31.約束
「まさかそんな返事をもらうとは」
レニーは目尻に涙を浮かべて大笑いしている。お腹を抱えていない方の手で涙をすくいながら、冒頭の台詞を呟いた。
正直言って、ここまで笑われるとは思ってなかったので恥ずかしかった。ピンクな雰囲気が吹き飛んだことは良かったが、こんな結末は望んじゃいない。
口をへの字に曲げて睨みつけると、彼はフゥフゥと何とか息を整えた。
「でも、僕のこの気持ちは本心だぞ?」
両手を取られ、ぐっと引き寄せられる。彼との距離が近くなり、見上げれは数センチ先にその美しい彫刻があった。
「これはたぶん、恋だと思う。――そうだ、これは恋だ。僕にとっての、初めての恋」
するりと彼の腕が動き、それぞれの手のひらが重ね合わさって恋人繋ぎになった。
額同士がコツンと触れる。
「僕は貴女に、恋をしたんだ」
私が真剣に受け取ることはないと諦めたのか、今度の言葉はストレートであるも、軽やかな調子だった。
まるで子どもが「お庭でちょうちょを見つけたよ」と報告するかのような、どこか自慢気な雰囲気だった。
すぐに理解した。
優しい彼は、私に逃げ道を用意してくれたのだと。
彼のこの告白は、単なる報告で、見返りを求めてはいないのだと。
それでも、手のひらから伝わる彼の熱が、その本気度を物語っていた。
「……ありがとう」
私は目を伏せ、この何とも言えない感情を必死に胸に押し留めた。
そうしていないと、思わずもれ出てしまいそうだった。
私たちにはそれぞれ役目と立場がある。
それに、借り物の体を持ち、いずれ消えることが決まっている私とでは、彼を苦しませることになるだけだ。幸せな人生とは程遠いだろう。
万が一、私たちが一緒になるようなことがあれば、色々なことを望んでしまうかもしれない。
それなら、私たちはこれぐらいの距離がちょうどいい。
何度も繰り返すが、私たちはただのビジネスパートナー、共犯者だ。
この国を平和に導くことこそが、私たちの唯一の目標であるべきなのである。
*
「その歳になって、初めての恋なの?」
「あぁ」
椅子を持って隣に移動してきたレニーは、行儀悪くテーブルに頬杖をついている。なんだか既視感のある光景だ。
レニーはのんびりと語った。
「今まで恋についてどんな説明をされてもピンとこなかったが、やっと分かったよ」
破顔した彼に思わず良心が痛む。
「……そんなこと言って、モテるでしょう?」
「どうだろうな」
彼は小首を傾げた後、記憶を辿るような所作を見せた。
「今度から意識してみよう」
「……ハァ」
溜め息のような、生返事のような、どっちつかずの音が出た。
すると彼が「あ」とこぼす。
そのまま腕を軸に、くるりとこちらに顔を向けると、ご機嫌な顔で笑った。
「もちろん知らない人にはついて行かないから、安心してほしい」
「……なんだろう。やっぱりすごく心配……」
つい本音が出てしまうと、彼の機嫌は急降下した。むっとした顔で体勢を元に戻した。
信用してほしい男と、いまいち色んな意味で不安が残る女のすれ違いである。
彼のこんな素直な姿を見ていると、どうしても、未来の彼とのギャップに疑問がわく。
無愛想だったのは怒りを我慢していたから、というのは理解できた。
しかし、彼が言うように、私に会いに来なかった理由が分からない。
儀式を行うためには、私も真実を知る必要があるはずだ。秘密のままには行えないだろう。
タイミングの問題か?
だが、訳も分からず糾弾されている私の気持ちを、少しも考えなかったのだろうか。無礼な国民に怒りを覚えるような人が、本当に私のことを放っておくのだろうか。
漠然と不安になった。
単純に、勢いのまま告白したことが若気の至りで恥ずかしかったとか、王妃のことを深く愛しているから昔の女には会いづらいとか、そういった理由であればまだいい。――前者であればそれなりに報復したいところだが。
けれども万が一、国民と同じように、私に嫌悪感を抱いているなどということがあれば――。
謁見のことはやはり思い違いで、彼はただ国を守るために、仕方なく私を利用しているんじゃないか。そんな可能性もあるんじゃないかと思えば、怖かった。
嫌悪の理由は分からない。
今回、日記を通して建国の真実を知れたが、そこにまだ読んでいない悪い内容があるのかもしれない。
ふさわしい魂として選ばれた魔女たちではあるが、全員が全員、実際に良識のある選択をするのかといえば微妙なところだ。勝手に異世界に連れてこられて反発した人もいるだろう。
それとも、私が何か、彼の勘に障るようなことをしてしまったのだろうか?
