09.≪災厄≫とは
「ギルダ様…あの…これは……」
エヴァンは顔をひきつらせ、恐る恐る自身の頭に手を伸ばした。
鏡の前に立っていた彼は、羞恥心からその大きな体を縮こませている。
「とっても可愛いでしょう?」
私が極上の笑みを向けると、彼は青褪めながら勢いよく首を振った。
「あらぁ、貴方の希望通り、騎士と魔法使いが力を補った結果なのだけれど」
「こ、この耳がですか!?」
ピョコーーン。
彼の大声に合わせ、その頭からにょきっと伸びたソレが震えた。
「ブフッ」
「クッ」
師弟が堪えきれずに吹き出した。
今現在、エヴァンの頭には真っ白でふさふさの愛らしい――【ウサ耳】が生えていた。私が先ほど魔法でプレゼントしたものだ。
「そうよ。きっとこの可愛らしいウサ耳を前に、どんな悪党も心を奪われてしまうわ」
その隙に貴方が止めをさすの!――そう告げると「それよりも先に、俺が羞恥心でどうにかなってしまいそうです!」と顔を覆った。
耳がぺたんと垂れる。
「すごい!感情に連動するんですね!」
アーチーが興味津々といった顔で、エヴァンの周りをぐるぐる回った。
「やっていることは魔力の無駄遣いに変わりないが……あの脳筋にも試したいところだな」
ジュードが団長のウサ耳姿を想像したのか、一瞬顔を歪ませたが、すぐに悪どい笑みを浮かべた。
エヴァンはおずおずと主張する。
「ギルダ様…あの…先ほどのお話は、別に俺は貴女をどうこうしようとしたわけではなく…。単純に興味があっただけであって……」
「いいのよ、エヴァン。分かってるわ」
私は彼に近づき、その両頬を優しく包み込んだ。
「でしたら――!」
この美貌を駆使し、まるで慈愛の女神のような微笑みを浮かべれば、彼は一瞬惚けた顔をした。そして訪れるであろう許しに期待した。
「でも、とってもとっても似合ってるから、今日は一日これで過ごしてね」
その言葉に彼はぴしりと固まった。
「ごめんなさいね、私、魔女だから」
うふふとお上品に笑うと、エヴァンはひきつった笑みで「ギルダ様にご満足頂けたようで何よりです……」と了承した。案外爽やか笑顔を崩すのは簡単だったようだ。
後ろの方でアーチーが「僕の方がもっと似合う気がするけどなぁ」とぼやいている。そうだね、君は美少女顔だものね。
騎士様のしょげた背中を眺める。そのままついっと視線を落とせば、これまたいい感じに筋肉のついた臀部が目に入った。
顔のいい男はお尻の形も素晴らしいらしい。特に騎士服はピシッとしたタイプの服なので、体のラインが綺麗に出るのだ。
どうだろうか。あの綺麗なお尻から、こう…ぴょこんと、白くてふわふわの……。
「!?」
エヴァンがお尻を押さえながら、勢いよく振り返った。
冷や汗を流す彼と視線が交わったので、にっこりと微笑んでおく。
「……!…!!」
彼は高速で首を振った。よもや私が何を考えているのか伝わったのだろうか。
だが彼は、自分の今の可愛さを理解していない。そんなに耳を垂らして、怯えたように震えながら懇願されでもしたら……。それは余計に私の嗜虐心を煽るだけである。
――うふふご期待に応えちゃおうかしら。
「そ~れ」
「やめろ」
不意に、背後からジュードに手首を掴まれた。
彼は額を押さえながらやれやれと頭を振る。
「もぉ~これからが楽しいところなのよ?」
「気は済んだだろ。アーチーが興味があるようだから、やるならそっちにしろ」
名前が挙げられた彼の方を見ると、餌を前に、待てを言いつけられた犬の如く待機していた。
「……」
「……」
「……やっぱりいいわ」
「エッ」
熱望されたらされたで萎えるこの乙女心を分かってほしい。
完全に興が冷めてしまった。食い下がってきた彼を片手で軽く追い払い、ロッキングチェアを呼び寄せた。
この椅子は私のお気に入りだ。作業スペースに置いてあるのだが、師弟に指導する際、暇なのでよくぶらぶら体を揺らしている。
「貴方たちに聞きたいことがあるんだけど」
