29.共犯
「きちんと考えているのか?」
彼の言葉はグサリと胸に刺さった。その悪気のなさそうな顔が、余計にそれを鋭利にさせる。
私は盤面を見下ろし、視界いっぱいに広がる“黒”を眺めた。
黒は彼の色である。初心者だからと、先攻をプレゼントしたのだ。
もちろん、オセロのことである。
「……考えてるわよ……」
「よし、もう一回やろう!」
彼は意気揚々と石を戻し始めた。
正直言って、ここまで敗けが続くとやる気などとうに消え去ってしまった。しかし、それに比例するかのように、彼のキラキラエフェクトに磨きがかかるので、どうにも投げ出せない。
仕方なくのろのろと私も石を戻していたのだが、痺れを切らした彼が手を出してきた。おかげですぐに第二試合開幕である。
「先ほどの話に戻ってもいいか?」
「ん」
私の適当な返事に、レニーが小さく笑った。
今回は年長者の威厳など捨て去り、何とかして勝ちたいと黒を譲ってもらった。今はとりあえず、角を取ろうと奮闘中である。
「謁見で魔法使いが貴女を擁護したと言っていたな?それは世話役の一人か?」
「ん~。うん?……うん。そうそう」
「魔女を擁護するなど……。自殺行為だな」
このままだと知恵熱が出る気がする。勝ちたいが段々面倒になってきた。作戦を変更しよう。
攻撃が最大の防御とも言う。ガンガンいこうぜ!
私は狙いを定めて石を置いた。要は、頭を空っぽにして、作戦を半ば運任せに変更した。
ふぅと溜息を吐く。
「そうよね。いい人なのよ。でも彼だけじゃなくて、他の世話役もいい人たちよ。嫌われ者の私にも優しく接してくれるの」
彼は大きく目を見開いた。
「……まさか信用しているのか?」
「信用……そうね。信用しているわ」
「!」
驚きからピタリと動きを止めた彼に、苦笑いした。
確かに、私と彼ら三人の関係は随分とおかしなものだろう。
本来ならば囚人と看守の厳格な関係のはずだ。しかし私たちは、仲良く食卓を囲んだり、お茶をしたり、じゃれあったりなどと、まるでお互いが友人であるかのように接している。もはや感覚としてはシェアハウスに近い。
この国の常識的に、悪名高き魔女に優しく接するなどあり得ないことだろう。まして友好関係が築かれるなどもっての外である。
そう考えると、歴代国王の作戦は私たちの間では不発だったわけだが……。今回に関しては、私にとって好都合だった。
彼らが謁見の場にいた多くの人々と異なるのは、私のことを端から拒絶しなかったことだ。
そのことに、私がどれだけ救われたことか。
もちろん、最初から今のような関係だったわけではない。出会った当初はそれなりに警戒されていて、お互い適度な距離を保って生活していた。
だが、会話を重ねていくなかで徐々に和らいでいき、今のような形となったのである。
もしも伝説を信じきっている人が監視役となり、記憶にない罪について毎日のように非難され、虐げられるような日々を送ることになっていたらどうなっていただろうか。
はたまた、悪意がないにも関わらず、会うたびに怯えられるような日々を送ることになっていたらどうだっただろうか。
想像しただけでもぞっとする。
だが、それが普通の反応なのである。
彼らのように、一歩引いて客観的に判断できる人の方が少ないだろう。
もしそれが仕事だからと割り切っているのだとすれば、素晴らしい演技力だ。
しかし、彼らの言動からは私を害そうとする意思は感じられなかった。勘違いでなければ、少なくとも彼らは私に歩み寄ろうと努力してくれている。このままいけば、最期まで良き同僚として過ごせるだろう。
私たちは、そんな関係だった。
一点、憂慮することがあるとすれば――。
「きっと、私が悪女にならない限りは、彼らは私の味方をしてくれると思う」
魔女である私の存在である。
“私が裏切らない限りは”――私たちの関係の存続には、そういう枕詞がつく。
もともと私は、私自身が何かしなくとも、強制的に伝説が繰り返されるものだと思っていた。
だからいずれはこの関係は終わってしまうのだと諦めていた。
諦めては、いたのだが――。
≪災厄≫は、起こる。
これは確定だ。
そしてその時、私は彼らを裏切ることになってしまうのだろう。
それを思うと胸が痛んだ。
「ギルダ」
視線を合わせると、彼の口元がゆっくりと弧を描いた。目はとろりと、甘く蕩ける。
時が止まったかのような錯覚に陥った。動くことができない。
その美しい笑みに心を囚われてしまった。
「何があろうとも、それは貴女一人のせいではない。――貴女と僕は、共犯だろう?」
そう言ってレニーは、悪戯っぽく笑って小首を傾げた。
始めはその妖艶な笑みと、おちゃらけた調子のギャップに茫然としてしまった。しかし、じわじわとその、“共犯”という言葉の面白さが染み渡ってくる。
思わずフフと笑みがこぼれた。
なんてピッタリな言葉なんだ。確かに私たちがやっていることは、詐欺師と何ら変わらない。
一人じゃないと言われたことで、心が少し軽くなったように感じた。
「そうね。私には貴方が、貴方には私がいる。私たちはこれから先ずっと共犯ね」
「そうだとも」
二人でクスクス笑い合った。
たとえジュードたちとの間に亀裂が入ったとしても、私にはレニーがいる。彼らとの関係はとても心地のいいものだが、レニーとの関係もまた、心地がいいと感じている。
それに、裏切るということは、私が儀式を行うということだ。彼らと会うことは二度とないだろう。
悲しい結末にはなるが、それが彼らの未来に繋がるのである。彼らだけは助けたいと思っていた当初の願いは叶うのだ。終わりよければすべてよし、である。
