20.一本道の先
もう五分程歩いただろうか。
鏡に映った一本道は、扉を開けた先にまったくその通りに存在した。
少年が足を踏み入れた途端、両脇の壁に火が灯った。
どうやら壁に等間隔に掛けられたランプが、歩み具合に合わせ、自動的に点灯するシステムになっているらしい。
一本道は正しくは通路だった。ヨーロッパの宮殿などにある、壁に隠された使用人用の通路や、緊急時の避難通路に近い。
痩せた人同士であれば、体を横にすれば何とかすれ違えるくらいの狭さだった。分かれ道は一度も見かけていないので、恐らくこれは一方通行の通路なのだろう。
本当に城内の隠し通路なのか、はたまた別の建物内なのかは不明だ。
あの魔法の鏡のことだから、私は後者だと思っている。
程なくして、再び扉が現れた。
やけに重厚なそれは、私の前を黙々と歩く彼によってあっさりと開けられた。
ちなみに、通路を歩いている際も彼は手を離してはくれなかった。しかも、何度か声をかけたがすべて無視。どこか心ここに有らずといった様子で、一心不乱に先を目指していた。
彼に続いて扉の中に入ると、そこは誰かの居住スペースのようだった。
室内は広く、三十畳程はあるだろうか。
ざっと見回した感じ、ベッド、机、テーブル、椅子、本棚などある程度の家具がそろっている。どの家具もかなり年季が入っているが、壊れている様子はない。装飾も何もない、木でできた素朴な造りのものばかりだった。
天井から吊り下げられたランプは、通路と同じように彼が足を踏み入れた途端、点灯した。古ぼけたそれは、少しヒビが入っていた。
先ほどまで我々がいた部屋は、まさに上流階級の趣味そのものだった。
しかし、ここは真逆で、農業で生活を営む平民の家のようだった。
また、この部屋は窓がないにも関わらず、明るく、空気が澄んでいるように感じた。
不思議とどこか安心できるような空間に、思わずふぅと息がもれた。
「誰の家かしら」
一番近くにあったテーブルに向かい、そっと手を近づける。指でなぞれば埃はつかなかったので、今現在誰かが住んでいるのだろう。
と、ここで、自由に歩けたことにより、彼が手を離したことに気がついた。
その彼はといえば、私と同じように室内を興味深そうに散策している。
彼の様子からいって、彼自身もここが誰の家なのかは分からないようだった。行かなければならないと言っていたが、それはこの部屋に用があるということだろうか。それとも、この部屋の主だろうか?
主といえば、勝手に入ってきてしまったが本人はどこにいるのだろう。外出中か?
帰ってきた際に魔女と鉢合わせて、面倒なことにならないといいのだが。
「こっちだ」
呼ばれて顔を向ければ、彼が手招きしている。どうやらまだ奥に部屋があるらしい。
壁にぽっかりと空いた穴のような入口は、ちょうど両手を目一杯広げたくらいの大きさだ。
入口の両脇に、パルテノン神殿のような美しい柱が埋め込まれている。いや、埋め込まれているというよりも、そう彫られたのだろうか。
柱は大理石のようだが、その柱を境目に、いきなりただの壁紙から、艶めく大理石に変化しているという不思議な光景だった。
何よりも驚いたのは、その柱に蔦が這っていることだった。
蔦の間から顔を覗かせているのは、鮮やかな赤い薔薇だった。
それが一つと言わず、いくつも咲いているのである。
薔薇を育てた経験から分かるが、こんなに形のいいおおぶりな薔薇は、なかなかできるものではない。しかも、窓のない室内でだ。住人はさぞかし植物の知識があるのだろう。
目を閉じて甘く奥深い香りにうっとりしていると、横に立つ彼がポツリと呟いた。
「……水の音がする」
「え?」
意識して耳を澄ましてみると、確かにチョロチョロと水が流れる音がする。
この先の部屋からだった。
室内から水の音がするなど、この先はキッチンや風呂場などの水回りだろうか。
しかし、どうも先に進むのには勇気がいった。
それには理由がある。
まず、この神聖な佇まいの柱があまりにもあやしいことだ。
先ほどパルテノン神殿を例に挙げたが、まさに神殿の入口のような雰囲気だったので、突入するのは些か気後れする。
それに、入口は扉もなく、先が覗けることには覗けるのだが、真っ暗で何も見えない。これまでの経験上、彼が歩けば明かりが点くのだろうが、向こうから漂ってくるひんやりとした空気が、正直言って怖い。
ちなみに、薔薇の蔦は向こうの部屋からやってきているようだった。
いかにもこの先には、何かがありますと言っているような厳かな光景に、自然と頬がひきつった。
RPGで言うならば、絶対この先にボスがいる。入ったら最後、退路は絶たれ、重厚なBGMと共にボス戦が始まるのだ。
――いや、この世界のボスは私だったな。
空気感に尻込みしているのは、どうやら私だけではないようだった。
先ほどまで、どんなにストップをかけてもずんずん前に進んでいた彼が、じっと目の前の入口を見つめている。額には冷や汗が見えた。彼なりに緊張しているのかもしれない。
「大丈夫?」
心配になって声をかければ、気がついた彼は眉を下げて力なく笑った。
こういう笑い方もするのかという驚きと共に、可愛いなぁと思わず口元が緩んだ。
「……恐らく…この先が目指す場所だ」
彼は真っ暗闇に視線を戻すと、ごくりと喉を鳴らした。
「なぜ目指す必要があるの?」
最もな疑問だと思う。
指輪をはめてから、彼の様子はずっとどこかおかしい。指輪の魔力のせいなのだろうか。
彼は私を一瞥すると、少し逡巡してから指輪をはめた手を握りしめた。
「……なぜだかは分からない。でも、これは僕が必ずやらなくてはいけないことなんだ。その答えが、この先の部屋にあるんだと思う」
「……」
大丈夫か?何だかフラグのようじゃないか?
