【木彫りのハニーベア・終章:15】
「あ」
頭が弾ける。情報の奔流。
周りの景色は一瞬にして消え、映像と音が無限に流れていく。
自分という存在は押し流され、溶けそうになる。
そうして謎が解けていく。
私は今まで何を相手にしていたのか。
『先祖返り』が一体何だったのか。
普通、怒りというのは受動的、反射的な感情だ。
嫉妬、失望、不満、ありとあらゆる悪感情が生まれた時、それに付随し現れる。
大きく言えば、自分は危険に晒されている、という認識に対応する術なのだ。
故に、怒りそのものは目的なく単体で存在できることは無い。
しかし。
もしもこの世に、怒りが生命として成立したとするならば、それはどうなるのだろう?
「<わたしは ここにいる>」
初めは真っ暗で、何も見えなくて。
でも、消えそうな光があったから、そこに身を寄せた。
「<ああ かわく かわく いかる いかる こわす こわす こわす>」
同化した『憤怒』は対象の理性を奪い、ひたすら破壊を振りまき、満たされぬまま渇き続ける。そこに理由も目的もない。そういう生命だからだ。
「<わたしは なんのために いかる なんのために こわす>」
そのくせ、その新しい生命は目的なく存在できない。怒りの本質に縛られ続けるからだ。
だから失った存在意義を無意識に求め、後付けで定義されていく。
「<せかいはわたしをかみとよんだ ひげきをもたらすものだとよんだ>」
「<そうか それが わたしの ありかたなのか>」
そうして、その本分を果たし続けた。
数を増やし、壊し、殺し、悲劇を生み続けてきた。
元より通常の生物とは違う。いくつも分裂し、さまざまな動物に同化した。群れでありながら同時に個であった。
本来生命として生まれる筈ではなかった『憤怒』という感情。破壊を振りまきながらもその目的を他に依存するいびつな生命。
毒でも、呪いでも、病気でもない。
この完璧じゃない世界に、ひときわ深く刻まれた傷痕――それが『先祖返り』の正体だった。
『憤怒』は『先祖返り』としてその目的を忠実に果たし続け、やがて周りに人が居なくなり、信仰は止み、ただそこにあるものとなっていた。
再び、目的を失ったのだ。
でも。目的のない存在であることには耐えられない。
だから、また、依代を見つけた。前と同じように。
今だ生まれぬ小さな光。魂が十全でなく、欠落していて、そのままではこの世に生まれず消えてしまうはずの命。
そんな命だからこそ、いびつな生命である『憤怒』が同化できる余地があった。
消え果てるはずだった命はそうして生き延び、“ロウガ”という一つの生命としてこの世に生を受けた。
また悲劇をもたらすために。
なのに――
「<どうして じゃまするの>」
情報の奔流が止む。
黒い靄はいつの間にか私からその手を放していた。
「……」
私はだらしなく口を開けたまま、ぼうっとへたり込んでしまっている。
意識ははっきりとしているのに、身体にまるで力が入らない。
頭の中が熱い。受けた情報を処理するのに精一杯なのかもしれない。
処理落ちで呼吸の仕方を忘れていないのが奇跡だ。
口に血の味がする。鼻血が出ているらしい。
「<このままじゃ ひげきにならない それは こまるの>」
「<だから まずは あなたが しんで>」
「……っあ」
首に再び手がかかるのがわかった。
真綿で首をしめるというが、まさにそんな感じでゆっくりと首がしまっていく。
幸いというべきか、情報の奔流がたたきつけられることは無いものの、いかんせんこのままでは物理的に死ぬ。
そんな危機的状況なのに、私の中にはもう、先ほどまでの恐怖は微塵も存在していない。
ただ、ひたすらに、同情していた。涙が流れる。
「<くるしいの>」
「ちが……うよ」
あの受け取った情報。
何人もの人が犠牲になった。そして今、私も犠牲になろうとしている。
でも……『憤怒』はただそのように生まれ落ちたというだけだ。
「私……しってる、から……わかる、から」
私は知っている。
向こうの世界。
なんとか自分を変えようとしても、裏切られ、結局は元の存在に押し込められることがあるということ。
まるで、そう生まれてきたことが罪であるというかのような、世界の理不尽な仕打ち。
諦めて、流されることを余儀なくされるどうしようもないソトのこと。
「<うそだ だれもわからない だれもりかいしてくれない それでいいんだ>」
声が動揺したように大きくなる。まるで駄々をこねる子供のよう。
首が強くしまる。その手が震えていた。
そっと、両手を重ねる。
もうあまり猶予はない。私はこのままだと窒息して死ぬだろう。
でも、最後に、どうしても確認しておきたかった。
「なら、どうして……私にすべてを見せたの?」
「<なにを いう>」
「そのまま殺すことだってできたのに、あなたは自分の過去を私に見せた。それはきっと――」
「<やめろ>」
つぶやくような声。
首をしめていた手が緩む。
少しだけ呼吸が楽になる。
「――きっと、自分を裁いてほしかったから。そして――」
「<ちがう>」
首をしめていた手が緩む。
もう、普通に呼吸ができる。
「――寂しかったからだよね、“ロウガ”」
「<――>」
真っ黒で、顔なんてないのに、そこに浮かべた表情が見える気がした。
「<なぜ 私をロウガと呼ぶ>」
「そんなの、きまってるよ」
他の誰が理解してくれなくても、どんなに裁かれるべき存在だと言われても。
この子のおかげでこの世界に私の友達が生まれて来てくれたというなら。
きっとそれは、私にとっては間違いじゃなかったから。
「あなたもきっと、私の友達だから。」
その言葉に呼応するように、胸元の鍵が熱く、やわらかな光を放ち始めた。
それは、周りに、世界に合わせてずっと生きてきた私が、初めて特大のワガママを世界に突きつけた瞬間だったのかもしれない。
皆が納得するバッドエンドより、私だけがほしいハッピーエンドを目指したい。
「一緒に帰ろう、ロウガ」
鍵が更にまぶしく光る。
ロウガを覆っていた黒い靄が鍵の中に吸い込まれていく。
消すわけじゃない。ただ、いる場所が少し変わるだけ。きっとあの家の中なら、もう大丈夫だから。
光がすっかり収まってしまったとき、気付いた。
「綺麗な、朝焼け……」
この森の夜は既に終わり、朝陽が差している。
陽だまりの下、安らかな寝息を立てる友達を見つめて、私はほうっとため息をついた。
「友達作るのって、思ってたより大変だ」




