10.魔女の怒り
そそくさと離れていった三人の背を眺めながら、私は人知れず溜息を吐いた。
――困ったなぁ。
この“物語”の転機は≪災厄≫だが、私にはそれが何のことだか分からない。だが強制力があるようなので、間違いなくそれは訪れる。
と、いうことは、この先いつ訪れるかも、どんなものかも不明なそれに対して、私は備えなければならないということだ。
もしも≪災厄≫のせいで誰かを殺めてしまうようなことがあれば――ここまで考えてから、嫌な想像を打ち消すように頭を振った。
万が一恐ろしいことになった場合は、せめて優しい彼らだけでも救いたかった。
彼らは過去の“魔女ギルダ”という人間ではなく、今の私を見て接してくれている。それがどれだけ難しいことなのか、謁見のおかげでよく分かった。たとえそこに嘘が紛れていることがあったとしても、私はここでの生活を大切に感じていた。
ここは私にとって、“箱庭の楽園”だ。
罪人である私が、一時でも穏やかな日々を過ごせたのだから、恩返しは果たしたかった。
とりあえず今後は、普段通りの生活を続けながら≪災厄≫について探っていくことにする。
あわよくば記憶が戻らないか、魔法を試してみるのも手かもしれない。
それに、魔法に触れることは、≪災厄≫と対峙した時に役に立つ。
先ほどそれが生き物かもしれないと教えられたが、恐ろしい怪物だった場合、私が制御しなければならないのだ。その際に魔法の出番は必ずやってくる。もし、魔女の命令を聞くような賢い生き物であれば、国を脅すのに利用した後、どこか遠くに逃がしてやろう。
恐ろしい怪物と仲良くなれるかは不安だが……まぁ、私もカテゴリー的には恐ろしい魔女だ。きっとどうにかなるだろう。
せっかくだからファンタジーの定番、ドラゴンに会ってみたいものだ。
すると、力を入れていないのに、ロッキングチェアがゆらゆら揺れ始めた。
「!……あら、地震ね」
そこそこ揺れたが、塔は高いので実際はもっと小さいのかもしれない。
驚いたわね、と話しかけようとすると、彼らはそれぞれ露骨な反応を示していた。
アーチーは微動だにせず、エヴァンはひきつった笑みを、ジュードは呆れたような顔をしていた。
「ギルダ様……」
アーチーが恐る恐るといった声を出す。
「なあに?」
首を傾げると、彼はエヴァンの背に隠れながら「驚かせないでくださいよぉ!」と半泣き状態で訴えかけてきた。
「え?何が?」
「何がって……とぼけないでください!今のですよ!今の!それ以外に何が!?」
彼は小型犬のようにきゃんきゃん吠えた。
「……今のって?」
「今の揺れのことです。もしかして俺のこと…まだ怒ってますか?それでしたら申し訳ありません。そこまで御気分を損ねるとは……」
エヴァンは眉を下げながら頬をかいた。そして再び謝罪を口にしながら頭を下げる。
「……」
意味が分からず一瞬呆けてしまった。慌てて彼に止めるよう手を振った。
「ちょ、ちょっと待って。怒ってないし、今の揺れは私が起こしたわけじゃないわよ?」
二人から同時に「え?」という声がもれた。
お互い顔を見合わせ、また私を見る。
「……ギルダ様の魔法では…?」
アーチーが訝しげな顔をする。
エヴァンも同様な顔をしていたが、まさか二人は、私が癇癪で地震を起こしたと思ったのか!とんだ濡れ衣である。
否定すると、二人は首を傾げた。それでは犯人は一体誰なんだ、と。
「地震よ、地震。犯人なんていないわ」
「……ジシン?」
聞き慣れない単語だったようで、アーチーは変なイントネーションで繰り返した。
残念ながら覚えがないらしく、アーチーはエヴァンを見上げた。しかし、その彼も初耳のようで、軽く肩を竦めただけだった。
