26.解放感
初代の手紙は日記の最後に挟んであった。
彼はその手紙を読み終えた後、再び父親の手紙を読み返していた。
『常に、民のことを考えよ』
『それが私たち一族の使命である』
真実を知る前と今、明らかに先代の言葉の印象が変わった。
国を統治する王族であれば、民を大切にするという信念は当たり前だろう。私も初回は、そういう意味合いで捉えていた。
しかし、ここで先代が言っているのは、『魔女の願いを忘れるな』ということであろう。
なぜなら王族を含めた国民は、魔女の犠牲のもと、存在することができるのだから。
今の気持ちは何だろうか。
端的に言えば、複雑だった。
それは先ほどと同じ答えだ。
私は未だ感情の波に飲み込まれたままで、なかなか抜け出せそうになかった。それほど衝撃的かつ怒濤の展開だった。
ただ、そんなぐちゃぐちゃの状況ではあるが、一つだけ確かな感情があった。どす暗い波のなかで、一際キラキラと輝いている。
それは、安堵だった。
私は、悪ではなかったのだ。
その事実が判明し、体がうんと軽くなったかのように感じた。まるで背中に羽根が生えたような気分だった。勢いよく屈伸すれば、そのまま空高く飛び上がれる気さえした。
沸き上がる高揚感と幸福感でいっぱいになった。
こんな感情を抱くのは、随分と久しぶりだった。
私は解放感に包まれていた。
そのうえ、日記と手紙から分かったことは多い。
ずっと頭を悩ましていた≪災厄≫が、何を指しているかについて分かったことは大きかった。
やはりあの夢の通り、火山の噴火のことだった。初代が生きていた頃も大地震が起こり、それにより噴火が起こったのだ。
とすると、あの夢はジュードの言う通り、過去の記憶――いや、きっとこの先の未来を視ていたのだろう。
私には未来を予知する力があるというので、それが予知夢となって現れたのだ。毎晩毎晩あの夢を見たのは、警告だったのだろう。
安心した。
私は、“悪役”を配役されているだけであって、実際はその真逆の立ち位置であったのだ。
悪の実態が正義など、考えもしなかった。
「すべて、嘘だったのか」
レニーのその声は決して大きくはなかったが、やけに部屋に響いた。
かける言葉が思いつかずそのまま見つめていると、視線が交わった。まるで捨てられた子犬のような目で、必死に何かを訴えてくる。
許し、なのだろうか。
本当ならば、これまでの仕打ちを考えれば、嫌みの一つや二つ、……いや、最低でも五つ以上はぶつけてもいいだろう。
だが、彼は私以上に衝撃を受けていた。
自分が当事者の王族だからだろうか。それとも、この国の住民として、魔女への風当たりの強さを私よりも熟知しているからだろうか。
両方のような気もする。
根っからの長女気質の私は、こういうのにめっぽう弱かった。
だから前世の妹も我儘放題だったんだろ、と私のなかの冷静な部分が怒鳴る。けれど、縋る彼に鞭を打つほど、非情にはなれなかった。
つい、救いの手を伸ばしてしまった。
「……手紙にもあったでしょう。仕方がないことであった、と」
私は、彼の頭をぽんぽんと優しく叩いた。
手を持ち上げた際、彼はぼうっとその動きを見ていた。正面から下ろしたので、反射的に目を瞑ってもおかしくはなかった。だが、彼はただ眺めるだけだった。まるで、殴られても気にしないとばかりに。
「……仕方がない理由とは何だ?」
「……何かしら」
日記や手紙に、その理由については書かれていなかった。
恐らく初代の息子は、エドワードという男性から口頭で説明されたのだろう。
しかし、先代はそれについて知っているような口振りだった。
とすると恐らくは――。
「あの本棚のどこかにあるんでしょうね」
「……骨が折れるな」
「そうね」
ふぅと溜息を吐いて本棚に視線を向けた。
並べられた本の数は多すぎるというわけではないが、かといって少ないわけでもない。
本とは言っても日記だろうから、一冊読み終わるのにそこまで時間はかからないだろう。ただし、衝撃の事実がもろもろ判明して、なかなかページが進まない可能性はある。
何か当たりをつけるべきでしょうね――そう言って、再び彼の頭に手を伸ばした。
先に懺悔しよう。
先ほどは慰めようとして思わず撫でてしまったが、今度は邪な気持ちオンリーで触れている。
とてもさらさらしていて気持ちが良かったのだ。美少年の髪は一般人とは構成成分が違うのだろう。妖精の粉が入ったシャンプーを使ってますと言われても、あぁなるほどと頷ける。だからこんなシルクのような手触りなのか、と。
ちなみに、妖精の粉はこの世界でも実在しない。あくまでもニュアンスである。
「……目を覚ますのは悲劇が起きる時……」
彼がここまで大人しく撫でられていたのは、別に懺悔の気持ちからなどではなく、ひとえに、思考の波にのまれていたからだ。
その呟きに肯定を返すと、レニーは私の手首をぎゅっと握った。やばい、バレた。
「二度目に異世界の少女が現れた時のことを調べてみないか?それなら、貴女は確実に眠りから目覚めているはずだ。当時の国王とのやり取りが残っているかもしれない」
「――!そこに理由があるかも!」
五百年前のその事件は、建国時の出来事の次に大きな事件と言えよう。
そして、両者はとても似通っている。もちろん、現在で起こっていることもそうだ。
先ほど読んだ六百年前の日記でも、国王と魔女の交流があったことが分かったが、当時、異世界の少女はいなかった。内容的にそちらを優先した方がいいだろう。
無駄足となっても、現在に生かせることが残されているかもしれない。先に確認しておいて損はないはずだ。