ここ数日、私は十分国の役に立っていると思う。この辺りで一旦、“魔女”のことについて真剣に考えてみようと思っていた。
十中八九、この先遠くない未来に、過去二回と同様の流れを繰り返すのだと思う。二度あることは三度ある、だ。
そもそも、そうでなければ異世界の少女が来る理由がない。
きっとどうあがいても、私は“シナリオ”に逆らえず、同じことを繰り返すことになるのだろう。よくあるネット小説展開だ。
私はこの世界のことを知らないが、原作小説などが存在するのかもしれない。
そういう意味でも、私の【悪役】実行の決意への後押しとなっていた。生きるために足掻こうなどという考えは一切なかった。
だが、そんな従順な私ではあるが、これまで通りの悪女を演じる気はさらさらなかった。
私にも倫理観はある。【いい子】は捨てたが、人としての最低ライン――命を奪うようなこと――だけは越えたくなかった。
他人から見れば、この時点で【いい子】ちゃんで、捨てきれていないのかもしれない。
だが私は、人の不幸の上に成り立つ幸福を欲していなかった。
それに、完全に【悪】に染まるということは、過去の私という存在を今の私が否定するようで心が苦しかった。私くらいは、“私”を最後まで肯定してあげたかった。
最終的に、異世界の少女と王族の力で私が封印されればいいのだ。
余程酷い悪行が必要な場合は、そのフリさえすればいい。約束が反故になるわけだから、きっと彼らは封印しようとしてくるはずだ。
しかし、ここで問題になってくるのが、私に過去の記憶がないことであった。
建国伝説によると、私は怒り狂って≪災厄≫と呼ばれるものを呼び起こしている。これが【悪】たる所以になるわけだが、今の私にはそれが何のことだかさっぱり分からなかった。
因縁の王族との対面でも、よくあるネット小説のような記憶の覚醒は起こらなかった。
そういうわけで、私は今、詰んでいる。
この後何をどうしたらいいかが分からなかった。
別に過去を繰り返さずとも、悪になる方法は、魔女である私にならいくらでもある。
ただ、≪災厄≫というものがどれほどの規模を持ち、どれほどの被害を及ぼすものなのか――。それらについては、当事者として知っておくべきだと思っていた。あまりにも酷いものであれば、出来れば行使したくなかった。
「伝説にあった≪災厄≫について、誰か詳しいことを知っている人はいない?」
その言葉に三人はぴたりと動きを止めた。
そろって顔を見合わせ、お互い様子を窺っているようだった。警戒させてしまった。
「……別にどうこうしようってわけじゃないの。ただ、不可抗力ってものもあるでしょう?私はいまいち自分の魔力を理解しきれていないから、防止のためにも色々把握しておきたいの。良ければ協力してちょうだい」
頭を下げると、誰かが物音を立てた。
――アーチーだ。
彼は慌てたように走って来た。
「ギルダ様、頭をお上げ下さい」
床に膝をつけた彼は、私の手を握って、口を開いては閉じてを繰り返していた。そして決意したように手に力を込めた。
「実のところ……それは誰も知らないのです」
「え?」
「具体的に申し上げると、知ってはいるのですが、それはあくまでも口承として伝わってきたものだけで、各々の見解が異なるのです」
エヴァンが耳をピンと立てながら付け加えた。笑ってはいけない。
「なぜだかギルダ様に関しての記録は、公式なものが一切残っていないのです。あるのは口承で伝わる伝説のみです」
「公式な記録が一切残っていない…?」
呆然と疑問を口にすると、二人は静かに頷いた。
エヴァンは続ける。
「人々はそれを魔女の呪いだと言っています」
「魔女の呪い……」
後世に自分の恥ずかしい過去が残るのが嫌だとして消すのは分かる。だが、結局口承で伝わってしまっているのだから、あまり意味がないのではないだろうか。むしろ、その方が面白おかしく婉曲されてしまうので最悪なのでは?