「……」
むくれる彼の髪に触れる。
さらりと一房落ちた。
撫でられると思ったのか、レニーは無言で首をこちらに傾けた。不機嫌ではあるものの、撫でさせてくれるようだった。
――もしかしたらこれが最後かもしれない。
そんなことを思って、彼のアッシュブロンドをゆっくりと撫でていく。
心が凪いでいくようだった。こののんびりとした時間が、心地良かった。
彼も機嫌が直ったようだった。
「貴女の本当の名前は?」
伏せられていた頭が少しだけ上がった。上目遣いの彼と視線が合う。
「残念ながら覚えていないのよね」
「そうか……」
心なしかシュン、とした気がする。期待に応えられなくて申し訳ないが、彼に“本来の私”を求められたことで、少し気持ちが持ち直した。
暗いことを考えるのは止めよう。きっと、未来の彼には何か理由があったんだ。
そう自身を奮い立たせていると、突然、頭に強い痛みが走った。
外部からの衝撃ではなく、体のなかからの痛みだった。
まるで偏頭痛のようにズキンと痛み、そのあともズキズキと痛みは止まない。何かに締めつけられるような感じもあった。
「うっ……」
「どうしたんだ!?」
あまりの痛さにテーブルに崩れ落ちた。慌てる彼の声が遠くの方で聞こえる。
段々と呼吸もしづらくなってきた。浅い呼吸を繰り返しながら、体が必死に酸素を求めている。
――いや、酸素だけじゃない。
魔力が、足りない。
魔力がどんどん体から抜け落ちていく。
魔女の体から魔力がなくなったらどうなるのだろうか。
仕組みは不明だが、千年もの間、この体を維持できているのは、魔法のおかげだろう。
つまり、魔力がなくなれば、この体はミイラのように干からびて朽ちてしまう。
「……も、もどらないとっ……」
今すぐ未来――本来の場所に戻らないといけない気がした。
恐らく、魔法の力で過去にタイムスリップしてきたが、魔女の膨大な魔力量もさすがにタイムリミットが近づいてきたのだろう。
帰り方はどうだろうか。
とりあえず、最初に出てきたあの鏡を確かめてみるのが定石だろう。
力の入らない体を鞭打って、立ち上がった。
しかし体は限界を訴えているようで、貧血のようにふらりと傾く。
「ギルダ!」
レニーに支えられなければ、そのまま床に倒れるところだった。
足はがくがくと震えている。歩けない。立つので精一杯のようだった。
「大丈夫か……?」
彼が私の腰を支えてくれているので、何とか立てている状況だった。
緊急事態なので、それに甘えてほとんどの体重を彼に預けた。
「……あ、りがとう……」
少し落ち着き、話せるようになったところで、現状について説明した。
戻らないといけない――そう伝えた際、今にも泣き出しそうに顔を歪めたが、それには触れなかった。一瞬のことだったし、彼はすぐに“国王”の顔になったからだ。
そして、彼の背に負ぶさり、再びあの細長い廊下を通り抜け、執務室に戻ってきた。
美少年に背負われるだなんて、恋愛ドラマのようでかなりドキドキする展開だろう。
しかし、私にはそんな余裕は一切なく、ただただ呼吸することに必死だった。彼が時折「頑張れ」と声をかけてくれるが、それに返事を返すことすらおっくうで、無言を貫いていた。
執務室は相変わらず真っ暗で、月の光だけが光源だった。向こうで長時間過ごしていたと思ったが、未だ夜中のようだ。
先代が手紙で「聖域は時間の流れが違う」と言っていた。
つまり、あそこの時間経過は、こちらと比べると遅いということなのだろう。
今まで聖域にいたからか、その空気感の違いもはっきりと分かった。
扉を出た途端、余計に体が苦しくなったからだった。
思い返せば、聖域は濃厚な魔力が充満している、居心地のいい場所だった。魔女が眠る場所だからだろう。
