17.少年
様子を窺っていた少年は立ち上がると、手に持っていた灯りを点灯し、掲げた。
すると目の前に、大層美しい容姿の少年が姿を現したのだった。
色素の薄い髪は、暗い室内では何色かは判断しづらい。銀だろうか?
長さは清潔感のあるショートだ。明かりを受けてキラキラと輝き、天使の輪が浮かぶその様から、かなり丁寧な手入れがされていることが分かる。それらは彼が動く度、さらりと残像を残すように揺れた。
肌は思春期特有のニキビとは無縁で、当たり前だがシミも一つとしてない。やんちゃもしないのか、怪我の痕もなさそうだ。まるで陶磁器のようなそれに思わずすり寄ってみたくなる。
瞼を縁取る睫毛は、髪色と同じく色素が薄いようだった。圧倒的透明感。
時折下りるそれは思わず、ブラシですか?と尋ねてしまいそうなくらいのボリュームだった。女子が憧れるばっさばっさ系である。常時つけまでもつけているのか?
その奥から覗くグリーンの瞳はどこか無機質めいていた。宝石のように澄んでいるからかもしれない。これが余計彼をお人形さんのようにさせていると思った。
間を走るすっと通った鼻梁を辿れば、ぷっくりとした血色のいい唇に到着した。
そんな天使のような彼は、白のキトンではなく、上下黒のシンプルな衣服に身を包んでいた。素材は良さそうなので値は張りそうだ。
ここまで言えば分かるだろうか。
一言でいえば、すぐに誘拐されてしまいそうな程の国宝級美少年だった。
どこか気落ちした様子なのは依然そのままで、彼は無表情にこちらを見ていた。
何となく既視感を覚えたのはなぜだろう。前世で見た映画の子役にでも似ているのだろうか?あいにくと思い出せない。
しかしまぁ、美人の無表情とは迫力がある。モデルのポージング写真や、ランウェイなんかは気にならないが、実際その視線を自分に向けられるとなると話は違うらしい。
とはいっても、年若い彼のその視線は、魔女である私には痛くも痒くもない。正直言って、魔法を使えば彼をどうとでも料理できるのだ。力関係だけでいえば、私は負けない。
しかし、彼をどう扱えばいいものか――。
たらりと汗が流れるのが分かった。
拙い頭で必死にこの後の“正解”を捻り出す。
まず、なぜ私が魔女であるとバレた?――あぁ、容姿か。
私のこの赤髪に琥珀の瞳というのは、魔女ギルダだけの証だった。それでは魔女ではないとシラを切るのは無理だろう。
それなら魔法で記憶を操作することは可能だろうか?
指を静かに動かした。
試したことはないが、脳がそれはできないと警鐘を鳴らす。おとなしく諦めた。
「答えよ」
少年は魔女に会ったというにも関わらず、やけに冷静だった。
謁見で私を見た多くの人は、その恐怖心から震え上がっていた。大の大人が、だ。なかには崩れ落ちる人でさえいたというのに、随分と肝が据わっているようだ。
まぁ、いささか威圧的なのは気に障るが。
しかし、これなら騒ぎ立てることはしないだろう――そう安堵し、何と答えようか思案する。
すると手に握られたものに気がついた。
「ロープ……」
「ロープ?」
少年は首を傾げた。
「……あ、えっと……そのロープを、置いてくれないかしら?」
「……なぜ?」
「……」
自殺志願者に、自殺は止めなさいなどと直球に言ってもいいものだろうか?そんなことを言えば逆上してしまいそうな気もする。
よくあるドラマだと、気を逸らしている隙に無理矢理捕まえていたと記憶している。
それなら、彼の手からロープを取り上げてしまえばいい。
見つめあったまま、指を鳴らした。
「!」
瞬間、私の手に握られたそれを、彼に見せびらかすように魔法で燃やした。
彼は目を見張った。人形の人間らしい素直な反応に、自然と口の端が緩む。
彼は黙って燃えるのを見つめていたが、次第に顔をしかめていく。
そうして不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「魔女がなぜ止める?」
「……」
「すぐに戻ってくるつもりだった」
「……え?」
目下の懸念事項を無事に阻止でき、ひっそりと達成感に満ち溢れていると、思いもよらない言葉が降ってきた。
すぐに戻ってくる?
もしやこの少年、ゾンビになるのか……?
思わず凝視していると、その視線を何と捉えたのか、彼はひょいと肩を竦めた。
「本当だ。数時間だけ町の様子を見て、明け方までには帰ってくる予定だった。たまには気分転換くらいしたって構わないだろう」
間。
「……はぁぁ~」
「?」
――やってしまった。
体温が一気に上昇するのを感じた。
あのロープは首を吊るためのものじゃない。
窓から脱け出すためのものだ。
そういえば、彼は外を見下ろしていた。大方着地点の確認でもしていたのだろう。早とちりもいいところだ。
それにも関わらず、私は彼女に対してあんなにも取り乱してしまった。
これはあまりにも恥ずかしい。
顔を覆って大きく溜息を吐いた。
もしや彼女はこの事に気づいていて、私を安心させるためにこの場に送り込んだのか?
