【木彫りのハニーベア・終章:11】
「痛ッ!」
転がって回避したものの腕が浅く切り裂かれ、血が出る。
「立てるか?」
「よ、ゆう」
ふらつきながら立ち上がる。
クロキバさんの方を見やるが、あちらも疲弊の色が出始めていた。
それに反し、巨狼はまだまだ余裕だ。
何度か攻撃を加える機会はあったものの、終わってみればどれも決定打には程遠い。
戦いは予想に反して長引いている。いや、長引かされているというべきか。
正直最初の作戦が失敗した時点でアウトなはずだったが、向こうは私たちを玩弄し愉しんでいるようだ。
先ほどの攻撃も、わざとギリギリ当たるかどうかのところで加減して放たれたものだった。
じわりじわりと獲物の体力を減らし、動けなくなってきて飽きたら殺すつもりなのだ。
家の中に入って回復する手もあるが、おそらくその場合は一気に私たちを殺しにかかってくるだけでむしろ逆効果だろう。
「このままじゃあまずいな……イチかバチか俺が囮になるから――」
「そんなんじゃダメ。」
やぶれかぶれで命を投げ出すことと、計算ずくで命を懸けることは違う。
ロウガはなんとなくで勝利を取れるほど甘くない。
この作戦における私たちの役割はロウガにダメージを与え、戦闘不能に陥らせることだった。
「けど、何かやるんならここらが限界だぜ」
何か。必勝でなくてもいい。
私は凡人だ、神みたいな作戦を一瞬では考えつかない。
だから一つ一つ順を追って考えろ。ベストが無理ならベターを目指せ。
――私たちの勝利条件は?:ロウガを戦闘不能にすること
当然、相手はそんな私の甘えた時間を許してはくれない。
すぐに攻撃がやってくる。
袈裟がけにひっかく攻撃。
「っ」
今度は肩がやられた。
必死で致命傷を避けながら考えを進める。
――戦闘不能、具体的には?:痛めつけること?
違う。
私たちだってそういう意味では十分にダメージを受けている。
もちろん相手の手加減によるところが大きいことはわかっているが、それでも闇雲に攻撃することは戦闘不能への最適な一手ではない。
闇雲に攻撃……本当にそうだろうか。
ロウガは私たちの力をじわじわと削ぐことを目的としている。
それはつまり、今なお決定打が意図的に避けられているということではないか?
では、私たちの動きが止まる決定打とは何か。
そこに考えが至ったとき。それは逆算である事実を導き出した。
当たり前で、それでも忘れていたこと。
――戦闘不能、具体的には?:四肢を使用不可能にすること
ならばあとはそこに至るまでの軌跡を考えればいい。
そこまで考えた時、ぐわっっと口を開くロウガが見えた。
いままで見たことのない攻撃?/脳裏にあの時のビジョンが浮かぶ/違うあれは!
「耳をふさいで伏せて!!!!」
自分も伏せて耳をふさぎながら精一杯怒鳴る。
となりでクロキバさんが咄嗟に同じ姿勢を取ったのを確認した直後――
目の前に雷が落ちた。
掛け値なしにそう思った。
凄まじい轟音と衝撃。
身体の骨が砕けそうになる。いや、おそらくヒビくらいは入ったのだ。体中に走る激痛。
脳みそがシェイクされたみたいに揺れ、意識が遠のく。
それはもはや物理的な破壊力を伴っている点で音爆弾というよりは普通の爆弾と同じだった。
ヒヒイロカネのそれとは比較にならない破壊力の咆哮――
視界がぐらんぐらんと揺れ、私は嘔吐した。
徐々に視界が戻ってきて、ロウガの遊びが既に止んでいたことを悟る。
ロウガは勝ち誇ったようにゆっくりと近づいてくる。
「げほっ……う、おえっ……」
「く、クソッタレが……でけえ声出しやがって……」
クロキバさんは流石に体のつくりが違うのか、私よりは平気そうだが、二度目はなさそうだ。
「いよいよまずいぜこりゃ」
「作戦……考えたんだけど」
そう声を絞り出すと、クロキバさんは一瞬目を丸くした。
構わず作戦を手短にすべて話す。
話終わった後、クロキバさんに頭をくしゃくしゃとされた。
私は再び嘔吐感がこみ上げてきて口を押さえる。
