16.鏡
「どういうこと……?」
呆然と彼女を見つめていると、彼女は返事を返さないことに気分を害したのか、催促するようにまた手をひらひらさせた。
私はハッとして、おずおずと手を振り返す。それが合図かのように光が消えた。
彼女は満足そうに頷いた。
「貴女は一体、誰……?」
心臓がドクドクと音を立てる。
こんなこと、あの日以来だった。熱を帯びるそれは、相変わらず煩わしい。
彼女は私の質問に軽く微笑んだ後、自分を指差し、そして私を指差した。
その動作はあの日と全く同じだ。
私は貴女。貴女は私。私はギルダ。ギルダは貴女――。
やはり言いたいことが分かってしまう。
謎かけのようなそれに、もっとヒントを得ようと必死に次の質問を捻り出す。何かないかといらいらしながら辺りを見回した。
徐に彼女が手のひらを差し出した。
何か伝えたいことがあるのかとじっとその姿を見つめていると、パチンと指先が滑る。
すると、ゆらりと彼女の背後が歪んでいった。
呆然とそれを眺めていると、鏡のなかの背景はどんどん変化していった。
次第に、ここではないどこか別の場所が映し出された。
室内の一角のようだった。豪華な室内には机や椅子、そして本棚の姿があった。
どうやら執務室のような場所だ。こんな部屋は今まで見たことはないが、一体どこだろうか。
暗くて見えづらいので、この場所も夜のようだった。きっとライブ配信のような感じだろう。
執務机に置かれた小さな灯りと、窓から入ってくる月の光だけが光源だった。
「――!誰かいる……」
射し込んだ月明かりに反射して、何かがきらめいた。よくよく見ると人の頭のようだった。色素の薄い髪が反射したようだ。
その人は執務机の椅子にぼうっと座っていた。辺りが暗いのと下を向いているのとで、どんな表情をしているかは分からない。どうやら何かを見ているようだが、肩も下がっているのでどことなく気落ちした様子だった。
じっと眺めていると、その人がのろのろと動き始めた。近くに灯りを寄せ、何かを両手で握って頻りに感触を確かめている。見ているものはそれだったらしい。
一体何を持っているんだ?
その人も灯りが小さくてあまり手元が見えなかったのか、顔ごと近づけた。
「――!!」
人は、子供だった。十代くらいの少年だ。
頬が濡れていた。
そしてその手にはロープが握られている。
「え、ちょっと待って……えっ……?」
瞬時に嫌な想像が駆け巡る。
夜、暗い室内、一人きり、気落ちした様子の少年、虚ろな目、手に握られたロープ――。
しかもそのロープは私の腕の太さくらいある。何か重たいもののための、頑丈そうな作りだ。
これはもしかしなくても、もしかする?
「や……やばい……」
さっと血の気が引くのが分かった。
ライブ配信だとすれば止められるかもしれない。彼女が見せてくれた光景だとすると、彼の自殺の原因によもや私が関わっているのか?
余計血の気が引いてしまった。
悪役ポジションといえど、少年が目の前で人生を終えようとするのを、そのままスルーできる程の肝っ玉は持っていなかった。
せめて私が見ていないところでやってくれたら良かったのに!――そう歯軋りする。
知ってしまったら見過ごすわけにはいかないだろう。ただでさえ悪い夢見が余計悲惨なものになってしまいそうだ。それに首吊りは色んな体液が出てきて、なかなか惨い現場になるんだぞ!
