11.異変
それはある日突然起こった。
*
ジュードの真夜中訪問を皮切りに、私が関わった魔道具の承認が複数下りた。新薬の方も臨床試験は順調のようで、遠くない未来には販売の方向で調整が進むらしい。
ただ、魔女が関わった商品が人々の目にどのように映るかは、想像に容易い。間違いなく忌避されるだろう。
それでも、便利さや効果などは、筆頭魔法使い含め魔塔お墨付きのものである。多少時間はかかったとしても、そのうち浸透していくのではないだろうか。
そんな訳で、最近のジュードは魔塔の方に籠りっぱなしで、なかなか姿を見せなかった。
例にもれず、今日も朝から不在だった。
一方、残りのメンバーはというと、いつものようにリビングでのんびり過ごしていた。
「ねぇアーチー、どっちがいいと思う?」
二つの小瓶を持ち上げると、彼は私が右手に持つ方を指差した。「エヴァンは?」次いで騎士に尋ねると、彼は左手の方を指差した。
「そう、それじゃあこっちにするわ」
エヴァンが選択した方を選ぶと、アーチーはむっとしたように顔をしかめた。
「ギルダ様は僕の意見を絶対通してくれないですよね。不愉快です!」
そう言って幼子のように頬を膨らませた。
「だって貴方より二人の方が断然センスがあるんだもの。あと私の好みと合う」
「じゃあもう聞かないでください!」
「ふふ、ごめんごめん。アーチーがあまりにも可愛いから意地悪したくなっちゃって。それじゃあ今日はこっちにするわ」
彼はついついいじめたくなってしまう。つついた際の反応が面白いのだ。
私は肩を揺らしながら、アーチーが選んだマニキュアの小瓶を手に取った。そして魔法をかける。ブラシがひとりでにするすると動き始め、爪を色づけていった。
「!な、ならいいですけど……」
彼が選んでくれた淡いピンクのポリッシュは随分と可愛らしいが、照れたようにそっぽを向く彼はもっと可愛らしい。
エヴァンが横から「いつ見ても面白い魔法ですね」と興味深そうに顔を寄せてきた。
「エヴァンも塗ってみる?」
「え、あ、はい。あぁ、でも……」
「?」
歯切れの悪い彼に疑問符を浮かべると、彼は苦笑いして首を振った。
「これはお洒落をするために女性がつけるものでしょう?男の俺では、浮いてしまいます」
「あらそんなことないわよ。男性でも愛用したっていいのよ。好きなら問題なし」
「……そういうものなんですか?」
「そういうものなの」
「じゃあ僕もお願いします!」
意気揚々と挙手するアーチーに「はいはい」と返すと、エヴァンの手を取った。
当たり前だが、私の手と比べると彼の手はうんと大きい。節榑立った手は嫌でも男を感じさせ、少しドキドキした。職業柄か剣ダコも見られ、彼のこれまでの努力が窺われた。
彼には、先ほど彼が自分で選んだ方のネイルを塗ってあげることにした。
「ん……ちょっとくすぐったいです」
エヴァンはぴくぴくと体を震わせた。
「我慢して。本来であればこの後時間を置いて乾かさないといけないのよ?それをこの私の素晴らしい魔法で一瞬で乾燥させるんだから、とってもとっても感謝してちょうだい」
「へぇ」
彼は色づいていく自身の爪を食い入るように見つめていた。瞳は爛々と輝いており、とても喜んでいる様子だった。
――もしかして彼は、こういったオシャレが好きな男子なんだろうか?
騎士といえば男気溢れるイメージだが、実はこれまでそういう欲求を奥深くに閉じ込めていたとか、そういう……?