「まだ気分が悪いんだってば……!」
「はーーっはっは!悪い悪い!お前、こんな状況でとんでもねえこと考えるなあ」
「やる価値はあると思うけど」
「おう。どっちにしろ、もう猶予はねえみたいだしな。それで行こう」
ロウガが一歩一歩近づいてきている。
まだ遠い。この作戦はタイミングがすべてだ。
月光のさし具合から見て、あと――
そこしかない、そんなタイミングでクロキバさんが飛び出す。
まるでけがなどしていないかのような瞬発力。
だが、それはろうそくが燃え尽きる瞬間の輝きに似ている。
一瞬警戒するように動きを止めた巨狼は、しかし構うことなく悠然と歩き始めた。
まずは牽制。
矢をはなつ。
1本は毛皮に弾かれた、1本は目を狙ったものだったがこれも少し顔を背けられたことで外れる。
だが。その一瞬。
コンマ1秒にも満たないその一瞬の隙で十分だった。
人間族には到底到達できない領域。
獣人族の中でも戦闘に長けたウルフェン族、その族長にのみ許された一瞬の爆発的な跳躍は神の眼すら欺く。
姿が掻き消え、ロウガがたじろぎ、さした影に空を向く。
「ッオオオオオオオオオ!!!!!」
構え、落下。
月光をかさに行うことで正確な位置がロウガにはわからない。単純な攻撃、だがその威力は絶大。
如何に『先祖返り』が化け物といえどもその槍を躱すことなどできない。
致命傷には至らずとも身体のどこかに必ず傷を負う。
一度傷を負えばそこに麻痺矢を何本だろうと打ち込めば勝負がつく。
毒が効くのは“知っている”。
――否、『先祖返り』は神である。
人にできず、獣人にすらできぬことを行うからこそ、神と畏怖された。
「な――」
今まで見たこともない動き。
骨や関節の位置を筋肉で無視した裏技。
巨狼はその姿をあり得ない形にぐんにゃりと曲げ、回避態勢を取った。
脊椎動物ではありえないレベルの柔軟性をそれは獲得していたのだ。
「それでもそこが限界だよね」
静かに呟くスズメ。
大丈夫。これ以上は動けない。
二の矢。
引き絞り、放つ。
眼球さえ潰せば――
「……嘘」
人を凌駕する存在が神である。
筋肉で押さえつけていた体の一部が解放され、はじける。
槍を回避できる体制のまま、それは風圧を生み、矢の軌道はねじ曲がった。
愚かな獲物たちめ、最期に中々楽しませてくれた。
だが、ここまでだ。
落ちてくる獲物を見る。
どんな絶望を浮かべているのか、それを確認するために。
「三の矢」
だが神よ、覚悟せよ。
人の意志は時に天にすら届く。
開始と同時に空にむかって放たれていた複数の矢が、人が突いた天の意を得て降り来る。
そのうちいくつかは、既に動くことのできない巨狼の眼球を確実に捉えていた。
それは風加減に任せた全くの偶然であったが、それでも天意はそこに矢を導いた。
――成らぬ。
身体は動かぬ。だがこのままでは獲物に負ける。
許されない。
先ほどまでの愉悦は露と消え、ふつふつと憤怒が煮えたぎってくる。
その熱は、体温の高速上昇を促し、凄まじい上昇気流によって天命すら遮った。
人の意志、天の意志、それらが合わさってもこの地上に降りた神という獣は倒せない。
動かぬ口角が上がるのを感じる。
さあ、これが終われば今度こそ血の宴だ。
「――失礼致します」
人も天も背いたなら、なぜ影だけが背かないと言い切れるのか。
戦闘開始よりずっと息をひそめてきた影たち。
複数の麻痺毒が塗られた刃が神殺しの刃となってその身に突き刺さった。
血が巡る。
ならぬ、今巡っては――。
毒が乗る。血が巡る。
筋肉が石に変わっていく。
「キッツイの行くから、歯あ食いしばれよぉ!!!!」
目の前に降り立った獣人が、槍を振りかぶる。
まて、今それを受けては
「うううううおおおおらああああああああ!!!!!」
衝撃。
神は父の重い平手うちを受けて地に伏し。
それを見届け、自らもどう、と倒れ伏すクロキバ。
スズメは、空を見上げ、呟いた。
「コゲツくん、後は任せたから」