「師匠は知ってますか?」
じっと私たちのやり取りを見ていたジュードは、その質問に首を振った。
「大地の揺れについては、魔女の怒りだと教えられてきた」
「……」
まさか彼まで知らないとは……。この国で地震はあまり馴染みがないのだろうか。
そういえば、ヨーロッパの方では滅多に地震が起きないので、日本に来た外国人は驚くという話を聞いたことがある。
この国も同じなのかもしれない。だからこそ研究もされず、その原因は不明のままで魔女のせいにされている、とか。
しかし、改めてこう地震は何だと聞かれると返答に困る。マントルがどうとか地殻変動がどうとか言ってもきっと伝わらないだろう。その知識があるかどうかも怪しいし、そもそも私が上手く説明できる自信がない。
よし、逃げよう。
「……ア~自然の摂理よ」
「自然の摂理?」
「そうねぇ……その…食物連鎖的な?」
「食物連鎖……」
「……」
三人からの視線が痛い。段々それが疑うようなものに変化していくのを感じて、面倒になって伝家の宝刀を取り出した。
「…魔女の知識よ。残念ながら、魔女にしか理解できないことなのよね……」
意識して憂いを帯びた目で溜息を吐く。
魔女の知識と聞いて師弟コンビはそろって瞳を輝かせたが、魔女にしか理解できないと知ると同じようにそろって肩を落とした。
そんな二人とは異なり、騎士は「どうしてもですか?」と純粋にぶつけてくる。何度も大きく頷けば、最終的には引き下がってくれた。
魔法使いは魔女との力の差を理解しているが、一般人にはそれが分からない。伝家の宝刀もエヴァンへの使用は要注意なようだ。
「自然とは不思議なものですね」
ウサ耳がぴょこんと動くのが見えて、思わず笑いがこぼれた。
***
「ギルダ、上手くいったぞ!」
珍しく弾んだ声で家に訪れたのはジュードだった。こういう時の彼は大抵魔法絡みだ。私を探し回っているのか「おい、どこだ?」と聞こえてきた。
私は瞼を擦り、体を持ち上げて返事をした。
程なくして彼が寝室に現れた。
「この間の魔道具、承認が下りたぞ!」
彼は嬉々としながら、大股でベッドサイドに近づいてきた。
ぼんやりとした頭でその言葉を反芻する。
どうやら以前、彼に協力して作り上げた新しい魔道具の実地試験が通ったらしい。承認が下りたということは今後販売されるのであろう。
これで、魔女の有用性が立証された。
「貴方のおかげね」
私よりも嬉しそうな彼の姿に、自然と笑みが浮かぶ。
彼は「まぁな」と得意気にふんぞり返っていたが、急に何かに気づいて顔を凍りつかせた。「……そ、その格好はなんだ…」その言葉に、私は大きく溜息を吐いた。
現在の時刻は夜中の十二時過ぎ。私は既に就寝モードに入っていた。
そのため、今身に纏っているのは丈の短い白のネグリジェである。ギルダの顔立ちに合うよう程よくレースの入った、甘すぎないセクシー路線を目指したものだった。
我ながらちょうどよいエロさと自負している。そんな毒牙に、この男は勝手にかかったわけだ。
「はぁ……今何時だと思ってるの?」
「!」
そこで彼は初めて現状に気づいたようだった。罰の悪そうな顔をしながら首に手をあて、あーだのうーだの唸り声をあげた。
「……悪かった。起こしたか?」
「いいえ、半分は起きてたから平気よ」
指を鳴らして間接照明の明かりを強くした。
彼は部屋を見渡してナイトガウンを見つけると、顔を逸らしながら手渡してきた。恥じらう姿が面白くて、受け取る際にそっと手首に触れれば大袈裟に体を震わせた。
「青いわねぇ」
「……うるさい」
ちなみに以前、アーチーもこの私の完璧なネグリジェ姿と遭遇したが、彼は無表情で「ほぉ」と感想を告げただけだった。