私はパニックになった。
自分が悪役の魔女であるとか、そんなことにはぴっちり蓋をして、ただ彼を助けなくてはという思いでいっぱいになった。
「あっ……貴女は今、そこにいるの!?」
彼女は肩を竦めて首を振った。
この光景を前にして全く緊張感がない。彼女は事の重要さを理解していないのか。それとも単純に興味がないだけなのか。
そこにいないということは、これは彼女が魔法を使って、どこか別の場所を映し出しているだけということなのだろう。残念ながら、場所が分からない限りは何もできない。さすがにチート魔法でも、鏡の先に魔法を使うことなんてできなかった。そもそも、私の魔法はこの塔より外に行使できないのだから、たとえ可能だったとしても意味がない。
少年がロープを引っ張って強度を調べ始めた。いよいよだ、いよいよこれはやばい。
「どうしよう……」
現実を受け止めきれなくて頭がぐるぐるする。心臓もぎゅっと何かに掴まれている感じで、浅い呼吸になってしまう。
だが考えるのを止めてはいけない。何かいい方法は、いい方法はないだろうか――。
「……っあ~!ムリ!!」
残念なことに、冷静さを失った私には何の妙案も浮かんでこなかった。
縋るような気持ちで彼女を見ると、彼女は腕を組みながら二度大きく頷いた。任せておけ、とでもいうような雰囲気だった。
「!」
まさに神の救い。――魔女だけれど。
期待を込めて彼女の案を待っていると、以前のようにするすると鏡に文字を書き始めた。
今回は三文字のようだ。
そういえば、この文字はなぜか日本語だった。彼女にも日本人だった記憶があるということだろうか?
――いや、彼女は私なのだから、それもそうおかしい話ではないか。この際彼女と私の関係性については置いておく。どうせ考えたってわかりっこない。
さて、書かれている文字は何だろう。
ユ、ビ、ワ。
ユビワ?
「装飾品の“指輪”であってる?」
彼女は指でわっかを作った。それは正解だということか、それとも指輪を示しているのか。
一寸待ったが何の否定もしてこないのでその指輪で間違いないのだろう。
しかしそれにしたって指輪?解決策が指輪だと?それは一体どういうことだ……?
私の困惑顔を見ても、彼女はそれ以上何も言ってこなかった。笑みを浮かべ、自身の指を撫でるように触っていた。
「……」
気が長い方ではないので、ついイラッとしてしまう。こんな緊急事態時に、謎解きゲームをやってる場合じゃないと思うんだが。
感情を抑えるように、一つ、深呼吸した。
「魔法で指輪を用意するの?」
彼女は首を振った。
「この部屋にあるの?」
彼女は首を振った。
「…貴女が持ってるの?」
彼女は首を振った。
「……指輪をどうすればいいの?」
彼女は彼を指差した。
「?…あ、ちょっと待って、ウソ……!?」
不毛でしかないやり取りを続けていると、いつの間にか少年が立ち上がっていた。窓越しに外を見下ろしている。手にはロープが握られたままだった。そのうち視線は室内へと戻り、うろちょろと歩き回り始めた。
これは本当にいよいよの場面が――。
「そ、そんなの見たくないっ……!」
どうにかできないのかと彼女に迫った。しかし、彼女は片眉を上げただけだった。そして何事もなかったかのように指先を差し出してくる。
暢気なその様子に苛立ちが爆発した。何もできない自分に対する不甲斐なさを彼女にぶつけているわけではない。自分の罪がまた一つ増えてしまうことに対する恐怖からだった。
彼女が催促してくる。
あの日名前を教えてくれた時のように、指を合わせろとのことらしい。
今度こそ打開策を思いついたのだろうか?
正直、信用ならなかったが、ここは我慢だ。藁にもすがりたい気分だから。
一応、最後の抵抗として胡乱な視線は送っておいた。彼女は気にも止めなかったが。
そして言われた通り、指先をくっつけた。
――と、思ったのだが。
「……あれ?」
合わせたはずの指先は、まるで水面に突き刺したかのように波紋を広げて埋まった。
埋まった?
気がついた時には指先から手の甲まですっぽりと埋まっていた。その浸食はそこで止まることなく、どんどん進んでいく。
手首、腕、肘――。ようやくぶっ飛んでいた思考が帰ってきた。
これ、よくあるホラー展開のやつじゃないか!