その魔力が十分にこもった場所ですら辛かったのだ。こんな何の変哲もない部屋では、魔力の足りない体をカバーできない。
レニーはわざわざしゃがんでゆっくりと下ろしてくれたが、私は呆気なくその体勢のまま落ち、お尻を打った。
高さはないため痛くはないが、彼がびっくりして振り向く。
「大丈夫か!?」
おろおろとする姿が何だか面白くて、ケラケラ笑った。
それに大事ないと判断した彼は、安堵の溜め息を吐いた。
先ほど話してあったため、レニーが下ろしてくれたのは例の鏡の前だった。今しがた出てきた聖域と繋がっている鏡でもある。
見れば、最初にここに来た時と同じように、鏡全体が水面のように波打っているようだった。
それに、誰かに呼ばれているような気もして、吸い寄せられる。
――ここをくぐれば戻れる。
私はそう確信した。
レニーは鏡を見るとごくりと唾を飲んだ。そして確認するように私を見た。
「お別れね」
「……」
「……」
私は自身の発したその言葉に、胸が苦しくなった。
ここで別れたとしても、またすぐに彼に会うことができるというのに――。
それは、未来の彼は、目の前の彼とは性格も考え方も、何もかも違うかもしれない――そんなネガティブな考えがあるからだった。
せっかくレニーという真実を知る味方ができたというのに、裏切られるかもしれない。また一人になってしまうかもしれない。
どうしてもその嫌な考えが消えなかった。
この不安を伝えるべきか否か迷っていると、二の腕に彼の両手が添えられた。そのため、彼と近距離で向かい合う形となった。
「……また、会えるんだろう?」
私以上に不安そうな彼を見て、その考えは有耶無耶になった。
まるで昔流行ったCMのチワワの如く、強く訴えるその瞳のインパクトたるやいなや。
おかげで『彼を安心させたい』という思いが生まれ、自分の悩みより優先していた。
私は気づいた時には、弾けるように「もちろんよ!」と返していたのだった。
体力がないうえに、ハイテンションで返したせいで反動が酷く出た。一瞬、体の制御が効かなくなり、前にふらりと傾いてしまった。
するとレニーが、前から抱きしめる形で先ほどのように支えてくれたのだった。肩や首筋に当たる彼の吐息が何ともむず痒い。
「ありがとう。もう大丈夫よ」
「……」
「……レニー?」
名前を呼べば腕の力が強くなった。
「……」
「……」
彼の顔は真横にあるため表情は分からない。
仕方ないなと思って彼の背に腕を回し、宥めるように軽く叩いた。
しばらくして、ズズ、と鼻を啜る音が聞こえてきた。彼の矜持のためにも、私は黙っていることにした。
「……ギルダ」
「うん?」
「ありがとう……」
「うん。私もありがとう」
「……うん…」
少しの間、お互いに相手の言葉を噛みしめるような、のんびりとした間が空いた。
「……ギルダ」
「うん?」
レニーは声をかけた後、深呼吸した。
密着していた体が離れ、鼻と鼻が触れ合うかのギリギリの距離で止まった。
もうこれで何度目かは分からない。
心を鷲掴みされるような魅力を持つ彼のエメラルドの瞳は、またしても私を捕らえていた。
熱のこもったその瞳は、同時に強い意思を持っていて、ハッとさせられた。
そのまま息を止めて、視線を絡ませる。
彼の口角がきゅっと上がった。
「……次に貴女に会える時までに、僕はこの国を、今よりももっとよりよいものにさせると誓おう。そして、先王たちに負けないくらい、素晴らしい王となってみせる。――貴女には、この誓いがきちんと果たされているか、見届けてほしい」
そう言って彼は、一呼吸置いた。
「……だから未来で、必ず、また会おう」
私はこみ上げてきたその感情から目をそらし、そっと蓋をした。
彼の額に自身の額を合わせる。
「――えぇ、約束するわ」
そうして私は、彼に別れを告げると、再び鏡のなかに足を踏み入れたのだった。