私が笑顔を見せると、レニーも薄く笑みを浮かべた。そして、足早に本棚へと向かって行った。
*
「……なるほど。やはり、根底から違うのだな。あの日記の通り、魔女が≪災厄≫を呼び起こしているのではなく、≪災厄≫が起きるから、魔女が眠りから目覚めている、と」
五百年前の日記に書かれてあったのは、要約するとこうだ。
ある日、ふと聖域に寝ていた魔女が起き上がった。そして、二人で協力し、この国を脅威から守った。
脅威とは建国時と同じく、地震と噴火であった。この辺りは昔から自然災害が多い地域なのだろう。
だが地震を『魔女の怒り』として認識しているようなので、それについて、国民がまったく理解していないことが窺われる。
否、そういう風に、歴代国王たちによって操作されてきたというわけか。
約束とはいえよくやるなぁ、と苦笑いしていると、突然、レニーが爆弾を落とした。
「貴女も……異世界からやって来たのか?」
「――え?」
時が止まった。
さっと血の気が引いて、そして引いたことに気がついた時には、反応が遅すぎたことを悟った。これでは肯定しているようなものだ。
――私は、“魔女ギルダ”だ。
そう断言できるが、ギルダとして生きた記憶は一切ない。
しかし、前世の記憶だけは持っている。
たまに思うのだ。
私は自身をギルダだと思っているが、果たして本当にそれは合っているのか、と。
ギルダであるとなぜか断言できてしまうところも、正直不思議だった。
そういえば、一番最初に目覚めた時も、そのことをすんなりと受け止めたのだったか。
――そんなわけで。
いつか“偽者”だとして、糾弾されるのではないか――。
それがかねてからの不安だった。
「……な、何を言っているの?」
腹芸などできっこない私の動揺は、バレバレだった。
彼はフッと鼻で笑うと「心配するな」と言って、日記を指でつついた。
「ここに、魔女には異世界の魂が入っていると書いてある。器こそ魔女ギルダのものだが、中身は別の人間のものである、と」
「――!」
言われて慌てて身を乗り出した。
彼の指先を確認すれば、確かにその言葉通りの内容が書いてある。
『魔女ギルダはその肉体だけが魔力の器としての意味を為し、目覚める時は毎回、異なる世界の一番ふさわしい魂が宿っている』
「……っ」
「その様子だと真実のようだな?」
レニーは半信半疑だったのだろう。私の露骨な反応に片眉を上げた。
そして上から下まで、何かを確認するように視線を動かすと、机に置かれた私の手にそっと触れた。
「……温かいな」
「……ゾンビ扱いはやめてほしいわ」
さすがにゾンビと同等に扱われるのが嫌で、ハエを撃退するかのようにぞんざいに払った。
彼は「ゾンビ?」と問いながら、今度は私の手の甲に自身の手のひらを重ねて、無理矢理机とサンドしてきた。
バン、と軽くテーブルが振動する。
睨みつければ涼しい顔で受け止められた。
「……はぁ」
遅かれ早かれ話さなければならないことだ。
私は嘆息して、白状することにした。
「……ゾンビとは、異世界の怪物のことよ」
「それじゃあやはり、貴女は少女と同じく異世界の人間なんだな」
えぇ、と頷けば、彼は空いた手を顎に持っていって何か思案し始めた。
それを横目に、私は話を続けた。
「私にはギルダの記憶はないけれど、異世界で生きた記憶はある。てっきり元の私は死んで、ギルダとして生まれ変わったのかと思ってたわ。封印の影響でそれを思い出したのかと……」
「……日記には『もし万が一目覚めたとしても、それはもう彼女ではないとも言っていた。』とあった。あれは、異世界の魂が器に宿るということだったんだな……」
「なるほど……筋が通るわね……」
それなら、本来の私は今、どうなっているんだろうか。
死んではいない?生きていたとしても、魂がないのであれば脱け殻状態……植物状態とかだろうか。
正直なところ、憂鬱になるのであまり想像したくはない。
異世界の少女を召喚する要領で、私も呼び寄せたということだろうか。
日記には、『一番ふさわしい魂』とあった。一応は選ばれし者のようだが、その要件が分からないので素直に喜べない。いったい、私の何がふさわしいのだろうか?
「――ヒッ!」
思考に耽っていると、手の甲を何かが這う感覚がして、肌が粟立った。
レニーの指だった。
そういえば今、サンドイッチ状態になっているんだった。
彼は私の反応を無視してなぞり続ける。
「な、なに……?」
嫌悪感から引き抜こうとしたができなかった。彼が力を入れて阻んだからだった。
「……」
「?」
どうしたのだろう。無言が怖い。
彼の指先はなぞっては、止まり、なぞっては、止まりを繰り返していた。まるで何かを躊躇っているかのようだった。心なしか、体も小さくなっている気がする。
そんな弱々しい姿を見せられてしまえば、急かすこともできない。
仕方がないので、ただ黙って好きなようにさせていた。
程なくして、彼が少しずつ切り出した。
「……僕は、貴女と会えて良かったと思う」
ありがとうと言おうとしたところで、口を噤んだ。この後にもまだ続きそうな口振りだった。
「でも――」
指の動きが止まった。
解放されるかと思いきや、指の股を通って、手の甲を包み込むような形でぎゅっと握られた。恋人繋ぎの手の甲バージョンを想像してもらえるといいかもしれない。
驚いて横を見れば、真剣な顔をした彼とばっちり目が合った。
「総合的に判断すれば――。未来に貴女がいるということは、これから先、僕の代で悲劇が起こるということであっているだろうか」




