21.彼女
考えがまとまらず、頭がぐるぐるする。
あの後、私たちは一度前の部屋に戻って来た。
あの場所には“彼女”以外のめぼしいものはなく、休憩しようという話になったからだ。
部屋にはちょうどダイニングテーブルがあったので、それに彼と向かい合って座っている。何を話せばいいか分からず、お互い無言だった。
泉に浮いていた女性は、何度見ても、どう考えても、“私”だった。
――いや、私はこうして存在しているわけだから、そんなはずがない。現実的に考えよう。
まず、魔女が双子だったという話は聞いたことがない。クローンというのもあり得ない話だ。そんな魔法は存在しない。
とすると、まさかドッペルゲンガーだろうか?ドッペルゲンガーを呼び出す魔法も存在しないが、幻覚という点ではできるかもしれない。
それとも、単純な話で、そっくりさんなのだろうか。
女性が目を開けば、その色は黄色ではなく、青や緑なのだろうか。
だがそうだとすれば、魔女と同じ赤髪という点で、これまでかなり忌避されてきただろう。
だからこそ、あんな場所にそのまま葬られて――。
胃酸が逆流しかけて、慌てて口を覆った。
向かいで彼が瞠目するのが見えたが、そんなことどうでもいい。
――あぁ、せっかく思考を逸らしていたのに、結局それに思い至ってしまった。
女性はただ、眠っているだけのように見えた。血色こそ悪いものの、まさかそうだとは思えまい。それくらい綺麗なままだった。
しかし、あの場所がそれを否定する。
あんな冷たい水の中で、服を着たまま眠るなんて、正気の沙汰ではない。
しかも、我々が近くで動き回っても、会話をしても、微動だにしなかった。
故に、あれはそういうモノだ。
まさに、オフィーリアのような最期を迎えたそれを、実際にこの目で見たわけである。
しかも――。
私の姿をした、そういうモノを。
頭をガツンと強く殴られたような衝撃に、余計頭がぐるぐるした。
これが鏡の彼女の目的だったのだろうか?
そうだとすれば何と悪趣味なことか。
――いや、一旦落ち着こう。
一つ、二つ、三つと念入りに深呼吸した。
まず、そもそもあれが本当に人間だったのかどうかは分からない。
人形かもしれない。魔法で見せられた幻覚かもしれない。
人間だったとしても、オレンジライトのせいで本当は赤髪ではないかもしれない。魔法で眠っているだけかもしれない――。
そう考えだしたらキリがなかった。
それに、彼女の目的がそうだと断定するのは早計だ。もし事実だとすれば、彼女は自分に似た……亡骸を、わざわざ自分に見せようとしたことになるのだ。
魔女ギルダは他人を省みることはなくとも、己のことは大切にするタイプだろう。でなければ≪災厄≫を呼び起こしてまで、復讐をしようとはしないはずだ。
あるいは、うまくやらないとあぁなるから気をつけろ、という戒めのために見せたのか。
鼓舞するためという可能性もある。
――あぁダメだ。情報が少なすぎる。
ぐるぐる。
ぐるぐる。
答えが浮かんでは、消え。浮かんでは、消え。そんな負のスパイラルに陥ってしまう。
これは意を決して、もう一度女性をよく確認してくるべきだろうか。
先ほどは動揺してあまり直視できなかったが、今度はもっとじっくり観察して、それこそ必要であれば、……触ってみることも、努力するべきだろう。
そうだ。そうしよ――。
「大丈夫か?」
はっとして背筋を正した。
いけない、いけない。今ここには彼もいるのに、完全にトリップしていた。
私と視線が合った彼は思いきり眉をひそめた。「顔色が悪いぞ」そう言われたので頬に手を伸ばす。確かにひんやりしているかもしれない。
だが、それはあの部屋の冷気のせいもあると思う。私は当たり障りなく返事をした。
彼は釈然としない様子だったが、そのまま飲み込んだようだ。
その後、再び沈黙が落ちるかと思いきや、彼は口を閉じなかった。
「聞いてもいいか?」
「……えぇ」
ついにきたか。
何を聞かれるのかなんて、そんなの分かりきっている。もちろん、あの女性のことだ。
あの光景を見たら、まず誰しもが魔女の関与を疑うだろう。理由を説明するまでもない。
私は諦めて頷いた。
「貴女は…その……。本当に、魔女ギルダか?」
「へ……?」
想像していなかった質問に、若干声が上擦った。
気になるのはそこなのか?