過去の自分が分からない。
「ううん…全然記憶にないのだけれど……。まぁ、それなら仕方がないわね。貴方たちが聞いた話だけでもいいから教えてもらえる?」
この際しょうがない。ヒントでも貰えれば何とかなるだろう。
アーチーは申し訳なさそうに眉を下げると、考えるポーズをとった。
「ええと…僕が聞いたのは、“おどろおどろしいもの”ですね」
「俺は“一瞬で飲み込まれる”と、“決して逃げられないもの”と聞きました」
「ジュードは?」
一人離れたところにいた彼に質問を投げると、彼は天井を仰いでからこう答えた。
「そうだな……“恐ろしい怪物”、だな」
なるほど。
抽象的すぎて何も分からない。
「とりあえず……生き物なのかしら?」
「どうでしょう。俺は祖父からそのような話を聞きませんでしたが……」
耳が左右に揺れている。
例えるならばダウジングマシンのような。某有名昔話アニメのあのエンディングイラストのような……。
「ブフッ」
「ギ…ギルダ様?」
「……いやなんでもない…気にしないで…」
にやける顔を隠しながら、小刻みに震える体を必死で抑えた。
当の本人はよく分かっていないようだったが、離れた位置にいたジュードにはこの行動の意味を気づかれたようだった。軽蔑するような視線を向けられている。
断ち切るようにこほんと咳払いした。
「と、とにかく……。それじゃあその怪物とやらを呼ばないようにすればいいのよね」
アーチーはこくりと頷いた。
「伝説では『呼び起こす』とありますから、もしかすると怪物は、普段は眠っているのかもしれませんね」
「なるほど。『恐ろしい力を操って』とあったけど、きっと魔法のことよね?これから魔法を使うときは、十分注意するようにするわ」
「そうですね」
「それがいいと思います」
アーチーとエヴァンはにこりと微笑んだ。
「あぁ、それなら」
そう言ってジュードはエヴァンを一瞥した。
「これからは、そんな風に魔法をワケの分からないことに使うなよ」
「!」
エヴァンはハッとして頭を押さえた。その顔はこの話のせいですっかり忘れていた顔だ。
耳がヘニャリと倒れた。
「あら、それとこれとは話が別だわ!」
私のウキウキとした返答に花を咲かせるもの、散らせるもの、吹雪を吹かせるものと三者三様の姿を見せてくれたのだった。
さて、彼らから≪災厄≫について学んだが、ここで疑問として上がるのが、魔女ギルダはそれ以外にも何か悪行をしたのか、である。
結論から言えば、――分からない。
先ほど話に出たように、魔女に関する公式の記録は存在していないので、本当かどうか分からない話しか残っていない。
何でも、気にくわない人間を焼き殺すとか、食べるとか、生き埋めにするとかエトセトラエトセトラ。
いわゆる悪逆非道の数々の話が語り継がれているようなのだが、その証拠自体は存在しないので、真偽は不明だ。
結局、私がこの先何をするべきかは分からずじまいだった。
「フゥ…人を食べるなんてそんなこと本当にしたのかしら。絶対美味しくないわよ」
まるでお伽噺の魔女のようではないか。あいにくとカニバリズムの習慣はない。
「魔法にも特に使わないですしね」
アーチーがけらけら笑った。
「そういうギルダ自身は、何をしたと思うんだ?」
ジュードが瓶詰めの薬を片手に歩いて来た。
差し出されたそれを手に取り、軽く振るう。比喩などではなく、実際にふわっと緑の星が舞った。
綺麗な現象ではあるが、これは失敗である。首を振ると、あからさまにジュードが肩を落とした。自信があったのだろう。
「そうねぇ……」
三人の視線が集まった。そんなに見つめられるとちょっぴり緊張してしまう。
気にくわない人間に何かするとすれば何だろうか。
ふと、先日の国王陛下の顔が思い浮かんだ。
彼ら王族は、その美貌を使って年若い少女たちと毎日楽しく過ごしてきたのだろうか。
そう思うとふつふつと怒りがこみ上げてきた。
「……私だったら、ちょん切るわねぇ」
頬に手を添えてにっこりと笑った。
するとアーチーが「きゅう」と小動物のような鳴き声をあげて、ぎゅっと両足を閉じた。
ウサ耳はこれでもかと縮こまり、ジュードは三歩下がった。
「ふふ」
何を、とまで言わずとも通じるところが、この三人の好きなところである。




