下りる。
「よくやった。元々、医者を要請したのは念のために過ぎない。あれから色々と検討してみたが、やはり魔力不足が原因の可能性が高いという結論に至った。それなら俺たちで何とかできる。今は薬を作っているところなんだ。お前も協力してくれないか」
「そうですよ!エヴァン様のせいじゃありません。僕たちのような天才がそろえば、どうとでもなります!一緒に頑張りましょう!!」
「……お二人とも………」
疲労感を滲ませながらも明るく笑う二人に、エヴァンはほっと胸を撫で下ろした。回復の見込みがあるというジュードの言葉も、彼の肩の荷を下ろす一因となった。
それに――。
アーチーの台詞に引っかかったジュードが、その頭上にチョップを落としていたことも、いつも通りの彼らの姿で気が抜けてしまった。
「――よし!頑張りましょう!ギルダ様のために!!」
現金なもので、エヴァンは責務から解放された途端、この後に控えた薬の生成のことで頭がいっぱいになった。
*
魔力回復薬という名の薬は、この国で出回っていない。
それもそうだ。魔力を持つ人間はほんの一握りなのだから。
そのため、魔法使いたちの間でだけ流通される薬となる。そのほとんどが指導者から伝え聞くレシピをそのまま使って自作しており、建国当初からあまり変わっていない。
と、いうのも、自身の魔力回復向上よりも、国益や研究のために時間を当てたいと考えている魔法使いが多いからだった。幸い、どんなに魔力が枯渇していたとしても、薬を飲んで一晩寝さえすれば十分に回復する。古のレシピで特段の問題はなかった。
しかし、ギルダは違った。
早々にそのレシピで作った回復薬を飲ませたが、荒い呼吸は少し治まったものの、ほとんど変化は見られなかった。普通の魔法使いであれば、薬を飲んだだけでゼロから二、三十%くらいまでは回復するものだ。だが、彼女の場合、数%程度しか変わっていないようだった。
「……そうか!魔力の質か!」
ジュードはすぐにそれに気がついた。
――魔女と魔法使いの魔力の質は違う。
彼女に会ってから色々な意味で彼の頭を占めていた事実だった。
古来から伝わるレシピは、あくまでも魔法使いたちのためのものだ。魔力の質が異なる魔女にはうまく作用しないのだろう。
それから師弟コンビは、ああでもない、こうでもない、と魔女に効果のある回復薬の生成に大忙しとなった。――なお、大体この辺りで、陛下に会いに行っていたエヴァンが帰ってきた。
ジュードとアーチーは分かれて薬の生成を行っている。とにかく時間が惜しかった。彼女のために、一分一秒でも早く作り上げたかった。
二人とも、これまでギルダとともに様々な薬を作ってきた。しかし、まさか魔女の魔力が足りなくなるなど想定していなかったので、作ったことはない。それでも、今まで培った知識と経験から、何とか彼女に適合するような薬を作れないかと、試行錯誤を繰り返した。
アーチーは早速、アレンジした回復薬を一つ作り上げたのだが、頭を抱えていた。
師匠のOKは貰った。後はギルダに飲ませるだけだ。
飲ませるだけ、なのだが――それが問題だった。
「どうやって飲ませよう……」
彼には眠っている人に薬を飲ませた経験はなかった。
先ほどは彼が席を外している間に、ジュードが飲ませた。だから、師匠がどうやって彼女に飲ませたのかは知らない。
ジュードは鬼気迫るような勢いで鍋をかき回していて怖いし、エヴァンはそんな彼の駒……手伝いを行っているので助力は願えない。そのため、彼自身で解決策を見つけ、彼女に飲ませないといけなかった。
そんなことも分からないのか?と師匠に激怒される未来が思い浮かび、彼はぶるりと体を縮こませた。
「……」
しかし、彼が思いつく薬の飲ませ方など、アレしかなかった。