ただ、一つ心配なのは――。
「三人とも私を擁護してくれるような人たちだから、すべてが終わった後、どうなるか心配なの。彼らのことを頼んでもいいかしら」
「分かった。それなら名前を教えてくれないか?覚えておこう」
「……」
「ギルダ?」
こういう未来の情報は教えてもいいものなのだろうか。
いや、もしかすると、この場で名前を聞いたレニーが、未来で彼らをお世話係に任命するのかもしれない。卵が先か鶏が先か問題になるので、結論は出ない。
ここは思い切って、彼らのためにも、そして私のためにも、レニーに覚えていてもらおう。
三人の名前を告げると、レニーは納得するかのように頷いたので、ジュードの名前くらいは知っていたのかもしれない。
とにもかくにも、国王陛下に頼んだわけだから、彼らの将来に問題はないだろう。
後は、この国の未来のために、私と彼が役目を全うするだけである。
*
ところで、一応オセロは続いていた。
心のなかでハンカチをギリリと噛みしめながら、盤面が白く変わっていく様を眺めている。
結果的に、運任せは彼に首を差し出すような形となった。
あまりに私が弱いので、初心者であるはずのレニーがいちいち口を出し始めた。置こうとする度に「そこだとすぐ取られるぞ」などと、その取る相手なのに助言してくる。
これは対戦する意味があるのだろうか。
「……楽しい?」
「ん?楽しい」
「……それならいいんだけど…」
今まであまりゲームをしてこなかったのだろうか。真面目な子だから、その可能性はある。王太子という重責云々かんぬんは割愛。
貴重な体験なのにも関わらず、こんな下手くそが相手で申し訳ない気持ちになった。ジュードだったらきっといい対戦相手になるだろう。戻った後に、打診してみようか。
「地震が起こるなら、早めに対処しておきたいと思うのだが……。具体的な日付は?」
何手先まで読んでいるのだろう。脳をフル回転させている状態にも関わらず、彼は軽い調子で重い話を持ち出す。
「――あ!」
「ん?」
「だから被害が少なかったんだわ!」
思い出してもらいたい。大地震があったにも関わらず、死人は一人も出なかった。たった一人の怪我人だけだ。喜ばしいことではあるが、不自然といえば不自然である。
それは私がここで、地震の詳細を彼に教えていたからだったのだろう。
その事実とともに日付を伝えると、彼は苦笑いした。ハードルが高いな、と。
「大丈夫よ。未来の貴方がやれたのだから、やれないわけがないわ」
レニーは部屋を見渡して応えた。
「そうだな。幸いここにはいい教科書がたくさんある。後でじっくり読んでみるよ。国民の命がかかっているんだ。精一杯やるつもりだ」
そして力強く頷く。その目はやる気に満ち溢れていた。
それを見て、私は一安心した。
差し迫る危機への対策は、彼を追いつめるかもしれない。
しかし、悲しいことがあった時は、何か没頭できるものがあった方がいい。彼に目標ができたことは良い傾向だった。
「そういえば、この国では伝統的に落成式があるわよね。もしかして発端って……」
お互いの視線がパチリと合った。
「「国王?」」
二人の声が重なり、そしてすぐにクスクス笑いも重なった。
少し前まで涙で溢れていたその緑の瞳が、楽しげに細められているのを見ると、気分が高揚する。彼と同じポイントで、しかもくだらないことで笑えるというのも、なんだかこそばゆいような感覚だった。
純粋に、この時間が楽しい。
彼は、手元の石を目線の高さまで持ち上げると、くるくると回した。
「落成式だけでなく、他にも色々と歴代国王たちの秘密がありそうだな」
「そうね。秘密を紐解くのも楽しそうね」
パタンと石の動きが止まった。
「……一緒にやれるだろうか」
その言葉に彼を見やれば、目線は手元に注がれたままで合うことはなかった。
私に残された時間はあと少しだ。
時間とは、この過去のレニーとの邂逅のことでもあるし、未来……つまり本来の時間軸のことでもある。
私はいずれ未来に戻るし、戻ったとしても、火山が噴火する頃には儀式を行い、再度眠りにつくのだろう。
目覚めたギルダに憑依している魂が毎回別人なのかは不明だ。だが恐らく、儀式後はレニーと会う可能性はない。悲劇が二度もあるとするならば、相当引きのいい国王だ。十中八九、今生の別れになるだろう。
残念なことに、実際に噴火がいつ起こるかまでは予知できなかった。とは言っても、そう遠くない未来のことだと思っている。
だから私には、あまり時間が残されてはいない。彼とこうやってのんびり過ごすのも、あとどれくらいチャンスがあるだろうか。
「それは……」
何と答えようかと頭を目一杯回転させる。
何を言えば彼は傷つかないのか。やんわりと話を変える方法はないか。
すると彼が、明るい声で「今回も貴女の負けだな」と笑った。しどろもどろする私を見かねたのか、空元気ともとれる声音だった。
彼は盤面を指差して不敵に笑う。「黒はもうほとんど残っていないぞ」と。
なるほど、確かに今度は白が九割程度占めている。
私は彼に調子を合わせることにした。
「これって起死回生の手段は……」
「ないだろうな」
レニーは腕を組んで軽く肩を竦めた。
「~~もう!本当に初心者なの!?」
「もちろんそうだとも。貴女に会えたから学ぶことができたんだ。正真正銘初めてだ」
じっとりと睨みつければ幸せそうに微笑まれてしまった。おかげでこれ以上何か文句を言うこともできず、苛立ちは萎んでいった。
「……私が勝てそうなゲームに変えない?」
「いいとも。……フフ、どんなゲームでも、貴女と遊べるのは楽しいし、嬉しいよ」