完全に油断していた。
初日に何ともなかったから、てっきり今日も鏡越しの文字で会話するだけかと思っていた。
まさかここで急にホラー展開になるなど思いもしなかったのだ。だってここの世界のシナリオは、ロマンス小説(仮)じゃないか!
必死に腕を引っ張るがびくともしない。
鏡には波紋だけが映し出されているので彼女の姿は見えなかった。助けはない。
どうしよう!
そうこうしているうちに二の腕も入った。目の前に暗黒が見えて瞬時に体を横に向け、精一杯首をそらせる。変な体勢のせいか少々つったが背に腹は代えられない。鏡に閉じ込められる最後は嫌だ。せめて普通に殺してくれ!
しかしそんな努力も虚しく、あっという間に頭も引き摺りこまれていった。
頭が入れば後は簡単。
残りも体に引き寄せられるようにするりと入っていった。
あまりの恐怖にぎゅっと目を瞑りながら思った。
私、魔法を使えば良かったのでは――?
***
水面のようだったので、もしかしたら鏡の先は水中かもしれないと思って息を止めていた。
塔のなかにいたのに溺死など笑える。
両手を握ってひたすら訪れるだろう衝撃を堪え忍んだ。
しかしいくら経っても何の衝撃もなく、そのうち息も続かなくなってきた。
このままでは酸素不足で先に死んでしまう。ええいままよと思い、目と口を同時に開けた。
辺りは薄暗かった。
どうやら室内のようだった。
窓から入り込んでくる月の明かりで、そこが天井いっぱいまで伸びた本棚に囲まれた部屋だということが分かった。
室内の中央にはソファーとローテーブルが並んでいる。家具には詳しくないが、なかなか高級そうな作りだ。金色の装飾が丁寧に施され
ており、どこかの金持ちの部屋のようだった。暗くてよく見えないが、それらは黒で統一されており、艶々と光っている。漆だろうか?
すぐに殺されることはなさそうなので、現状把握のためにも足を進めた。
――と、ここでハッとする。
私、五体満足か?
ばっと体を捻って確かめると――良かった。私の四肢は前と変わらずすべてそこにあった。
しかし、一つだけ変わったことがあった。
服を着ていたのである。
白のシンプルなワンピースだ。
おかしい。私は寝る前で、いつものように白のネグリジェを着ていた。
鏡を抜けたら服だけ変わるなど、まるでどこぞの女児向けアニメのようだ。
「あ」
体を見回している最中、背後の壁に鏡がかかっているのを発見した。私の部屋にあるものと似たような装飾をしている。随分と古そうな感じの全身鏡だ。
ふとおかしな考えが思い浮かんだ。
もしや私の部屋の鏡とこの鏡は繋がっていて、まるでワープホールのような役割を果たしているのでは、と――。
つまり、私が今いるこの部屋は、先ほど見ていた少年がいる部屋だ。
あれ。
それってまずいんじゃないか。
恐る恐る室内を見渡した。
窓はある。執務机は……ある。
確かに、鏡越しに見たあの執務机と同じかもしれない。しかし、少年の姿はなかった。
ほっと胸を撫で下ろした。
机上にあったはずの灯りがなかったので、私がここに来る間に移動したのかもしれない。未だに夜のままだからそこまで時間は経ってないだろうが、とにかく助かった。それに自殺も思い止まってくれたようで二重に良かった。
「さて、これからどうしよう」
溜息がもれた。
また鏡に触れれば戻れるだろうか。ここに長居するのは危険だ。誰かに見つかるかもしれないし、見つかったら最後、あの塔から逃げたとして断罪されてしまうかもしれない。
ここはやはり鏡を――、
「貴女は、魔女か?」
突然聞こえてきた声に飛び上がった。
勢いよく振り返ると、執務机の陰からひょっこりと誰かが顔を覗かせていた。
それは、鏡越しに見た、あの少年だった。