いや感想なんかじゃない。あれは恐らく「若作りですか?」というデリカシーの欠片もない反応だった。あの男は絶対にモテない。
そもそも、この師弟コンビはいつも唐突に部屋にやって来るのだ。
始めの方こそ、ノックをした後、私の返事を待った上で入室するという常識を持ち合わせていたのだが、最近は気づくと室内にいる。レディーが一人で暮らす家なのだから配慮してほしいものだ。――まぁ、私は罪人なのだから、こんな主張は許されないのかもしれないが。
ただ、彼らの場合、それぞれの私物が勝手に置かれている頻度が増えているので、私の部屋を自室と勘違いしている節がある。
せっかくラグジュアリーコンセプトで完璧に仕上げた自慢の家なのに、それらのせいで景観が損なわれてしまっていた。
思い浮かべてほしい。美しい装飾の施された家具の上に、謎の草やゴツくて大きな鍋が置かれている状況を――。実に悲惨だろう。
だが、これについても私の生死に関係することなので文句は言えない。結局、折衷案で泣く泣くスペースを用意した。
「もしかして今まで魔塔にいたの?」
「あぁ、ついさっき試験が終わったんだ」
ジュードはぐるりと肩を回しながら答えた。
私に伝えるまではアドレナリンが出まくっていたのだろう。その役目を終えた今、彼の表情からは疲労感がにじみ出ていた。
ぽんぽん。
私はベッドを叩いて彼を見上げた。
「……」
彼も馬鹿ではないのでその意味には気づいているのだろう。眉間にシワを寄せた。
しばらく二人で見つめ合っていたが、そのうち彼が折れた。私から三十センチ程の距離をあけてその重い腰を下ろす。
しかし、一瞬で私がその差を詰めたため、彼は仰け反った。
「~~ギルダ!」
「無駄な抵抗はやめて、大人しくしなさい」
ふふんと強気な態度で腕を組む。
ジュードは疲労感から抵抗する気も起きないのか、ゆっくりと体勢を元に戻した。
「……ハァ、俺ももう部屋に戻るから、お前もさっさと寝ろ」
「用事を済ませたら寝るわ」
「用事?」
とは言っても、誰かさんのせいで眠気が覚めてしまったのでしばらく眠れないだろうが――。
そんな本音は飲み込んで、私はジュードの肩に触れた。
「!?」
彼は再び、びくんと魚のように跳ねた。
「じっとしてて」
「……」
ジュードは生娘のように警戒していたが、そのうち体に表れた変化に興味が移ったらしい。「…肩に熱が……」それに気づいてからは大人しくされるがままだった。
私は処置を終えると彼から離れた。そして肩を動かすように指示をした。
「!……軽い」
「肩こりが酷かったんでしょう?どうやらこういう魔法も使えるみたいね」
「治癒魔法か……」
彼は感心したように呟いた。
実際に治癒魔法かどうかは不明だ。肩こりなら温めるのがいいだろうと思って、筋肉が解れるように意識しただけだった。結果、それが功を奏したらしい。
そんなに難しい魔法ではないので、今度やり方を教えることを約束すれば、前のめりで感謝された。魔法使いたちは研究ばかりで相当お疲れのようである。
特に彼やアーチーは私の面倒も押しつけられているので、これくらいのサービスは喜んで提供しよう。
「ギルダ」
よい仕事をしたと自己満足に浸っていると、名前を呼ばれた。
顔を向けると、間接照明の明かりが段々と弱まっていく。室内はその淡い光だけが、夜空の月のようにぼんやりと浮かび上がった。
暗闇のなかで照らされた彼のタンザナイトは、よりはっきりと美しい紫色に見えた。
「おやすみ」
ジュードは私の手の甲に自身の手を重ねると、ぎゅっと力を入れた。
そして僅かに微笑んで去って行った。
「……おやすみ」
彼の残り香がふわっと鼻孔を擽った。