その証拠に彼は、塗り終わった手を光に照らし何度も具合を確かめていた。魔法が解けた小瓶も、くるくると回しながら状態を確かめているようだった。
「……そんなに好きなんだったら、またいつでもしてあげるわよ」
「!本当ですか?ありがとうございます」
エヴァンは花が綻ぶように笑った。
もともと彼は笑顔でいることが多いが、そのような幸せそうな顔を見せることは滅多にない。思わず胸が高鳴った。
イケメンのスマイル攻撃はクリティカルヒットで、私は蚊の鳴くような声で「い…色を変えたい時はまた言ってね…」と伝えたのだった。
「あ、それじゃあ申し訳ないのですが、これって元に戻せますか…?」
「え?色が気に入らない?」
「いえ、そういう訳ではないです。ただ、俺はお洒落を楽しみたいわけではないので」
エヴァンはそうきっぱりと告げた。
「……?どういうこと?」
私の問いに、彼は小瓶を指で掴み、振り子のように左右に揺らした。
「あくまでも俺が楽しみたいのは――」
ドォン――。
突然、下から突き上げるような衝撃があった。
次いでドドドという轟音が辺りに鳴り響き、部屋全体が揺れ始める。
地震だ。
何が起きたのか分からなくて呆然とした。部屋の物がバラバラと床に落ちていくのが見え、やっと地震が起きたということを理解した。
「ギルダ様!」
エヴァンに抱きしめられた。彼は歯を食い縛りながら辺りをきょろきょろと見回している。
ちょうど私たちがいる場所の頭上には物がないので、何も当たることはない。だが、“護衛騎士”という名前の通り守ってくれているのだろう。彼は全く地震に慣れていないはずなのに、その判断やこの状況下で動けるのは流石騎士と言えよう。
ハッとしてアーチーを見ると、彼は顔を青ざめながら固まっていた。
当たり前だ。何度も経験のある私ですら恐怖を感じているのだから、彼の感じているそれはもっとすごいだろう。
地鳴りは止まらない。
随分と長い地震だった。しかもこの揺れ具合からして、震度六はくだらないレベルだろう。
――ダメだ、私がしっかりしないと。
私は、エヴァンの腕の中で自身を奮い立たせた。
今こそ魔女の力を使うところじゃないか。彼ら二人を守らなければ。
「よしっ……!」
両手を床に押さえつけると、ゆっくりと深呼吸した。「ギルダ様……?」困惑した様子のエヴァンが声をかけてきたが、集中したくて彼に向けて人差し指を立てた。
少しずつ塔全体に魔力が流れるように意識する。こんなに莫大な量の魔力を扱ったのは初めてで、コントロールがかなり難しかった。これこそ陣を用いた方がより正確にできただろうが、今はその一分一秒が惜しい。
最終的に私の魔力が塔を丸々覆ったのを感じると、ぐっと力を込めた。
「ギルダ様!?」
魔力の流れに気づいたアーチーが声を張り上げた。
エヴァンは何をしているか理解していないようだったが、アーチーのその様子に、私を抱く腕により力を込めた。
瞬間、鋭い閃光が走り去った。
僅かに空気が変わる。
私はこの塔全体に保護魔法を施した。これで塔が地震によって崩れ落ちることはないだろう。
さすがにチート魔女も体力やら魔力やらが大量に消費されて、目の前がくらりとした。
「――!」
だが一息吐く間もなく、またドォンという轟音と共に揺れが起こった。今までで一番のサイズだ。慌ててアーチーの名前を呼んだ。
彼は恐怖で顔がひきつり、頭を抱えてその場に縮こまっていた。このままではいけないと考え、魔法で彼を引き寄せると抱きしめた。そして自分たちに保護魔法をかける。
「大丈夫、大丈夫よ……」
背中を宥めるように撫でてやると彼はしがみついてきた。目をぎゅっと閉じ、震えている。
「エヴァンは大丈夫?」
体制的に振り向けないので声だけで様子を窺うと、大丈夫です、と緊張した声で返ってきた。
「ギルダ様…」
エヴァンは掠れた声で尋ねる。
「これはこの間おっしゃっていた、“ジシン”という自然の摂理ですか…?」
「えぇ、そうよ」
「……いつ収まりますか?」
「分からない…地震の規模によるわ」
幸いなことに、彼とそんな話をしていると段々と地鳴りが小さくなっていった。
そうして、ぴたりと音が止んだ。
「終わった……」
どれくらいの時間が経っただろうか。
何の音もしないことを十分に確めたうえで、私たちは体を離した。
余震の心配もあったので、塔と彼らへの保護魔法はそのままに、私は立ち上がる。
ふらりと体が傾いたが、エヴァンが難なく抱き止めてくれた。
部屋は悲惨な状態だった。
家具こそ倒れることはなかったが、その上に置いてあった彼らの私物や魔道具関連のもの、薬関連のものが床のあちこちに散乱していた。最初の揺れが来た時点で魔法をかければ良かったのだが、頭が真っ白になってしまい、そこまで気が回らなかった。
私はぱちんと指を鳴らした。それらがふわりと浮かんで元の場所へと帰っていく。
「二人とも怪我はない?」