企みを問い質すこともなく、殺人を疑うわけでもなく、ただ、私が本物の魔女か、だと?
彼の意図が分からなくてじっと窺うが、至って真剣に聞いているようだった。
この容姿で散々目の前で魔法を使ってきたのに、ここにきて疑われるとは思わなかった。彼のその言い方だと、泉に眠る女性が本物の魔女である可能性を考慮しているようである。拍子抜けのような、心外のような……。
でも、正直、少しホッとしていた。
あの光景を見た後、彼に何を言われるかと思うと、ずっと心に重しを抱えている気分だったのだ。
出会ってからそんなに時間は経っていないが、私は彼に好感を抱いている。
彼は初対面にも関わらず、『泣く』という弱みを見せてくれたし、何より、魔女である私を否定しなかった。それらに理由こそあれど、ジュードたちと同じ部類の希少な人間だ。
この国で忌み嫌われる存在である私にとって、それはとても心地のいいものだった。
だから、そんな彼から軽蔑の言葉を投げつけられるかもしれないと思って、怖かったのだ。
――まぁ、彼のその質問は愚問だが。
「えぇと……私が嘘をついていると?」
「……」
視線が右往左往する。
「……ふぅ。仮に私が魔女でなかったとして、悪名高き魔女を名乗る利点はあるかしら」
「……ないな」
「でしょう?」
やれやれと大袈裟に頭を振れば、少しむっとした顔をして身を乗り出してきた。
「……しかし!魔女が封印を解いたなどという話は聞いていないっ……!」
「え、ウソでしょう!?」
驚きだ。もしや彼の住んでいる地域まで情報が回ってきていないのだろうか。
――いや、この国はかなり小さいので、たとえ山付近でも、中心地とそこまで差は開かないはずだ。本当に知らないというのだろうか。
あの日。異世界の少女が来た日。私の存在がバレて、暴動になりかけたというのに。
大地震の後だってそうだ。国が魔女との関係を否定する発表も行った。
それにも関わらず、知らない、だと?
「!……もしかして…箱入り息子、なの?」
もうそれしか考えられない。
道理で純粋なわけだ。
彼は頬をぴくぴくさせながら頭を抱えた。
「……まぁ、その……あながち箱入りという点では、否定できないかもしれないが……」
ショックだったのか、声音がワントーンくらい低い。「……だが、そうは言っても、僕のところにその情報が入ってこないわけがないのだが…」言い訳していたが、後半はゴニョゴニョ喋っていたので少し聞き取りづらい。
「…そうねぇ……」
可愛かったので、止めを刺すことにした。
「国民全員が、私が復活したことを知っていると思うけれど」
「国民全員!?」
彼は愕然として腰を下ろした。
そして「まさか父上のことでバタバタしていたから……?」とか「誰がそんな情報規制を……」などと再びゴニョゴニョ呟いている。
あぁなるほど。父親のことでショックを受けている彼に、新たな打撃を与えないよう、誰かが気を遣っていたのか。愛されているな。
「僕だけが、知らない……?」
動揺する彼を眺めながら、かわいそうとは思いつつも面白いなとも思ってしまうあたり、私も大概悪役らしいのかもしれない。
*
傷心の彼が復活するまで時間がかかりそうだったので、私は室内を見て回ることにした。
この部屋に来てすぐにあの泉に向かったので、まだきちんと調べきれていない。もしかするとあの女性に関する何かが見つかるかもしれないので、探す価値はあると思う。
もしそれでもダメだったら、もう一度あの場所に行ってみることにしよう。
一番可能性があるのは本棚だ。
まずはここから始めることにした。
本棚の前には机と椅子のセットが置いてあった。恐らくここは仕事スペースだろう。
本棚にはぎっしりと本が並んでおり、かなり古い本もあるようだ。
背表紙にタイトルはなく、巻数と年月のみ記載されていた。手書きである。上段の本から順に番号が振られており、どうやら年代順に並んでいるようだった。
ただ、年月は必ずしもすべてを網羅しているわけではないらしい。たまに数十年分くらいごそっと抜けている。
巻数はきちんとそろっているようなので、元々そういう本のようだ。何かの記録だろうか?