――いやもうそれなら余計に恥ずかしい。穴があったら入りたいとはこの事だ。
知っているのが彼女だけなのが幸いだった。これがアーチーだったら一生笑われそうだ。
その点、少年は私にとっていいように誤解してくれているだけだから助かった。
「僕のことが信用ならないのは分かるが」
彼が睨みつけてきた。
――信用。
そういえば、彼は肝が据わっているとはいえど、よくぞここまでフランクな態度を貫けるものだ。あの三人以外にも、魔女に対してそこまで嫌悪感を持っていない人がいるなんて。
私は興味本位で尋ねることにした。
「貴方、私が平気なの?」
私の問いに彼は片眉を上げた。
「いきなりだな」
「……私は貴方が言う通り、魔女よ。それなのにとても落ち着いているから」
「そうだな……」
そう言って彼の視線が床に落ちた。どこか悲しげに伏せられた瞳は、涙を落とすことはなかったが、少し潤んでいるような気がする。先ほど彼が泣いているのを見ていなかったら、気づかない程度の変化であった。
彼は少しの間、そうやって考え込んでいた。
「……今、僕を占めるのは絶望だけなんだ」
ドキッとした。
それは彼がやはり、自殺を企んでいるかもしれないからだろうか。
それとも、その口元にうっすらと笑みが浮かんだからだろうか。
「もう疲れてしまったんだ」
彼は続けた。
「……だから正直言って、魔女と出会ったところで、今の僕には然したる衝撃はない」
何と返事をしたらいいかが分からなくて、視線があっちこっちに飛んだ。
それを見た彼がくすりと笑う。
「魔女も存外、気を遣うのだな」
「……」
心外だが、仕方ない。
「魔女は世間話をするのか?」
「?えぇ、それはまぁ……」
肯定すると彼は「そうか」と言って、灯りを執務机に置いた。
そしてその隣にゆっくりと寄りかかった。
沈黙が流れる。
再び彼の視線が床に落ちた。
恐らく、彼は何かを話そうとしている。
私はソファーに移動すると、腰を下ろした。ここはきちんと彼の話を聞くべきだと思った。
そうしなければ、いけない気がする。
彼はそれを目で追っていたようで、ソファーに座った私を見てどこか安堵した様子だった。
どう話そうか考えをまとめている風だったので、私はそのまま待つことにした。
期待を裏切らないソファーの座り心地に満足していると、しばらくして、少し震えた声が発せられた。
「……もう、会えないん、だ……」
心臓がキュッと音を立てる。
私はそっと瞼を伏せた。
その言葉を形作るのにどれだけの勇気が必要だっただろう。
彼はそう言ったっきり、俯いて、静かに肩を震わせた。時折もれ出る吐息が、彼が必死に嗚咽を抑えていることを教えてくれる。
あぁ、誰かが亡くなったのか。
きっとそれですべてに絶望していたのだろう。若い彼にとって、誰かの死というのは衝撃的な経験だったに違いない。
それこそ、魔女である私と出会うこと以上に。
吐息と共に、掠れた声で“父”と聞こえた。
父親が、亡くなったのか。
ここで彼の涙腺が決壊した。婉曲に表現したが、それでも言葉にしてしまったせいで事実を突きつけられ、堪えられなくなったようだ。
心のなかでその人の死について考えるのと、それを言葉にして誰かに話すのとでは雲泥の差がある。口にした瞬間、その事実が、より確固たる事実として確立してしまう気がするのだ。
言霊とはよく言ったものだ。
口にしない限り、その事実はうやむやにできるような気がしてしまう。認めたくないから、誰ともその話をしたくない。
そうしてどんどん自身のなかにキズを溜め込んでいってしまうのだ。
しかし時折それが爆発して、どうにもできなくなってしまう。
まさに彼が今その状態だった。
きっとそれで夜の町にこっそり出かけようと画策していたのだろう。気分転換に、と。
「……は、ははうえはっ、ッ、ふさぎこ、っこんで、いるっ……」
鼻を啜る音やしゃくりあげる声がした。
彼の方は決して見なかった。
「きょ、きょう、っ、は、はうえの、あにに…フッ、いわれたんだっ……」
ふぅ、ふぅと呼吸を整える音がする。
彼は必死に言葉を繋ぎだそうとしていた。
「…ンッ、ク………。ははうえを、っささえて、やりなさい、と……」
一旦ピークを越えたのか、少しだけ聞き取りやすくなった。
彼は浅い呼吸を無理矢理止め、大きく深呼吸した。
震える息が彼の努力を表している。
「……しかし、ぼくにかけることばは…っなかった…。それで、おもったんだ……。かれは…ははうえのみかただ…。じゃ、あ……ぼくは……?」
この後の言葉が想像できて、ヒュッと喉が鳴った。
「ぼくのことは……だれが、ささえてくれるんだ……?」
頬を伝わる生暖かい感触に気がついた。
彼の全身全霊の助けてくれという悲痛な叫びが、心に突き刺さった。
伯父はその何気ない一言が彼を追い詰めてしまったなど、露程も思わないだろう。
きっと、激励のつもりだったに違いない。
父親の死からどれほど時間が経過しているのかは不明だ。今も母親は塞ぎこんでいるというから、それほど経っていないのかもしれない。
伯父から期待されるような言葉を受けているところを見ると、彼はその期待を受けるに値するような真面目な子なのだろう。
そんな言葉を受けたり、こうやって感情が爆発していたりすることを考えると、他者の前ではうまく本音を隠して、気丈に振る舞えていたのかもしれない。
だからこそ伯父は、目に見えて衰弱している母親と比べて、立派な彼になら任せられると思って、声をかけた。
しかし、伯父にとって誤算だったのは、彼のキズは見えないだけで深く刻まれたまま存在し、それらは決して比べるべきものではなかったということだ。
彼はとっくに限界だったのだ。
ギリギリのところで堪えていたところを、後ろから軽く、善意に溢れた激励で突き落とされてしまった。
まさに、地獄への道は善意で舗装されている、のことわざ通りに。
「……きずついているのは、ははうえだけ、だと?」
――そうだね。
「……ぼくは、きずついていない、と?」
――そうだね。
「ぼくに、これいじょうの、どりょくをしろ、とっ……!?」
――――そうだね。
私は魔法でハンカチを用意すると、彼の頭上にひらりと落とした。
彼は再び堰を切ったように泣き始めた。