本当にボス戦が始まるんじゃないか?
顔をしかめる私をどう勘違いしたのか、彼は優しく両手を握ってきた。
その瞳はとても真摯なものだった。
「大丈夫。もちろん貴女も一緒に連れていく」
「……」
まぁ、私の方が強いしね…。貴方にとって素晴らしい戦闘要員ですよね……。
「ありがとう……」
乾いた笑いがもれた。
純粋な彼のおかげで、強張っていた肩の力が抜け、ここで初めて体の異変に気がついた。
全身の細胞をフル活動して危険を察知しようとするくらい、緊張していたらしい。この部屋に来るまで大した距離があったわけでもないのに、既に疲労困憊だった。
特に、繋がれていなかった方の手は、いつ何があってもいいように指を合わせていたから若干感覚がない。力を入れすぎたようだ。
これでは戦闘時に困ると思って、慌てて指の体操を行った。……が、すぐに魔法の存在を思い出し、筋肉を解すための魔法を使う。
ダメだ、頭も随分と疲弊している。
緊張によって呼吸が浅くなり、酸素が上手く行き渡っていなかったのかもしれない。急にズキズキと痛みだす頭に嘆息した。
それに、この摩訶不思議な体験に興奮していたのもあり、少々体も熱っぽい。
緊張と、興奮と、恐怖と――。
これじゃあ本当に戦を控えた戦士のようだ。
「――行こう」
決意したように強く頷く彼を横目に、私も小さく頷いた。
だからといって、彼を一人にするわけにはいくまい。旅は道連れ世は情けということわざもある。
最も、彼の情けなどないかもしれない。
この先で私は捨てられるかもしれない。
だがそれは、私がかの有名な“魔女ギルダ”だからだ。
しかし、それと同時に、私は天下のチート魔女、ギルダ様でもある。
そう簡単には、負けるつもりはない。
「行きましょう」
やはり思った通り、彼が足を踏み入れた途端、壁に明かりが灯った。
*
隣室とは通路で繋がっているようだった。
壁一面が薔薇の蔦で覆われており、ここの薔薇も見事な花を咲かせている。太陽どころか、人が来ない限り明かりすらないこの場所で、本当に一体どうやって光合成しているのか。
ただ、その景色は圧倒的で、まるで薔薇のアーチのようだった。こんな場所であったとしても、恍惚の溜息がもれてしまう。
水の音が大きくなったかと思えば、彼がぴたりと足を止めた。
どうやら目的の場所に着いたらしかった。
ただ、明かりは点かず、辺りは暗闇に包まれていて何も見えない。
ひんやりとした空気が体に突き刺さった。
通路はそこまでの距離はなく、たったの十メートル程度だった。
勝手にもっと距離があると思っていたので、心の準備が出来ておらず慌ててしまう。
バクバクと激しく鳴る心臓の音が聞こえる。
彼の横に並んで深呼吸した。
薔薇のアーチのおかげで、先ほどからずっと甘い香りを堪能していたが、この部屋は今までで一番、香りが強かった。
一応、水の匂いもするが、あまりにも薔薇の香りが強烈で、意識しないと分からない。
瞬間、ポッと淡い光が浮かび上がる。
「!」
それは一つだけでなく、その後もどんどん数を増やしていく。二、三…六……十。あまりの勢いに数えるのが追いつかない。
光はバレーボールサイズのオレンジ色で、その幻想的な光景にただただ呆然とした。
まるで間接照明のようなぼんやりとした光は、水辺だけでなく空中にも浮いていて、空間全体を埋め尽くす勢いだった。
それらはすぐに辺り一帯に広まり、この部屋の全貌が見えてきた。
部屋はどうやらドーム型のようで、かなりの広さだった。天井こそ低いものの、小さなコンサートホールと言ってもいい。
壁から天井に向かって、やはりというべきか、びっしりと薔薇で覆われている。窓はなく、バレーボールライトがないと視界は確保できない。