「ん?」
ふと、机の上に置かれたものに目がいった。
白い封筒だった。
机は、引き出しも何もついていないシンプルな木の机だった。年代物だ。
そこに、真新しい封筒が置かれている。
その横にはペンが置かれていて、いかにもこれを使って書きましたと言わんばかりの感じだった。
封筒に書かれていた宛名は――。
「レニー?」
どうやら、“レニー”という人物に宛てた手紙らしい。
残念ながら私は、そういう名前の人物を知らない。
というより、そもそも、私の交遊関係はジュードとエヴァン、アーチーの三人だけである。他に顔を知っているのは騎士団団長と国王くらいだが、団長の場合はみんなが団長か脳筋としか呼ばないものだから、名前を知らない。
残りは国王だけだが、――そういえば名前、何だっけ。
一応、謁見前に教えてもらったような気がするが、彼の場合も国王陛下と呼べばいいだけだから覚える気にならなかった。まぁ今後も呼ぶ機会は一切ないだろうし、問題ない。
「ねぇ、“レニー”って人に心当たりある?」
早々に諦めて疑問を投げれば、未だ悶々としていた彼は、眉間にシワを寄せたまま頷く。
「……あぁ、僕だ」
「ぼく?」
反射的におうむ返しした後、その意味に気がついた。
「貴方の名前が、“レニー”なのね?」
「そうだ。……名前は教えていなかったと思うが、やはり知っていたんだな」
彼はテーブルに肘をつくと、胡乱げな視線を送ってきた。やはりの意味が分からないが、とにかく何か疑われているらしい。
彼は鼻を鳴らした。
「別にそんな遠回しに確認しなくとも、聞かれたらちゃんと答える」
「違う違う!たまたま知ったのよ!ここに、“レニー”宛の手紙があるから。……ということは、これは貴方宛なのかしら?」
「!」
彼が勢いよく立ち上がったので、椅子がガタンと大きな音を立てた。
そして大股でこちらまでやって来ると、封筒を見て目を丸々とさせた。
「父上……」
「え?」
恐る恐る封筒を手にした彼は、そっとその文字を撫でた。指先がかすかに震えている。
「……これは、父上の字だ」
指先だけでなく、彼の瞳まで震え始めた。否、潤んでいるからだろう。
涙腺が緩めの彼を横目に、私は冷静にその手紙を観察した。
彼宛の手紙があるということは、きっとこの部屋は彼の父親のものだったのだろう。
とすると、この部屋の持ち主はすでに亡くなっていることになるので、彼女について聞くことはできない。ついでに鉢合わせの心配もない。どちらかというと色々聞きたかったので鉢合わせたかったが、それは致し方あるまい。
しかし、そうなると、彼の父親が何かしら関係していることになる。
もともと、家宝だという指輪の魔力を使ってここまで来たわけだから、ここは彼の一族のトップが使用できる、秘密の部屋みたいなものかもしれない。
つまり、彼の一族が何か関係している?
「……あの、レニー?……って、呼んでもいいのかしら。……聞きたいことがあるのだけれど」
感動と緊張を伴ったまま手紙を見つめる彼は、名前を呼ばれて慌てて佇まいを直した。ずびっと鼻を啜る音はスルーしてあげることにした。
「……ん、まぁ、構わない。……そうだな、分かっているだろうが、改めて自己紹介した方がいいか」
そう言うと彼は背筋を真っ直ぐ伸ばし、顎を引き、視線を合わせてきた。
随分と慣れているようなので普段からこういう挨拶をしているのだろう。常ならば彼の外見と合わさり、見惚れそうなほどの綺麗な所作だったが、あいにくと今日は目は潤み、頬は赤く染まりと愛らしさが勝っていた。
――はて、分かっているだろうが、とはどういう意味だろう。
「僕の名前はレナード。レナード・ラプタンだ。即位式こそまだだが、実質的には、貴女の目的であるこの国の王で間違いない」
彼はそう言って、口元に薄く笑みを浮かべたのだった。