アーチーはギルダが眠るベッド脇に両膝をつけると、そっと彼女の様子を窺った。
今朝発見してから数時間が経過し、既にお昼の時間を過ぎてしまっている。けれども、未だに彼女は青白い顔で肩を揺らしながら呼吸していた。それを目にして、彼はまるで自分もそうであるかのように胸が苦しくなった。
(――やらないと)
躊躇している場合ではない。彼女は今も辛そうにしているのだから。
アーチーはええいままよ、と勢いのまま薬を口に含み、彼女の顔に向かい直った。
家族以外に、眠っている女性を見るのは今日が初めてのことだった。寮も職場も男所帯なので、彼の人生において、基本的に女性という存在は家族とギルダだけなのである。
普段は彼女のことを年寄り扱いする彼であるが、決して女性という枠から外して考えているわけではない。なので、特に今日のように、彼女の口から文句が出ない日は、余計に女性という生き物を考えさせられ、戸惑った。
これから行おうとしていることも、その戸惑いに関係しているのかもしれない。
ドクン。ドクン。
体全体に鳴り響くそれに、自身が緊張していることを教えられ、彼は赤面した。
(……あ、睫毛の色、髪色よりもっと薄い赤なんだ……それに光が当たって透き通ってる……)
などと、アーチーが胸の鼓動を高鳴らせていると――。
「どうしました?」
「ッ!?――ゴクンッ。……あ」
突如聞こえてきたエヴァンの声に、彼は驚いて薬を飲みこんでしまった。
勢いよく振り向けば、怪訝そうな顔をしたエヴァンと、胡乱げな視線を送るジュードが彼の後ろに立っているではないか。
「え、あの……、えっ…いや薬を……ですね……」
「飲ませたのか?」
ジュードが仁王立ちしながら問う。
「あっ………まだです……」
「はぁ?何をやってるんだ?時間がないんだから、とっとと飲ませろと言っただろ」
足音を鳴らしながらやって来たジュードは、「ほら貸せ」と言って、アーチーが持っていた薬品を奪い取った。そしてギルダの眠るベッドに片膝を乗り上げる。
「あっ!まっ!!僕がやりたかっ……な、なんでもないです!!」
思わずアーチーは本音が出てしまったが、振り返ったジュードと目が合い、恥ずかしくなって顔を真っ赤にさせた。
その後うめき声をあげながら、頭を抱えてその場に蹲った。
「なんだ?どうしたんだ?」
「いや…だいじょうぶです……」
「?飲ませるぞ」
「……」
アーチーが恐る恐る顔を上げると、ちょうどジュードの背中が見えるだけで何をやっているかは分からなかった。
彼は疑問に思った。なぜだか師匠は、顔を近づけていない。
抗えない好奇心と羞恥心とともに立ち上がった。両手で顔を隠しながら、そろりそろりと近づく。
指の隙間から、こっそりと二人の様子を窺った。
「……あれ?」
結論から言うと、ジュードはギルダにキスをしていなかった。
彼は十センチほどの透明の管を片手に、その一方を彼女の口内に入れ、もう一方の管の穴から薬を投入していた。その管は初見の物だが、魔法陣が書かれているのでどうやら魔道具のようだった。
ぽん、とアーチーの肩に何かが乗った。
エヴァンの手だ。
先ほどまで空気のように師弟のやり取りを眺めていたが、ここに来て介入することにしたらしい。歌い出しそうなくらいご機嫌な様子だった。
エヴァンは「残念でしたねぇ」と楽しそうに笑う。
「気道が確保できないと危ないので、普通、そんなことはしませんよ」
ロマンス小説の読みすぎじゃないですか?と、エヴァンは悪魔のような笑みを添えて肩を震わせている。
薬を飲ませ終わったジュードが、二人の会話に怪訝そうな顔をした。
「~~っ!!!」
アーチーは膝から崩れ落ちた。
気力は下がったが、誤飲した分、ほんのり魔力が回復している兆しがあったので、薬は成功しているようだった。それだけが救いだった。