水の音が聞こえてきたのは、この部屋一面に水が流れているからだった。
花が開くかのように中央から壁に向かって流れる水は、壁手前にある隙間にするすると落ちて消えていった。時折花弁や花そのものが流れていく様子は、何ともSNS映えしそうな美しさだった。
水の発生源であろう部屋の中央を見ると、東屋があった。天井から垂れ下がる薔薇は東屋にも到達しており――。
いや、あれは恐らく、元々東屋にあった薔薇が勢力を広げ、天井にまで到達し、壁を伝って隣の部屋まで侵食してきたというのが正しいだろう。
東屋にもしっかりと薔薇が巻きついており、あそこが一番花が咲いていた。
さすがにこれだけの量の薔薇があれば、強烈な甘い香りになるのも頷ける。
室内はまるでお屋敷の庭園のようだった。
円形の泉の中央に浮かぶ、薔薇の東屋。
辺りにはこれでもかという程の薔薇が咲き誇り、視覚・嗅覚を刺激する。
さらに、暗闇を淡く照らす無数のライトが、ロマンチックな雰囲気をより一層盛り上げた。
恋人たちが甘い時を過ごすには、もってこいのデートスポットだ。
ボス戦が始まる気配は微塵もない。
「きれい……」
「あぁ……」
自然と笑みがこぼれた。こっそり窺えば、彼も笑みを浮かべているようで、半開きの口が感動の大きさを物語っている。
彼は好奇心に堪えられなかったのか、近くに漂うライトをそっとつついた。
ボールの形をしているが柔軟性はないようだった。それは押されるがまま、後方にふよふよと移動した。
ただ、重さがある程度あるのか、大した移動距離はない。
それが面白かったのだろう。彼はまた近くのライトを、今度はもっと強く押した。
押されたライトは他のライトとぶつかり、ぶつかられたライトは移動してまた他とぶつかり…と、まるでドミノのように続いていく。
「ふふ」
「ふはっ」
思わず二人で顔を見合わせ、吹き出した。
ライトのドミノ移動はすぐに止まった。
「あそこに向かうか」
手の甲で口元を押さえながらもくすくすと笑う彼は、視線で東屋を示唆した。
「えぇ」
何だか私も無性におかしくて、笑いが止まらない。
肩を震わせながら頷いた。
東屋までは、大きな石を並べて作られた道で繋がっていた。ライトはちょうど体に当たらない位置にあるので、二人並んでも問題ない。そろってのんびりと歩いて行った。
近づいてくると、少しずつ東屋の中が見えてきた。椅子などの休憩セットはないらしい。
どうも床に長方形の穴が空いているようで、そこに水が溜まっていた。光が反射して、ゆらゆら揺れているのが分かった。
次の瞬間、見えたものにぞっとした。
「え……?」
ピタリと足が止まった。
見間違えたのかと思って何度も瞬きをするが、その光景は変わらなかった。
はくはくと呼吸が浅くなる。
心臓の鼓動も早い。
腰が抜けてその場に崩れ落ちそうになったのを、横から支えられた。
「……」
彼は何も言わない。
眉間にシワを寄せてその水に浮かぶものをじっと見つめ、そして私を見た。瞳が揺れているので彼も困惑しているのだろう。
恐る恐る二人でそれに近づいていった。
気のせいでありますように。
間違いでありますように。
しかし、そんな私の希望は打ち砕かれる。
東屋の中央に空いた長方形の穴。
水泡が浮かんでくるので、この奥から水が涌き出ているのであろう。
薔薇の花や花びら、青々とした葉っぱがぷかぷかと浮かび――。
そして、人も、浮かんでいた。
腰まで伸びた真っ赤な髪。
青い肌。
白いワンピース。
――あぁ、彼女が目を開けたらきっと、その瞳の色は【琥珀】なのだろう。
まるでミレーの描いた『オフィーリア』の如く、花々と共に身を沈めているのは――。
紛れもなく――――魔女ギルダであった。