飛び回るそれらを眺めていたエヴァンは、その質問に顔をこちらに向けた。
「問題ありません。ギルダ様は?」
「エヴァンが守ってくれたから平気よ。ありがとう。さすが私の護衛騎士ね」
「もちろんです」
彼は口角をくいっと上げた。
返事のないアーチーを見やると、未だ呆然としたまま床に座っていた。
私は彼の前に両膝をつけると、そのままぺたぺた体を触りまくった。どうやら怪我はないようである。
一安心して顔に目を向けると、血の気が失せたような顔色に胸がぎゅっと痛んだ。
私は、再び彼を真正面から抱きしめた。
「アーチー、大丈夫よ」
安心させるように背中をゆっくり叩いていると、徐々に彼の腕が背中に回ってきた。緊張が少しずつ解れてきたようだ。
「……ギルダ様…もう本当に終わったのですか……?」
彼は泣くことこそしないものの、その瞳は不安げに揺らめいていた。
「……」
残念ながら、終わってはいない。
前世で学んだことだが、大きな地震の後はしばらく余震が続く。ここで気を緩めることは絶対にしてはいけないことだ。
私はアーチーを誘導してソファーに座らせると、外の様子を確かめに向かった。離れる際、彼の手が私の腕を掴むように飛び出しだが、それは一瞬のことですぐに戻って行った。
この部屋の窓から見えるのは塔前の庭園と城の一部、魔塔だけである。見たところ、それらの建物は地震前と変わらず存在しており、外観の損傷はなさそうだった。
ほっとしてまたアーチーのそばまで引き返すと目が合った。この間、ずっと彼は私の動向を追っていたようだ。
ソファーに腰を下ろすと、エヴァンを呼んだ。彼は先ほどから室内の状態をあちこち見て回ってくれているようだった。
「二人とも、よく聞いてくれる?」
真面目な顔をした私を前に、二人は神妙に頷いた。
「さっきの揺れだけど……あれで終わりじゃなくて、また起こる可能性が高いの」
アーチーが息を飲んだ。
「あれだけ大きな地震が来ると、その後も小さな揺れや、あれに近いサイズの揺れが起こったりするものなのよ」
「それは……何度も、ということですか?」
こくりと頷くと、エヴァンは顔を手のひらで覆って大きな溜め息を吐いた。
「だから念のため、この塔と貴方たちにかけた保護魔法はこのままにしておくわね」
「!もしやさっきのあの光のことですか!?」
絶望的な内容に肩を落としていたアーチーが、顔を上げた。目を丸々とさせ「信じられない…。この建物丸ごとですか……?」と問う。
「もちろんそうよ。でもかなり魔力を使ったみたいで、さすがにへとへとだわ」
「相当量の魔力が必要だったと思いますが…。それでも動けるあたりが恐ろしいですね……」
チート様々である。苦笑いで返した。
さて、ここからが本題である。私は気合いを入れてエヴァンに向き直った。
「そこで、エヴァンにお願いがあるの」
彼は背筋を伸ばして「何なりと」と答えた。
私がエヴァンにお願いしたのは、余震のことを人々に知らせることと、ジュードの安否確認である。
この国の人が地震に関する知識が乏しいことは、これまでの彼らの反応から明らかである。警戒を呼びかけた方がいいと判断した。
また、ジュードに関しては、先ほど魔塔が無事であることは目視できたものの、やはり実際に本人の無事を確めるまでは不安だった。
筆頭魔法使いともなれば、この後はお役所仕事で手一杯でしばらくここに戻って来れないだろう。そこで、彼にお願いすることにした。
ちなみにアーチーは私と一緒にお留守番である。
「まずは魔塔でジュードに会ってきてくれる?そして、無事を確めたら手紙を送って」
「手紙……?」
私は魔法で紙束を用意した。そしてエヴァンにその束の上に片手を置くように促す。
指を鳴らすと、彼の手のひらの横に小さな赤い光が現れた。
それは軌跡を残しながら、ぐるりと手のひらの縁を囲むように一周し始め、反対側まで行くとパッと消えた。
「一枚破って、ゆっくり息を吹きかけてみて」
「?」
疑問符を浮かべながらも言われた通りに息を吹きかけたエヴァンは、徐々に目を大きく開かせていった。
なぜなら、彼が息を吹きかけた一枚の紙が、みるみるうちに小鳥の姿に変わっていったからである。
そのうち、その小鳥は彼の手を離れ、辺りをパタパタと飛び回った。
「こ、これは……!?」
アーチーも口をあんぐりと開けている。
「手紙を届ける魔法よ。小鳥に届け先を伝えれば必ず届けてくれるわ。今みたいに息を吹きかければいいだけだから、簡単でしょ?」
「……す、素晴らしいですっ!!」
アーチーよりもうんとエヴァンの方が興奮していた。先日炎の剣の話をした時のように、前のめりで嬉々としてその小鳥を眺めている。
「それじゃあ、よろしくね」
「お任せください!」
そしてその後、エヴァンから送られてきた小鳥に書かれていた内容に、私たちは愕然とすることになった。
そこにはこう書いてあった。
『ジュード様が捕まりました』




